かつて世界を救った英雄軍師、二度目の人生は影に徹する。無能扱いされる王女を最強に育て上げ、影で世界を救う。

 晴れ渡った空の下、罵声と怒号が広場を埋め尽くしていた。
「悪魔の軍師を殺せ!」
「汚れた英雄を殺せ!」
「世界の敵を殺せ!」
 かつて俺が命がけで救った民衆が、今は俺を憎々しげな目でにらんでいた。
「こうして憎まれ、処刑されるために……俺は世界を救ったんだな」
 処刑台の上で、思わず自嘲気味の笑みがこぼれた。
『お前の力と才は、戦時においては英雄と持て囃されるが――この平和な世には毒となる』
 俺に処刑を言い渡した国王の顔が思い浮かぶ。
 魔王討伐の功労者に対する仕打ちがこれだ。
 いや、俺が魔王を倒したからこそ、その力が今度は自分たちに牙を剥くことを恐れたのだ、民衆は。
 彼らにとって、もはや俺は英雄ではない。魔王以上の力が、いつか自分たちに災いをもたらすかもしれない――そう脅威とみなされ、俺を排除しようと考えたのだろう。
 随分と身勝手な話だ。
 ……ああ、ミレーナ。俺と君が命を懸けて守った世界は、こんなにも醜いものだったよ。
 脳裏に浮かぶのは亡き恋人――聖女ミレーナの笑顔だ。
 魔王との最終決戦で彼女は魔王を倒すために、その命を捧げた。

『私が犠牲になれば、世界は助かるわ。こんな私でもみんなの幸せを守ることができるなら――素敵なことだと思う』

 俺は、彼女を守れなかった。
 最強の魔術師と持て囃されながら、一番大切な女性を守ることができなかったんだ。
 ……何が、世界を救った英雄だ。
 乾いた笑いが漏れる。
 俺はただ君と平穏に暮らすことができれば、それで良かった。世界が平和になれば、それが叶うと思って……ずっと戦ってきたのに。
 俺が望んだのは英雄になることなんかじゃない。ただ愛する人と一緒に過ごせる幸せな居場所こそが、本当の望みだったんだ。
 ミレーナを失って初めて、俺はそのことに気づいた。
 すべては、もう遅い――。
「今より処刑を行う!」
 処刑人が大剣を振り上げた。
 いよいよ、俺は死ぬ。殺される。
 けれど恐怖はなかった。
 この日を予測し、すでに手を打ってあったからだ。
 そう、俺には『次』がある。
 だからこそ、次は力を見せびらかしてはいけない。
 自分自身に言い聞かせる。
 表舞台になど立つ必要はない。
 もし世界を救うことがあるなら、それは英雄としてではなく誰かの影として。
 俺自身が英雄である必要はない。最強である必要もない。
 そうすれば、今度こそ誰も失わずに済む。
「――待っていろ」
 俺はつぶやいた。
 次はもっと上手く、完璧に立ち回ってみせる……!
 次の瞬間、首筋に衝撃が走り、視界が暗転する。
 ギロチンの刃が俺の首を刎ね飛ばしたのだ。
 消えゆく意識の中、『俺の死』をトリガーとして、あらかじめ準備しておいた術式が発動する。
 魔王すら超える魔力を持って、初めて可能となる神域の術式。
 因果を捻じ曲げ、運命すら超越する究極の魔法――。
 転生の、魔法が。

 ――そして。
 世界最強の魔術師にして天才軍師と呼ばれてきた俺、ヴェルノア・ファルザードの、二度目の戦いが幕を開ける。

 あれから、千年という時が流れた。
 俺が世界を救い、そして処刑されてから千回目の――夏。
 かつての英雄譚は風化し、魔法の理屈も衰退した、そんな時代だ。
 長い時間の果てにようやく器を見つけた俺は、この時代に生を受けてから二十年余りが過ぎていた。
 そんな俺はふたたび、このラーゼバルム王国の王城にいた。
 ただし、最強の英雄としてではない。
 城の隅で書類整理に追われる、しがない下級文官ノア・メルクマールとしてだ。
 仕事柄、歴史書の整理をすることもあるが、その中には前世の俺――ヴェルノアが登場する。
 魔王を打ち倒した英雄であり、人類史上最強の魔術師。
 しかし、そのうちに秘めたる邪心を王に見抜かれ、人類の敵となる前に処刑された大罪人。
 王や民衆が俺に向けた『いずれ魔王を打ち倒すほどの力が自分たちに牙を剥くのではないか』という恐れは、『史実』として伝わっているわけだ。
 一方で、その絶大な力や破滅的な末路から一種のダークヒーローのような魅力を感じている者も少なくないらしく、ヴェルノアを題材とした叙事詩はいくつも残されていた。
 そういった書類を見て、最初のころは感慨にふけることもあったが、次第に何も感じなくなっていった。
 今の俺は魔王退治の英雄でもなければ、人類最強の魔術師でもない。
 うだつのあがらない文官。
 そんな人生で十分に満ち足りている――。

