ブレイクファスト!-恋の速攻は決まらない-

 その日の夜。
 俺はなんとなく気持ちが晴れなくて、バスケットボールを持って近所の公園に来ていた。
 白い外灯の下、古びたバスケットゴールが二つ並んでいる。
 ボールをつきながらゴールに向かって、シュートを放つ。ガコン、と音を立ててボールは外に弾かれた。

『人のことより、自分が早くレギュラーに入ることの方を真剣に考えろっつーの』

 間宮の言葉が頭をよぎる。
(考えてるよ、毎日)
 スピードもパスセンスも負けないって思ってる。
 相手の動きも戦術も、人一倍考えられる自信がある。
(でも、フィジカルがついてかない)
 落ちてくるボールを拾ってドリブルする。

──ワン。ツー。ステップ。

 タイミングを測って跳ぶ。右手を精一杯伸ばしてボールを放つ。
(もったいないなぁ)
 ふいに昼間にあった冴島のことを思い出した。
(俺にあの身長とリーチがあったら)
 考えたって仕方がないことなのに、どうしてもそんなことが頭にチラついた。
 パサっと音を立てて、ボールはネットを揺らす。トン、と着地をして、落ちてきたボールを拾おうと振り返ったそのときだった。
 視界に飛び込んできた姿に、俺は思わず目を瞬かせた。

「……冴島くん?」

 今しがた頭によぎっていた本人が、イヤホンを外しながらこちらを見ていた。
 ランニングパンツにTシャツ姿で、走り込んでいた様子だった。
「……っス」
 相変わらずの無愛想さで軽く頭を下げられる。
「走りに来てたの?」
「あ、はい」
 冴島はTシャツの裾で額の汗を拭いながら頷いた。
 どこの部活にも入らないという冴島が、こうして走り込んでいる姿に、なぜだか俺はホッとした。
「この辺よく走ってるの?」
「まあ、走るのはほぼ毎日」
「あ、そうだったんだ。よかった……」
 思わず漏れた俺の言葉に、冴島は小さく首を傾げた。
「よかった?」
「あ、いや……ごめん。中学ですごい陸上選手だったって噂聞いてたからさ。高校に入ってどこの部にも入らないって、なんか体調でも崩してるのかなってちょっと心配だったから」
 慌ててそう言うと、冴島は納得したような顔をした。
「ああ、まあ、怪我ってのも確かにあるんですけど」
 そして少し言いづらそうに
「……ちょっと色々考えたくて」
 と、濁すように言った。
 そして、こちらを窺うように見ると、
「先輩もよくここにいますよね」
と、思いがけないことを言われて心臓がどきりと跳ねた。
「え、なんで知ってんの?」
「いや、俺は毎日ここ走ってるので。あ、顔と名前が一致したのは今日が初めてですけど」
 そう言われて昼休みのことを思い返した俺は、途端に慌てふためいた。
「あ! あの、今日はほんとにごめん! 本当にあんな感じにするつもりじゃなくて」
 あたふたしながら手を合わせて何度も頭を下げる。
「あ、いえ」
 冴島は少し戸惑いながら
「こちらこそなんか……ご期待に添えなくてすみません」
 そう小さく頭を下げた。
 その姿にとくりと心臓が鳴った。
 言葉が途切れて、遠くを走る車の音と、揺れる木々のざわめきが二人を包む。
「あ、あのさ」
 俺は少し迷ってから、小さく口を開いた。
「また、声かけてもいい?」
 顔を上げた冴島が少しだけ目を見開いた。
「あ、いや、勧誘っていう下心も半分あるんだけど」
 そわそわと俺は持っていたボールを抱え直した。
「……君ともう少し話がしてみたい」
 冴島は目を瞬かせたあと、口元に手をやって俯いた。
「……教室に来られると目立つので、また、こういう感じなら」
 そう小さく呟くと、手に持っていたイヤホンを耳にねじ込んだ。
「じゃあ、また」
 そう頭を下げて走り去っていく冴島の後ろ姿から俺はしばらく目が離せなかった。

