そこに立っていたのは、子供姿の黎。
愛らしく微笑みながらも、華乃の手を捻り上げた。
黎「はじめまして。僕は古賀家の小間使いです」
華乃「い……っ、痛いっ。離してよっ」
黎、きょとんと小首をかしげぱっと手を放す。
何食わぬ、あどけない顔で
黎「なんです?」
華乃、頬を引きつらせて彰人のもとへ駆け寄ってすがりつく。
華乃「さ、佐伯様ぁ! この子が生意気なんですのっ」
彰人は面白そうに眺めているばかり。
苛立った華乃が「佐伯様ぁ〜!?」と袖を引く。
その傍らで、黎はそっと紗衣の手を握った。
黎「紗衣さん帰りましょう。『僕』、疲れちゃった」
紗衣「あ……は、はい。そうですね」
歩き出す二人へ、彰人がのんびりと声をかける。
彰人「古賀様によろしくね〜。……ああ、それと」
彰人は、垂れ目をやわく細めたまま、紗衣に近づいてそっという。
彰人「さっきのは嘘。姉妹でもまるで違うね。やっぱりうちの女中に欲しかったなぁ」
紗衣は何のことかわからずきょとんと目を丸くする。
その手を、黎がぐいと引き寄せた。
子供の姿のまま、黎が彰人を睨みつける。
華乃「佐伯様を睨むなんて。本当になんて子なのっ!!」
彰人が「まあまあ」と華乃をなだめている。
その隙に黎と紗衣は、人混みへ紛れて去っていく。
〇銀座の裏通り・昼下がり
喧騒を離れた、静かな通り。
子供姿の黎と並んで歩く紗衣。
その小さな手は、しっかりと紗衣と繋がれている。
黎「……この姿だと、紗衣さんは隣を歩いてくれるんだね」
紗衣はどきりとしつつも、繋いだ手に頬をゆるめる。
※ほんわかと、とても可愛い表情。
黎「うん。──悪くないかも。でもね」
黎、ちょいちょいと紗衣を手招きする。
紗衣「なあに?」
紗衣はつい子供にするように、しゃがんで顔を寄せる。
その耳元へ、黎がそっと囁いた。
黎「油断はしないでよね。いつだって私はその唇が欲しいって思ってるんだから」
紗衣「……っ!?」
かああっと真っ赤になり、紗衣はぱっと飛び退く。
紗衣「な……っ、だめです。こ、こんな往来で。お服がだめになってしまいますよ……っ」
黎「ふ。……それは困るね」
くすくすと悪戯っぽく笑う黎。
黎「じゃあ、お家なら、いいんだね」
紗衣「そ、そんなこと、言っておりません」
黎「え〜? そうなの〜?」
黎にすっかり振り回されながら、紗衣は足早に車へと向かっていく。その横顔は困りながらも幸せそう。
〇古賀邸・車寄せ・夕暮れ
茜色の空の下、黒塗りの車の後部座席を桂が開ける。
紗衣「桂さん。──運転、ありがとうございました」
ぺこりと頭を下げる紗衣。桂は人の好い笑顔で鼻の下を擦る。
桂「いやぁ紗衣さんこそ、お疲れさんです。どうでした銀座は」
紗衣「……っそれが……!」
紗衣の顔が、ぱああっと輝く。
紗衣「景色が飛ぶようだったわ!」
桂「……へ?」
きょとんとする桂。
紗衣は、銀座ではなく車のことで興奮している。
紗衣「あんなに大きなものが、どうしてあんなに速く動くのかしら? 桂さんは、あれをどうやって操っていたの? 曲がるときは、止まるときは力を使うの? それとも……」
桂「お、おお……えっと、それはですね……」
質問攻めに、桂がたじたじになる。
その紗衣の袖を小さな手が引いた。
七歳の少年姿の黎が、ぷうと愛らしく頬をふくらませてジト目をしている。
黎「……ねえ僕とのデエトは? もう忘れちゃったのかな」
紗衣「えっ」
黎「車のほうが、楽しかったんだ。そっか。ふぅん。ならいいよ。今からもう一度デエトに連れてっちゃおうかな」
拗ねて紗衣の手をぐいぐい引っぱる黎。
紗衣「あのっ、そ、そうじゃないのよ! ま、待って……っ。とっても楽しかったわ! ほんとうよ……っ」
あたふたと小さな黎をなだめる紗衣。
桂が、後ろで荷物を抱えて笑っている。
桂「ははっ。さ、お荷物を運びますよ」
たくさんの紙袋と箱を、三人で抱えて屋敷へ。
〇古賀邸・玄関
扉を開けると、巴が出迎える。
巴「おかえりなさいませ」
その一言に紗衣の足が、ふと止まる。
紗衣(そんな言葉で迎えられるなんて初めて)
