隣のチャラ男くん

 ところで、城崎真白は、けっこうな駄目人間だ。
 そう言い切ったところで、生態を知る人間は否定しないだろうと慎吾は踏んでいる。
 なにせ、極度の面倒くさがりなのだ。放っておいたらベッドから出ないし、飯も食わない。当然、大学にも行きやがらない。
 届いたメッセージを一読して、慎吾は無言で頭を振った。「あいつ、今日も講義出てなかったけど、大丈夫?」。なにひとつ大丈夫ではなかったが、「大丈夫」とスタンプを返す。こういった連絡をくれるので重宝している、真白と同学部の知人である。
 明日は引きずってでも連れて行こうと心に決めて、慎吾はスマホをしまった。佳代子さんの心配が物の見事に的中していて、本当の本当に笑えない。
 ――どうしたもんかな。いや、本当に。
 誰も面倒を見なかったら死ぬのではないかと疑うレベルの真白の面倒くさがりは、仮に死んでも治る気配はなさそうだ。
 ……いや、こうやって俺が見るから、いつまで経っても、あいつはなにもしないのか。いや、でも、まぁ。
 直視しそうになった真実にもごもごと蓋をして、夢見荘まであと数分の角を曲がる。手にしたエコバッグが、ずしりと重い。
 築云十年の二階建てアパートの鉄製階段を上って、目の前の自室を素通り。隣室の二〇二号室に鍵を差し込む。合鍵はお互いに交換済みだ。
 お互いひとり暮らしなんだし。一緒にごはん食べたほうが経済的だし。佳代子さんに頼まれてるし。そんな言い訳のもと、慎吾は真白の家でごはんをつくり続けていた。もはや、ひとり暮らしならぬふたり暮らしである。
 保育園、小学校、中学校、続けて高校も一緒というのは、選択肢の少ない田舎であれば「あるある」かもしれないが、大学まで一緒というのは、さすがにレアケースなんだろうな。
 いまさらなことを思い返しつつ、真白の家のドアを開ける。
「ただいま」
 案の定と言うべきか、部屋は薄暗いままだった。電気くらいつけろよ、と呆れたものの、言って聞いたためしはない。無言で電気紐を引っ張る。
ふう、と。明るくなった室内を一瞥した慎吾だったが、目に留まった物体に、思わず頬を引きつらせた。もしかして、朝からずっとベッドにいたのだろうか。
 毛布の塊を凝視していると、もぞもぞとうごめき始めた。次いで、くぐもった声。なにを言っているのかは謎だったが、「おかえり」だろうと当たりをつける。あるいは「腹減った」。
 どこの小学生だよ、本当に。毒気を抜かれて、苦笑ひとつで毛布の塊に背を向ける。エコバッグの中身を冷蔵庫に片付けると、慎吾は台所に立った。
 背後に気配を感じたのは、野菜を切り始めたときだった。振り返ると、寝起きのぽやぽやした顔と目が合う。
「ごはん、なに?」
 だから、どこの小学生だ。童顔も相まって、なんだかものすごく幼く見える。生ぬるい笑みで慎吾は応じた。
「今日は、お鍋。食べたいって言ってたでしょ」
「お鍋」
 幸せそうに繰り返す幼馴染みは、完全に寝ぼけている。
 普段もこれくらいぽやっとしてたら、かわいいのに。そう思ってしまってから、いやいやいやと脳内で慎吾は盛大に否定した。
 傍若無人じゃない真白とか、無理。気持ち悪い。いや、べつに俺がエムとかそういう話じゃないけど。
「というわけだから、カセットコンロ準備してくれる?」
 誤魔化すように指示を出せば、目が覚めてきたらしい真白が嫌そうに明後日を向いた。いや、それくらいしろよ、おまえ。
 非難が通じたのか、どうなのか。ぺたぺたと真白が歩き出した。押し入れをがさごそとあさる音に安堵を覚えたタイミングで、甘え腐った声が響く。
