雨降る中で

 全国高校サッカー選手権大会茨城県予選。今思い出してもあの戦いの日々は苛烈だった。負ければ即終了のノックアウトステージ。1点でも多く取り、1点でも多く失点を避ける。その先にあるのが勝利だ。俺達、水都一高(すいといちこう)イレブンはその勝利を目指して貪欲に走り続ける。全ては全国の舞台を踏み締めるために――

 ***

 その日……準々決勝の日は朝から雨が降っていた。結構な激しさで、公共交通機関が止まるかもしれない懸念もあったから、試合にエントリーしている部員――仲間が全員集まれた事には素直に安堵したものだ。もちろん試合の延期だって可能である。とはいえ高校生活が3年間しかない俺達にとって、日々の時間は途轍もなく貴重だ。一瞬たりとも無駄にはできない。
 また、そこには水都一高という高校の特徴にも深い関係があった。
 県立水都第一高校――県内屈指の進学校であり、進学率は驚異の95%超を誇る。その中で毎年30名近い東大合格者も輩出しているのだから、相当実績のある高校である事が分かるだろう。
 それだけではない。近年の水都一校では運動部の部活動にも力を入れており、東大に進学したOBOGを中心として医学的な観点から選手のトレーニングを行なったり、また、管理栄養士の食事指導なども併せて肉体強化を図っているのである。
 お陰で水都一高は様々な種目において全国でも屈指の成績を残すようになっていた。
 俺達サッカー部もそうだ。10年前と比べても、俺達は格段に強くなっている。それは練習の質を上げたり、食事の栄養バランスに注意したりしただけでは無く、橋爪(はしづめ)監督の下、自分達の頭を使って考えるサッカーを愚直に実践したからでもあるだろう。
相手よりも常に一手、二手先を読んで最適なプレーを選択する――それが結果に繋がっているのかもしれない。
 今年の俺達は快進撃を続けていた。毎年冬に行なわれる全国高校サッカー選手権大会、その県予選で本校初となる準々決勝進出を果たしたのだ。全国の舞台まで、あと3つ――
 ……油断は禁物だし、何より俺達にはここから先は未知の世界、未知なる景色が広がっている。その緊張感に飲まれてしまってはダメだ。勝利への渇望を満たすため、1つ1つ着実に勝ちに行く――それだけだ。

沢井(さわい)、この試合はお前がカギになる。相手の明進日立に中盤を支配させるな。沢井はそこを注意しながらボールを前に付けたり、サイドに散らしつつ、ミドルも積極的に狙っていけ」
「はい!」

 橋爪監督の指示に頷く。これから戦う準々決勝の相手は私立明進日立(めいしんひたち)高校。J1・カシマのお膝元である私立鹿島学院(かしまがくいん)高校と県内の覇権を二分する、県屈指の強豪校だ。相手との純粋なパワーバランスを鑑みれば、水都一高が守備に回る時間がほとんどだろう。その中でいかにして数少ない決定機をモノにするか?――それが勝敗に直結する。……とは言え、俺達だって最初から負ける気など無い。全力で勝ちに行く! と気合を入れ、俺達は試合会場のピッチへと足を踏み入れる。期待と不安をその胸に抱きながら。

 ***

 昨夜から降り始めた雨は時間の経過とともに弱まりはしたものの、まだしとしとと降り続いていた。3回戦で戦った相手チームのボランチみたいにしつこい。雨雲は確実に流されつつあるのだから、雨も大人しく止んで欲しいものだ。
 ……ここまでピッチが雨を含んでいたら、足元がスリッピーでプレーの精度が著しく下がってしまう。長短のパスを操って中盤を組み立てる俺にしてみれば、これは最も気を付けなければならない事だ。
 また、降雨のせいで、味方同士のコーチングもベンチからの指示も通り難くなっている。これにも充分に留意して、味方とこまめにコミュニケーションを取るなり、ベンチを注視するなりしなければならないだろう。

「集中しろ! 悔いを残すなよ!……行くぞ!」
『応!』

 円陣を組み、主将の俺の号令で気合を入れた。隣で肩を組んだダブルボランチの相棒が心なしか震えていたようにも感じたので、俺は気を利かせて言葉を掛けようとしたが……

「…………大丈夫、行ける、勝てる」
「…………」

 イメージトレーニングの邪魔になると思い、あえて声は掛けなかった。代わりにその肩を軽く叩き、彼がこちらを見た時、何も言わずに頷いておいた。俺は主将として不器用かもしれない。でも口下手なりに、態度や背中でその意志を仲間達に示そうと思っている。皆はそんな俺を慕って着いてきてくれている。本当に、このメンバーで全国に行きたい。当然だが、最終目標は全国制覇だ。
 ピッチに入るとそのコンディションは思った以上に悪かった。これでは予期せぬ形でボールを奪われるだけでなく、不注意で転倒する事もあるだろう。……充分に気を付けた方が良いな。

 ピッ!

