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数日後、ヒダカは慌てた様子で帰ってきた。原稿を執筆中だったので顔だけ玄関に向ける。
「どうしたんですか」
尋ねても荒い息をつくだけだ。声を出そうとしているようだがうまく発声できないらしい。何度か深呼吸をしてようやく落ち着いたようだ。
「書類審査、通過した……!」
「え、あ」
思わずバックスペースキーを押し、書いた一文を消してしまう。それより彼の話が気になってしまった。
「おめでとうございます。でも早くないですか」
「もともと急募だったしな。形式上紙の書類が必要だから郵送したけど、メールでも送っていたんだ。明後日対面での面談と実技試験だ」
「ああ、なるほど」
確かにフルデジタルの会社もあれば従来の紙を重視する会社もある。今は両方で情報を提出する時代なのだろう。
「その面接が通れば晴れて出演できるということですか」
「正直そこからが本番だけどな。でも嬉しい。アサガオさんのおかげだ」
笑顔で礼を言われると内心浮ついてしまい表情に出てしまいそうになる。
「ヒダカさんの実力ですよ。明後日は赤飯でも炊きましょうか」
「気が早いよ」
「善は急げと言うでしょう」
「はは」
正直彼は笑っていてくれた方が嬉しい。素直に感情を表現するし、相手を気遣う姿勢もある。そんな彼の魅力に気づけない面接官は人を見る目がない。
「ではヒダカさんは体調管理に気を付けてください。目にものを見せつけてやりましょう」
「アサガオさん、なんか血気盛んだな」
それから二日後、ヒダカの面接の日になった。彼は朝からそわそわとして、時折ピアスをいじっている。
「緊張されていますか」
「そりゃな」
「ヒダカさんなら平気ですよ」
「……そっか。そうだな」
彼は一度目を丸くしたが、気を取り直したのか背筋を伸ばす。
「じゃあ行ってきます」
「いってらっしゃい」
ヒダカの背中を見送る。ほぼ毎日同じことをしているのに毎回体温が上がってしまう。もしかしたら平熱も上がっているのではないだろうか。
今日は久々に編集との打ち合わせがあったのでこちらも出かける準備をする。
目的地の喫茶店に辿り着くと既に編集が座っていた。対面の席に座ると図ったようにアイスコーヒーを出される。
「菅野さん、こんにちは。調子はどうですか」
「普通です」
「絶好調じゃないですか。最近の仕事量とんでもないですよ」
「そうでしたか?」
「ええ、今までも数をこなして頂いていましたけどここ数ヶ月は比じゃないくらいです。何か変化があったんですか?」
ヒダカに少々引かれていたが、本当に仕事量が増えていたのか。気が付かなかった。
「同居人ができました」
「ええ、もしかして彼女さんですか」
「いえ、男性です。いわばシェアハウスです」
「へえ珍しい。菅野さんってあんまり他人を寄せ付けない雰囲気がありました」
対してこの編集はずかずかと踏み込んでくるが仕事はできる方だ。
「でも同居人ができたらむしろ集中できなくて執筆遅れちゃいそうですけど」
「そこは逆に集中できていますね。彼は生活リズムが良くできているので合わせていたらいつの間にか執筆速度が上がっていたようです」
「おお、朝型人間ですか。菅野さん名前は朝型なのに生活リズムは夜型でしたもんね」
本当にずかずかと踏み込んでくる奴だ。ただ妙に憎めないところがある。
「ところで同居人の方って何されているんですか。会社員?小説家?」
「なんでその二択なんですか。俳優です。正確には志望ですけど」
「夢を追う男、いいじゃないですか!かっこいい」
彼を褒められるとこちらも嬉しくなってしまう。
「どんなドラマに出演されているんですか」
「彼は今まで舞台に出演していたので、テレビではないです」
「ああ残念。そっちの知識はあまりないんですよね。最近は二・五次元ミュージカルなんてものも出てきましたけど知っている作品じゃないとなかなか観劇しないんです」
それはだいぶ詳しい方ではないか?とも思うが口に出さないでおいた。
「ところで次の原稿なんですけど、どうしましょうか。いつも通りオカルト記事を書いていただくのもいいんですけど、せっかくだったら別の趣向もいいんじゃないかと編集長から提案がありまして」
