「ごめん、さっきのって八馬くんが書いたやつだったんだね……」
この世の終わりのように絶望でへたり込んでいる僕のそばに半崎先輩がしゃがみ、さっきのメモを渡してくる。その顔は申し訳なさでいっぱいで、罪悪感で泣き出しそうにも見える。先輩は、本当に八馬先輩が書いたものとは知らなかったのだろう。
本当にごめんと言いながら返されたメモはくしゃくしゃで、まるでいまの僕の心情そのものだ。
「八馬先輩と初めて会った時に、もらったんです。その……僕が弟子にしてくれって言ったら、それに対する気持ちだって言われて」
「で、弟子!? だから七瀬くんは速記部に入ったの? 速記の弟子になろうとして?」
「あ、いやそうじゃなくてその……最初はカッコいいから憧れで、先輩みたいになりたいって思ったんです。でも……速記部に入って一緒に過ごしていく内に、なんか違うかも……ってなって、その……」
「違う?」
「僕、たぶん……八馬先輩が、好きみたいなんです」
本当のことを言うべきか言うまいか迷いがなかったと言えば嘘になる。でもどんなに誤魔化しても本当のところを隠してしまうと話が余計にややこしくなるので、先輩たちにひかれるのを覚悟で本当のことを白状した。
すると、思いがけないリアクションが返って来たのだ。
「やっぱりそうなんだ! そうなんじゃないかなって三浦ちゃんと言ってたんだよー」
「……へ? そうなんだ、って……え、びっくりしないんですか?」
驚かれることは勿論、好意的に受け止めてもらえるかわからなかったのでかなり賭けな部分はあったのに、半崎先輩たちは予想外に嬉しそうにしている。女子同士の恋バナと同じテンションのリアクション、もしかしたらそれ以上かもしれない。
ポカンとしている僕に対して、二人は「しないよねぇ」と言い合い笑っている。
「だって七瀬くんっていっつも八馬くん見てばっかりなんだもの。反訳チェックしてもらってる時とか、穴空くんじゃ? ってくらい見てるよね」
「てか、最初に八馬先輩に連れてこられた時もすでにうちら眼中にない感じでしたよね。質問でも何でもまず八馬先輩だし」
そこまで露骨に態度に出ていただろうかと、いまさらながらに突き付けられて恥ずかしくなってくる。僕としては一般部員のつもりでいたから、なおのこと恥ずかしい。
「……すみません。そういうつもりはなかったんですけど……」
「ううん。別に怒ってるわけじゃないから」
「そうそう。うちらは七瀬くん頑張れー! って思ってたんだから」
思いがけないあたたかい言葉をもらえて嬉しくて、絶望色だった視界に光が射してくる気がした。
とは言え、八馬先輩を怒らせてしまった事実は変わらない。くしゃくしゃになったメモを開き記された速記文字を見るたびに、胸が痛くなってしまう。
「……でも、もうダメかもしれないです。だって、僕のうっかりで八馬先輩を怒らせちゃったから」
ヒントなんてもらおうとしないで、自力で何とかするべきだったんだ。そんなズルをしたところで得られるものなんてきっとないだろうから。
(なにより、もう八馬先輩の気持ちは、ここに書かれているものとは違うものだろうし……)
それが一番怖かった。どんなものだったにせよ、あの時の先輩の気持ちが僕のうっかりで台無しになって失われてしまったのだったら……僕はもう八馬先輩に顔向けできない気がする。
「それに、先輩の気持ちが書かれてるとしても、あの時といまじゃきっともう違うだろうし……そもそも嫌われてるかもだし……」
自分の言葉に自分で傷ついて胸が痛い。バカみたいだと思うけれど、そもそもの発端が僕の行動なんだから仕方がない。仕方がないけど……何でこんなに悲しくてツラいんだろう。
このまま床にめり込んでしまうんじゃないかってくらいに落ち込んでいると、僕の肩をバシン! と叩かれた。
驚いて顔を上げると、三浦先輩と半崎先輩が泣きそうな涙目で僕を見つめている。僕が泣きそうなのはまだわかるにしても、なんで二人までそんな顔をしているんだろう。
「せ、先輩……?」
