【完結】ダウナー系な先輩の愛の言葉が難読速記文字な件

 反訳に取り掛かってから一時間近く経って、ようやく僕は先輩のメモを訳し終えた。そのメモにはおおよそこう書かれているんだと思う。

『俺も 君を 助けられて 嬉しい。 初めて 会った 時 から ずっと 君を 見てた。 君に また 会いたい』

 何度か半崎先輩たちの手を借りようか迷ったけれど、やっぱりここは自力で解読した方がいい気がして、多少時間はかかっても自分で読み解く方を選んだ。
 そうして現れたのは、あのいつも気だるげで口をついて出るのは速記のことばかりである、八馬先輩の言葉とは思えないほどストレートな気持ちだった。『ずっと見てた』なんて知らなかったし、『また会いたい』なんて、再会した時に嬉しそうなそぶりも見せなかったのに。

「……ってことは、先輩も、僕のことずっと気にかけててくれたんだ」

 でもこれがあの日あの時の気持ちであるなら、いまはどうなんだろう。そんな不安が過ぎり、反訳したメモを見つめる。ふざけんなとか言ってたし、怒っていることに間違いはないと思う。
 それならもういまは僕のことなんて顔も見たくないと思っているんだろうか。折角ずっと見ていて、また会いたいと思ってくれていたのを、僕が台無しにしてしまったから。
 だからもうこの恋はおしまい。諦めなくてはいけない――そう思いかけうつむいていると、「七瀬くん、反訳できそう?」と、三浦先輩が声をかけてくる。
 さすがにこればっかりは見られてはヤバいだろうと思い、咄嗟にメモをひっくり返して「ええ、とまあ、一応」とだけ答える。

「そっか。なんて書いてあったかってのは聞かない方がいいかな?」
「そー、ですね……」
「だよねぇ。あのコミュ障な八馬先輩がくれたラブレターだもんね」
「ら、ラブレター……に、なるんですかね?」
「なるよー。っていうか返事は書いたの? やっぱ速記文字?」

 食い気味に聞いてくる三浦先輩の気迫に圧され気味になり、僕は苦笑する。

「そもそも、僕が返事なんて書いていいんですかね。怒らせちゃったのに」

 そううつむきながらしどろもどろな僕に、三浦先輩は少し考えて「んー、そうだねぇ」と言いながらこう答えた。その顔は何かとてもいい思い付きをしたような晴れやかな顔に見えた。

「怒らせちゃったから、余計にちゃんと返事した方がいいんじゃない? その方がお互いスッキリする気がするよ」

 それは確かにそうだろう。相手の気持ちがはっきりとわかっていないままにああだこうだ考えたところで、物事が解決することはないのだから。なにより誤解を生じさせているいまは余計に、それを解く必要がある。
 誤解されて、八馬先輩に背を向けられたままなのはイヤだ――恋をするとかそう言う以前の問題で、僕はわだかまりなく先輩の傍にいたい。恋をするならそれからでもいいはずだ。

「……そう、ですよね。スッキリした方が、絶対僕にも八馬先輩にとってもいいに決まってるし」

 独り言のような呟きに、三浦先輩がにっこりと笑って、「うん、私もそう思う」と背中を押すようにうなずいてくれる。
 そうと決まったら、ここでうじうじ考えていてもしょうがない。一刻も早く八馬先輩に返事を伝えに行かなくては。
 思い立ったが吉日。僕はメモを手に立ち上がり、三浦先輩たちに宣誓するように告げる。

「あの、僕、大事な用事があるのを思い出したんで、これで帰ります!」

 失礼します! と大きく頭を下げて教室を飛び出すと、「頑張れー!」と二人の声援が聞こえた。恥ずかしくはあったけれど素直に嬉しくて、小さく頬が緩んでしまう。
 ほんの少しだけ勇気と元気をもらった僕は、そのまま八馬先輩を探しに校内を巡ることになった。


 八馬先輩がいそうなところなんて、速記部の活動をしている三年六組以外にどこがあるんだろう。図書室とか他の空き教室とか覗いてみたけれど全然いない。一応下駄箱見てみたけれど、まだ帰ってはいないみたいだ。

「どこにいるんだろう、八馬先輩……」

 改めて考えてみると、僕は先輩のことを速記部であることや、速記に関して以外はすべて気だるげであること以外は何も知らない。好きなものとか、誕生日とか、そう言う基本的なことさえも僕は知らない。
 頭を撫でてくれる手が大きくて優しいとか、近くによると香水のにおいがするとか、そういうことは知ってるけど、もっと他のことも知りたい。
 速記だけじゃないことで、速記文字以外でも言葉を交わせるようになりたい。そういうのこそ、一緒に恋をするってことになるんじゃないだろうか。

