ブレイクファスト!-恋の速攻は決まらない-

 夜の公園に、ボールの弾む音が響く。
 荒い息を吐きながらコンクリートを蹴った。架空のディフェンスをかわし、ゴール下へ切り込むと、必死に右手を伸ばした。ボールがネットを揺らす。落ちてくるボールを拾い上げ、俺はまたがむしゃらにシュートを放った。

(また、選ばれなかった)

 冴島を見送った後の部活で、顧問の先生からインターハイに出場するレギュラー候補が発表された。
 三年生を中心としたメンバーの中には間宮の名前もあった。けれど、俺の名前が呼ばれることはなかった。
「くそっ!」
 リングに向かって八つ当たりするようにボールを投げつける。もちろん入るはずもなく弾かれたボールは、ガコンと嫌な音を立ててコートの外へと転がっていった。
 膝に両手をついてその場で深く項垂れた。悔しさを噛み殺すように奥歯をぎりっと噛んだそのときだった。
「……羽鳥先輩」
 背後からかけられた声にぎくりと振り返る。
 冴島がボールを拾って立っていた。
「あ、ボールごめん」
 ボールを持ったまま佇んでいる冴島に歩み寄る。冴島は黙ってボールを差し出すと、俺の顔を見つめた。
「……なんかありました?」
 遠慮がちな小さな声に、気を遣わせてるなぁ、と申し訳なくなった。
「あー。いや、なんでも」
 取り繕って笑おうとしたけど、うまく笑えなくて変な顔になった。
「なんでもなさそうには見えないですけど」
「そう?そんな顔に出てる?」
 おどけたように両手で顔を挟んで笑って見せたものの、冴島はただ眉を寄せるだけだった。
「あ……えっと」
 ごまかされてはくれなさそうな様子に、俺は観念して口を開いた。
「今日、インターハイのメンバー発表があってさ」
 大したことじゃないみたいに、なるべく明るい声を出したつもりだった。
「それで、名前……呼ばれなくて」
 でもそう口にした途端、声が震えてダメだった。
 俺は慌てて冴島の視線から逃げるように背中を向けた。
「俺、才能ないんだろうなー」
 冗談めかすように笑いながら、持っていたボールを地面についた。
「だから羨ましいよ、冴島が……」
 そうこぼした瞬間、横からすっとボールを奪われた。
「……っ」
 ハッとして横を向くと、ボールを両手に持った冴島が、俺と目を合わすことなくバスケットゴールの方を見つめていた。
 冴島はその場で数回ボールをついた。とてもぎこちなくて、明らかに慣れていない様子だった。そしてドリブルをしながらゴール下へ走り出すと、片手でボールを掴み、リングへ放った。ボールはリングに弾かれて落ちていった。
 俺は後ろから地面に叩きつけられて弾みながら転がっていくボールをぼんやりと眺めていた。白い外灯に照らされた冴島がゆっくりと振り返った。
「俺、なんで部活に入らないんだと思いますか?」
 昼間の無愛想な顔とは違う少し物憂げな表情に心がざわついた。
「なんで……かな」
 なんとなく顔が合わせられなくて、冴島の足元を眺めた。
「俺の名前、“リク”って言うんですけど、漢字で書くと、陸上の『陸』なんです」
 俺は何も答えずに、黙って冴島の言葉を聞いていた。
「親父がずっと陸上やってて、プロ目指していたこともあったみたいですけど挫折して。それで自分の子供に期待を込めて名前をつけるっていう──まあ、よくある話っスよね」
 冴島は小さく笑うと、転がっていたボールを拾い上げた。
「小さいころから走ればいい結果が出て、それで親も周りも喜んで。まあ、それはそれで悪くなかったんですけど……だんだん自分の気持ちがついていかなくなっちゃって。なんだか周りだけ盛り上がって、自分だけ蚊帳の外みたいな気分だったんです」
 ボールを両手で持ったまま、バスケットゴールを見上げる冴島は少し寂しそうに見えた。
「名前がつけられた時点で人生が決まってて。結果を出しても、親の遺伝だなんだと言われて」
 冴島は自嘲するように肩をすくめると、ボールをじっと見つめた。
「そんなこと考えるようになってからは、なんか勝っても負けても何も思わなくなりました」
 力任せにゴールにボールを放り投げた。
「闘争心が無くなったら、スポーツなんて続けられないです」
 バックボードに当たったボールは、派手な音を立てて弾け飛んだ。
「それが、俺が部活に入らない理由です」
 バウンドしながら足元に転がってきたボールを拾い上げられないまま、俺は俯いた。
「だから逆に俺は、先輩が羨ましいです。自分が選んだことに本気になれて。うまくなりたいって情熱があって。負けたら悔しいって思えるって、俺にはないそういうの、ちゃんと持ってるから」
 コロコロと足元にボールが転がってくる。
「……冴島くんには」
 俺は思わず拳を握りしめた。
「冴島くんには、本当にもう何もないの?」
 顔を上げると、冴島の視線がわずかに揺れていた。
「本当にもう、何もやりたいと思えない?」
 自分のことでもないのに悔しかった。
 持って生まれた資質があって、それに見合った能力もある。

──なのに、肝心の気持ちだけないなんて。

「だって君、まだ捨てきれてない」
 冴島は、一瞬目を見張った。
「そうじゃなかったら、毎晩走ったりしないだろ?」
 俺は足元のボールを拾い上げると、バスケットゴールを見据えてドリブルしながら冴島へと向かっていった。
(大きいなぁ)
 近づいていくとその背の高さに本当に圧倒される。普通だったら絶対手に届かない相手だ。
 立ち尽くす冴島を切り抜けながら、ボールを抱えて助走をつけた。
(それでも、この瞬間だけは君より高い場所に行ける気がする)
 力強く地面を蹴って跳んだ。右手を目いっぱい伸ばしてボールをリングに放る。パサッという音のあと、ボールは地面に落ちて転がった。
「俺、待つよ」
 そう言って振り返ると、冴島と視線がぶつかった。
(これが闘争心なんかない、って言ってた奴の目かよ)
 俺を見つめる鋭い視線にぞくりとした。
「君が本気になれること、自分で選んで自分で決めてくれるのを」
 俺はそう言ってボールを拾い上げた。
「別に部活じゃなくてもいいけどさ。次はちゃんと自分で決めろよ」
 すれ違いざまに肩の辺りを拳でトンと叩いた。
「また学校で」
 返事はなかった。
 もうこちらに目を向けることもなく立ち尽くす冴島を背に、俺は公園を後にした。