第4話 月兎は少年の秘密を知る
〇古賀邸・炊事場・朝
朝の光が差し込む、広い炊事場。
竈に火が入り、湯気が立っている。
割烹着姿の巴が、慣れた手つきで野菜を刻んでいる。
銘仙の和服姿の紗衣がそろりと顔を出す。
紗衣「巴さん。私も何か」
巴「おや。療養していなさいと言われたでしょう」
紗衣「でも、じっとしているなんて……」
巴、手を止めて紗衣を見る。
細い体、伏せた目。その健気さに目元をゆるめる。
巴「……じゃあ、これを剥けるかい」
巴、笊に盛った芋を差し出す。紗衣、ほっとしたように顔を明るくして受け取る。
紗衣「はいっ」
紗衣、慣れた手つきで芋を剥き始める。
巴(家事はお手の物か。良家のお嬢さんがねえ……)
巴、紗衣の横顔をちらりと見て、何か言いたげに口を開く。
巴「行儀見習いに上がるってのは、気に入られればそのまま嫁にという立派な良縁の糸口だ。黎様も労働力が欲しくて紗衣様を預かっているのではないのだからね。そんなにやっきにならなくても」
紗衣(これからきっと佐伯家に貰われるだろう華乃はそうなのだろうけど)
紗衣「私は古賀様にただ温情でおいてもらってるだけですから」
巴「なぜそう思うのかい?」
紗衣「私は忌まわしい娘で……繁殖しか役に立たない兎なんです。でもそれさえも、成熟できてないから能力がないといわれています」
それを聞いて巴は「なんとまぁ」と小さく呟いて眉をしかめた。
いたわしい、という小さい声は紗衣に聞こえず、
紗衣(役立たずですよね)
しょぼんとする。
と、そこへ少年が書生姿で現れて、紗衣の背に抱き着いてくる。驚いて振り向く紗衣。
「あなたは」
と夜会の少年だと気づいて
「無事だったのね」と破顔する紗衣。※とびっきり可愛い顔。
黎少年は目を見開いて見とれてから、こちらもにっこりと愛らしく笑う。
紗衣「あなたも古賀様に助けられていたの。怖い思いしなかった?」
と少年になっている黎の頭を撫でる。
黎「こわかったよ」
クスン、と泣きそうなふりをする黎に、紗衣は「まあ」ときゅんとしてしまう。
そんな紗衣の胸に黎が顔を埋めようとして、巴に引きはがされる。
巴「黎様! いい加減になさいましっ」
黎「ちっ」
紗衣「……え!?」
巴と黎を交互に見て、目を白黒させる紗衣。
黎「騙したつもりはないけど、ごめんね。呪いで、外ではこのような姿にしかなれなくて」
紗衣「このようなって。え、っと。この子供姿は本当のお姿では無いのですか?」
黎「ええ。さきほど見せた私が本当ですよ」
可愛い姿のまま「大人だよ」と繰り返す黎に紗衣はぽかんとしている。
巴「でも、黎様は屋敷内だけは霊力が保てるので元のお姿にも戻れるんですよ。子供の姿はいつでもなれるからって、よく驚かすこともあるのですよ。本当に人が悪いこと」
黎「保てるとはいえ、呪いは残っているから、この方が楽なのだよ!」
巴「知りません。普段は書斎に籠ってばかりだというのに。さ、どこぞへお行きなさいまし」
黎「ひどいよぉ。寂しかっただけなのに……」
といって、黎は紗衣の背にくっつく。
紗衣「……お、お寂しいのですか」
黎「……うん。この姿だと心もちょっと幼くなっちゃうみたい」
紗衣「そ、そうなんですね?」
巴「そんなわけはありませんからね、嘘つき狐の心は真っ黒ですよ」
びっくりしながら聞いていた紗衣。
黎「で、では……貴方は、その、本当に古賀様なのですね? え。あの古賀様が、この……お子様で、えっと」
黎「『黎』って呼んでいいよ」
にっこり笑う黎に紗衣は「ひゃあ」と大混乱。(笑)
紗衣「!!ということは、わ、私、れ、黎様の頭を撫でて……あ、、あ、なんてことを!」
真っ青になる。
黎「うん。ねえ、もっと撫でて?」
黎はわざと上目遣いをする。
巴「おやめ。紗衣さんを気絶させる気かい!」