 主審のホイッスルで準々決勝が始まった。明進日立が流れるようなパスワークで俺達を翻弄してくる。……雨でピッチが滑りやすい事なんてお構いなしだ。これが県大会決勝常連の底力か。
 プレスに行っても剝がされる、或いはかわされる。また、相手の17番はこんなに酷いピッチコンディションの中でも果敢にドリブル突破を仕掛けてくる。……どこかで見覚えのあるプレースタイルだと思ったら、意外な事に、俺の知っている選手だった。確か……まだ1年生だったはず。ルーキーで公式戦に先発出場とは、やるじゃないか! ここは俺も、年上のプライドを見せつけてやらないと!
 緩急を付けたドリブルで水都一高陣地に侵入する17番の前に、俺は立ち塞がる。コイツのクセは……イやと言うほど把握している。幼少時、何度も突破されて煮え湯を飲まされ続けてきたんだ。その借りを、今こそ返してやる!

「よっ! ここもオレの勝ちっ!」
「……ふっ!」

 対峙した瞬間、相手は右足を踏み込んだ。だがそこに反応してはダメだ。言うなれば、これはコイツの罠。間合いを詰めてしまえば、得意の左足インサイド→左足アウトサイドのダブルタッチで簡単に置き去りにされてしまう。だからここは短気なコイツが痺れを切らすのを待つ、それ一択だ!

「……ちっ! 抜けねぇか!」
緒方(おがた)! 寄越せ!」
「チクショウ! ここはオレが……」

 バッ

「しまっ……!」
「攻めるぞ!」

 17番――緒方が俺から目を離したその一瞬を逃さず、俺はボールを奪取した。そのままルックアップ、仲間達に伝わりやすいよう一言号令を掛けて、明進日立ゴールへと一気呵成にカウンターを繰り出した!
 攻守が切り替わった事で、敵味方関係なくピッチ上の全員が明進日立ゴール方向へ一気に加速する。
 試合開始からずっと守勢に回っていた俺達だけど、相手の組織の破綻を見出した今が、ゴールを決める千載一遇のチャンスだ!

「サンキュ、キャプ! ホレ!」
「行くぞ!」
「任せろ!」

 ボールを奪った俺が前線にロングフィード、トップ下の8番・土屋(つちや)が華麗にトラップし、右足一閃! 左サイドを駆け上がるSB――サイドバック――の7番・小村(おむら)にピタリと展開した。その小村はダイレクトでクロスを供給。左足から繰り出された精確無比な軌道が、相手ゴール中央で待ち構える9番のエースFW――フォワード――・石崎(いしざき)の頭にドンピシャのタイミングで合わされた!
 強靭な首の振りで叩き付けられた豪快なヘディングシュートは、明進日立のGK――ゴールキーパー――も反応できず。前半32分、水都一高が待望の先制点を挙げた。

「気を抜くな! 集中!」

 先制ゴールで沸く中、俺は務めて冷静に仲間達の気を引き締めた。そう、得点直後が最も失点のリスクが高いのだ。しかも相手は県内屈指の強豪・明進日立。勝利を義務付けられている彼らにしてみれば、準々決勝で敗退して良い訳が無い。この後は怒涛の攻めを繰り出して来るだろう。俺達はただ受けに回るのではなく、マイボールにしたら的確にボールを散らし、特にサイドに展開してそこから突破口をこじ開けるのだ。
 加えて時間が経過すれば、相手にも確実に焦りは生まれてくる。そこを逆手にとって、無理のない範囲で追加点を狙えばいい。特に前半はこのまま1点リードで終えるのが最低条件だ。

「前半、耐えるぞ!」
『応!』

 仲間達に発破をかける。雨は小降りになっていて、皆の頼もしい返事が届いて俺にも勇気が湧いてきた。
 一方、明進日立、特に失点に繋がるカウンターの起点を作ってしまった緒方は恨みがましい目で俺を睨んでいた。……そうだよ、勇也(ゆうや)。お前は昔からサッカーエリートだった。のびのびとサッカーを楽しめる環境で育ったから、俺達みたいに最近まで弱小校だったところに負けるのは悔しくて仕方ないだろう。でも……俺達だって本気なんだ。どんなに緒方勇也が天才でも、手も足も出ないままやられっぱなしで惨めに負ける訳にはいかないんだよ……!

