紅芋タルトの箱から個包装の袋をひとつ摘まみ取った。袋を破り、小さなタルトをひと口囓った。ビスケット生地と紅芋ペーストの食感が心地よく、控えめな甘みが好ましい。
「小さい頃、父がつくってくれた芋けんぴを思い出します」
「芋けんぴ?」
「細く切ったサツマイモを油で揚げて、甘い蜜を絡めるんです。母が好きだったので」
残ったタルトを口に放り込む。三條隆一が息子と亡き妻を愛していたこともまたはっきりしている。
「おまえは親に愛されてたんだな」
菓子の包み紙を手のなかで握りつぶし、いった。
「おれは親父にチョコ一粒も買ってもらったことないよ」
クレジットカードの履歴の末尾に、紅芋タルトの購入記録が残されていた。死ぬ前の最後の買いものだ。東京にもどる気がなかったのはあきらかで、土産品として求めたわけではないだろう。
1年前、三條隆一も、今亮太が座っているベッドの上か、おれが座っている椅子の上でか、レンタカーのなかで、これを食べたのかもしれない。
確かなことはなにもない。だが、ここへきて、たったひとつだけ確信を持つことができた。
石黒美津夫は三條隆一を愛していた。心の底から。家族や仕事、人生のすべてを擲っても構わないと思えるほど深く。カードの記録だけではない。父の足跡をたどり、おなじ行動を取ることによって、確信できた。
亮太が腰を上げ、おれの脇に立った。雨粒の打ち付ける窓に掌をぴたりと貼り、外の嵐を見つめる。
「はいむるぶし……」
ふと、亮太が呟き、おれは顔を上げた。
「なに?」
「地元の言葉で、南十字星という意味だそうです。波照間島では、日本で唯一、南十字星を見られるんだとか」
コテージの主人か商店の店員にでも聞いたのか、それともネットで調べたのか。台風の直撃を受けた空は黒く濁り、厚い雲に覆われて、南十字星どころか星ひとつ見えない。
「星、見たかったな」
ぽつりと独白する。小さな子どものような邪気のない純真な言葉だった。胸が詰まって、ついいった。
「次回におあずけだな」
まるでこの先もまたふたりでここへくるかのような口ぶりになってしまったが、弁解するのもかえって違和感を与えるだけだろう。亮太は一拍措いて「そうですね」とだけいった。
おれも亮太も黙り込み、室内を沈黙が漂った。雨と風の音だけが烈しく響いて、共鳴している。
「それにしても、まさか11月に台風にぶつかるとはな」
沈黙に耐えかね、自虐めいた口調でいった。
「しかたないですよ。自然には勝てません」
「途中までは完璧だったのに」
舌打ちする。おれは完璧主義者で潔癖な部分を持っていると自覚していた。厳格な父からは常に完璧を求められ、母親の潔癖さも受け継いでいる。
「ほぼ完璧じゃないですか」
亮太が宥めるようにいって笑う。
「まあな」
口のなかに残った甘みをビールで流し込んで、息をついた。
「あとはこれでセックスでもすりゃ、より完璧に近づくけどな」
冗談のつもりだった。だが、笑い声は聞こえてこなかった。顔を上げると、亮太は窓のほうを向いたまま、俯いていた。
他愛のない冗談のつもりだった。単なる悪ふざけだ。しかし、亮太は笑うどころか、張り詰めた表情で唇を結んでいる。真面目で融通がきかず、ユーモアを解さないタイプだ。気を悪くしたかもしれない。
「ごめん。セクハラだよな」
猛烈な焦りで舌が縺れる。笑ったつもりだったが、ぎこちなく頬の筋肉が引き攣れただけだった。
「申し訳ない。忘れて……」
「いいです」
おれの弁解を遮るように、亮太はいった。
「してもいいです」
一瞬、なにをいわれたのか理解できなかった。唖然としているおれには目を向けず、亮太はひたすら窓に叩きつける雨粒を見つめていた。窓に映る顔には表情というものがほとんど見られない。
冗談で終わらせることはまだできた。互いに笑い飛ばし、アルコールと非日常の空間のせいにして、それぞれのベッドに入り、眠りにつく。しかし、実際には、口のなかが粘ついて、言葉が出てこない。気づくと、ビールの缶を置き、立ち上がっていた。
導かれるように亮太の背中に近づく。触れると、かすかに肩が震えた。同性のものとは思えないほど小さく丸みを帯びた肩。布ごしに体温を感じたとたん、全身の血液が沸き立った。
肩をつかみ、振り向かせた。両腕で抱きしめると、線の細さに驚いた。思考の隙もなく、唇を奪った。
亮太は抵抗の素振りを見せることなく、されるがままだった。舌を絡めると、甘いタルトの味に舌先を刺激され、興奮がさらに高まった。相手が男であることも、父親と死んだ男の息子であることも、頭から消え去っていた。
何度も角度を変えて、唇を貪った。亮太の手がおれの服をつかみ、吐息が顎周辺に纏わりつく。
キスをつづけながら、床を滑るように移動して、ベッドに倒れ込んだ。互いの体を縺れさせ、体勢を入れ替えながら、くちづけを深める。もどかしさに荒く息を継ぎながら、慌ただしく服を脱ぐ。ハーフパンツを引き下げ、下着を捥ぎ取る。亮太も腰を浮かせて協力し、おれのベルトをがちゃがちゃいわせ引き抜いた。
雨は烈しさを増していた。強風と大きな雨粒が窓ガラスを叩く音が際限なく響くなかで、おれたちは互いを貪り、快楽の渦に自分から頭を突っ込み、呑みこまれていった。