あきれた声で言う。
巴「紗衣さん。昼餉まで庭を散策してきてはどうだい。薔薇も見ごろだから」
巴は固まって震えている紗衣に声をかける。
巴「従者の桂が外にいるから声をかけたらいい」
追おうとする黎えを「いけません、黎様はここにお座りなさいまし!」と巴がぴしゃりと叱る。
逃げ出すように外に出る紗衣。
〇古賀邸・庭・昼前
敷地の大半を閉めているので狭いが、よく手入れされた庭。アーチの薔薇が咲いている。
そして紗衣が「わあ!」と目を見開いて近寄ったのは、黒い車。
紗衣(車だわ、きらきらしてる。なんて綺麗なのかしら)
と車体やタイヤにまじまじと魅入る。
桂「車がお好きなんですかい」
作業着姿の男がにこにこ出てくる。大柄で犬っぽい男の従者、桂。
紗衣「あ、こんにちは。勝手に見たりして失礼を。すごく綺麗だったので」
桂「いいんすよ~俺は桂っす」
紗衣「藤島紗衣と申します。昨夜からこちらでお世話になっております」
桂「はは。俺は黎様に眷属化してもらっただけの犬で、巴さんとは違うんす。ただの雑用なんで固いのはよしてくれや」
紗衣「……私は兎の半妖なんです」
桂「兎の紗衣さんか~。薔薇より車を褒めてくれるとはお目が高いや!」
鼻を擦って嬉しそうな桂。
桂「英国渡りでね。こいつの管理と運転が一番大変だけど気合入る仕事なんすわ。昨夜の乗り心地は……ってそうか。紗衣さん寝てたっけか」
紗衣「私、この車に乗ったのね!? ……目覚めてればよかった」
目を見開いてから残念そうに嘆く紗衣。
桂「またいつでも乗ればいい」
紗衣「ほんと? その機会があるなら、どんなにか素敵でしょうね。……早く走るのかしら」
桂「ええ、帝都までもひとっ走り、半刻かからないっすね」
紗衣「帝都へも行ったことがおありなの!? すごいわ、桂さんっ」
桂「ふえ? 行ったことねえっすか」
紗衣「ええ。死ぬまでに一度……見てみたいものだけど」
目を瞬かせる紗衣に、桂が言葉に困っている。
黎「仲良さそうだね。けど、紗衣さんが褒めてるそれは私の車だよ!」
桂「あー黎様。そりゃそうっす」
黎「帝都もいっぱい行ってるよ。桂よりずっと色々なものを見てる!」
紗衣「わあっ」
桂「まぁ、俺は運転手なんで」
黎「帝都に行きたいんだね。連れて行くよ。今日でも明日でも。うん、行こう行こう」
黎が紗衣の両手を取る。
紗衣「え、いや。まさか。いいです、いいですっ……私、そんな帝都に行けるようなお金も服もないですし」
黎「服か。うん、服を買わなきゃ」
紗衣は黎の勢いにびっくり。桂は面白そうに黎の様子を見ている。
黎「よし、明日出かけよう! 桂、準備しといて」
〇翌日。古賀邸、和室
どこかから袴を用意した巴。
紗衣に赤い銘仙と紫の袴を着せて、ダウンスタイルの白いリボンでハーフアップにしあげた。
巴「お可愛らしいこと」
紗衣(まるで女学生みたい。夢みたい。身分不相応だわ)
照れながらも嬉しそうな紗衣。
黎も洋装に決めて現れた。
大人姿で三つ揃いのスーツ。懐中時計のチェーン、ポケットチーフ。
結わえた長髪は撫でつけてある。
目を奪われた紗衣。黎も紗衣に見とれている。
黎「素敵ですね、紗衣さん」
紗衣「あ、ありがとうございます」
照れて頬を染める。
巴「慎み深い紳士でいるんですよ?」
黎「心得てる」
巴「どうだか。黎様には首輪とリードをつけておきたいくらい」
黎は巴のぼやきを無視して、紗衣に手を差し出し紳士にエスコート。
桂も作業着からぴかぴかの運転手の服に着替えて、扉をあけた。
紗衣(ほんとに夢みたい……)
けれど、車に乗り込んだとたん、黎は紗衣の頬に口づけた。
紗衣「っ!」
桂「え」
黎「ああ。言いませんでしたっけ。貴女に触れるほどに力が満ちて、一時的に呪いが解ける」
紗衣(私と触れることで、黎様の呪いが?)
