「これ、うまいな」
無花果とリンゴ、柿のコンポートが盛られたタルトは、ほのかに甘いカスタードクリームと果物の酸味が絶妙に融合していた。
「よかった」
向かいに座った亮太がはにかむ。
「うれしい」
ぽつりと呟く。噛みしめるようにいった。
「父が遺してくれたレシピなんです」
要町の住宅街に埋もれた小さな洋菓子店。もともとは亮太の父である三條隆一が出した店で、亮太は父親を手伝っていたに過ぎない。しかし、去年の秋に父親が急死したことによって、店を引き継ぐことになった。専門学校を出たばかりで、実務経験は浅く、経営の知識も持たなかったが、真面目な仕事ぶりとていねいな技術で、顧客を繋げ、新規客も獲得していた。
「そろそろ仕事も落ち着くから、また顔出すよ」
亮太がぎこちない笑顔を見せる。
「迷惑か?」
「いえ……」
顔を伏せ、口を噤む。表情が翳り、疲労の色が濃くなる。
「うちのことは気にしなくていい。母もそのうちあきらめる」
亮太は頷いたが、おれの気休めをすこしも本気にしていないのはあきらかだった。
おれの父と亮太の父が同時期に世を去ったのは偶然ではない。町のケーキ屋と悪徳不動産業者というまるで異なる世界に生きるおれたちがこうしておなじテーブルについているのも。
新しいコーヒーに口をつける。1杯目とは微妙に風味が異なる。フルーツタルトの甘みに合わせて豆か抽出方法のどちらかを変えたのだろう。こまやかな気配りに感嘆した。
ちょうど1年前、亮太の父三條隆一とおれの父石黒美津夫は、沖縄の離島波照間島で、崖から身を投げて死んだ。当初は事故だと思われたが、三條亮太が石黒美津夫を父親の恋人だった事実をあきらかにし、ふたりが宿泊したコテージのオーナーやフェリーの船員らも睦まじい様子を証言したことから、心中ということで決着した。
三條が末期がんを患い闘病中だったことから、無理心中も疑われたが、その可能性はすぐに否定された。格闘技経験者で体格もよかった石黒と較べ、三條は170センチそこそこと小柄で、病気の影響もあり痩せ細っていた。石黒を抱えて柵を乗り越え、崖から転落させることが可能だとは思えなかった。さらに、航空券やコテージを予約したのは石黒だったことから、同意のうえでの心中という判断が妥当とされた。
当然、美津夫の妻でおれの母親の房子は激怒した。夫とは長く不仲であり、自身も複数の愛人を持っていたが、同性に寝取られたうえに心中とあっては、黙っていられなかったのだろう。警察の捜査に異議を唱え、弁護士を雇って心中相手を調べさせたが、結果は変わらなかった。
「お母様はご存知なんですか」
「なにを」
「倫雄さんがここにきてること」
母親の逆鱗に触れたのは、心中という事実だけではない。石黒美津夫は恋人の息子である三條亮太に遺産の全額を相続させるという内容の遺言書を遺していた。本人直筆で弁護士が作成した正式な遺言書だ。遺留分侵害額請求権を行使し、家族にも一部相続が認められたが、母が納得する額ではなかった。
「もちろん知ってる」
半分嘘で、半分は事実だった。おれがこの店にくる理由について、母は三條亮太の身辺調査のためだと思い込んでいる。仕事柄、秘密を長く保持するためには、事実を覆い隠すのではなく、内容を繕うほうが効果的だと知っていた。
三條亮太の妻はすでに亡くなっており、家族は息子の亮太だけだった。おれの母が訴訟を起こしたため、家庭裁判所での遺産分割調停がはじまっていた。同時に、亮太に対して慰謝料を請求するつもりのようだが、当事者でもない亮太に親の不貞の責任を問うことは難しいだろう。洋菓子店は個人経営で、法人化していなかったから、社会的制裁を加えることもできない。
不動産王と謳われたワンマン社長による同性を相手にした不倫の末の心中は裁判沙汰にまで発展し、マスコミにも面白おかしく書き立てられていた。世間の好奇の目に晒され、自尊心を傷つけられた母の神経は尖っていくいっぽうだった。
亮太が雇った代理人がどんな奴かは知らないが、母の私設弁護団とは経歴も実力も比較にならないだろう。ただでさえ慣れない店舗経営で四苦八苦している亮太が疲弊するのも当然だった。
「ケーキ、まだあるのか」
フルーツタルトを食べ終わると、いった。
「ありますけど……」
「全部もらう。テイクアウトにしてくれ」
「全部ですか」
「そういったろ」
つい、仕事でつかうような冷たい口ぶりになってしまった。おれは父親の生き写しだと、葬儀で会った親戚は口を揃えた。父の身勝手で強引な性格から身内とは疎遠になっており、叔父や叔母とはほぼ初対面に近かった。彼らは男との不貞行為に溺れて自死した父を恥じており、家族を失った悲しみよりも世間体や遺産の行方のほうに関心を示していた。
「無理なさらないで」