紗衣は涙目ぺこりと頭を下げる。
紗衣「……ただいま、戻りました。巴さん」
黎はまだふてているのか、ぽいっと箱をおいて走っていってしまった。
紗衣は困りながら山のような箱の上の紙袋を差し出す。
紗衣「これはお土産の洋菓子ですって。黎さんが」
巴「まあ、こんなに! ……黎様も買いすぎですよ」
呆れつつも巴は嬉しそうに中を見ている。
それから紗衣の洋装に目をとめて、目を細める。
巴「そのお洋服、なんとお可愛らしいこと」
紗衣「えへへ……」
照れて、はにかむ紗衣。
〇古賀邸・紗衣の部屋の前・夜
ひとり荷をほどいていた紗衣のもとへ、部屋着をくつろげた大人姿の黎が来る。
黎「紗衣さん。よろしいですか」
紗衣「? はい……」
何だろう、と歩み寄る紗衣。
その体を、黎の腕が引き寄せた。
──抱きしめられる紗衣。
紗衣「……っ、れ、黎様……?」
黎「もう少し、洋装を目に焼き付けておきたくてね」
紗衣「そ、そんな……。お洋服なら、また着ますから……っ」
照れて目を伏せている。
黎「それでも、今夜は今夜です」
腕の中の紗衣を、黎はうっとりと見下ろす。
あまりに見つめられて、紗衣の頬がぽっと色づく。
紗衣「……あ、あの。改めて……ありがとうございました。パーラーも、それからたくさんのお洋服も……っ」
健気にお礼を言う紗衣に、黎は、ふっと妖しく目を細めた。
黎「……紗衣さん。ご存じですか」
紗衣「?」
黎「男が女に服を買い与えるのは……脱がすため、だということを」
紗衣「……っ、ふぇ……!?」
かああっと、耳まで真っ赤になる紗衣。
──と、そこへ巴が駆け付ける。
巴「黎様ッ!!」
パシッ、パシッと、巴がはたきで黎の背を容赦なく叩く。
巴「紗衣さんはお疲れなんですよ。ほら、部屋へお戻り! しっ、しっ!」
黎「……いた、痛いっ。ちぇ……」
妖艶な伯爵が、女中のはたき一本にあっさり追い立てられていく。
残された紗衣は、真っ赤な顔のままぽかんと見送る。
紗衣を守るように仁王立ちする巴。
紗衣(……ふふ。なんだか、あったかい)
そして、夜が更ける──
〇古賀邸・書斎・深夜
灯火(ランプ)がひとつ、書斎をぼんやりと照らす。
大人の姿に戻った黎が、長椅子に脚を組んで座っている。
向かいに立つのは、佐伯彰人。
その顔には薄い笑みはあるけれど、頬には暗い影がさす。
彰人は妖務局特務官の手帳を取り出して報告している。
彰人「やはり、藤島家は真っ黒だ。掘れば余罪はまだ出てくるだろうね。けど証拠は充分そろってきたよ。……どうする?」
黎「もう少し泳がせるか。鬼族との流通の方は?」
彰人「手ごわいね。あの夜会もそうだけど、末端で巧妙に足を切られてる。どの筋を辿っても鬼伏までは縄が届きそうにない」
黎「……鬼伏め」
彰人は手帳をめくる。
彰人「ただ──藤島の娘から、もうひとつ。姉に飲ませ続けていたという薬の話を引き出せた。それが、五年前にもみ消された一件に繋がるかもしれない」
黎「その件、詳しく洗って報告しろ」
彰人「もちろん。……あの妹は、御しやすくて助かるよ」
黎の眉がひそめられる。
黎「それにしても。あんな娘をわざわざ帝都で連れ歩かずとも」
彰人「銀座を楽しめるし、仕事もこなせて一石二鳥だからさ」
黎「でも縁談を進める気はないんだろ」
彰人「そりゃあそう」
彰人、なんでもないことのように肩をすくめる。
彰人「デエトは楽しいけど、誰かが翌日もそばにいるなんてぞっとしない?」
あきれ顔の黎をよそに彰人は楽し気なまま。灯火にその横顔が半分だけ照らされる。
彰人「情を抱えこまないのが長生きのコツ。広く浅くだね」
黎、静かにその顔を見据えている。
黎「何だっていいが。紗衣さんにはあまり近づくな」
彰人「紗衣さん、か。──あの人って、すごく……」
黎「……すごく?」
彰人の顔から、一瞬だけ表情が抜け落ちて真顔になる。
彰人「ん、いいや。じゃあ、また報告に来るよ」
ひらりと手を振り、書斎を出ていく彰人。その背を黎は怪訝そうに見送る。
黎(……あいつが、言いよどむとは)
黎の怜悧な横顔の絵。
(第7話へ続く)
※コンテストでの公開はここまでです。