 それから二、三日経ったある日の放課後、俺が部活に向かおうとしていると、昇降口の辺りで誰かが集まって話しているのが見えた。
 その人だかりの中心に頭ひとつ飛び出るように冴島の姿があった。よく見るとその周りには、バレー部や、野球部、陸上部といった見知った顔が取り囲んでいた。
(まだ囲まれてるのか)
 靴を履き替えながら、なんとも言えないため息をついた。
「お前ウチ来いよ! その背の高さ活かせるのはバレー部しかないだろ」
「ばっか。中学まで陸上やってたんだから陸上に決まってんだろ」
「いやいやいや。高校で目指すなら甲子園しかないだろー」
 好き勝手言ってる連中の輪の中で、冴島は無表情のまま固まっていた。
(こないだ話した感じ、ああいうの苦手そうだよな)
 そんなことを思いながら、「なーに話してんの」と、何食わぬ顔で話の中に割って入っていく。
 中心にいた冴島をちらりと見上げると、視線がパチリと合った。冴島は何も言わなかったけど、どこか助けを求めるような困った顔をしていて思わず吹き出しそうになった。
「おー、羽鳥!」
 野球部の安藤が俺に気がついて肩を組んできた。
「お前なぁ、抜け駆けすんなよな!」
 そう言われて面食らう。
「なんだよ、それ」
「ウチの一年から聞いたぜ。バスケ部が冴島の教室まで押しかけてきて勧誘しにきたって」
「でも、フラれたんだろー?」
 横からのヤジにゲラゲラと笑いが起きて、俺は「うるせーなー」とぼやいた。
「別にフラれたわけじゃねーよ」
「はあ? 秒で断られてたって聞いたぞ」
 もう一度大きな笑いが起きた。
「それは……まあ」
 そう言いながら俺は、組まれていた安藤の腕をゆっくりと解いてそこから抜け出した。
「なんていうか、冴島くんもあのときはちょっとびっくりしちゃったみたいでさ」
 ね、と目配せすると、冴島は困ったように眉を下げた。
「だからまだ返事もらってなくて」
 俺は冴島の手首を軽く掴む。
「冴島くんとは今、バスケ部が絶賛交渉中だからさ」
 当の冴島はどうしたらいいかわからないとでも言うように首を傾げている。
「だから悪ィ! 冴島くん、ちょっと借りてくね~!」
 そう言って俺は腕を引くと冴島を輪から引きずり出した。冴島は引っ張られるように体勢を崩して、そのまま何も言わずについてくる。
「おい! 羽鳥!」
「ずりーぞ、お前!」
「そういうのを抜け駆けって言うんだよ!」
 ひどい言われようだな、と背後からの声に肩をすくめながら、俺は校門の前まで冴島の腕を引いて行った。

「大変だったね」
「……ありがとうございます」
 いーえ、と笑うと、冴島が小さく息を吐く。
「人気者も楽じゃないね」
 茶化すようにそう言うと、戸惑ったように視線を逸らした。
「……ああいうの苦手で」
「だろうね」
 所在なさげに立つ姿に思わず吹き出してしまう。
「でも、俺にも下心あるって忘れてない?」
 少し意地悪くそう言うと、冴島はますます困ったような顔をした。
「あはは。別に引き留めたいわけじゃないから安心してよ。ほら、早く帰りたいんだろ?」
 無愛想な冴島が、珍しく狼狽えている姿を見られて満足した俺は、冴島の背中をポンと叩いた。
「じゃ、俺は部活があるのでここで──」

「あの」

 踵を返しかけたところで、思いがけず呼び止めてきたのは冴島の方だった。
「なに?」
 振り向くと、冴島が何かを言いたそうに目を彷徨わせていた。
「あの、今日の夜は公園に来ますか?」
「え? ああ、じゃあ、行こうかな」
 そう答えると、冴島はわずかに肩の力を抜いたような気がした。
「じゃあ、またあとで」
「え、あ……うん。またあとで」
 冴島は小さく頭を下げて帰っていった。

(またあとで、か)

 俺はその後ろ姿を見送りながら、その言葉を頭の中で繰り返した。
(え、なんか嬉しいかも)
 そう思ってから、慌てて頭を振った。
「いや、勧誘だから。勧誘」
 言い訳するように呟いて、俺は足早に体育館へ向かった。