HAIMURUBUSHI

 熱帯低気圧は温帯低気圧に変わり、午後からは豪雨となった。強い風がコテージの戸や窓を叩き、烈しい雨音が響いた。
「すごい雨ですね」
 風呂上がりに窓際の椅子に座ってビールを飲んでいると、おれのあとにバスルームに入った亮太が声を掛けてきた。高級ヴィラではなくごく一般的なコテージで、浴衣やバスローブは用意されていない。オーバーサイズのシャツにスウェットハーフパンツといった姿で、バスタオルで髪の水滴を拭っている。
「なんだか怖いみたいで……」
「岬に行く予定を1日早めたのは正解だったかもしれないな」
 つい事務的な口調になってしまう。他人の言葉を遮るのも悪い癖だった。
 コテージにもどる前に商店で購入した烏賊の燻製に齧りつく。煙草が吸いたかったが、コテージ内は禁煙だ。この大雨のなかで喫煙のために外に出る行為は、どう考えても馬鹿げている。
「明日は店を開けるのは難しいかもしれないな」
 不安げに表情を曇らせて窓の外を見つめている亮太に声をかけた。
「倫雄さんも、明日は仕事ですよね」
「ああ。ま、おれのほうはどうにでもなる」
 缶ビールを空にして、新しい缶に手を伸ばす。
「飲むか?」
「ぼくは飲めないので」
 ビールの代わりにジャスミンティーのペットボトルの蓋を捻り、差し出した。
 那覇のホテルでは別々の部屋を取ったが、波照間ではそうはいかない。選択肢がすくなく、奥の部屋がすでに埋まっていたうえに、父親たちが泊まったコテージにはツインルームしかなかった。並んだベッドのひとつに、亮太が腰掛ける。
「そうだ、これ」
 コンビニの袋から鮮やかな紫色の箱を取り出す。土産ものらしくポップな文字とコミカルなキャラクターのイラストがプリントされている。
「紅芋のタルト?」
「好きかと思って」
「ありがとう」
 はじめて見る菓子に興味をそそられたようで、瞳を輝かせる。ベッドの端で背中を丸め、さっそく袋を開けはじめる。無心にタルトを頬張る亮太をおれは目を細めて眺めた。たかが数百円の菓子でこれほど喜ばれると、買いもののたびになにか買ってやりたくなる。空港でもコンビニでも、気づけば亮太が気に入りそうなものを目で探していた。
「あの……お礼をいわせてほしくて」
 タルトの袋をていねいに折りたたみながら、亮太がいう。
「それくらいべつに」
「そうじゃなくて、今回の旅行のこと」
 ベッドの上で膝の上で両手を揃え、深々と頭を下げる。
「いろいろと準備してくれて、本当にありがとう」
 子どもの頃、父の日や母の日には小学校で絵を描いた。低学年の頃は他の子がするように両親に渡していたが、成長するにつれて自宅には持ち帰らず学校で処分するようになった。「ありがとう」といわれた経験は、思い出せなかった。港区で夜遊びをするときに付き合う女たちは、高価なプレゼントに大仰に喜んだが、目の奥では常に品物を値踏みし、男を品定めしていた。こんなふうに心から、純粋に感謝されたことはなかった。
「……きてよかったか」
 ビールを飲みながら、尋ねた。かえってつらい記憶を呼び起こさせたかと思ったのだ。
「よかったです」
 亮太は首を傾げるように微笑んだ。
「この島で、父がなにを考えて、どんな気持ちだったのか、すこしだけわかった気がします」
 外では雨が烈しさを増している。
「倫雄さんは?」
 ジャスミンティーのペットボトルを手のなかで弄びながら、亮太が尋ねてくる。
「お父さんのこと、なにかわかりましたか」
「どうかな……」
 窓の外に視線を向け、3本目の缶ビールに手をかける。
「おれが知ってる父親とおまえが知る石黒美津夫は、たぶんちがう」
 亮太の話では、洋菓子店で過ごしているときの石黒美津夫は穏やかで紳士的だったという。自宅での姿とは大きく異なる。家にいるときの父は常に不機嫌で、妻や息子に笑いかけることはなかった。
「石黒さんは、その……」
「同性愛者だったか?」
 こめかみを指圧しながら、いった。
「わからない。可能性はあるけど、確信はない」
 母親はホスト狂いで愛人も複数持っていたが、父の愛人に関しては聞いたことがなかった。仕事にしか関心のない男だったし、夜の店でも特定のホステスを指名することはなく淡々と飲んでいた。女嫌いだという噂はあったが、それがすなわち男好きということにはならない。
「奥様……倫雄さんのお母様は、父たちの関係を疑ってますよね」
 父の死を報されたとき、いっしょに死んだ男の写真を見て、俄には信じられなかった。仮に父に同性愛の趣味があったとしても、相手の印象はあまりにイメージとちがっていた。父と死んだ男は、若くも美しくもないごく平凡な中年男だった。小柄で、病気のせいで頬が痩せこけ、貧相な顔つきだった。どこに魅力を感じたのか、まるで理解できなかった。
「倫雄さんは?」
「おれがなに」
「信じますか。ぼくの話」
 同性愛がどうというよりも、父が自分以外のだれかを大切にすることがあるとは思えなかった。それでも、おれは頷いた。
「ああ、信じる」
 旅の予定はすべて石黒美津夫が立てた。クレジットカードの記録から、立ち寄った場所や購入した物品がわかった。亮太とおなじ下戸の三條隆一のために、彼の好きな紅茶や菓子を買い、関心を持っていた鍾乳洞やビーチに連れて行った。
 旅の前にも、甘いものが苦手なくせに、毎日のように隆一の洋菓子店に通っていた。隆一だけでなく、息子の亮太やバイトの女の子にまで、香水や化粧品をプレゼントしている。何ヶ月もあきらめずに店に通い、すこしでも気を引こうと必死になっている。洋菓子店の支払いと贈りものの記録が残っている。
 石黒美津夫は滅多に現金を持ち歩かず、ほぼすべての支払いにクレジットカードを使用していた。カードの履歴を辿れば、彼の恋慕が真実だったかどうかわかる。他人の言葉はあてにならないが、数字や記録は嘘をつかない。
 三條隆一も同性愛者だったのか。熱心な求愛についに心を動かし、人生最後の伴侶に選ぶつもりになったのか。それもまたはっきりしない。
 三條隆一が石黒美津夫を殺したか、またはうまくいいくるめて巻き添えにしたという可能性はきわめて低い。三條隆一が石黒美津夫よりも腕力が強く弁が立つなら別だが、まず無理だろろう。逆に、思いを募らせた石黒が暴走して三條を殺したとも考えにくい。三條は脅迫も強要もされずに自ら波照間島までついてきており、飛び降りる際にも抵抗した形跡はないということだった。
 どちらがいい出したことかは不明だが、すくなくとも、ふたりは互いに納得したうえで、運命をともにした。それほど互いを愛しており、離れることが耐え難かったのか、裕福でも愛のない人生に後悔と絶望をおぼえたのか、病の恐怖から逃げたかったのか、なにを思って決断したのかは、想像のしようがない。