 その日、謁見の間に大勢の文官や武官が集められていた。
 俺も文官の末席としてその中にいる。
 全員の視線が、玉座の前でうなだれる一人の少女に注がれていた。
 第三王女、アイシス・ラーゼバルム。
 艶やかな銀髪はボサボサで、猫背になった背中はいかにも自信がなさそうだった。
「顔を上げよ、アイシス!」
 玉座の国王が苛立ったように叫んだ。
「っ……!」
 アイシスはびくっと震えながら顔を上げた。
「は、はい、申し訳ありません、お父様……」
「お父様ではなく国王陛下だろう! それとまだ余が何も言っていないうちから謝る必要はない!」
「は、はい……お父様……あ、いえ、国王陛下……」
 アイシスはますます震えてしまう。
 周囲の貴族たちや武官、文官のほとんどからクスクスという失笑が漏れた。
「あいかわらずですな、三の姫様は……」
「魔力を持たずに生まれてくるとは前代未聞……」
「いや、魔力自体は持っているとか。ただ、それを扱えないそうですな……」
「どちらにせよ、それでは無能の誹りを免れますまい……」
 彼らは好き勝手にヒソヒソ話をしている。
 正直、不快だった。
 彼らはアイシスを『無能』と呼ぶ。
 俺がヴェルノアとして生きていたころに比べ、この千年後の世界では魔術師たちのレベルは大きく下がっている。
 それは俺の時代の魔法――この時代においては『古代魔法』と呼ばれている、その知識や技術が長い年月の中でほとんど失われてしまったからだ。
 この時代に隆盛している魔法は『古代魔法』とは別物で、威力が低く、効果も薄い。
 だからこそ『古代魔法』や当時の魔術師たちは、この時代において神格化されており、同時に魔法に秀でた者は偉人として称えられる社会になっていた。
 それは裏を返せば、魔法能力が低い者は蔑まれるということでもある。
 基本的に魔力を持たない平民ならともかく、ほとんどの者が大なり小なり魔法の才能を持つ王族や貴族にとって、そうした者はそれだけで侮蔑の対象となる。
 まして魔力を持たないとされるアイシスは、ことあるごとに彼らから馬鹿にされ、彼女はそのたびに傷ついてきたはずだ。
 強大な魔力を持つ王族たちの中で、魔法を使えない落ちこぼれだと。
 だが、俺の目には違って見えていた。
 彼女の中には異常な魔力が存在する。
 あまりにも深い場所に眠っていることに加え、今の時代の魔術師たちはレベルが低すぎて、その『強過ぎる力』を感知すらできていない。
 いや、アイシス本人すら気づいていないはずだ。
 だけど俺には、しっかりと感じ取れていた。
 それはかつての魔王すら凌駕するほどの、圧倒的な大魔力だ。
 現在よりはるかに魔法文明が進んでいた千年前ですら、ここまでの魔法の素質を持つ者は見たことがない。
 そう、当時最強と呼ばれた俺を上回るかもしれない――。
「だが、それが仇になっているな」
 俺は軽く眉をひそめる。
 あまりに強大過ぎるがゆえに、この時代の魔力測定技術では感知できない。彼女が魔力なしだと誤解されているのは、そのためだ。
「アイシスよ。お前にはほとほと愛想が尽きた。よって、王都から離れてもらう」
 国王が冷酷に告げた。
「お前を辺境都市アーベルの領主に任ずる」
「え……?」
 アイシスが顔を上げた。
 その表情から血の気が引いていく。
 アーベルは国境にある、草木も生えない不毛の地だ。
 魔獣も多く、兵もほとんどおらず……領主として赴任するということは、命の危険すらあるということだ。
 とても王族が統治するような場所じゃない。
 これは体のいい追放宣告だった。
 国王はアイシスが死んでも構わないと思っているのか……?
 いや、王家の面汚しとして死んでほしいと願っているのかもしれないな。
 俺は暗い気分になった。
「王都にお前の居場所はない。即刻立ち去るがいい!」
「……っ!」
 アイシスが絶句した。
 その目から、ポロポロと大粒の涙がこぼれ落ちる。
「わ、私は……確かに魔力がありません……『無能』と陰口を叩かれているのも存じています――」
 唇を噛みしめながら、絞り出すようにして告げるアイシス。
「魔法が使えなくても何か他のことでお役に立てませんか……? 私、ここを去るのは嫌です……お父様やお母様、お兄様、お姉様……みんなと離れ離れになるのは嫌なんです。寂しい、です……」
「魔法とは精神の力だ」
 国王は厳かに告げた。
「お前のその軟弱な精神性こそが、お前に魔力が宿らなかった根本的な原因ではないか? 余はそう考えておる」
「そ、それは……確かに私の心は、弱いかもしれません……」
 アイシスがうなだれる。
「王族に求められるのは力だ。力なくば民を導くことなどできぬ。ゆえに――弱き者に価値はない」
「っ……!」
 アイシスの目が見開かれた。
「……承知いたしました」
 しばらくの沈黙の後、彼女は消え入りそうな声で言った。
 と、
「これで無能姫様も見納めか……」
「追放もやむなしでしょう……」
「魔力すら持たない王族など、諸国への体面も悪いですからな……」
 周囲はニヤニヤと笑っている。
「して、誰かこの無能姫に付き従う者はいないか? さすがに王族を一人で野垂れ死にさせるわけにもいかぬからな」
 国王がフンと鼻を鳴らした。
 シンと謁見の間が静まり返る。誰も手を上げない。
 それも当然だろう。
 落ちぶれ、実質的な追放処分を受けた王族についていく物好きなどいるはずがない。
「はは、誰がついていくんだよ……」
「一緒に落ちぶれるなんて御免だね……」
「どうぞ一人で野垂れ死んでくれっての……」
 あちこちで、忍び笑いが上がる。
 アイシスは絶望したようにそんな彼らを見回している。
 まるで――世界に絶望したような顔だ。
「どうした? 誰もおらんのか」
 国王がニヤリと笑う。
 そこに実の娘に対する愛情など感じられなかった。
 出来の悪い娘への嘲笑だけがあった。