冷めた紅茶に視線を落とし、亮太はいった。
「甘いものはお嫌いでしょう」
「そんなことはない」
即座に否定したが、亮太は信じていないようだった。
「倫雄さんは……」
躊躇するように視線を揺らして、亮太はいった。
「どうしてここにきてるんですか」
「前にもいっただろ。親父のことを知りたいんだよ」
おれがなぜここへくるのか。以前にも尋ねられたことがある。おなじように答えたが、信じたかどうかはわからない。通うにつれて、すこしずつ態度が軟化してきてはいたが、警戒心が完全に解けてはいないのかもしれない。
「おれが知らなかった父親を知りたい」
自分自身にも確かめるように、もう一度いった。
「きみもだろ」
亮太が表情を硬くする。テーブルのうえで指を組み、神経質に指先を動かしている。
亮太の証言によると、石黒美津夫は毎日のようにこの店へ通い、半年ほどかけて三條隆一を口説き落としたのだという。石黒は常に礼儀正しく、亮太や店のスタッフにも親切に接していたという。スタッフの女性もおなじことをいった。単なるバイトの彼女には嘘をつく理由もなく、口裏を合わせるとは思えないから、事実だろう。
俄には信じがたかった。ある意味では男色の事実よりも意外だった。父は傲慢で利己的な男だ。他人を尊重し、機嫌を取り、振り向かせようと努力するなど、想像することさえ難しかった。おれが知る父はほしいものは必ず手に入れてきたし、その手法にこだわることはなかった。大金を積んでいうことを聞かせたか、無理矢理手籠めにしたかのどちらかといわれるほうが容易に納得できただろう。
「亮太くん」
声をかける。考えに耽っていたようで、すぐには反応しなかった。
「亮太」
二度目でようやく顔を上げた。
「ごめんなさい。聞いてませんでした」
「まだなにもいってないよ」
張り詰めた状況にもかかわらず、思わず笑ってしまう。自営業で菓子をつくる生活のせいか、独特のペースを持っていて、自然と場を和ませる穏やかな空気も纏っている。おれの周囲には両親も含めてタイムパフォーマンスを重視する輩ばかりだ。魑魅魍魎が跋扈する世界で生きてきたおれにとって、ここで過ごす静かな時間は新鮮だった。父親もおなじことを感じたのかもしれない。
「提案がある」
「提案?」
亮太がおれを見る。この日、視線が正面から合ったのははじめてだった。コーヒーカップを置いて、おれはいった。
「旅行に行こう」
無花果とリンゴ、柿のコンポートが盛られたタルトは、ほのかに甘いカスタードクリームと果物の酸味が絶妙に融合していた。
「よかった」
向かいに座った亮太がはにかむ。
「うれしい」
ぽつりと呟く。噛みしめるようにいった。
「父が遺してくれたレシピなんです」
要町の住宅街に埋もれた小さな洋菓子店。もともとは亮太の父である三條隆一が出した店で、亮太は父親を手伝っていたに過ぎない。しかし、去年の秋に父親が急死したことによって、店を引き継ぐことになった。専門学校を出たばかりで、実務経験は浅く、経営の知識も持たなかったが、真面目な仕事ぶりとていねいな技術で、顧客を繋げ、新規客も獲得していた。
「そろそろ仕事も落ち着くから、また顔出すよ」
亮太がぎこちない笑顔を見せる。
「迷惑か?」
「いえ……」
顔を伏せ、口を噤む。表情が翳り、疲労の色が濃くなる。
「うちのことは気にしなくていい。母もそのうちあきらめる」
亮太は頷いたが、おれの気休めをすこしも本気にしていないのはあきらかだった。
おれの父と亮太の父が同時期に世を去ったのは偶然ではない。町のケーキ屋と悪徳不動産業者というまるで異なる世界に生きるおれたちがこうしておなじテーブルについているのも。
新しいコーヒーに口をつける。1杯目とは微妙に風味が異なる。フルーツタルトの甘みに合わせて豆か抽出方法のどちらかを変えたのだろう。こまやかな気配りに感嘆した。
ちょうど1年前、亮太の父三條隆一とおれの父石黒美津夫は、沖縄の離島波照間島で、崖から身を投げて死んだ。当初は事故だと思われたが、三條亮太が石黒美津夫を父親の恋人だった事実をあきらかにし、ふたりが宿泊したコテージのオーナーやフェリーの船員らも睦まじい様子を証言したことから、心中ということで決着した。
三條が末期がんを患い闘病中だったことから、無理心中も疑われたが、その可能性はすぐに否定された。格闘技経験者で体格もよかった石黒と較べ、三條は170センチそこそこと小柄で、病気の影響もあり痩せ細っていた。石黒を抱えて柵を乗り越え、崖から転落させることが可能だとは思えなかった。さらに、航空券やコテージを予約したのは石黒だったことから、同意のうえでの心中という判断が妥当とされた。
