第1話 月兎は狩りの夜に震える
〇大正風の屋敷・ホール・夜
薄桜色の柔らかなドレスと白いショールをまとった藤島紗衣。
ショールをぎゅっとつかんで、ホールの隅に身を縮めて立っている。
目は恐怖に見開かれ、肩が小さく震えている。
紗衣独白(こんな綺麗なドレス、生まれて初めて。……でも)
※以降()内は独白。
周りには紗衣と同じような娘が数人。
ただ他の娘たちは遊女風で、下卑た派手な着物や濃い化粧の者が多い。
仮面をつけた正装の男たちが娘らを取り囲み、口元に嫌な笑みを浮かべて囁き合っている。
その視線を浴びて、紗衣はぞっとして顔をそむける。
紗衣(私が夜会に連れられるだなんて、おかしいと思ったのよ……)
主催者の男
「子の刻が鳴れば狩りの始まりです。今宵お集まりは妖ばかり。世俗の戒めなど忘れ、宴をお楽しみくださいませ」
説明文
『妖と人間が交わる、近代日本。妖はそれぞれの異能で支配者層となり、帝都を守っている。人への虐げは法で禁じられ、共に生きている』
紗衣(夜会とは聞いたけれど。こんな、法に背いた宴が開かれているなんて)
〇玄関ホール
子の刻を前に、娘たちが一斉にホールを出て扉をバタンと閉める。
広い洋風玄関ホールはいくつもの部屋と、二階へと続く階段がある。
閉じた扉の向こうから、妖たちのクスクス笑う声が漏れる。
女1「ここを出なきゃ。始まる前に散りましょう!」
女2「逃げたって、どうせすぐ捕まるわ。あなた初めて?」
女1「違うけど、隠れて怯えて見せた方が、楽しんでいただけるもの」
女2「そうよね、ホールで見世物はごめん。あぁ、今夜こそ素敵な軍人さんに捕まりた〜い」
女1「ばかね、素敵な妖がこんな集まりに来るわけないでしょ。乱暴者の鬼ばかり」
女2「ほんと、いやになる。適当に泣いてみせて、早めに満足させたいわ」
紗衣(どうして、こんなことに。私は『獲物』だなんて聞いていない。この子たちは、納得して来ているというの?)
遊女の一人と、ふと目が合う。
女1「え……その赤い瞳。あなた、まさか妖なの!?」
紗衣「い、いえ、私は……」
女2「妖がどうして獲物側に。……あ、でも、その色は」
女1「月兎よ。兎だけは、妖でも人でもない半妖でしょう」
遊女たちの目が、一瞬で冷たい蔑みに変わる。
女2「なーんだ。じゃあ今夜の、格好の生贄ね」
一人の遊女が、何かに気づいて顔を引きつらせる。
女1「ねえ、でも……! 月兎は、男を狂わせて廃人にするって言うじゃない……っ。嫌、近寄らないで。ここから出てってよ!」
激しく拒まれ、突き飛ばされる紗衣。
遊女たちに無理やり裏口から外へ追い出される。
女2「入ってこないで。素人の月兎なんか、外で追われていればいいのよ」
ぴしゃりと閉じられる裏口の扉。
紗衣(私はただ、言われるがまま、ここに来ただけなのに)
〇月明かりの庭園・夜
紗衣、ひとり月を見上げる。
紗衣(お母さま。私は、ここで供物になるために生まれてきたの? 怖いわ。
辱められるくらいなら、このまま消えてしまいたい……)
屋敷の方から、獣じみた咆哮が聞こえる。
びくっと肩を震わせ、紗衣の頬を涙が伝う。
ふっと、風が吹く。目を瞬かせると、月明かりの庭園に七歳前後の可愛い少年が立っていた。
おかっぱ風の黒髪がさらりと揺れる。琥珀色の切れ長の瞳、整った顔の美少年だ。
濃紺の袴に白いシャツをきっちり着こんでいる。小さな書生のようだ。
少年もまた、同じように驚いて紗衣を見ている。
紗衣「えっ……どうして、子供が?」
ボーン、ボーン──子の刻を告げる鐘。
紗衣ははっと我に返り、少年に駆け寄って手を引く。
紗衣「いけないっ、狩りが始まるわ! こっちへ」
〇庭園の蔵・夜
紗衣は少年の手を引いて、庭園の隅にある広めの蔵へ駆け込む。
暗い蔵の奥へ、二人で身を寄せて座り込む。
紗衣「どうして、こんなところに。ご両親は?」
少年、何も言わずじっと紗衣を見つめている。
紗衣「迷子かな、屋敷には興奮した妖がたくさんいるの。乱暴されたら大変だわ」
少年「……うん」
紗衣「……。大丈夫よ。守ってあげるから。……大丈夫」
まとっていたショールを外し、少年の肩にそっと巻いてやる紗衣。
「大丈夫」と繰り返す紗衣の手は、小さく震えている。