「別とは」
「一言でいうならエッセイです。ご自覚があるか分かりませんが菅野さんってラジオも配信しているから結構人気高いんですよ。外見は非公表だからミステリアスさも相まっているんですかね」
「オカルトからだいぶ離れましたが」
「一応オカルト要素は残しておこうと思います。面白い記事を書くオカルトライターは普段こんなことを考えている、みたいな感じですね。でも実際は普段の食事や、こんなことを考えているといったことを書いていただければいいです」
編集のアイスコーヒーは全く減っていないがあれだけ喋って喉は乾かないのだろうかと考えてしまう。
「そこで参考に何ですけど、昨日の夜何食べました?」
「カレーです。同居人が作ってくれました」
「夕食は当番制なんですか」
「締切が何本か重なっていたので、数日分作り置きしてくれました。知っていましたか、じゃがいもを入れないと日持ちするんです」
「そうだったんですか、知らなかった。今度試してみよう」
「普段自分では作らないものもあるので新鮮です」
「だからですか、最近菅野さん生き生きしているように見えたのは」
「は?」
「配信の内容っていうか話し方って言うんですかね。普段なら本題三十分って感じなんですけど、ここ最近は雑談の方が多いんですよ」
まずい。全く気がついていなかった。
「それがまた面白いんですよ。急に隣の客はよく柿食う客だと思ったら東京特許許可局長だったって急に話したときはどうしたって思いましたもん」
「それは別の人ですよ。よく嚙まずに言えましたね」
「ああ、ごめんなさい。とにかく面白いのは本当です。なので、今回の目的はウェブ媒体で月二回ほど連載いただけないかなという打診でして」
編集は分かりやすく胡麻をする。いじらしいとは程遠いが、こういう人間も嫌いではない。
「分かりました、お引き受けします。詳細は後日改めて打合せということで構わないですか」
「ありがとうございます!良かったら好きなもの頼んでください。経費で落とせるので」
言葉に甘えて遠慮なく食事を注文した。編集は少々青ざめていたが、大柄な男の食事量を甘く見るでないと考えながら皿を空にしていった。
編集と別れ、街を歩いているといつの間にか三時を過ぎていた。スマートフォンを取り出すがヒダカからのメッセージは入っていない。
赤飯を炊くなんて話したがよく考えたら迷惑だろうか。彼の好物にした方がいいのではないだろうか。だが彼は何が好きだっただろうか。そういえば好き嫌いはないと言っていた。どうしよう。
自分の結果ではないのに緊張してしまう。そもそもこういう面談は即日結果が分かるものなのだろうか。今までこんなことで悩んだことはなかったのに、彼が来てから様々なことを考えてしまう。そして悩んだところで行動しなければ変わらない事にも気がついてきた。
初志貫徹ということでもち米と小豆を買うことにした。ついでに少しいい牛肉も買う。筋トレをするなら肉も好きだろうという安直な考えだ。
帰宅して付け合わせの野菜を湯がいていると鍵を開ける音が聞こえた。平静を装って玄関に向かうとヒダカが靴を脱いでいるところだった。
「ただいま、アサガオさん」
「おかえりなさい」
彼の表情を確認する。暗そうには見えないが顔を作っている可能性もある。
「どうでしたか」
「受かったよ」
あっけなく答えるので拍子抜けする。
「そんなすぐに決まるんですか」
「急募っていうのがでかいな。来週から早速稽古に入るよ」
「……嬉しくないんですか」
あまりにも淡々と報告するので思わず尋ねてしまう。その言葉を聞いたヒダカは目を見開いた。
「どうしてそんなことを聞く?」
「あまり、嬉しそうではなかったので」
ヒダカは黙って目の前に立つ。無表情だ。自分でも何故そう聞いてしまったか分からない。怒らせてしまったかもしれないと思ったが予想と異なった。
「嬉しいに決まっているだろ!」
勢いよく抱き着かれる。ぎりぎり踏みとどまるが予想外の行動に脳が処理しきれない。
「本当は叫んだり、飛び跳ねたりしたいぐらい嬉しい。でも恥ずかしいからカッコつけていたけど、やっぱり嬉しい……!」
ヒダカの高い体温がこちらに伝わる。