(もしまだ、先輩が僕に会いたいと思ってくれているのなら、だけど……)

 考えが一気にネガティブに引きずられそうになって、立ち止まってぎゅっと目をつぶる。手を合わせて、何に対してかわからないけれど祈るように、誰もいない廊下で。

「神様。僕、八馬先輩と恋がしたい。もしそれが叶うなら、先輩と速記文字でしか会話できなくてもいいです。先輩と恋できるなら、僕はそれでも構わな――」
「君はそれでいいかもだけど、俺はそれだと困るんだよね」
「……へ?」

 聞き覚えのある声に振り返ると、気崩した制服姿の八馬先輩がすぐ傍の壁に寄りかかって僕を見ていた。呆れたようなおかしいのを堪えているような、笑い含みの顔をしていて、何か言いたげでもある。
 誰もいないと思ってたから、神様なんかに祈ってしまっていた。そんな所を見られてしまうなんて恥ずかしすぎる……。羞恥のあまりに蒸発して消えてしまいそうになっている僕のところに、八馬先輩はゆっくりと歩み寄ってくる。

「本当に七瀬くんは俺と速記文字だけのやり取りで満足できる? いちいち反訳しなきゃなんだよ?」
「そうですけど……でも、先輩が僕のためだけに綴ってくれたんだと思えば、全然苦じゃないです!」

 そこに嘘も偽りもない。先輩と意思疎通ができるのであれば、ハングル文字でもアラビア文字であろうとも習得してみるつもりだ。
 そう意気込んで答えると、先輩は少し考えてさらに尋ねてくる。

「じゃあさっき半崎さん達に見られたのはどういうこと?」
「さっきのは、その……ヒントが欲しくて八馬先輩に聞こうかなってしたら半崎先輩たちに見られちゃって……それは、僕がうっかりしてたせいです。本当に、ごめんなさい」
「ヒント?」

 怒られるのを覚悟で本当のことを白状して頭を下げる僕に、先輩はきょとんとした様子で聞き返してくる。どうやら先輩としても思いがけないことを言われたようだ。

「略式記号を習ってから、先輩がくれたメモには略式記号書かれてるのかなって思うようになって。それで、どんな略式記号が使われてるのかなって確認しようとしたんです。それからヒントをもらおうと思ってたんですけど……」

 それがあんな事態を招いたんだけれど、やはり八馬先輩としては気持ちを綴ったものを見られてしまったのは気分が良くなかったと思う。それはどんなに半崎先輩が罪をかぶってくれるとは言っても、元々は僕のうっかりが原因なのだから。
 そう、頭を提げながら次の言葉を考えていると、ポンポンと頭を何かが撫でてくれた。
 もしかして……と思いながら顔を上げると――八馬先輩が真っ赤な顔をして目を反らしつつも僕の頭を撫でていたのだ。それはわしゃわしゃとあの速記指導の時に褒めてくれた時だけの、あれと同じ撫で方だった。

(って言うかなんか撫で方がいつもより荒っぽいと言うか大袈裟と言うか……)

 前に撫でられた時よりもわしゃわしゃが大きくないか? と思っていたその時、不意に手が後頭部の方に回って、そのまま抱き寄せられていた。まるでそうされるために約束されていたみたいに、僕は先輩に抱きしめられている。
 これは一体何がどうしてどうなったんだ? と、内心パニックになっていると、「……反訳できた?」と先輩がぽつりと聞いてくる。
 あのメモのことだろうかと思い、僕はこくんとうなずく。

「は、はい。自力で、なんとか……」
「えらい。よく頑張ったね」

 先輩はぎゅっとますます強く僕を抱き寄せながらそう囁いてくるんだけれど、吐息が耳とか首筋に触れてすごくドキドキする!
 きっと先輩から見ても僕の首も耳も真っ赤だと思う。でも先輩が放してくれる気配はない。

「七瀬くんのそういう一生懸命なとこ、ホント好き」
「……へ? す、好き?」
「うん、好き。最初はさ、かわいい子だなーって思ってたんだけど、そうじゃない、一生懸命なとこ、俺はすごく好き。満員電車でよそのおかあさん助けようと踏ん張っちゃうとことか」
「え、あ、み、見てたんですか!?」
「当たり前じゃん、好きな子なんだから」
 
 思いがけない状態で思いがけない言葉を連発で囁かれ、声が上ずってしまう。それがまた先輩のツボに入ったのかくすくすと笑っている。相変わらず、ぎゅうぎゅうと音がしそうなほど抱きしめているけれど。

