トントン、おとなりです。

 チャイムの音に、反射的に顔を上げた。

 「あ、お疲れさまです」

 顔を俯けたまま入ってきたのは集荷業者さん。僕の声に、小さく会釈をした。

 帽子を深くかぶり、マスクにめがね。顔はまったくと言っていいほど、見えない。分かるのは『若い男性』ということだけ。

 「店長ー!業者さんでーす!」

 その人がなにか言う前に、僕はバックヤードに向かって呼びかけた。

 「はい、はーい」

 店長がすぐに顔を出す。
 レジ前を通り過ぎるとき、業者さんはチラッと僕を見た。僕も少しだけ口角を上げて、目を合わせる。僕の大好きな切れ長の目が、一瞬だけ柔らかく細められて、心臓が跳ねた。

 「佐藤、なにニヤニヤしてんの?」

 品出しから戻ってきた桐谷が、不思議そうに僕を見る。

 「べっつにー」

 僕はそう言って、「ふふん」と笑ってやった。桐谷は一瞬目を丸くしてから、僕の頭に手を伸ばしてくる。

 「このやろー!この前まで落ち込んでたくせに」

 そう言って、わしゃわしゃと髪をかき混ぜる。言葉とは裏腹に、その顔は嬉しそうにほころんでいた。

 「ちょっと、やめろよ。あーあ、せっかくがんばってセットしたのに」

 朝早く起きて、アイロンでカーブをつけた前髪。桐谷の凶行と、僕の直毛の呪いによって、なんの意味もなくなってしまった。

 「なーに、色気づいてんだよ。佐藤のくせに!」

 またもや桐谷の手が近づいてくる。
 そのとき……

 「店員さん」

 思わず姿勢を正してしまうような、低い声が聞こえた。パッと振り向くと、業者さんが俺たちをじっと見ている。

 「お客さん、来てますよ」

 その言葉に、首を180度回転させると、駐車場に車が入ってきたのが見えた。

 え、教えるの早くない?チャイム鳴ってからで良くない?

 そう思いつつも、業者さんに「すみません……」と、苦笑いする。業者さんは僕と桐谷を順番に見てから、また店長に向き直った。



 「はい、コーヒー」

 「あ、ありがとう」

 先輩は僕にマグカップを渡して、隣に座ってきた。肩がぴったりとくっつくくらい近くて、少し力が入る。立ちのぼる湯気が、僕のメガネを一瞬で曇らせた。

 「ねぇ、見て。何にも見えなくなっちゃった」

 自分の顔を指差す。白くなった視界の向こうで、先輩が笑った気配がした。

 「東がコンタクトだったなんて、知らなかったな」

 そう言った声が楽しそうで、僕も嬉しくなる。『東』と呼ばれるのにはまだ慣れなくて、ドギマギしてしまったけど。

 「これも、会えなかったら知らないことだったな」

 「そう、だね」

 ぎこちない返事をすると、先輩はふっと鼻で笑う。
 それから、僕のマグカップをテーブルに置いて、両手でメガネを外した。遠くがぼやけて、目の前の先輩の顔しか見えなくなる。

 先輩は僕の顔をじっと見てから、上のほうへ視線を向けた。なんだろう?と思うと同時に、手が伸びてきて、髪をわしゃわしゃとかき混ぜられる。

 「ちょ、ちょっと!」

 抗議の声を上げるけど、先輩は無表情のままで、僕もされるがままだった。

 ようやく満足したのか、手を止めて、今度は整えるように撫でてくる。

 「ん、何?なんだったの?」

 僕が上目遣いで聞くと、先輩は「上書き、かな」と言って微笑んだ。その笑顔に、へにゃへにゃと肩の力が抜けて、マグカップに手を伸ばす。

 「もう、勘弁してくださいよ、先輩」

 そう言ってしまった途端、僕は「あっ」と小さく叫んで動きを止める。そろっと横を見ると、先輩が捨てられた子犬みたいな顔で僕を見ていた。

 「敬語。それに、理来、でしょ?」

 「分かってるよ。……り、理来……」

 名前を呼ぶだけで、条件反射みたいに顔が熱くなる。理来はまだ不満みたいで、唇をとがらせた。

 「俺は宅配便のお兄さんでも、お隣さんでも、鈴木先輩でもない。東の前では、ただの理来なんだから」

 理来はいつもそう言って拗ねる。まるで子どもみたいで、かっこいいっていうより可愛くて、それでもすごく好きだなぁって思う。

 僕の恋人の顔は、4つに増えた。あ、でも、『お隣さん』ではなくなったから、やっぱり3つかぁ。
 なんて考えて、一人で笑ってたら、理来が甘えるように僕の肩に頭を乗せた。

 「東、大好きだよ」

 「僕も大好きだよ、理来」