「小さい頃、父がつくってくれた芋けんぴを思い出します」
「芋けんぴ?」
「細く切ったサツマイモを油で揚げて、甘い蜜を絡めるんです。母が好きだったので」
残ったタルトを口に放り込む。三條隆一が息子と亡き妻を愛していたこともまたはっきりしている。
「おまえは親に愛されてたんだな」
菓子の包み紙を手のなかで握りつぶし、いった。
「おれは親父にチョコ一粒も買ってもらったことないよ」
クレジットカードの履歴の末尾に、紅芋タルトの購入記録が残されていた。死ぬ前の最後の買いものだ。東京にもどる気がなかったのはあきらかで、土産品として求めたわけではないだろう。
1年前、三條隆一も、今亮太が座っているベッドの上か、おれが座っている椅子の上でか、レンタカーのなかで、これを食べたのかもしれない。
確かなことはなにもない。だが、ここへきて、たったひとつだけ確信を持つことができた。
石黒美津夫は三條隆一を愛していた。心の底から。家族や仕事、人生のすべてを擲っても構わないと思えるほど深く。カードの記録だけではない。父の足跡をたどり、おなじ行動を取ることによって、確信できた。
亮太が腰を上げ、おれの脇に立った。雨粒の打ち付ける窓に掌をぴたりと貼り、外の嵐を見つめる。
「はいむるぶし……」
ふと、亮太が呟き、おれは顔を上げた。
「なに?」
「地元の言葉で、南十字星という意味だそうです。波照間島では、日本で唯一、南十字星を見られるんだとか」
コテージの主人か商店の店員にでも聞いたのか、それともネットで調べたのか。台風の直撃を受けた空は黒く濁り、厚い雲に覆われて、南十字星どころか星ひとつ見えない。
「星、見たかったな」
ぽつりと独白する。小さな子どものような邪気のない純真な言葉だった。胸が詰まって、ついいった。
「次回におあずけだな」
まるでこの先もまたふたりでここへくるかのような口ぶりになってしまったが、弁解するのもかえって違和感を与えるだけだろう。亮太は一拍措いて「そうですね」とだけいった。
おれも亮太も黙り込み、室内を沈黙が漂った。雨と風の音だけが烈しく響いて、共鳴している。
「それにしても、まさか11月に台風にぶつかるとはな」
沈黙に耐えかね、自虐めいた口調でいった。
「しかたないですよ。自然には勝てません」
「途中までは完璧だったのに」
舌打ちする。おれは完璧主義者で潔癖な部分を持っていると自覚していた。厳格な父からは常に完璧を求められ、母親の潔癖さも受け継いでいる。
「ほぼ完璧じゃないですか」
亮太が宥めるようにいって笑う。
「まあな」
口のなかに残った甘みをビールで流し込んで、息をついた。
「あとはこれでセックスでもすりゃ、より完璧に近づくけどな」
冗談のつもりだった。だが、笑い声は聞こえてこなかった。顔を上げると、亮太は窓のほうを向いたまま、俯いていた。
他愛のない冗談のつもりだった。単なる悪ふざけだ。しかし、亮太は笑うどころか、張り詰めた表情で唇を結んでいる。真面目で融通がきかず、ユーモアを解さないタイプだ。気を悪くしたかもしれない。
「ごめん。セクハラだよな」
猛烈な焦りで舌が縺れる。笑ったつもりだったが、ぎこちなく頬の筋肉が引き攣れただけだった。
「申し訳ない。忘れて……」
「いいです」
おれの弁解を遮るように、亮太はいった。
「してもいいです」
一瞬、なにをいわれたのか理解できなかった。唖然としているおれには目を向けず、亮太はひたすら窓に叩きつける雨粒を見つめていた。窓に映る顔には表情というものがほとんど見られない。
冗談で終わらせることはまだできた。互いに笑い飛ばし、アルコールと非日常の空間のせいにして、それぞれのベッドに入り、眠りにつく。しかし、実際には、口のなかが粘ついて、言葉が出てこない。気づくと、ビールの缶を置き、立ち上がっていた。
導かれるように亮太の背中に近づく。触れると、かすかに肩が震えた。同性のものとは思えないほど小さく丸みを帯びた肩。布ごしに体温を感じたとたん、全身の血液が沸き立った。
肩をつかみ、振り向かせた。両腕で抱きしめると、線の細さに驚いた。思考の隙もなく、唇を奪った。
亮太は抵抗の素振りを見せることなく、されるがままだった。舌を絡めると、甘いタルトの味に舌先を刺激され、興奮がさらに高まった。相手が男であることも、父親と死んだ男の息子であることも、頭から消え去っていた。
何度も角度を変えて、唇を貪った。亮太の手がおれの服をつかみ、吐息が顎周辺に纏わりつく。
キスをつづけながら、床を滑るように移動して、ベッドに倒れ込んだ。互いの体を縺れさせ、体勢を入れ替えながら、くちづけを深める。もどかしさに荒く息を継ぎながら、慌ただしく服を脱ぐ。ハーフパンツを引き下げ、下着を捥ぎ取る。亮太も腰を浮かせて協力し、おれのベルトをがちゃがちゃいわせ引き抜いた。
雨は烈しさを増していた。強風と大きな雨粒が窓ガラスを叩く音が際限なく響くなかで、おれたちは互いを貪り、快楽の渦に自分から頭を突っ込み、呑みこまれていった。