紗衣、座り込んだまま、ぎゅっと目を閉じる。
※それをじっと見つめる少年の瞳が金色にゆらめく。紗衣は気づかない。
〇藤島家・蔵・夜【回想】
ぽつんと座り込む、幼い紗衣。
小窓から、細い月明かりだけが差し込む。
紗衣 回想文
『私には、人を惑わすという兎の血がある。母が亡くなってからというもの、月が満ちる頃になると、何日も義母に蔵へ閉じ込められた』
扉の向こうから声がする。
義妹「人を惑わして狂わせるなんて、恐ろしいわ。お母さま、どうしてまだ追い出さないの」
義母「あと数年の辛抱よ……」
蔵の中で座る幼い紗衣、
粗末な茶碗をかかえて煎じ薬を呑んでいる。
寒さで白い息を吐く。
義母「忌まわしい子。発達を抑える薬まで与えてやっているのだから感謝してほしいわ。せめて高く売れてくれないとね」
義妹「でも役立たずのお姉様をもらってくれる家なんてあるの?」
義母「年が満ちればそれなりに使い道はある。兎は、繁殖の生き物だからね。──ああ、口にするのもおぞましいこと」
〇藤島家の蔵から、現在の蔵へ(回想明け)
紗衣、ゆっくりと目を開ける。
紗衣(そうだったわ。これまでの薬代の分だけでも、役に立たないと。隠れたまま家に戻ったら……何をされるか)
少年をちらりと見て、紗衣は静かに立ち上がる。
紗衣「ここでじっと隠れていて。夜が明けて妖たちが去ったら、こっそり逃げなさい」
少年「どこへ行くの?」
紗衣「私は……囮になれる。私……そのための『贄』だから」
気丈に微笑んでみせて、蔵を出ていこうとする紗衣。
その足は、震えている。
立ち上がった少年が、紗衣の腕をぐいと引く。
よろめいた紗衣の体を、小柄な少年が危なげなく受け止めた。
その拍子に、紗衣は少年と抱き合う形になる。すると少年の瞳が驚いたように金色に弾けて、ふわりと、その身が金の光に包まれた。
紗衣「……っ」
紗衣は目がくらむ。
光が薄れると──そこには、長身の男が紗衣を抱きとめていた。
子供の身につけていた書生の装いが破けている。
袴は丈が短く、無理やり結び直した紐でかろうじて腰回りに布が留まっている。
シャツは肩のあたりが破れ、あらわになった胸元と鎖骨が艶めかしい。
黒々とした長髪に、切れ長の瞳。
※古賀伯爵家当主、古賀黎(こがれい)。以降、黎と表記。
(第2話へ続く)
〇大正風の屋敷・ホール・夜
薄桜色の柔らかなドレスと白いショールをまとった藤島紗衣。
ショールをぎゅっとつかんで、ホールの隅に身を縮めて立っている。
目は恐怖に見開かれ、肩が小さく震えている。
紗衣独白(こんな綺麗なドレス、生まれて初めて。……でも)
※以降()内は独白。
周りには紗衣と同じような娘が数人。
ただ他の娘たちは遊女風で、下卑た派手な着物や濃い化粧の者が多い。
仮面をつけた正装の男たちが娘らを取り囲み、口元に嫌な笑みを浮かべて囁き合っている。
その視線を浴びて、紗衣はぞっとして顔をそむける。
紗衣(私が夜会に連れられるだなんて、おかしいと思ったのよ……)
主催者の男
「子の刻が鳴れば狩りの始まりです。今宵お集まりは妖ばかり。世俗の戒めなど忘れ、宴をお楽しみくださいませ」
説明文
『妖と人間が交わる、近代日本。妖はそれぞれの異能で支配者層となり、帝都を守っている。人への虐げは法で禁じられ、共に生きている』
紗衣(夜会とは聞いたけれど。こんな、法に背いた宴が開かれているなんて)
〇玄関ホール
子の刻を前に、娘たちが一斉にホールを出て扉をバタンと閉める。
広い洋風玄関ホールはいくつもの部屋と、二階へと続く階段がある。
閉じた扉の向こうから、妖たちのクスクス笑う声が漏れる。
女1「ここを出なきゃ。始まる前に散りましょう!」
女2「逃げたって、どうせすぐ捕まるわ。あなた初めて?」
女1「違うけど、隠れて怯えて見せた方が、楽しんでいただけるもの」
女2「そうよね、ホールで見世物はごめん。あぁ、今夜こそ素敵な軍人さんに捕まりた〜い」
女1「ばかね、素敵な妖がこんな集まりに来るわけないでしょ。乱暴者の鬼ばかり」
女2「ほんと、いやになる。適当に泣いてみせて、早めに満足させたいわ」
紗衣(どうして、こんなことに。私は『獲物』だなんて聞いていない。この子たちは、納得して来ているというの?)