黎「ですから。……銀座で私が半裸にならないように。妖気をいただくのを許してくださいね」
と甘い耳打ちをしてくる。
紗衣はまた真っ赤になって固まる。
運転席の桂「……巴さんに怒られるっすよ?」
黎「おお、それは怖いな。よし早く出発しよう」
黎が紗衣の手を握って、妖艶にほほ笑んだ。
(第5話に続く)
〇古賀邸・炊事場・朝
朝の光が差し込む、広い炊事場。
竈に火が入り、湯気が立っている。
割烹着姿の巴が、慣れた手つきで野菜を刻んでいる。
銘仙の和服姿の紗衣がそろりと顔を出す。
紗衣「巴さん。私も何か」
巴「おや。療養していなさいと言われたでしょう」
紗衣「でも、じっとしているなんて……」
巴、手を止めて紗衣を見る。
細い体、伏せた目。その健気さに目元をゆるめる。
巴「……じゃあ、これを剥けるかい」
巴、笊に盛った芋を差し出す。紗衣、ほっとしたように顔を明るくして受け取る。
紗衣「はいっ」
紗衣、慣れた手つきで芋を剥き始める。
巴(家事はお手の物か。良家のお嬢さんがねえ……)
巴、紗衣の横顔をちらりと見て、何か言いたげに口を開く。
巴「行儀見習いに上がるってのは、気に入られればそのまま嫁にという立派な良縁の糸口だ。黎様も労働力が欲しくて紗衣様を預かっているのではないのだからね。そんなにやっきにならなくても」
紗衣(これからきっと佐伯家に貰われるだろう華乃はそうなのだろうけど)
紗衣「私は古賀様にただ温情でおいてもらってるだけですから」
巴「なぜそう思うのかい?」
紗衣「私は忌まわしい娘で……繁殖しか役に立たない兎なんです。でもそれさえも、成熟できてないから能力がないといわれています」
それを聞いて巴は「なんとまぁ」と小さく呟いて眉をしかめた。
いたわしい、という小さい声は紗衣に聞こえず、
紗衣(役立たずですよね)
しょぼんとする。
と、そこへ少年が書生姿で現れて、紗衣の背に抱き着いてくる。驚いて振り向く紗衣。
「あなたは」
と夜会の少年だと気づいて
「無事だったのね」と破顔する紗衣。※とびっきり可愛い顔。
黎少年は目を見開いて見とれてから、こちらもにっこりと愛らしく笑う。
紗衣「あなたも古賀様に助けられていたの。怖い思いしなかった?」
と少年になっている黎の頭を撫でる。
黎「こわかったよ」
クスン、と泣きそうなふりをする黎に、紗衣は「まあ」ときゅんとしてしまう。
そんな紗衣の胸に黎が顔を埋めようとして、巴に引きはがされる。
巴「黎様! いい加減になさいましっ」
黎「ちっ」
紗衣「……え!?」
巴と黎を交互に見て、目を白黒させる紗衣。
黎「騙したつもりはないけど、ごめんね。呪いで、外ではこのような姿にしかなれなくて」
紗衣「このようなって。え、っと。この子供姿は本当のお姿では無いのですか?」
黎「ええ。さきほど見せた私が本当ですよ」
可愛い姿のまま「大人だよ」と繰り返す黎に紗衣はぽかんとしている。
巴「でも、黎様は屋敷内だけは霊力が保てるので元のお姿にも戻れるんですよ。子供の姿はいつでもなれるからって、よく驚かすこともあるのですよ。本当に人が悪いこと」
黎「保てるとはいえ、呪いは残っているから、この方が楽なのだよ!」
巴「知りません。普段は書斎に籠ってばかりだというのに。さ、どこぞへお行きなさいまし」
黎「ひどいよぉ。寂しかっただけなのに……」
といって、黎は紗衣の背にくっつく。
紗衣「……お、お寂しいのですか」
黎「……うん。この姿だと心もちょっと幼くなっちゃうみたい」
紗衣「そ、そうなんですね?」
巴「そんなわけはありませんからね、嘘つき狐の心は真っ黒ですよ」
びっくりしながら聞いていた紗衣。
黎「で、では……貴方は、その、本当に古賀様なのですね? え。あの古賀様が、この……お子様で、えっと」
黎「『黎』って呼んでいいよ」
にっこり笑う黎に紗衣は「ひゃあ」と大混乱。(笑)
紗衣「!!ということは、わ、私、れ、黎様の頭を撫でて……あ、、あ、なんてことを!」
真っ青になる。
黎「うん。ねえ、もっと撫でて?」
黎はわざと上目遣いをする。
巴「おやめ。紗衣さんを気絶させる気かい!」
あきれた声で言う。