「その一生懸命な子がさ、俺に弟子入りとか言うから……どうしようかと思って。でもいきなり告るのはキモイかもと思ったし、なんて言えばいいかわかんなかったし……」

 まさかあの時から先輩が僕のこと見ていてくれて、好きだと思っててくれたなんて思いもしなかった。そしてまさか、告白する気でもいたなんて。
 そう考えると、あの手紙はますます誰に見られてはいけなかったんだと痛感させられる。

「……で、あの手紙、ですか?」
「うん。てか、あれはさっき半崎さん達に見せてたんじゃないんだよね?」
「見せてません! うっかり取られちゃって、その……」
「……そっか、それならいいや。俺てっきりまた誰かに曝されるのかと思って、誤解してた。中学の時にさ、好きな人のこと書いたメモを友達に取られて読み上げられたことあってさ……あれ思い出しちゃって。だからもう人前では速記文字以外は使わないでおこうと思ってたんだ」
「そ、そんな曝すなんてことしません! 僕は、大好きな先輩からもらった大切な言葉をネタになんかしません!!」

 明らかにホッと安堵の息を作先輩は、一層強く僕を抱きしめていく。何故こんなにも密着していかなきゃなんだろうとわけがわからない僕は、なんとか理性を総動員して、「それで、あの!」と自分から話を切り出す。

「僕は、八馬先輩の弟子になるより、先輩と恋をしたいです! それで……八馬先輩も、同じなんだって思ってもいいですか?」

 正直、いままで生きて喜仲で一番緊張した。
 傍から見れば、告白も弟子入り宣言もどちらも思い立ったが吉日の勢い任せにしか見えないかもしれない。でもいまの方がうんと考えて悩んだ末に思い立って告げたのだから、決断としてはうんと重いはずだ。
 先輩の腕の中で、僕はいまにも息が止まりそうなほどドキドキしている。だって次に先輩が言う一言で、僕のこの先が決まってしまうようなものなんだから。
 沈黙が永遠のように感じられて、ドキドキと聞こえるのが自分の鼓動なのかどうかさえ分からなくなってきていた、その時だった。
 それまで僕を包むようにしていた先輩の腕の力ぎゅっと強くなって、より密着していく。ドキドキと聞こえるのが僕の鼓動だけじゃないと気付かされた。

「いいよ。思っててよ。俺が恋したいのは、七瀬くんだけだ、って」
「八馬先ぱ……」

 鼓動が、混じって聞こえる。僕のなのか先輩のものなんか区別が曖昧になっていく。そう思った時には、僕の唇に先輩のが重なっていた。
 気だるくて物憂げな先輩からのキスは、見た目からは予想がつかないほど甘くてとろけそうだった。チュッと甘い音を立てて離れていってもなお、僕の唇はじんわりと痺れている。
 そんな惚けている僕を見て八馬先輩はくすりと笑い、もう一度口付けてくる。今度は抱き寄せている背中に何かを綴るようになぞりながら。

「せ、先輩? 背中に何か書きました?」

 するっとたった二文字くらいの何かが綴られたのは確かで、その感触から僕は筆跡を想像する。
 先輩は吐息を感じるほど近くでいたずらっぽく笑いながらうなずいて答える。

「当てられたら、ご褒美あげるよ」

 そのいたずらっぽい笑みがアンニュイな色気があってたまらなくて、まともに喰らって目眩がしそう。ご褒美欲しさではないけれど、でも綴られた文字はきっとあれで間違いないはず。
 だから僕もニッと笑って先輩に耳打ちして答えた。

「先輩……『すき』でしょ? しかも速記文字の」

 これでどうだとばかりにドヤ顔をしている僕に、先輩は更に片頬をあげて笑ってもう一度僕の唇を塞ぐ。さっきよりもちょっとだけ大人なそれに、今度は足の力が抜けてしまいそうだ。

「……当たり。じゃあ、これも当ててみて。俺の気持ちだから」

 背中に綴られる先輩の想いに身をくゆらせながら、僕は綴られる文字の判読に神経を注ぐ。やっぱり先輩は、速記文字だと饒舌(じょうぜつ)になるのかもしれない、と思いながら。
 でもそれって裏を返せば、僕にしかわからない気持ちを伝えてくれると言うことだ。それって僕が先輩の特別であることに他ならない。
 背中に綴られた文字を反訳し、僕はそっとまた先輩に耳打ちする。

「『もっと キスしよ』でしょ、先輩」

 当たり、と先輩は照れ臭そうに微笑みながらうなずき、僕にそっと唇を重ねてくる。
 触れ合う唇からは速記文字にもできない二人だけの言葉が交じり合っていくのだった。
(終)