愛らしく微笑みながらも、華乃の手を捻り上げた。
黎「はじめまして。僕は古賀家の小間使いです」
華乃「い……っ、痛いっ。離してよっ」
黎、きょとんと小首をかしげぱっと手を放す。
何食わぬ、あどけない顔で
黎「なんです?」
華乃、頬を引きつらせて彰人のもとへ駆け寄ってすがりつく。
華乃「さ、佐伯様ぁ! この子が生意気なんですのっ」
彰人は面白そうに眺めているばかり。
苛立った華乃が「佐伯様ぁ〜!?」と袖を引く。
その傍らで、黎はそっと紗衣の手を握った。
黎「紗衣さん帰りましょう。『僕』、疲れちゃった」
紗衣「あ……は、はい。そうですね」
歩き出す二人へ、彰人がのんびりと声をかける。
彰人「古賀様によろしくね〜。……ああ、それと」
彰人は、垂れ目をやわく細めたまま、紗衣に近づいてそっという。
彰人「さっきのは嘘。姉妹でもまるで違うね。やっぱりうちの女中に欲しかったなぁ」
紗衣は何のことかわからずきょとんと目を丸くする。
その手を、黎がぐいと引き寄せた。
子供の姿のまま、黎が彰人を睨みつける。
華乃「佐伯様を睨むなんて。本当になんて子なのっ!!」
彰人が「まあまあ」と華乃をなだめている。
その隙に黎と紗衣は、人混みへ紛れて去っていく。
〇銀座の裏通り・昼下がり
喧騒を離れた、静かな通り。
子供姿の黎と並んで歩く紗衣。
その小さな手は、しっかりと紗衣と繋がれている。
黎「……この姿だと、紗衣さんは隣を歩いてくれるんだね」
紗衣はどきりとしつつも、繋いだ手に頬をゆるめる。
※ほんわかと、とても可愛い表情。
黎「うん。──悪くないかも。でもね」
黎、ちょいちょいと紗衣を手招きする。
紗衣「なあに?」
紗衣はつい子供にするように、しゃがんで顔を寄せる。
その耳元へ、黎がそっと囁いた。
黎「油断はしないでよね。いつだって私はその唇が欲しいって思ってるんだから」
紗衣「……っ!?」
かああっと真っ赤になり、紗衣はぱっと飛び退く。
紗衣「な……っ、だめです。こ、こんな往来で。お服がだめになってしまいますよ……っ」
黎「ふ。……それは困るね」
くすくすと悪戯っぽく笑う黎。
黎「じゃあ、お家なら、いいんだね」
紗衣「そ、そんなこと、言っておりません」
黎「え〜? そうなの〜?」
黎にすっかり振り回されながら、紗衣は足早に車へと向かっていく。その横顔は困りながらも幸せそう。
〇古賀邸・車寄せ・夕暮れ
茜色の空の下、黒塗りの車の後部座席を桂が開ける。
紗衣「桂さん。──運転、ありがとうございました」
ぺこりと頭を下げる紗衣。桂は人の好い笑顔で鼻の下を擦る。
桂「いやぁ紗衣さんこそ、お疲れさんです。どうでした銀座は」
紗衣「……っそれが……!」
紗衣の顔が、ぱああっと輝く。
紗衣「景色が飛ぶようだったわ!」
桂「……へ?」
きょとんとする桂。
紗衣は、銀座ではなく車のことで興奮している。
紗衣「あんなに大きなものが、どうしてあんなに速く動くのかしら? 桂さんは、あれをどうやって操っていたの? 曲がるときは、止まるときは力を使うの? それとも……」
桂「お、おお……えっと、それはですね……」
質問攻めに、桂がたじたじになる。
その紗衣の袖を小さな手が引いた。
七歳の少年姿の黎が、ぷうと愛らしく頬をふくらませてジト目をしている。
黎「……ねえ僕とのデエトは? もう忘れちゃったのかな」
紗衣「えっ」
黎「車のほうが、楽しかったんだ。そっか。ふぅん。ならいいよ。今からもう一度デエトに連れてっちゃおうかな」
拗ねて紗衣の手をぐいぐい引っぱる黎。
紗衣「あのっ、そ、そうじゃないのよ! ま、待って……っ。とっても楽しかったわ! ほんとうよ……っ」
あたふたと小さな黎をなだめる紗衣。
桂が、後ろで荷物を抱えて笑っている。
桂「ははっ。さ、お荷物を運びますよ」
たくさんの紙袋と箱を、三人で抱えて屋敷へ。
〇古賀邸・玄関
扉を開けると、巴が出迎える。
巴「おかえりなさいませ」
その一言に紗衣の足が、ふと止まる。
紗衣(そんな言葉で迎えられるなんて初めて)
紗衣は涙目ぺこりと頭を下げる。