「――私が参りましょう」

 俺は淡々と進み出た。
 貴族たちの視線が、一斉に俺に集まる。
 驚きと困惑、そして侮蔑。
「誰だ、あれは?」
「確か――資料室のノアとかいう文官じゃないか?」
「ああ、あの冴えない男か!」
 ドッと笑いが起きた。
 そんな嘲笑などどこ吹く風、俺は悠然と国王の前に進んだ。
「ノア・メルクマールと申します。アイシス様の専属執事として、随行の許可をいただきたく――」
 と、恭しく一礼した。
「ふん、文官か」
 国王が俺を鼻で笑った。
「あの無能姫と同じく、お前からも魔力を感じぬ。こんな優男では護衛も務まるまい」
 魔力を感じないのも当然だ。
 俺は自分の魔力を完全に隠蔽しており、それは現在では失われた千年前の魔法――この時代においては『古代魔法』と呼ばれる術式によるものだ。
 現代の人間に感知できるはずがない。
 だから国王や他の人間からは、俺は魔力がほとんどない凡庸な人間に映っているはずだった。
「魔力なしの出来損ない同士がくっついたというわけか……」
「くくく、これは傑作な組み合わせだな」
「領地にたどり着く前に、野犬にでも襲われたらそれで終わりだろう……」
 周囲からの嘲笑は、もはや声をひそめることさえなく、遠慮なく響いていた。
「……ごめんなさい」
 アイシスが俺に向かって頭を下げる。
 一国の王女が下級の文官に謝罪したことに、俺もさすがに驚く。
「姫……」
「私のせいで、あなたまで笑われて……」
 アイシスは涙を流していた。
 自分が罵倒されるより、自分のために他者が罵倒される方が悲しい――そんな顔をしている。
「顔をお上げください、アイシス様」
 俺は柔らかく微笑んでみせた。
「謝る必要などありません。彼らは何も分かっていないのです。あなたの本当の力も。価値も」
「私の力……価値……」
 驚いた顔をするアイシスに、俺は手を差し伸べた。
「さあ、共に参りましょう。私が万事、あなたをお支えいたします」
「でも、本当に私なんかを……」
「あなただからこそ、ですよ。この場の全員が私を笑う中で、あなただけは私を気遣い、謝罪までなされた。どうか、その優しさを大切になさってください」
 俺はアイシスに微笑んだ。
「私は――私だけは、あなたの味方です。そしてあなたの忠実なるしもべとして、お仕えしていくことを誓います」
 その場に跪き、一礼する。
 アイシスはなおも俺を見つめ、逡巡するように何度も何度も瞳を泳がせた。
 俺はそんな彼女をまっすぐに見上げている。
 長い沈黙の末、アイシスが口を開いた。
「……ありがとう」
 ようやく、その口元が笑みでほころぶ。
 俺は立ち上がり、アイシスの手を取った。
 そして、浴びせられ続ける嘲笑を背に、彼女をエスコートして去っていく。
 ――さて、まずはアイシスが自分で魔力を制御できるように指導しないとな。
 彼女が秘めた魔力はあまりにも強大だ。
 今は無能呼ばわりされ、くすぶっているが……いつ目覚めるかは誰にも分からない。
 いや、これほどの才能があれば、遅かれ早かれ目覚めるだろう。
 そしてアイシスが覚醒を迎えたそのとき――彼女の運命が好転するとは限らない。
 かつて俺が英雄として称えられながら、結局は人々に疎まれ、処刑されたように。
 アイシスもまた同じ道を歩む可能性はあった。
 ――そうはさせない。
 俺は心に誓う。
 俺が彼女を導き、俺が歩んだのとは別の道を彼女に進ませよう、と。