 そんな俺の心の声が聞こえたかは分からない。けれど、勇也のプレースピードが鈍ったのは事実だった。……よっぽど失点の原因になったのがショックなんだな。そのメンタルを強化しないと、お前はこれ以上、先へは行けないぞ。

 ピッ!

 明進日立ボールで試合再開。彼らはまず、激励の意味も込めて緒方勇也にボールを集めた。チームメイトに、学校関係者に、何より家族や期待してくれる人達に報いるため、緒方勇也は鬼神の如き形相で水都一高エンドへと侵入してくる!
 ファーストディフェンダーの土屋がかわされたので、次に俺が緒方勇也にチェックに行く。
 一見、彼のドリブルは手が付けられないかもしれない。だが、今の緒方勇也は冷静さを完全に失っていた。怒りと勢いに任せて繰り出す強引なドリブルなんて、勇也らしくない。故に――俺に止められないはずが無い。

「そこだ!」
「!?」

故に――我を忘れた緒方勇也から再びボールを奪取するのは難しい事ではなかった。奪ったボールはそのままサイドに展開する。ボランチとして出場している以上、相手の嫌がるところを俺は良く把握している。だから……緒方勇也のフラストレーションも、ある程度は予想できた。できたのだが……彼の苛立ちは俺の想像を上回っていたらしい。そこにはたぶん、格下に見ていた俺に軽くあしらわれた――プライドを傷つけられた、というのもあったかもしれない。
 最初は俺も何が起こったのか分からなかった。気が付いたら雨に濡れたピッチに仰向けで横たわっていたのだ。一瞬だけ戸惑ったが、直後に左足首に鋭い痛みが走る。痛みのせいで思考が塗り潰される。

「……ッ!!」
「沢井、大丈夫か!?」
「オイ、主審! 今のはレッドだろ!?」
「おいおい何やってんだ、緒方!? もっと周りを使え!」

 ワアァァァァァッ!

 何が起こったのか、俺には暫く分からなかった。ただ、痛みを堪えて周囲を見回すと、相手校――明進日立高校のMF背番号17番・緒方勇也がショックで呆然としていた。
 ……そんな事より、左足首の痛みが酷い。俺がボールを奪った瞬間、何があった? 視界がいきなりひっくり返った事しか覚えていない。そしてすぐさま激痛が襲ってきたんだ。……もしかして、俺、足を蹴られたのか?
主審に「立てるか?」と聞かれるが、そんなのは無理に決まっている。……くっそ、これ、靭帯やったかもしれないな。

「沢井、交代か?」
「……頼む……ッ」

 その後、俺は担架に乗せられて、志し半ばでピッチを後にした。前回大会――昨年の選手権県予選で水都一高は準決勝で涙を飲んでいる。今回はまだ準々決勝。まだ目標は達成していない。けれど……ここで負けたら俺の高校サッカーは終わってしまう。ケガで不完全燃焼なのは絶対にイヤだ! この試合、俺達はまだリードしている。仲間達には何が何でもこの試合で勝ち残って欲しい!
 前半アディショナルタイム、俺はリザーブの2年生ボランチに後を託し、交代でピッチを退いた。正直、めちゃくちゃ悔しい。けど左足首はとんでもなく痛い。とは言えコンタクトスポーツであるサッカーをやっている以上、ケガは付きものだ。
交代して水都一高ベンチに下がった俺は、患部をアイシングしつつピッチ上の状況を改めて確認する。どうやら明進日立の緒方勇也が、ボールを奪った俺への悪質なアフターチャージでレッドカード、一発退場を食らったらしい。どうりで緒方勇也がピッチにいない訳だ。
 俺の2つ下、小学校低学年の頃から緒方勇也の才能の欠片は見え隠れしていたし、俺と1対1でマッチアップしたトレーニングでグングン伸びていった。高校年代の大事な公式戦で退場処分を食らった事は、彼にとって途轍もなく大きなトラウマになるだろう。しかも退場の原因は、緒方勇也が下に見ていたであろう、俺――沢井海斗(かいと)だ。
 才能に恵まれ、常に俺の先を歩んでいた彼が、今回の一件で潰れてしまわない事を願う――