紗衣「……ただいま、戻りました。巴さん」
黎はまだふてているのか、ぽいっと箱をおいて走っていってしまった。
紗衣は困りながら山のような箱の上の紙袋を差し出す。
紗衣「これはお土産の洋菓子ですって。黎さんが」
巴「まあ、こんなに! ……黎様も買いすぎですよ」
呆れつつも巴は嬉しそうに中を見ている。
それから紗衣の洋装に目をとめて、目を細める。
巴「そのお洋服、なんとお可愛らしいこと」
紗衣「えへへ……」
照れて、はにかむ紗衣。
〇古賀邸・紗衣の部屋の前・夜
ひとり荷をほどいていた紗衣のもとへ、部屋着をくつろげた大人姿の黎が来る。
黎「紗衣さん。よろしいですか」
紗衣「? はい……」
何だろう、と歩み寄る紗衣。
その体を、黎の腕が引き寄せた。
──抱きしめられる紗衣。
紗衣「……っ、れ、黎様……?」
黎「もう少し、洋装を目に焼き付けておきたくてね」
紗衣「そ、そんな……。お洋服なら、また着ますから……っ」
照れて目を伏せている。
黎「それでも、今夜は今夜です」
腕の中の紗衣を、黎はうっとりと見下ろす。
あまりに見つめられて、紗衣の頬がぽっと色づく。
紗衣「……あ、あの。改めて……ありがとうございました。パーラーも、それからたくさんのお洋服も……っ」
健気にお礼を言う紗衣に、黎は、ふっと妖しく目を細めた。
黎「……紗衣さん。ご存じですか」
紗衣「?」
黎「男が女に服を買い与えるのは……脱がすため、だということを」
紗衣「……っ、ふぇ……!?」
かああっと、耳まで真っ赤になる紗衣。
──と、そこへ巴が駆け付ける。
巴「黎様ッ!!」
パシッ、パシッと、巴がはたきで黎の背を容赦なく叩く。
巴「紗衣さんはお疲れなんですよ。ほら、部屋へお戻り! しっ、しっ!」
黎「……いた、痛いっ。ちぇ……」
妖艶な伯爵が、女中のはたき一本にあっさり追い立てられていく。
残された紗衣は、真っ赤な顔のままぽかんと見送る。
紗衣を守るように仁王立ちする巴。
紗衣(……ふふ。なんだか、あったかい)
そして、夜が更ける──
〇古賀邸・書斎・深夜
灯火(ランプ)がひとつ、書斎をぼんやりと照らす。
大人の姿に戻った黎が、長椅子に脚を組んで座っている。
向かいに立つのは、佐伯彰人。
その顔には薄い笑みはあるけれど、頬には暗い影がさす。
彰人は妖務局特務官の手帳を取り出して報告している。
彰人「やはり、藤島家は真っ黒だ。掘れば余罪はまだ出てくるだろうね。けど証拠は充分そろってきたよ。……どうする?」
黎「もう少し泳がせるか。鬼族との流通の方は?」
彰人「手ごわいね。あの夜会もそうだけど、末端で巧妙に足を切られてる。どの筋を辿っても鬼伏までは縄が届きそうにない」
黎「……鬼伏め」
彰人は手帳をめくる。
彰人「ただ──藤島の娘から、もうひとつ。姉に飲ませ続けていたという薬の話を引き出せた。それが、五年前にもみ消された一件に繋がるかもしれない」
黎「その件、詳しく洗って報告しろ」
彰人「もちろん。……あの妹は、御しやすくて助かるよ」
黎の眉がひそめられる。
黎「それにしても。あんな娘をわざわざ帝都で連れ歩かずとも」
彰人「銀座を楽しめるし、仕事もこなせて一石二鳥だからさ」
黎「でも縁談を進める気はないんだろ」
彰人「そりゃあそう」
彰人、なんでもないことのように肩をすくめる。
彰人「デエトは楽しいけど、誰かが翌日もそばにいるなんてぞっとしない?」
あきれ顔の黎をよそに彰人は楽し気なまま。灯火にその横顔が半分だけ照らされる。
彰人「情を抱えこまないのが長生きのコツ。広く浅くだね」
黎、静かにその顔を見据えている。
黎「何だっていいが。紗衣さんにはあまり近づくな」
彰人「紗衣さん、か。──あの人って、すごく……」
黎「……すごく?」
彰人の顔から、一瞬だけ表情が抜け落ちて真顔になる。
彰人「ん、いいや。じゃあ、また報告に来るよ」
ひらりと手を振り、書斎を出ていく彰人。その背を黎は怪訝そうに見送る。
黎(……あいつが、言いよどむとは)
黎の怜悧な横顔の絵。
(第7話へ続く)
※コンテストでの公開はここまでです。