 俺は隣を歩く可憐な姫を……未来の最強魔術師を横目で見た。
 周囲からは、俺たちは追放された哀れな主従に見えているだろう。
 だけど、俺にとってはまったく違う。
 かつて英雄として過ごした前世とは異なる、誰かを英雄にするための人生を。
 それを果たす時がやって来たんだ。

 謁見の間を出て、俺たちは長い廊下を歩いていた。
 城の出口には、すでにアイシスの新領地であるアーベル行きの馬車が用意されているそうだ。
 ……手回しのいいことだな。
 俺は内心で苦笑した。
 王は、よほどアイシスを追放したかったらしい。
 と、
「おい、二度と戻ってくるなよ!」
「王家の面汚しめ!」
「野垂れ死ね! 無能姫!」
 出口の前に十数人の貴族が待っていた。
「わざわざお見送りですか」
 俺は肩をすくめた。
 王から見捨てられたアイシスになら、王族に対する敬意を払わなくても罰せられることはないだろうと踏んだのか。
「くくく、惨めですね、アイシス様」
「その薄汚い文官、あなたのお供にお似合いですよ」
「せいぜい、道中で野犬にでも殺されないよう注意なさいませ」
 彼らは気持ちよさそうに嫌味や嘲笑をぶつけてくる。
「ううぅ……」
 アイシスが足を止めた。
 肩を震わせ、涙を流し始める。人一倍、繊細な心根を持っているようだから、それだけ傷つきやすいんだろう。
 ならば、なおのこと俺が守らなければならない。
「その辺になさったらどうですか?」
 俺はにこやかな微笑を彼らに向けた。
「なんだ、その口のきき方は!」
「下級文官風情が我らに説教する気か!」
「貴様、この場で処刑してもいいのだぞ!」
 貴族たちがすごんだ。
 俺は無言で彼らを見据える。
 同時に、一瞬だけ魔力を解放した。
 俺の中に宿る魔力は、千年前よりさらに強くなっている。
 もちろん、本気で解放すれば国中が大騒ぎになるだろうから、普段は精神の奥……そのまた奥の奥に隠しているが。
 その魔力を目覚めさせ、発動する。
 古代魔法――【竜王の威厳】。
 かつて俺が数千の竜種すらひれ伏させた精神干渉魔法だ。
 もちろん、全開で使えば彼らの精神など一瞬で崩壊する。だから、威力を一万分の一程度に抑え、恐怖を叩き込む。
「あ……が……!?」
 彼らの顔が引きつり、サーッと血の気が引いて真っ白になった。
「あ、あわわわわわわわわわわわぁぁぁぁ……っ!?」
「ひ、ひいいいいいいいいいいいいいいいい……っ!」
「アイシス様に対して無礼では? 謝罪なさってはいかがでしょうか」
 俺がやんわりと指摘する。
「う、うわぁぁぁぁぁぁぁっ……」
 彼らは一斉に泡を吹き、その場に崩れ落ちた。
「えっ? あの……?」
 アイシスはキョトンとしている。
「ご、ごごごごごごごごごめんなさあああああああいい!」
 貴族たちはその場に頭を擦り付け、俺とアイシスに土下座して謝った。
「な、何が、いったい……?」
 アイシスはますます戸惑った様子だ。
「その……もう結構ですので、頭を上げてください。私は、別に……」
 言いながら、俺をちらりと見る。
「アイシス様がよろしければ、私は異存ありませんよ」
 俺は微笑んだ。
 それから、彼らを見下ろし、
「アイシス様は寛大なお心でお許しくださるそうです。良かったですね」
「あ、ありがとうございますうううううううう、ひいいいいいいいいっ!」
 貴族たちは青ざめた顔のまま立ち上がり、逃げるように走り去っていった。