遊女の一人と、ふと目が合う。
女1「え……その赤い瞳。あなた、まさか妖なの!?」
紗衣「い、いえ、私は……」
女2「妖がどうして獲物側に。……あ、でも、その色は」
女1「月兎よ。兎だけは、妖でも人でもない半妖でしょう」
遊女たちの目が、一瞬で冷たい蔑みに変わる。
女2「なーんだ。じゃあ今夜の、格好の生贄ね」
一人の遊女が、何かに気づいて顔を引きつらせる。
女1「ねえ、でも……! 月兎は、男を狂わせて廃人にするって言うじゃない……っ。嫌、近寄らないで。ここから出てってよ!」
激しく拒まれ、突き飛ばされる紗衣。
遊女たちに無理やり裏口から外へ追い出される。
女2「入ってこないで。素人の月兎なんか、外で追われていればいいのよ」
ぴしゃりと閉じられる裏口の扉。
紗衣(私はただ、言われるがまま、ここに来ただけなのに)
〇月明かりの庭園・夜
紗衣、ひとり月を見上げる。
紗衣(お母さま。私は、ここで供物になるために生まれてきたの? 怖いわ。
辱められるくらいなら、このまま消えてしまいたい……)
屋敷の方から、獣じみた咆哮が聞こえる。
びくっと肩を震わせ、紗衣の頬を涙が伝う。
ふっと、風が吹く。目を瞬かせると、月明かりの庭園に七歳前後の可愛い少年が立っていた。
おかっぱ風の黒髪がさらりと揺れる。琥珀色の切れ長の瞳、整った顔の美少年だ。
濃紺の袴に白いシャツをきっちり着こんでいる。小さな書生のようだ。
少年もまた、同じように驚いて紗衣を見ている。
紗衣「えっ……どうして、子供が?」
ボーン、ボーン──子の刻を告げる鐘。
紗衣ははっと我に返り、少年に駆け寄って手を引く。
紗衣「いけないっ、狩りが始まるわ! こっちへ」
〇庭園の蔵・夜
紗衣は少年の手を引いて、庭園の隅にある広めの蔵へ駆け込む。
暗い蔵の奥へ、二人で身を寄せて座り込む。
紗衣「どうして、こんなところに。ご両親は?」
少年、何も言わずじっと紗衣を見つめている。
紗衣「迷子かな、屋敷には興奮した妖がたくさんいるの。乱暴されたら大変だわ」
少年「……うん」
紗衣「……。大丈夫よ。守ってあげるから。……大丈夫」
まとっていたショールを外し、少年の肩にそっと巻いてやる紗衣。
「大丈夫」と繰り返す紗衣の手は、小さく震えている。
紗衣、座り込んだまま、ぎゅっと目を閉じる。
※それをじっと見つめる少年の瞳が金色にゆらめく。紗衣は気づかない。
〇藤島家・蔵・夜【回想】
ぽつんと座り込む、幼い紗衣。
小窓から、細い月明かりだけが差し込む。
紗衣 回想文
『私には、人を惑わすという兎の血がある。母が亡くなってからというもの、月が満ちる頃になると、何日も義母に蔵へ閉じ込められた』
扉の向こうから声がする。
義妹「人を惑わして狂わせるなんて、恐ろしいわ。お母さま、どうしてまだ追い出さないの」
義母「あと数年の辛抱よ……」
蔵の中で座る幼い紗衣、
粗末な茶碗をかかえて煎じ薬を呑んでいる。
寒さで白い息を吐く。
義母「忌まわしい子。発達を抑える薬まで与えてやっているのだから感謝してほしいわ。せめて高く売れてくれないとね」
義妹「でも役立たずのお姉様をもらってくれる家なんてあるの?」
義母「年が満ちればそれなりに使い道はある。兎は、繁殖の生き物だからね。──ああ、口にするのもおぞましいこと」
〇藤島家の蔵から、現在の蔵へ(回想明け)
紗衣、ゆっくりと目を開ける。
紗衣(そうだったわ。これまでの薬代の分だけでも、役に立たないと。隠れたまま家に戻ったら……何をされるか)
少年をちらりと見て、紗衣は静かに立ち上がる。
紗衣「ここでじっと隠れていて。夜が明けて妖たちが去ったら、こっそり逃げなさい」
少年「どこへ行くの?」
紗衣「私は……囮になれる。私……そのための『贄』だから」
気丈に微笑んでみせて、蔵を出ていこうとする紗衣。
その足は、震えている。
立ち上がった少年が、紗衣の腕をぐいと引く。
よろめいた紗衣の体を、小柄な少年が危なげなく受け止めた。
その拍子に、紗衣は少年と抱き合う形になる。すると少年の瞳が驚いたように金色に弾けて、ふわりと、その身が金の光に包まれた。
紗衣「……っ」
紗衣は目がくらむ。
光が薄れると──そこには、長身の男が紗衣を抱きとめていた。
子供の身につけていた書生の装いが破けている。
袴は丈が短く、無理やり結び直した紐でかろうじて腰回りに布が留まっている。
シャツは肩のあたりが破れ、あらわになった胸元と鎖骨が艶めかしい。
黒々とした長髪に、切れ長の瞳。
※古賀伯爵家当主、古賀黎(こがれい)。以降、黎と表記。
(第2話へ続く)