「なぁ、慎吾。ないー」
「ないわけないでしょ、ないわけ。このあいだ、おまえがしまったよね?」
「でも、ねぇもん。ないもんはない」
 小学生でもできるだろうお手伝いを、小学生以下の台詞で諦めた幼馴染みが、そのままベッドに舞い戻っていく。ぼすっというまぬけな音に、慎吾は無言で白菜をぶった切った。
 この駄目人間。だから、佳代子さんが、おまえにひとり暮らしは無理って断言したんだろうが。
 ――だからって、いやいや面倒見てるわけじゃないけどさぁ。
 でも、やっぱり、俺が甘やかしすぎているのだろうか。内省しながらも、慎吾は押し入れの襖を引いた。右。左。
「え。めっちゃふつうにあるんですけど」
 あっというまに見つかった探し物に、おのずと声のトーンが下がる。真白の探す気がなさすぎる。
「えー、どこに?」
「おまえ、どうせ右側しか開けてないんでしょ。ちょっと左も開けたらあったよ、目の前に」
「えー、マジで。ごめん。悪い」
「まったく謝ってるように聞こえないんだけど。……あ、ごめん。電話だ。しろ、コンロ準備しといて」
 戻ってきたときにできていなかったら、ちょっと怒る。
 言外に匂わせた宣言を読み取ったのか、毛布の塊が奇妙に動き始めた。出る気はあるらしい。
 ……ま、大丈夫だろ。
 大丈夫でなければ、雷を落とすだけである。塊の横をすり抜け、外に出る。
 夢見荘の錆びた手すりに背を預けて、慎吾は通話ボタンをタップした。途端に、かなみの明るい声が耳元で弾ける。真白ご自慢の妹だ。
「慎吾くん? もしもーし、今、大丈夫だった?」
「うん、大丈夫だよ。でも、どうしたの。珍しいじゃん。かなちゃんが俺に電話してくるの」
 隣家の城崎兄妹はブラコンにシスコンなので、兄経由で伝言が届くことが圧倒的に多いのだ。べつに寂しいとは思っていない。
「いや、それがさ。このあいだ、お兄ちゃんから変なラインがきたんだよね。まぁ、お兄ちゃんは、変なのが通常運転だけど」
「まぁ、そうだねぇ」
「でしょ? ところで、慎吾くん。とうとうお兄ちゃんに手ぇ出したの?」
 脈絡もなにもない問いかけに、不覚にも返答に詰まってしまった。
「もしもーし? 慎吾くん?」
「えっと、かなちゃん。なんでまた」
 我に返った慎吾の猫なで声に、「だって」とかなみがくすくすと笑う。やられた。
「お兄ちゃんが、あいつは見境なく手を出すホモの変態だ、気をつけろって言うから。勢い余ってヤッちゃったのかと思ったよぉ」
「……かなちゃん」
 知りたくもなかった事実を楽しげに報告されて、こめかみを押さえて唸る。というか、勢い余ってってなんだ。勢いって。
「してないから。本当になにもしてないから」
「うん。だとは思ったんだけど。慎吾くん、へたれだもんね。でも、万が一ってことはあるからさ。ちょっとだけ心配しちゃった」
 男関係の面倒を散々に見てきてやった俺への評価が、それなのか。思わなくもなかったが、「そうだねぇ」と笑って受け流すことを慎吾は選んだ。
 なにが「そう」なのかは、自分でもちょっとよくわからない。
「まぁ、変わりないなら、べつにいいや。じゃあ、慎吾くん。お兄ちゃんによろしくねー」
「……うん。大丈夫。任せて」
「本当に慎吾くん、健気だよねぇ」
 ドンマイと言わんばかりの笑い声を最後に、通話が切れる。
 妙に疲れた気分で、慎吾は肩を落とした。この無敵のマイペースさ加減は、兄に通じるところがあるかもしれない。お互い認めないだろうけど。溜息を呑み込んで、ドアノブを回す。