当然、美津夫の妻でおれの母親の房子は激怒した。夫とは長く不仲であり、自身も複数の愛人を持っていたが、同性に寝取られたうえに心中とあっては、黙っていられなかったのだろう。警察の捜査に異議を唱え、弁護士を雇って心中相手を調べさせたが、結果は変わらなかった。
「お母様はご存知なんですか」
「なにを」
「倫雄さんがここにきてること」
母親の逆鱗に触れたのは、心中という事実だけではない。石黒美津夫は恋人の息子である三條亮太に遺産の全額を相続させるという内容の遺言書を遺していた。本人直筆で弁護士が作成した正式な遺言書だ。遺留分侵害額請求権を行使し、家族にも一部相続が認められたが、母が納得する額ではなかった。
「もちろん知ってる」
半分嘘で、半分は事実だった。おれがこの店にくる理由について、母は三條亮太の身辺調査のためだと思い込んでいる。仕事柄、秘密を長く保持するためには、事実を覆い隠すのではなく、内容を繕うほうが効果的だと知っていた。
三條亮太の妻はすでに亡くなっており、家族は息子の亮太だけだった。おれの母が訴訟を起こしたため、家庭裁判所での遺産分割調停がはじまっていた。同時に、亮太に対して慰謝料を請求するつもりのようだが、当事者でもない亮太に親の不貞の責任を問うことは難しいだろう。洋菓子店は個人経営で、法人化していなかったから、社会的制裁を加えることもできない。
不動産王と謳われたワンマン社長による同性を相手にした不倫の末の心中は裁判沙汰にまで発展し、マスコミにも面白おかしく書き立てられていた。世間の好奇の目に晒され、自尊心を傷つけられた母の神経は尖っていくいっぽうだった。
亮太が雇った代理人がどんな奴かは知らないが、母の私設弁護団とは経歴も実力も比較にならないだろう。ただでさえ慣れない店舗経営で四苦八苦している亮太が疲弊するのも当然だった。
「ケーキ、まだあるのか」
フルーツタルトを食べ終わると、いった。
「ありますけど……」
「全部もらう。テイクアウトにしてくれ」
「全部ですか」
「そういったろ」
つい、仕事でつかうような冷たい口ぶりになってしまった。おれは父親の生き写しだと、葬儀で会った親戚は口を揃えた。父の身勝手で強引な性格から身内とは疎遠になっており、叔父や叔母とはほぼ初対面に近かった。彼らは男との不貞行為に溺れて自死した父を恥じており、家族を失った悲しみよりも世間体や遺産の行方のほうに関心を示していた。
「無理なさらないで」
冷めた紅茶に視線を落とし、亮太はいった。
「甘いものはお嫌いでしょう」
「そんなことはない」
即座に否定したが、亮太は信じていないようだった。
「倫雄さんは……」
躊躇するように視線を揺らして、亮太はいった。
「どうしてここにきてるんですか」
「前にもいっただろ。親父のことを知りたいんだよ」
おれがなぜここへくるのか。以前にも尋ねられたことがある。おなじように答えたが、信じたかどうかはわからない。通うにつれて、すこしずつ態度が軟化してきてはいたが、警戒心が完全に解けてはいないのかもしれない。
「おれが知らなかった父親を知りたい」
自分自身にも確かめるように、もう一度いった。
「きみもだろ」
亮太が表情を硬くする。テーブルのうえで指を組み、神経質に指先を動かしている。
亮太の証言によると、石黒美津夫は毎日のようにこの店へ通い、半年ほどかけて三條隆一を口説き落としたのだという。石黒は常に礼儀正しく、亮太や店のスタッフにも親切に接していたという。スタッフの女性もおなじことをいった。単なるバイトの彼女には嘘をつく理由もなく、口裏を合わせるとは思えないから、事実だろう。
俄には信じがたかった。ある意味では男色の事実よりも意外だった。父は傲慢で利己的な男だ。他人を尊重し、機嫌を取り、振り向かせようと努力するなど、想像することさえ難しかった。おれが知る父はほしいものは必ず手に入れてきたし、その手法にこだわることはなかった。大金を積んでいうことを聞かせたか、無理矢理手籠めにしたかのどちらかといわれるほうが容易に納得できただろう。
「亮太くん」
声をかける。考えに耽っていたようで、すぐには反応しなかった。
「亮太」
二度目でようやく顔を上げた。
「ごめんなさい。聞いてませんでした」
「まだなにもいってないよ」
張り詰めた状況にもかかわらず、思わず笑ってしまう。自営業で菓子をつくる生活のせいか、独特のペースを持っていて、自然と場を和ませる穏やかな空気も纏っている。おれの周囲には両親も含めてタイムパフォーマンスを重視する輩ばかりだ。魑魅魍魎が跋扈する世界で生きてきたおれにとって、ここで過ごす静かな時間は新鮮だった。父親もおなじことを感じたのかもしれない。
「提案がある」
「提案?」
亮太がおれを見る。この日、視線が正面から合ったのははじめてだった。コーヒーカップを置いて、おれはいった。
「旅行に行こう」