 ***

 全国高校サッカー選手権茨城県大会予選準々決勝第一試合、私立明進日立高校✕県立水都第一高校の結果は――
 2ー1で俺達、水都一高が接戦を制した!
 ……勝つには勝ったけれど、明進日立はめちゃくちゃ強かった。何と言っても、天才ドリブラーの1年生MF・緒方勇也が退場し、数的不利になっても、彼らは一時的に同点に追い付いたくらいなのだ。
 最後は雨の影響により、明進日立の選手達の足に疲労が出て、走力が無くなった事で中盤に広大なスペースができ、水都一高の仲間達がそこを突いて決勝点を奪って勝利を手繰り寄せた。
 ……緒方勇也は試合が終わって解散した後、人目を憚らず号泣していたらしい。試合後にすぐ会場を後にした俺は仲間達から話を聞いただけなので、詳しくは知らないのだ。
 彼はこれから更に成長して、来年、再来年の公式戦では間違いなく水都一高の前に立ちはだかるだろう。それだけのポテンシャルを秘めているのだ。その時に俺は卒業していないけれど、俺の後輩達は絶対に負けないからな!
 さて、試合後の俺はどうしていたのかと言うと。
 左足首の痛みが思った以上に深刻で、病院に直行したのだ。
 
「海斗、大丈夫!?」
茉優華(まゆか)! どうしたんだよ?」
「そんな事言わないでよ! 病院送りになったって聞いて、心配したんだから!」
「……病院送りって。その通りではあるけどさ」
 時刻は午後6時。市内の総合病院の待合室で検査結果を待っていると、どこからか話を聞きつけた同級生の女子がやってきた。ショートカットの髪を振り乱し、肩を上下させているのは、ここまで走ってきたからだけ……では無いのだろう。顔が真っ赤に上気していて、その表情から強い憤りを感じ取れた。
 彼女の名前は岡村(おかむら)茉優華。サッカー部の女子マネージャーであり、俺や緒方勇也の幼なじみでもある。今日は所属している地下アイドルグループのダンスレッスンがあって、試合会場にはいなかったのだ。

「海斗にケガをさせたのは誰!? 私、絶対に許さないから!」
「……許さないって。それは嬉しいけど、俺にケガさせたの、勇也だよ。緒方勇也」
「勇也!? よりにもよってアイツか! ていうか、まだサッカーやってたんだ……」

 緒方勇也は一時スランプに陥り、サッカーから離れた時期があった。その際に彼をサッカーに引き戻したのが茉優華の存在だった。……たぶんだが、勇也はその時、茉優華に恋をしたのだろう。俺には2人が仲の良い姉弟から恋人になったと喜んでいたが……その割には何となくいがみ合っているし、それ以前から何故だか茉優華の俺に対する距離感が近い気がするのだ。……どうして? 謎だ……

「受付番号34番の方、第2診察室へどうぞ」
「あっ、じゃあ、俺ちょっと行ってくる」
「うん、行ってらっしゃい」

 年配の看護師に呼ばれて第2診察室に入る。何となく不安な気持ちもあったし、看護師にも愛想が無かったせいで検査結果が心配だったが、意外にも茉優華の存在が心強く感じた。
 結論から言うと――3日後に再検査、だった。
 けれども、幸い靭帯に影響は無く、軽傷だと思われる。しかしまだ少し痛みが残っていたので、念のため詳しい検査をして欲しいとお願いしたのだ。俺は左足首に古傷を抱えているから――

 ***

 3日後は運悪く準決勝の試合日だった。検査があるから俺は欠場する。当たり前だ。検査当日にケガを悪化させたなんて言ったら、担当の医師に怒られるし、何より、ケガは俺のサッカー選手生命を終わらせてしまう可能性すらあるのだから。
 その日、何故か分からないが、茉優華まで検査に着いてくると言って聞かなかった。俺達は高校生だから、当然、高校の授業が普通にある。サボりは良くないぞ、と諭したが、その日はたまたま地下アイドルグループの公演があるらしく、俺の検査を見届けてから現場に向かっても余裕で間に合うから『高校には正式な休みを申請してある、だからこれはサボりじゃないよ』との事らしい。……何だかなあ。
 雨の準々決勝で負傷した。俺が欠場した中で、準決勝の結果はどうなるだろう? もしここで先が閉ざされたら、俺は仲間達に合わせる顔が無い。

「仲間を信じなきゃ。幸い軽傷だし、決勝で復帰すれば大丈夫でしょ、水都一高サッカー部主将?」
「……そうだな。茉優華の言う通りだ。主将として、仲間達を信じないと!」

 今、その仲間達が必死で戦う準決勝では、雨が更に強くなっていく……

 了