「まだあきらめちゃダメだよ! まだ嫌われたかなんてわかんないよ!」
「そうだよ! そもそも八馬くんが怒ったのはあたしがメモを読み上げようとしたからだろうし」
「そう……ですかね……僕がそもそもメモをこんなところで出さなかったら良かった話だし……」
「そうかもだけど、でも、読まれるとは思ってなかったでしょう? だから七瀬くんは悪くないよ!」
悪いのはあたしだから! と、半崎先輩は謎に堂々とそう言い切り、「七瀬くんは何にも悪くない、あたしが保証する」とまで言い出した。
そう考えると、八馬先輩を怒らせた半崎先輩の方が堂々としていて、悪くないと言われている僕の方が落ち込んで泣きそうなのってなんだかすごくおかしく思えてくる。何だこの状況、と思ったらクスッと思わず笑っていた。
「良かった、やっと笑ってくれた」
「このまま七瀬くんが凹んで退部までしちゃったらどうしようって思ったよ」
大袈裟なくらいにホッと胸をなでおろしてそう声を揃える半崎先輩たちに、僕は「た、退部なんてしませんよ!」と慌てて返すと、二人は顔を見合わせてホッと息をつく。本気でそう思ってたんだろうか。
「でもさ、実際問題七瀬くんに辞められたらあたしらマジで詰むよね」
「部が潰れるからですか?」
「それもあるけど……」
「闇落ちした八馬くんを救う方法がわかんないもん」
「や、闇落ち!?」
それはさすがに言い過ぎでは? と僕が言おうとすると、二人は顔を見合わせて苦笑いをし、「だって……」とその理由を答えた。
「八馬くんが声出して速記指導以外で喋ってるのなんて、あたしいつ振りって思ったもん」
「そうですよねー。八馬先輩はいつも意思表示速記文字だから」
「そうそう。三浦ちゃんなんて指導まで速記文字でされそうになったからあたしが教えたんだよ」
「え、そうなんですか!?」
速記の指導以外が速記文字なのかと思いきや、速記文字で速記の指導とか……カオスすぎる……。
でも、なんでそこまでして速記文字で意思疎通を図ろうとしていたのか、逆になんで僕の時はちゃんと言葉を発してくれたのか。メモの紙に書かれている先輩の気持ちを解読する以上に、気になってしょうがない。
「なんで、僕の時は喋ってくれたんだろう……」
そう呟きながら改めてあのメモを見つめる。もしかしたら、その答えこそこれを読み解いたらわかるんじゃないだろうか。
もちろん完全で完璧な答えではないと思うし、全然的が外れているかもしれない。でも、このメモを解き明かすことで、少なくとも八馬先輩の気持ちの欠片はわかるかもしれないんだ。僕のことを、あの日あの時どう思っていたのか。それが知れるだけでも、僕はこの部には言った意味がある気がする。
「半崎先輩、略式記号のテキスト借りてもいいですか?」
思い立ったが吉日。いまこれを訳さずにいつ訳するんだ。
これを解き明かすことが僕の元々の目的だったことを今更に思い出し、僕は半崎先輩に略式記号の一覧が載っているテキストを借りることにした。
早速机に座り、メモとテキストを広げて新たな紙に反訳をしていく。
速記は、本来記した人が反訳をしていくもので、他人が触れるものじゃない。でもそれでも八馬先輩が僕にこのメモを託したってことは、伝えたい言葉があったからなんだと思う。誰にでもなく、僕にだけに伝えたかった想いが、きっと。
メモに綴られている速記文字は流れるように美しく、書き手のクセが出ると言われている速記の中でも格段に読み取りやすい気がした。だからこそ半崎先輩に読み取られてしまったのだろうけれど、読みやすいのも秘密にしたい場合は難点なのかもしれない。
(でもそれが逆に、僕にわかりやすい指導をしてくれる先輩らしい気もする)
そう考えると、やっぱり書き手のくせというのは速記に現れるんだなと思えたし、綴られている文字が愛おしく見えてくる。
僕のために綴られた、僕のためだけの速記文字。一文字も余すことなく反訳して、それに対する答えを八馬先輩に伝えなくては。
そのためにはまずきっちり訳をしないと。そう考えながら、僕はテキストとメモを見比べながら懸命に反訳を書き出していくのだった。
