ふたりの父親はまず石垣市内のホテルにチェックインした。白保海岸を散策し、鍾乳洞を観光し、グラスボートに乗った後で、沖縄料理の夕食を取った。
旅の目的が目的なだけに、亮太は終始緊張気味だったが、美しいエメラルドブルーの海を目にしたときには感動で瞳を潤ませた。夕食ではじーまーみ豆腐やうむくじ天ぷらといったメニューを珍しげに眺め、ひとつひとつ味わって食べていた。
石垣島で一泊してから、翌朝のフェリーで波照間島へ。石垣では高級ヴィラに泊まったが、波照間にはリゾートホテルはない。小さなコテージに荷物を運びこみ、レンタカーで海に向かった。
ふたりが身を投げたのは島の南東部に位置する高那崎の崖だった。琉球石灰岩が侵食してできた岬で、断崖絶壁の海岸が拡がっている。岩場は切り立っていて歩きづらかった。足元が覚束ない亮太に手を貸してやりながら、現場に向かった。
その場所にきたのは、おれも亮太もはじめてだった。写真では見ていたが、実際にその場に立ってみると、打ち寄せる波の荒々しさに圧倒された。ちょうど台風が接近中で、外洋の烈しい高波が断崖絶壁に打ちつけ、轟音を響かせている。その迫力ある光景の前では、木製の柵はいかにも頼りなく見えた。
花束とケーキの箱、酒瓶を備えたが、この強風ではすぐに吹き飛ばされてしまうだろう。観光客の邪魔をしてもいけないし、持ち帰らなければならない。
並んで手を合わせ、立ち上がる。どちらもなかなか口を開かなかった。荒れ狂う海を前に、ただじっと立ち尽くしていた。
足を踏み出し、柵に手をかけ、体を伸ばす。高所恐怖症というわけではないが、鋭く切り立った崖を見下ろすと、全身が竦み上がる。
「風が強いな」
背後にいる亮太に話しかけたが、返事がない。振り返ると、いきなり正面から抱きつかれた。予想もしていなかった展開に、思わず絶句する。
「倫雄さんって……」
「え?」
密着したまま、亮太が呟く。おれは無様に両手を広げた姿勢で硬直していた。強風の平日午後に観光客の姿はほかになく、岬にはおれたちだけだった。
「……おれがなに?」
「身長、どのくらいですか?」
「身長?」
「お父さんとおなじくらいですかね」
「さあな。たぶん……」
脈絡のない質問に戸惑っていると、亮太がおれの腰に回した両腕に力をこめた。踵が浮き、亮太が抱きついたのではなく、おれの体を持ち上げようとしていることに気づいた。
「ぼくも父と体型はあまり変わりません」
体を離して、崖の向こうに視線を移す。
「持ち上げて崖を乗り越えるのは無理そうですね」
独白めいた口調で呟く。
「三條さんがおれの父親を殺したと思ったのか?」
意外な気がした。亮太は父親を愛し、尊敬しているものと思っていた。疑っているとは想像もしていなかった。
「そういうわけでは……」
白波を見つめたまま、亮太が口籠もる。
「ただの可能性です」
不安と戸惑いをたたえた横顔を見つめた。真相を知りたいのは亮太もおなじのはずだった。だから店を休んでまでおれの提案に合意した。
「父は気が弱くて、血や痛いのが苦手でした。年に一度の定期検診の採血も嫌がって、前の日の夜から憂鬱な顔をしていました」
父親の様子を思い出したのか、わずかに口元を緩める。
「肺がんのステージ4と診断されたとき、ものすごく動揺してました。がん診療がどんなものか、ネットや本で調べて、落ち込んで、怯えているように見えました。闘病は苦しいでしょうし、お金もかかるからと……」
柵に手を掛け、水平線を見つめる。
「父の性格からいって、極端な選択に向いてしまう可能性はゼロじゃないと思うんです。母が亡くなってからずっと情緒不安定だったし、店の経営もうまくいってなかった」
掠れた声は強風にかき消されそうで、すぐ隣にいたおれもかなり耳を澄ませなければ聞き取れないほどだった。
「でも父にそれほどの度胸があったかどうか……ひとりで死ぬのは勇気が必要だし、父にはハードルが高かったと思います」
