第二話
物音で目を覚ます。時計を見ると午前七時を指していた。起き上がって音の方向を確認すると台所からヒダカが出てくる。Tシャツに短パンと寝巻きのままの姿だった。
「おはようございます」
「……おはようございます」
ばつが悪そうな顔で返事をするも背中を向けてしまう。そしてそのまま言葉を続けた。
「台所、勝手に借りました……朝食食べます、か」
「ありがとうございます。是非」
ヒダカは小さく頷くと台所に戻る。しばらくコンロをつける音や食器を動かす音がしたかと思えば、盆に乗せて食事を持ってきた。
「どうぞ……と言っても味噌汁はアサガオさんが作ってくれたものですけど」
テーブルの上には昨日の味噌汁に加えて玉子焼きとおにぎりが並べられていた。
「理想的な朝食です」
「……何言っているんだ。冷める前に食べてくれ」
ヒダカは再びそっぽを向く。促されるままおにぎりに手を伸ばし一口頬張るとおかか味だった。
「鰹節なんて家にありましたっけ」
「棚にあったからそれを使わせてもらった」
確かに使い切り用の削り節はあったが味などついていない。
「ヒダカさんが味付けされたって事ですか。すごく美味しいです」
「……ふん」
「玉子焼きは甘め派なんですね。こちらもご飯に合います」
「……それは良かった」
どうやらこの人は褒められると鼻を鳴らすらしい。照れ隠しなのだろうが指摘したら不機嫌になりそうなので口には出さないでおいた。しばらく食事をしていると不意にヒダカが口を開く。
「昨日の件、あれで良かったのか」
「昨夜の事ですか?でしたら履行済みと話したはずです」
「聞いてはいる。でもあんな中途半端で良い訳ないだろう……その、満足させられてない」
「無理強い嫌いなんです、私」
変な気を負い始めているので強制的に止める。
「私は優位な立場である事を理解している。だからこそヒダカさんに無理をさせたくない」
「無理じゃないさ」
「痛みに堪えていたでしょう」
図星なのかヒダカは動きを止める。
「私はヒダカさんの事が好きです。だから一緒に良くなって欲しいです」
「ちょ、お前、そういうの簡単に言うな。よく考えてから話せ」
「考えて話しています」
ヒダカの慌てようを他所に告げる。互いに良くなりたいと思って何が悪いのか。真っ直ぐ見つめると彼は背を向けてしまう。
「……アサガオさんって少し変わっているよな」
「よく言われます」
「言われ慣れていたか」
ヒダカは小さく笑う。そしてしばらくすると思い出したように振り返った。
「そういえば食費っていつ渡したらいい」
「いつでもいいですよ。正確な金額が必要なら一カ月分まとめてから出すのもアリですが」
「……契約書に同意はしたけど食費は俺が全額出すよ」
「おや、今更何を」
「家賃も光熱費も持ってもらっているのに、更に食費も半分持ってもらうなんて頼り過ぎだと思ってさ」
「それ以上のお代は頂いているつもりですが」
ヒダカは頬を赤くする。分かりやすい男だ。
「ともかく食費は出す。それくらいならどうにかなる」
「無理をされても困ります」
「無理じゃない」
「どうでしょう。削れない支出が他にもあるんじゃないですか」
鎌をかけてみた。劇団の運営費用がどれ程のものか知らないが、彼自身に対する支出が少な過ぎる。稼ぎが極端に悪い訳でも、金遣いが荒い訳でもないのにヒダカは金を持っていない。何か他の支出があってもおかしくはない。しかし出てきた答えは予想外のものだった。
「……養育費がある」
「お子さんがいるんですか」
「日和って名前だ。これだけは削れない」
一緒に暮らしている様子はない。つまり親権は彼ではなく相手側が持っているのだろう。そしてこれ以上聞くほど野暮ではない。
「分かりました。では食費は折半のままにしましょう」
「そういうつもりで言ったんじゃない」
「日和さんのために貯めておいてください。その方が私も嬉しいです」
「だからそうじゃない」
「さて、そろそろ食器を片づけますか。今日は私が洗います」
「おい」
ヒダカの言及から逃れるように台所に向かう。彼は話を聞けと文句を垂れていたがしばらくしたら諦めたらしい。そして昨日洗った皿を棚にしまいながら話しかけてきた。
「アサガオさん、聞いてもいいか」
「どうぞ」
「アサガオさんは一人暮らしなのか」
「見た通りですが」
「家族はいるのか」
「父母は天寿を全うしているのでいませんが、親戚ならいますよ」
「……ごめん」
「謝らないでください。十分すぎるほど長生きしていた二人なので」
「そうか。ところでその……いい人はいないのか」
なんだ、その年頃の娘に尋ねる親のような質問は。
「ヒダカさんとお答えすればいいですか」
「やっぱりいい。聞いた俺が馬鹿だった」
「私の答えになんの問題があるんですか」
「だからもういいって」
ヒダカは布巾を持ってテーブルを拭きに行く。少々むくれた顔に見えたのは気のせいだろうか。
「ところで今日はこれから合わせがあるんだ。帰りは夕方になるけど何か必要な物はあるか」
「特に無いですけど、そういえばどのような劇を公演されるんですか」
「朗読劇だよ。有名な小説とか読みあげるやつ」
「ヒダカさんは鍛えられているのでてっきり身体を使う舞台なのかと思っていました」
「昔は普通の公演もしていた。でもコストが最小限で済むからさ」
ヒダカは気分を悪くする様子もなく話を続ける。
「そういえばアサガオさんっていつ働いているんだ?もしも鉢合わせない方がいい時間があるならずらして帰るけど」
「自由業ですからね。別に気にしないで頂いて結構です」
そこまで話して一つだけ思い出した事があるので付け加える。
「水曜日の午後十一時以降だけは気をつけて頂いて良いですか。その日に配信を入れている事が多いんです」
「確かポッドキャスト配信しているって話していたな。生放送なのか」
「正確には生配信後、ポッドキャストに残しているという感じですね。アーカイブも残しているので良ければどうぞ」
「時間がある時に聞かせてもらうよ。行ってきます」
話しながら身支度を整えたヒダカはそのまま出かけて行った。
「……好ましい」
一人になった部屋で呟く。なんと前向きで諦めが悪い男なのだろう。何故ここまでツボをついてくるのか。再び気分が浮つきそうだったので原稿を執筆する事にした。