「アサガオさんのおかげだよ。ありがとう」
否定しようとした。ヒダカの力だ、喜多見やアーサーが送り出したからだと言おうとした。だが彼の言葉を否定したくなくて黙って受け入れた。
「……はは、ごめん。驚かせたよな」
そう話しながらヒダカは離れた。はにかんだ笑顔を浮かべられると彼を抱きたい欲とは違う欲が湧き上がってくる。なんだこれは。どうしたらいいんだ。
「いえ、問題ありません。それより早く赤飯を作ってきます」
「本当に用意してくれたのか」
「取り急ぎ材料だけ」
「じゃあ俺も一緒に作るよ」
彼の近くにいるだけで胸が高鳴る。呼吸が苦しい。勘違いしてもいいのか。そんな考えばかり浮かんでしまう。
「ちなみにどんな役か伺っても?」
「ごめん、情報公開はまだ先だから言えないんだ。でもやり遂げてみせるから」
ヒダカは肉のパック片手に宣言する。その姿が可愛らしい。
「来週から稽古ならしばらく帰りが遅くなりますね」
「そうなると思う……契約の日も相談させてほしい」
「確かに稽古を優先させた方がいいですからね」
「もちろんズルをするつもりはない。もしも金曜日が駄目でも他の日で必ず埋め合わせをする」
「詳しい日程は聞けないのでヒダカさんを信じるしかないですが、無理だけはしないでください」
「ありがとう、アサガオさんは優しいな」
弱みに付け込んだ人間を優しいと思える人間こそ優しいのではないだろうか。
「多分来週はかなり詰め込むから練習時間は短めでも相当疲れると思う」
「慣れない場所ですからね」
これ以上聞いても守秘義務で言えない事も多いだろう。
「来週から忙しくなるなら今週はしっかり休んでください」
「ありがとう」
それからは雑談をしながら夕食を作る。と言っても赤飯も炊けたのであとは肉を焼くだけである。
「肉の焼き加減は任せてくれ。どれくらいがいい?」
「ミディアムレアでお願いします」
「了解」
ヒダカは宣言通り完璧な焼き加減のステーキを提供した。テーブルの上に品物を並べるとなかなか豪勢な夕食となった。
「すごく豪華だな。奮発してくれたのか」
「ヒダカさんなら合格すると分かっていたので」
「……ふん、当たり前だろ」
鼻を鳴らした。照れ隠しか。
「できるだけフォローしますよ。弁当が必要なら作っておきます」
「それはいくらなんでも頼めない。居候なんだから」
契約関係なしに住んでもいいんですよ。
そう言いそうになるが踏みとどまる。この契約がなくなれば彼はどこに行ってしまうのだろう。
「遠慮しなくてもいいのに」
「遅い時間になりそうなら必ず連絡するし、炊事洗濯も空いている時間に必ずやる。アサガオさんに甘えてばかりじゃ良くないからな」
肉を噛むと肉汁が溢れる。油と水分が混ざり合いたんぱく質が体内に入り込む。ヒダカの中にもたんぱく質を入れたい。暗い欲が渦巻くが振り払う。
「アサガオさんには感謝しているよ」
その笑顔で胸の内の靄が払われる。今は彼を応援するときだ。踏み込み過ぎてはいけない。邪な考えを払うように食事に集中した。
翌週の月曜日、ヒダカは緊張した面持ちで玄関に立っていた。
「いよいよ稽古ですね」
「……ああ」
「今日は遅いんですか」
「……ああ」
「夕飯は作っておきますか」
「……ああ」
「ああ、しか言っていませんね」
「……ああ……あ?ああ」
あまりの緊張具合に思わず吹き出してしまう。
「ヒダカさんなら大丈夫ですよ」
「……悪いな」
「謝らないでください。失敗しても問題ないです」
「ありがとう、いってきます」
「いってらっしゃい」
扉が閉まる。彼の背中を思い出しながらその日は平穏に原稿を執筆していた。気が付くと部屋が暗くなっていたので昼も忘れて原稿作業をしていたことに気が付く。昨日食べ過ぎたせいか今になってようやく腹が空いてきた。ありもので夕飯を作るかと考えた矢先鍵を回す音が響く。
ヒダカが駆け込むように帰ってきた。興奮した様子で瞳を輝かせていた。
「おかえりなさい、どうでしたか」
「すごかった。詳細は言えないけど本当にすごかった」
「それは良かった」
何がすごかったのだろう。教えてほしい。でも守秘義務に引っかかってしまうのだろう。聞いてはいけない。だが少し線を引かれたような感覚に陥った。