パーカーの裾が風に翻され、髪が乱れて額やうなじに纏わりついた。眼球が揺れ、唇が震えた。
「追い詰められて、極限状態だったら、石黒さんを頼ったかもしれません。自分を殺してほしいと依頼したか、いっしょに死んでほしいとせがんだか……」
「ちがう」
柵の上の手に自分の手を重ね、いった。
「おれは親父を知ってる。他人のいいなりになる男じゃないし、感情に流されることもない。心中したとしたら、おまえの親じゃなくておれの親がいい出したことだと思う。間違いない。絶対そうだ」
父は常に主導権を握りたがり、他人の指示を受けることを嫌悪していた。しかし、確証はない。ここへくるまでの道のりで、父に抱く印象に揺らぎが生じていた。
「もし、おまえがいうように、三條さんの提案だったとしても、おまえが気にする必要はない。親父は立派な大人だし、無理強いされたわけでもない。親父が自ら選んだ道で、おまえにも三條さんにも責任はない」
無意識に亮太の手を強く握っていた。亮太は驚いたように目を見開き、おれを見つめていた。
「あの……」
わずかに鼻梁に皺を刻んで、いった。
「ごめんなさい、えっと……すこし痛いかも」
「あ……」
慌てて手を離す。無意識に力をこめてしまっていたようだ。
「悪い。だいじょうぶか」
「はい」
頷いて、指で乱れた髪を押さえる。
「本当にごめん。つい力が……」
「だいじょうぶですから。すこし驚いただけで……」
すこし笑って、いった。
「ほんと、驚きました。やさしいんですね」
「だれが?」
「倫雄さんです」
潮風を受け、にっこり微笑む。
「ぼくが引け目を感じないように気を遣ってくれたんですよね?」
「いや、べつに……」
見つめられると、なぜか緊張して、呼吸がくるしくなった。目を逸らすと、観光客の集団がこちらへ向かってくるのが見えた。派手な服装の若者たちで、強風に晒され、はしゃぎ声を上げている。
「行こうか」
「はい」
亮太は海に背を向け、もう一度振り返った。水平線に向かってなにか呟いたが、唇が動くのが見えただけで、なにも聞き取れなかった。
旅の目的が目的なだけに、亮太は終始緊張気味だったが、美しいエメラルドブルーの海を目にしたときには感動で瞳を潤ませた。夕食ではじーまーみ豆腐やうむくじ天ぷらといったメニューを珍しげに眺め、ひとつひとつ味わって食べていた。
石垣島で一泊してから、翌朝のフェリーで波照間島へ。石垣では高級ヴィラに泊まったが、波照間にはリゾートホテルはない。小さなコテージに荷物を運びこみ、レンタカーで海に向かった。
ふたりが身を投げたのは島の南東部に位置する高那崎の崖だった。琉球石灰岩が侵食してできた岬で、断崖絶壁の海岸が拡がっている。岩場は切り立っていて歩きづらかった。足元が覚束ない亮太に手を貸してやりながら、現場に向かった。
その場所にきたのは、おれも亮太もはじめてだった。写真では見ていたが、実際にその場に立ってみると、打ち寄せる波の荒々しさに圧倒された。ちょうど台風が接近中で、外洋の烈しい高波が断崖絶壁に打ちつけ、轟音を響かせている。その迫力ある光景の前では、木製の柵はいかにも頼りなく見えた。
花束とケーキの箱、酒瓶を備えたが、この強風ではすぐに吹き飛ばされてしまうだろう。観光客の邪魔をしてもいけないし、持ち帰らなければならない。
並んで手を合わせ、立ち上がる。どちらもなかなか口を開かなかった。荒れ狂う海を前に、ただじっと立ち尽くしていた。
足を踏み出し、柵に手をかけ、体を伸ばす。高所恐怖症というわけではないが、鋭く切り立った崖を見下ろすと、全身が竦み上がる。
「風が強いな」
背後にいる亮太に話しかけたが、返事がない。振り返ると、いきなり正面から抱きつかれた。予想もしていなかった展開に、思わず絶句する。
「倫雄さんって……」
「え?」
密着したまま、亮太が呟く。おれは無様に両手を広げた姿勢で硬直していた。強風の平日午後に観光客の姿はほかになく、岬にはおれたちだけだった。