 どうせ俺がへたれだよ。何年もあほみたいなおままごとやってるよ。挙句の果てに、かなちゃんのことが好きなんじゃないかって疑われてるよ。
「ただい……ま」
 浮かべかけた愛想笑いが中途半端に固まる。座卓の上にセットされたガスコンロと、どうだとばかりの幼馴染みのドヤ顔。
 ……なんで、こんなあほな小学生みたいなやつじゃないと駄目なんだろ、俺。
「わー、すごいね。しろ。ちゃんとできたねー」
 自問しながらも、慎吾はとりあえず成果を褒めた。とんだ棒読みだったが、言われた当人はドヤ顔のままである。どこのひとりでできるもんだ。
「まぁな、さすがにこれくらいはな」
「そうだねぇ。できれば、それくらいは、最初からしてほしかったけどねぇ」
 言いながら、準備を終えていた土鍋をガスコンロに移す。
「いいよなぁ、鍋」
 小言を聞き流されたにもかかわらず、うれしそうな雰囲気に絆されてしまった。
「本当、しろ、鍋、好きだよね」
「うん。ふつうが一番好きだけど」
「だから、ふつうの水炊きにしたってば。今日は」
 先週末にトマト鍋を出したことを、まだ根に持っているのか。そのときも「ふつうのやつが食べたくなった」とうるさかったので、こうしてリベンジをしているというのに。
 呆れた慎吾に、鍋を見つめたまま、真白が首を横に振った。
「いや、べつに、あれもうまかったけど。でも、ふつうのほうが好き」
「はい、はい」
 そうでしたね、と慎吾は頷いた。凝ったものやおしゃれなものではなく、どこまでもシンプルなものが真白は好きなのだ。料理に限ったことではなく、なにに置いてもそうなので、そういうふうにできているのだろう。
 わかっていたのに、「たまには」で変わり種を出した自分が悪かったのだ、たぶん。
 ――これも「甘やかしてる」に入んのかなぁ。
 でも、おいしいもん食わせてやりたいし、どうせなら、喜ばせたいし。しみついた甘やかし根性をぐるぐると回転させながら、鍋掴みを装着する。
 ……ま、佳代子さんに、食費プラスアルファもらってるしな。
 うちのあほがご迷惑をおかけしますというていでいただいているので、リクエストを聞く義務はあるだろう。
 そう言い聞かせて、煮立ってきた鍋の蓋を取る。食欲をそそるにおいが、ふわりと部屋全体に広がった。


「なぁ、慎吾。さっきの電話、誰?」
 はふはふと鶏肉をかじりながら尋ねられて、慎吾はへらりとほほえんだ。どこがどうとは言わないが、小動物を連想させる食べ方である。
「誰か気になるの?」
「いや、べつに」
 これっぽっちの興味もなく切り捨てられて、むっと閉口する。なら、聞くなよ。不貞腐れつつも、慎吾は真白の椀に白菜を放り込んだ。野菜も食え。
「どうせ、おまえの男だろ。やましいから俺の前で出ねぇんだ」
「いや、べつに」
 そういうわけでもないのだが。そもそもとして、真白の言うところの「おまえの男」には、通話は嫌いと明言しているので、まずかかってこない。
 嫌そうに箸で白菜を摘み上げる幼馴染みの手元に、人参も追加する。一瞬の間のあとで鍋に戻されて、慎吾はジト目になった。だから、どこの子どもだ、おまえは。
「ねぇ、しろー」
「なんだよ、人参はいい。食っていいよ」
「いや、おまえが食えよ。というか、そうじゃなくて。そうじゃなくてさ、なんか、その言い方、嫉妬してるみたいでかわいいなって」
 問いかけに含んだ一抹の期待は、「はぁ?」という本気で嫌そうな声で霧散した。
「意味がわからない」
 俺は、応答にまったく愛を感じない。