この世の終わりのように絶望でへたり込んでいる僕のそばに半崎先輩がしゃがみ、さっきのメモを渡してくる。その顔は申し訳なさでいっぱいで、罪悪感で泣き出しそうにも見える。先輩は、本当に八馬先輩が書いたものとは知らなかったのだろう。
本当にごめんと言いながら返されたメモはくしゃくしゃで、まるでいまの僕の心情そのものだ。
「八馬先輩と初めて会った時に、もらったんです。その……僕が弟子にしてくれって言ったら、それに対する気持ちだって言われて」
「で、弟子!? だから七瀬くんは速記部に入ったの? 速記の弟子になろうとして?」
「あ、いやそうじゃなくてその……最初はカッコいいから憧れで、先輩みたいになりたいって思ったんです。でも……速記部に入って一緒に過ごしていく内に、なんか違うかも……ってなって、その……」
「違う?」
「僕、たぶん……八馬先輩が、好きみたいなんです」
本当のことを言うべきか言うまいか迷いがなかったと言えば嘘になる。でもどんなに誤魔化しても本当のところを隠してしまうと話が余計にややこしくなるので、先輩たちにひかれるのを覚悟で本当のことを白状した。
すると、思いがけないリアクションが返って来たのだ。
「やっぱりそうなんだ! そうなんじゃないかなって三浦ちゃんと言ってたんだよー」
「……へ? そうなんだ、って……え、びっくりしないんですか?」
驚かれることは勿論、好意的に受け止めてもらえるかわからなかったのでかなり賭けな部分はあったのに、半崎先輩たちは予想外に嬉しそうにしている。女子同士の恋バナと同じテンションのリアクション、もしかしたらそれ以上かもしれない。
ポカンとしている僕に対して、二人は「しないよねぇ」と言い合い笑っている。
「だって七瀬くんっていっつも八馬くん見てばっかりなんだもの。反訳チェックしてもらってる時とか、穴空くんじゃ? ってくらい見てるよね」
「てか、最初に八馬先輩に連れてこられた時もすでにうちら眼中にない感じでしたよね。質問でも何でもまず八馬先輩だし」
そこまで露骨に態度に出ていただろうかと、いまさらながらに突き付けられて恥ずかしくなってくる。僕としては一般部員のつもりでいたから、なおのこと恥ずかしい。
「……すみません。そういうつもりはなかったんですけど……」
「ううん。別に怒ってるわけじゃないから」
「そうそう。うちらは七瀬くん頑張れー! って思ってたんだから」
思いがけないあたたかい言葉をもらえて嬉しくて、絶望色だった視界に光が射してくる気がした。
とは言え、八馬先輩を怒らせてしまった事実は変わらない。くしゃくしゃになったメモを開き記された速記文字を見るたびに、胸が痛くなってしまう。
「……でも、もうダメかもしれないです。だって、僕のうっかりで八馬先輩を怒らせちゃったから」
ヒントなんてもらおうとしないで、自力で何とかするべきだったんだ。そんなズルをしたところで得られるものなんてきっとないだろうから。
(なにより、もう八馬先輩の気持ちは、ここに書かれているものとは違うものだろうし……)
それが一番怖かった。どんなものだったにせよ、あの時の先輩の気持ちが僕のうっかりで台無しになって失われてしまったのだったら……僕はもう八馬先輩に顔向けできない気がする。
「それに、先輩の気持ちが書かれてるとしても、あの時といまじゃきっともう違うだろうし……そもそも嫌われてるかもだし……」
自分の言葉に自分で傷ついて胸が痛い。バカみたいだと思うけれど、そもそもの発端が僕の行動なんだから仕方がない。仕方がないけど……何でこんなに悲しくてツラいんだろう。
このまま床にめり込んでしまうんじゃないかってくらいに落ち込んでいると、僕の肩をバシン! と叩かれた。
驚いて顔を上げると、三浦先輩と半崎先輩が泣きそうな涙目で僕を見つめている。僕が泣きそうなのはまだわかるにしても、なんで二人までそんな顔をしているんだろう。
「せ、先輩……?」
「まだあきらめちゃダメだよ! まだ嫌われたかなんてわかんないよ!」