「……おれがなに?」
「身長、どのくらいですか?」
「身長?」
「お父さんとおなじくらいですかね」
「さあな。たぶん……」
脈絡のない質問に戸惑っていると、亮太がおれの腰に回した両腕に力をこめた。踵が浮き、亮太が抱きついたのではなく、おれの体を持ち上げようとしていることに気づいた。
「ぼくも父と体型はあまり変わりません」
体を離して、崖の向こうに視線を移す。
「持ち上げて崖を乗り越えるのは無理そうですね」
独白めいた口調で呟く。
「三條さんがおれの父親を殺したと思ったのか?」
意外な気がした。亮太は父親を愛し、尊敬しているものと思っていた。疑っているとは想像もしていなかった。
「そういうわけでは……」
白波を見つめたまま、亮太が口籠もる。
「ただの可能性です」
不安と戸惑いをたたえた横顔を見つめた。真相を知りたいのは亮太もおなじのはずだった。だから店を休んでまでおれの提案に合意した。
「父は気が弱くて、血や痛いのが苦手でした。年に一度の定期検診の採血も嫌がって、前の日の夜から憂鬱な顔をしていました」
父親の様子を思い出したのか、わずかに口元を緩める。
「肺がんのステージ4と診断されたとき、ものすごく動揺してました。がん診療がどんなものか、ネットや本で調べて、落ち込んで、怯えているように見えました。闘病は苦しいでしょうし、お金もかかるからと……」
柵に手を掛け、水平線を見つめる。
「父の性格からいって、極端な選択に向いてしまう可能性はゼロじゃないと思うんです。母が亡くなってからずっと情緒不安定だったし、店の経営もうまくいってなかった」
掠れた声は強風にかき消されそうで、すぐ隣にいたおれもかなり耳を澄ませなければ聞き取れないほどだった。
「でも父にそれほどの度胸があったかどうか……ひとりで死ぬのは勇気が必要だし、父にはハードルが高かったと思います」
パーカーの裾が風に翻され、髪が乱れて額やうなじに纏わりついた。眼球が揺れ、唇が震えた。
「追い詰められて、極限状態だったら、石黒さんを頼ったかもしれません。自分を殺してほしいと依頼したか、いっしょに死んでほしいとせがんだか……」
「ちがう」
柵の上の手に自分の手を重ね、いった。
「おれは親父を知ってる。他人のいいなりになる男じゃないし、感情に流されることもない。心中したとしたら、おまえの親じゃなくておれの親がいい出したことだと思う。間違いない。絶対そうだ」
父は常に主導権を握りたがり、他人の指示を受けることを嫌悪していた。しかし、確証はない。ここへくるまでの道のりで、父に抱く印象に揺らぎが生じていた。
「もし、おまえがいうように、三條さんの提案だったとしても、おまえが気にする必要はない。親父は立派な大人だし、無理強いされたわけでもない。親父が自ら選んだ道で、おまえにも三條さんにも責任はない」
無意識に亮太の手を強く握っていた。亮太は驚いたように目を見開き、おれを見つめていた。
「あの……」
わずかに鼻梁に皺を刻んで、いった。
「ごめんなさい、えっと……すこし痛いかも」
「あ……」
慌てて手を離す。無意識に力をこめてしまっていたようだ。
「悪い。だいじょうぶか」
「はい」
頷いて、指で乱れた髪を押さえる。
「本当にごめん。つい力が……」
「だいじょうぶですから。すこし驚いただけで……」
すこし笑って、いった。
「ほんと、驚きました。やさしいんですね」
「だれが?」
「倫雄さんです」
潮風を受け、にっこり微笑む。
「ぼくが引け目を感じないように気を遣ってくれたんですよね?」
「いや、べつに……」
見つめられると、なぜか緊張して、呼吸がくるしくなった。目を逸らすと、観光客の集団がこちらへ向かってくるのが見えた。派手な服装の若者たちで、強風に晒され、はしゃぎ声を上げている。
「行こうか」
「はい」
亮太は海に背を向け、もう一度振り返った。水平線に向かってなにか呟いたが、唇が動くのが見えただけで、なにも聞き取れなかった。



