HAIMURUBUSHI

「沖縄に行く前に、父にいわれたんです。迷惑かけて申し訳ない、でももう終わる、解決するからって。そのときは、遺産のことは全然知りませんでした。本当です」
 泣きじゃくりながら、何度も繰り返す。背中を丸め、うなだれて、いった。
「ぼくがいけなかったんです。父の考えにもっと早く気づいていたら、もっと強くふたりの関係に反対していたら……」
 細かく震える肩をつかみ、体を引き寄せて腕のなかに抱き込んだ。
「おまえのせいじゃない」
 嗚咽を漏らす亮太をこれ以上黙って見ていられなかった。華奢な体を抱く腕に力を込め、いった。
「おまえはなにも悪くない。おれの親父もおまえの親父も大人だった。自分で決めたんだ。おまえが責任感じる必要ない」
 亮太が首を横に振った。汗でわずかに湿った髪が顎を擽り、亮太の体臭が鼻腔を掠めた。
「石黒さんの父に対する気持ちは本物でした」
 声を震わせながら、亮太はいった。
「一度、父が買い出しでいないときに、石黒さんが店にきて、ぼくとふたりだけのときに話してたんです。石黒さんは、男性に魅力を感じることをずっと自覚していたのに、だれにもいえずに、自分でも認めることができなくて、本当の自分に蓋をして生きてきたんだそうです。父と出会って、はじめて心からひとを好きになれたって、人生が変わったって、嬉しそうに笑ってました」
 閉鎖的な田舎で多感な時代を過ごした少年。生き馬の目を抜く業界で生き残り、這い上がっていくなかで、だれにも弱みを見せられず、偽りの人生を生きてきた男。石黒美津夫もまた、不器用で、哀しい人間だったのかもしれない。長年燻り続けてきた父への劣等感と憎悪がすこしずつ消えていき、虚しい同情に変わっていた。
「ぼくには石黒さんの気持ちがわかるような気がしました。ぼくも、昔から、好きになるひとにはいつも彼女がいるか、好きなのは絶対に女性だったし、両親にもカミングアウトできなかった。勇気がなかったんです。父も母も、けっきょく最後まで知らないままで、いつかぼくが結婚して孫の顔を見るのを楽しみに……」
 言葉はぎこちなく途切れ、泣き声に変わった。子どものように泣きじゃくる亮太を、おれはただ抱きしめることしかできずにいた。
「石黒さんは純粋に父に恋していました。そんな石黒さんの気持ちを、父は利用したんです」
 おれのシャツを濡らしながら、亮太はいった。
「父は石黒さんのことをすこしも好きじゃなかった。石黒さんと沖縄に行ったのは、お金のためです。うちには財産もないし、父がひとりで死んでも債務が残るだけ。石黒さんの遺産があれば、借金を全額返済できて、店も建て直せます。父が愛していたのは亡くなった母だけで、大事にしていたのは家族とお店だけ。石黒さんや石黒さんの家族のことは、父にとってはどうでもよかったんです。わかっていたのに、なにもいえなかった。石黒さんがかわいそうだったし、病気で弱っていく父に強く意見することもできなかった」
 亮太がおれのスーツをつかむ。思わずはっとするほど強い力だった。
「ごめんなさい。全部ぼくのせいなんです。倫雄さん、ごめんなさい。本当にごめんなさい……」
「謝るな。おまえは悪くない」
 もう一度繰り返したが、亮太は首を振るばかりだった。
「遺産のことを知ったとき、正直に話して辞退するべきでした。でも、父がどんな思いであの岬から飛び降りたのか……父の気持ちを考えたら、母との思い出が詰まったお店を閉めることはどうしてもできなかった。遺産を受け取ることが、父の最後の望みだと思ったんです」
 背中を震わせ、うなだれて、呟く。
「けっきょくはお金のためなんです。遺産を手に入れるために、ぼくは倫雄さんも利用しようとした」
 涙で何度もつっかえながら、亮太は必死に言葉をつないでいた。
「波照間に行ったとき、ぼくは、ふたりの死が父のせいじゃないことを強調しようとしていました。石黒さんに責任をなすりつけて、遺産をもらうことを認めさせようとした。あなたが真実に近づくのが怖くて、本当のことを知られないように、誤魔化そうとしたんです」
 そんなふうに感じたことはなかった。あの旅の間、おれは亮太とふたりだけの時間を心地よく感じ、彼をいとおしく感じていた。亮太の心の内の葛藤にはまるで気づいていなかった。つくづく間抜けだ。
「倫雄さんがうちの店にくるのも、旅行に誘ってきたのも、ぼくに相続放棄させるためだと思ってたんです。だから、倫雄さんも、あの事件をぼくの父のせいにすると思った。でも、そうじゃなかった。倫雄さんは、父のことを庇って、ぼくを慰めてくれた。旅行の間ずっと、荷物を持ってくれたり、お菓子を買ってくれたり、ぼくに気を遣って、やさしくしてくれて……」
「同情か?」
 気づくと言葉が零れていた。
「罪悪感で抱かせたのか?」
「ちがいます!」
 亮太が顔を上げる。はじめて視線がぶつかった。涙を滲ませた瞳がおれを見つめる。その眼差しを見たとたん、たまらない気持ちになった。
「同情なんて……むしろ、倫雄さんのやさしさにつけこんだんです。お酒飲んでるのをいいことに……」
「酔った勢いだと思ってたのか?」
 亮太の眼に戸惑いが滲む。ため息を呑みこみ、いった。
「おれは完全に正気だった。おまえを抱いたのは抱きたかったからだ。あのとき、おれはおまえをかわいく思ってた。守ってやりたいと……」