「そうだよ! そもそも八馬くんが怒ったのはあたしがメモを読み上げようとしたからだろうし」
「そう……ですかね……僕がそもそもメモをこんなところで出さなかったら良かった話だし……」
「そうかもだけど、でも、読まれるとは思ってなかったでしょう? だから七瀬くんは悪くないよ!」
悪いのはあたしだから! と、半崎先輩は謎に堂々とそう言い切り、「七瀬くんは何にも悪くない、あたしが保証する」とまで言い出した。
そう考えると、八馬先輩を怒らせた半崎先輩の方が堂々としていて、悪くないと言われている僕の方が落ち込んで泣きそうなのってなんだかすごくおかしく思えてくる。何だこの状況、と思ったらクスッと思わず笑っていた。
「良かった、やっと笑ってくれた」
「このまま七瀬くんが凹んで退部までしちゃったらどうしようって思ったよ」
大袈裟なくらいにホッと胸をなでおろしてそう声を揃える半崎先輩たちに、僕は「た、退部なんてしませんよ!」と慌てて返すと、二人は顔を見合わせてホッと息をつく。本気でそう思ってたんだろうか。
「でもさ、実際問題七瀬くんに辞められたらあたしらマジで詰むよね」
「部が潰れるからですか?」
「それもあるけど……」
「闇落ちした八馬くんを救う方法がわかんないもん」
「や、闇落ち!?」
それはさすがに言い過ぎでは? と僕が言おうとすると、二人は顔を見合わせて苦笑いをし、「だって……」とその理由を答えた。
「八馬くんが声出して速記指導以外で喋ってるのなんて、あたしいつ振りって思ったもん」
「そうですよねー。八馬先輩はいつも意思表示速記文字だから」
「そうそう。三浦ちゃんなんて指導まで速記文字でされそうになったからあたしが教えたんだよ」
「え、そうなんですか!?」
速記の指導以外が速記文字なのかと思いきや、速記文字で速記の指導とか……カオスすぎる……。
でも、なんでそこまでして速記文字で意思疎通を図ろうとしていたのか、逆になんで僕の時はちゃんと言葉を発してくれたのか。メモの紙に書かれている先輩の気持ちを解読する以上に、気になってしょうがない。
「なんで、僕の時は喋ってくれたんだろう……」
そう呟きながら改めてあのメモを見つめる。もしかしたら、その答えこそこれを読み解いたらわかるんじゃないだろうか。
もちろん完全で完璧な答えではないと思うし、全然的が外れているかもしれない。でも、このメモを解き明かすことで、少なくとも八馬先輩の気持ちの欠片はわかるかもしれないんだ。僕のことを、あの日あの時どう思っていたのか。それが知れるだけでも、僕はこの部には言った意味がある気がする。
「半崎先輩、略式記号のテキスト借りてもいいですか?」
思い立ったが吉日。いまこれを訳さずにいつ訳するんだ。
これを解き明かすことが僕の元々の目的だったことを今更に思い出し、僕は半崎先輩に略式記号の一覧が載っているテキストを借りることにした。
早速机に座り、メモとテキストを広げて新たな紙に反訳をしていく。
速記は、本来記した人が反訳をしていくもので、他人が触れるものじゃない。でもそれでも八馬先輩が僕にこのメモを託したってことは、伝えたい言葉があったからなんだと思う。誰にでもなく、僕にだけに伝えたかった想いが、きっと。
メモに綴られている速記文字は流れるように美しく、書き手のクセが出ると言われている速記の中でも格段に読み取りやすい気がした。だからこそ半崎先輩に読み取られてしまったのだろうけれど、読みやすいのも秘密にしたい場合は難点なのかもしれない。
(でもそれが逆に、僕にわかりやすい指導をしてくれる先輩らしい気もする)
そう考えると、やっぱり書き手のくせというのは速記に現れるんだなと思えたし、綴られている文字が愛おしく見えてくる。
僕のために綴られた、僕のためだけの速記文字。一文字も余すことなく反訳して、それに対する答えを八馬先輩に伝えなくては。
そのためにはまずきっちり訳をしないと。そう考えながら、僕はテキストとメモを見比べながら懸命に反訳を書き出していくのだった。