巴「紗衣さん。昼餉まで庭を散策してきてはどうだい。薔薇も見ごろだから」
巴は固まって震えている紗衣に声をかける。
巴「従者の桂が外にいるから声をかけたらいい」
追おうとする黎えを「いけません、黎様はここにお座りなさいまし!」と巴がぴしゃりと叱る。
逃げ出すように外に出る紗衣。
〇古賀邸・庭・昼前
敷地の大半を閉めているので狭いが、よく手入れされた庭。アーチの薔薇が咲いている。
そして紗衣が「わあ!」と目を見開いて近寄ったのは、黒い車。
紗衣(車だわ、きらきらしてる。なんて綺麗なのかしら)
と車体やタイヤにまじまじと魅入る。
桂「車がお好きなんですかい」
作業着姿の男がにこにこ出てくる。大柄で犬っぽい男の従者、桂。
紗衣「あ、こんにちは。勝手に見たりして失礼を。すごく綺麗だったので」
桂「いいんすよ~俺は桂っす」
紗衣「藤島紗衣と申します。昨夜からこちらでお世話になっております」
桂「はは。俺は黎様に眷属化してもらっただけの犬で、巴さんとは違うんす。ただの雑用なんで固いのはよしてくれや」
紗衣「……私は兎の半妖なんです」
桂「兎の紗衣さんか~。薔薇より車を褒めてくれるとはお目が高いや!」
鼻を擦って嬉しそうな桂。
桂「英国渡りでね。こいつの管理と運転が一番大変だけど気合入る仕事なんすわ。昨夜の乗り心地は……ってそうか。紗衣さん寝てたっけか」
紗衣「私、この車に乗ったのね!? ……目覚めてればよかった」
目を見開いてから残念そうに嘆く紗衣。
桂「またいつでも乗ればいい」
紗衣「ほんと? その機会があるなら、どんなにか素敵でしょうね。……早く走るのかしら」
桂「ええ、帝都までもひとっ走り、半刻かからないっすね」
紗衣「帝都へも行ったことがおありなの!? すごいわ、桂さんっ」
桂「ふえ? 行ったことねえっすか」
紗衣「ええ。死ぬまでに一度……見てみたいものだけど」
目を瞬かせる紗衣に、桂が言葉に困っている。
黎「仲良さそうだね。けど、紗衣さんが褒めてるそれは私の車だよ!」
桂「あー黎様。そりゃそうっす」
黎「帝都もいっぱい行ってるよ。桂よりずっと色々なものを見てる!」
紗衣「わあっ」
桂「まぁ、俺は運転手なんで」
黎「帝都に行きたいんだね。連れて行くよ。今日でも明日でも。うん、行こう行こう」
黎が紗衣の両手を取る。
紗衣「え、いや。まさか。いいです、いいですっ……私、そんな帝都に行けるようなお金も服もないですし」
黎「服か。うん、服を買わなきゃ」
紗衣は黎の勢いにびっくり。桂は面白そうに黎の様子を見ている。
黎「よし、明日出かけよう! 桂、準備しといて」
〇翌日。古賀邸、和室
どこかから袴を用意した巴。
紗衣に赤い銘仙と紫の袴を着せて、ダウンスタイルの白いリボンでハーフアップにしあげた。
巴「お可愛らしいこと」
紗衣(まるで女学生みたい。夢みたい。身分不相応だわ)
照れながらも嬉しそうな紗衣。
黎も洋装に決めて現れた。
大人姿で三つ揃いのスーツ。懐中時計のチェーン、ポケットチーフ。
結わえた長髪は撫でつけてある。
目を奪われた紗衣。黎も紗衣に見とれている。
黎「素敵ですね、紗衣さん」
紗衣「あ、ありがとうございます」
照れて頬を染める。
巴「慎み深い紳士でいるんですよ?」
黎「心得てる」
巴「どうだか。黎様には首輪とリードをつけておきたいくらい」
黎は巴のぼやきを無視して、紗衣に手を差し出し紳士にエスコート。
桂も作業着からぴかぴかの運転手の服に着替えて、扉をあけた。
紗衣(ほんとに夢みたい……)
けれど、車に乗り込んだとたん、黎は紗衣の頬に口づけた。
紗衣「っ!」
桂「え」
黎「ああ。言いませんでしたっけ。貴女に触れるほどに力が満ちて、一時的に呪いが解ける」
紗衣(私と触れることで、黎様の呪いが?)
黎「ですから。……銀座で私が半裸にならないように。妖気をいただくのを許してくださいね」
と甘い耳打ちをしてくる。
紗衣はまた真っ赤になって固まる。
運転席の桂「……巴さんに怒られるっすよ?」
黎「おお、それは怖いな。よし早く出発しよう」
黎が紗衣の手を握って、妖艶にほほ笑んだ。
(第5話に続く)