 王都を出て、一時間――。
 俺たちを乗せた馬車は街道をまっすぐ進んでいた。
 辺境都市アーベルまでは、ここから優に一週間以上はかかる。
「先ほどは、ありがとうございました」
 ふいにアイシスが顔を上げ、俺を見つめた。
「私が、何かしましたか?」
 俺が【竜王の威厳】を発動したのは一瞬だけ。しかも出力も大幅に抑えている。
 アイシスが気づくはずはないのだが――。
「ただの直感です。あなたが何かしてくださったのではないか、と」
「直感……」
 古代魔法のことは、これまで誰にも話したことがない。
 かつて処刑された英雄の転生体――。
 そんな素性を知られてしまえば、平穏な人生を送ることは不可能になるからだ。
 俺はもう、英雄として持て囃されるような人生は御免だった。
 最後には世界から拒絶され、処刑されるような末路なんて冗談じゃない。
 だから俺は、自分の力を隠すことにした。
 当然、古代魔法を使えることも、この時代の人間とは一線を画するほどの強大な魔力を持っていることも、知られてはならない。
「……すみません。変なことを言って。私、的外れなことを言ってますよね。これだから無能姫なんて言われるんですよね……」
 アイシスが自嘲気味に言ってうつむいた。
「あなたは無能ではありませんよ、アイシス様」
 俺は首を左右に振った。
「どうして、そう言えるんですか? 私には魔力がありません。王族なのに。本来なら、強大な魔力を秘めているはずの血筋なのに――」
 アイシスが唇を噛みしめた。
「私は、あなたに可能性を感じています。この世界の誰よりも大きく、強い力を秘めている――と」
 俺はアイシスをまっすぐに見つめた。
「私が……?」
「誰もが認める最強の魔術師に、そして最高の領主になるために――私が影となってあなたをお支えします、アイシス様」
「そんな、私なんかが……」
「まず自分を否定するのをやめるところから始めませんか?」
 俺の言葉に、アイシスが目を見開く。
「あなたの可能性は、アーベルにて花開くでしょう」
 そう、アイシスが秘めた膨大な魔力と俺の知識があれば、必ず達成できる。
 その自信があった。
 そして、今はっきりと見えた。
 俺の手で、この少女を世界最高の英雄に育て上げる――。
 それが、俺の二度目の人生の目的だ。
「私、自信がありません。無能だと周囲から言われ続けて育ってきました」
 アイシスがうつむく。
「自分でもそう思います。だけど」
 ゆっくりと顔を上げる。
 彼女のつぶらな瞳が俺を見つめる。
 その瞳には俺を信じるような光が宿っていた。
「あなたに言われると、不思議なほど気持ちが落ち着きます。こんな私でも自信を持っていいのかもしれない、と。そう思わせてくれるんです」
 言って、彼女はようやく微笑んでくれた。
「不思議な人ですね、あなたは」
「ノアです」
「えっ」
「どうか、ノアとお呼びください。あなたの忠実なるしもべの名です」
 俺はにっこりと笑った。
「これからは一蓮托生。いつまでも『あなた』では他人行儀ではありませんか?」
 それを聞いて、アイシスはハッとした顔になり、それから微笑んだ。
「……ありがとう、ノア」


※ここまでが書籍版の第1章になります。続きは書籍版にて、ぜひお楽しみくださいませ。