「まぁ、べつに、心の底から、それは本当にどうでもいいんだけど」
「なに、その前置き」
「おまえ、同じ大学のやつに、ほいほい手ぇ出すのやめろよな。マジ迷惑」
「へ? なんで?」
 まじまじと見つめる先で、童顔が不機嫌にむくれていく。
「なんで、じゃねぇし。このあいだも、ぜんぜん知らないやつに睨まれたんだけど、俺」
「あー……」
「なんか小柄の黒髪の。ここですれ違ったことあるやつだったし、おまえの関係だと思って」
「あー……、うん。……ごめん」
 素直に慎吾は謝った。真白に申し訳ないというよりも、自己嫌悪に近い感情からであったが。
 遊ぶ相手を選ぶ基準のひとつに、「後腐れのない」というものがあったのだが、いつのまにか情を持たれてしまっていたらしい。
「たぶん、あれです。このあいだのAV志望です」
「なんだ、やっぱ志望してんのか」
「いや、たぶん、違うんじゃない? 知らないけど。というか、目指してるって言ったの、しろじゃなかったっけ」
 どうでもいいことを話しながら、切り時だなぁ、と慎吾は内心でぼやいた。
 でも、上手にやらないと、なんか面倒なことになりそうだしなぁ。面倒くさいなぁ。こぼれそうになったものをどうにか呑み込む。
 ……声はともかく、顔はかわいかったんだけどな。
 年より幼く見える童顔と、気の強さが見え隠れする丸い瞳が、真白に似ていた。
「まぁ、ともかく。ちゃんとするから、ごめんね。しろ」
 笑顔を取り繕うと、幼馴染みが呆れたように溜息を吐いた。
「だから、おまえはそうやって、……いや、もういいけど。なんとかしろよな」
「うん。する」
 笑っていれば、なんとかなる。
 生まれてこの方、二十年。平均より高い顔面偏差値と、人並み以上の愛想を兼ね備えたチャラ男は、基本的に人生を舐め腐っていた。
 本質を見破っている幼馴染みだけは、「へらへらしてるんじゃねぇよ」と呆れた顔をするのだけれど。食べ物を与えれば、その不機嫌も直ると知っていた。
 そんなわけで、今夜もせっせと真白の椀に残りを移し替える。
「今日のおじや、卵でとじよっか」
 にこりともう一度ほほえみかけると、むっと不貞腐れていた顔が、わずかにゆるんだ。
 かわいい。
 笑ってんじゃねぇよ、という拗ねた声に、笑ってないよ、と首を横に振る。笑ってはいない。かわいいなぁ、とほほえましく見つめていただけである。
「あ、でも」
「なんだよ?」
「うれしいとは思ってたかも。好きなんだよね、俺。しろが、俺のごはんでうれしそうな顔してるの見んの」
 そう。好きなのだ。面倒ごとに対する憂鬱が、ちょっと薄らいでしまうくらい。面倒ごとの原因が自分にあることは承知しているので、さておいてほしい。
「それだけ」
「……また餌付けだとでも思ってんだろ、おまえ」
 怪訝な顔になった真白が、そんなことを言う。
 冷凍庫から取り出したごはんをレンジで解凍しながら、「そうかもね」と慎吾は頷いた。そういえば、前にも餌付けって言ったんだっけ、と思考を馳せながら。
 餌付けと評しているのは、なにも馬鹿にしているからではない。単純にうれしいのだ。
 自分のつくったごはんを、喜んで食べてくれることがうれしい。
 それで、幸せそうな顔をしてくれることがうれしい。
 だから、つい甘やかしてしまう。
 そのすべてが、楽しくてうれしい。ささやかであたたかな幸せを噛み締めているだけではあるのだが、真白に言ってもきっと通じないと思うので。
 そういったもろもろをまとめて「餌付け」と呼ぶことに、慎吾はしているのだった。