6.
インターハイ予選2日目。今日も朝が早かったので、バス内で買ってきたおかかおにぎりを食べた。当たり前のように隣の席に座った白石先輩が、小さなタッパーの蓋に卵焼きを載せてくれた。今日は少しだしの効いた味がして美味しい。
「昨日、良かったね」
「本当ですか」
「うん。最初の1射、ぞわぞわした」
三浦くんって感じがして。と言って、白石先輩もおにぎりを頬張った。
「白石先輩は昨日皆中でしたよね」
「うん」
「今日はプレッシャーとか、ないですか」
俺は、分かりきったことを聞く。きっと白石先輩は、「楽しみ」という。
先輩は ふ、と笑った。
「あるよ」
「え? 」
予想外の回答に躊躇ったのが顔に出た。
「あるけど、それ以上に楽しみ」
白石先輩は、目をきゅっと細めて笑った。
2日目の決勝は上位4校が行射をし、決勝は引き合いの1戦となる。昨日よりも少しゆっくり巻藁に行くと、各校エース級の選手がゴロゴロといて、なんだか落ち着かなくなった。 昨日の美しい射型の大前の選手もいて、思わず引き方に見入ってしまった。
団体選抜選手で偵察を行うと、今年はインターハイ常連の洛陽高校が調子が良さそうだと言う結論になった。件の大前のいる高校だ。1立目の的中は16射。8割と言ったところで、手強い相手だと感じる。
「朝一から16射的中はすごいわ」
「あの大前、皆中したな」
「決勝はまた別物でしょ」
感嘆する進藤先輩と渡辺先輩に、冷静に白石先輩が言う。
「決勝は魔物が潜んでるから」
「魔物、ですか? 」
「うん。何が起こるかなんて分からないよ」
そうやって白石先輩は俺たちを勇気づけた、のだと思う。
「ベストを尽くそう」
進藤先輩がそう言った。その言葉は重く心に響いた。
午前は2試合行い、白石先輩が皆中し、俺も皆中1試合、3射中り1試合だった。2試合目に2位争いを決める戦いとなったがこれも1射差の僅差で勝ち、俺たちは決勝へと駒を進めることになった。
昼ごはんを食べながら、ブルーシートを広げてある陣地で軽いミーティングをする。
「いやあ厳しいかと思ったけど、決勝行けて嬉しいわ」
「先鋒だったのがでかかったよな。最後、白石の射で完全に萎縮してた」
吉田先輩がそう言ったのに特に返事をせず、白石先輩はお弁当を頬張っている。相変わらずのマイペース王者だ。少し気まずくなり、話題を変える。
「相手は洛陽ですよね、予想通り」
「そうだな。相手の雰囲気に飲まれないように」
「洛陽、今年も強いから。気負わず行こう」
渡辺先輩は、場を和ませるようにそう言った。チャラついているように見えるこの人の、こういう空気を優しくするところが好ましいと再度思った。
午後の部が始まり、射場はますます熱気に満ちていた。洛陽と榛名の一戦。榛名はベスト4には入る高校ではあったが、今年の代は強い。全国ベスト3位、白石由貴。人々の注目はそこにあった。
相手選手に続いて俺たちの入場も終わり、ざわざわと観客の声と熱気がこもる射場の中、俺は頭を空っぽにする。ベストを尽くそう、と進藤先輩も言っていた。
『ただいまより、男子団体決勝リーグ、第3戦の行射を行います。』
試合開始のアナウンスが流れ始める。
『──榛名高校 対 洛陽高校。』
『大前、榛名高校、三浦 晃君。同じく、洛陽高校、川西 裕二君。』
『二的、榛名高校、吉田 優斗君。同じく、洛陽高校、鈴木 拓也君。』
『中、榛名高校、渡辺 翔太君。同じく、洛陽高校、高橋 康介君。』
『落前、榛名高校、進藤 恒一君。同じく、洛陽高校、田中 聖君。』
一瞬の静寂。張り詰めた空気の密度が、さらに一段と増す。
『──落、榛名高校、白石 由貴君。同じく、洛陽高校、高橋 文明君。』
『──以上の10名、各自、初射の用意。』
──始まる。
先鋒は相手だった。相手の大前がいきなり的のど真ん中に的中させる。「よし!!」と観客のざわめきが飛び交う中、俺はゆっくりと弓を打ち起こす。何も、気にすることでは無いのだから。ここで、先輩たちの士気を下げてはいけない。十分に会を保ち、離れをする。
ぱあん、と気持ちのいい快音が響き、部員たちの「よし!!」という声が響いた。2巡目まではお互いに的中数は同じだった。しかし、進藤先輩が外し、その次の大落がぴしゃりと的を射る。その次の、白石先輩。横目で見た先輩の顔がどうやら曇っていて、十分な引き分けができないまま矢が離れた。ぽすん、と鈍い音が響いて、矢は的からそれた。
ざわり、と場内が揺れる。ここまで白石先輩は皆中だったから。吉田先輩や渡辺先輩、進藤先輩からも声には出さないけれど、動揺する空気が伝わってくる。そして、その流れに乗るように相手の大前が気持ちのいい音を立てて的中させる。
俺はそれを見ながら、今までの白石先輩を思い出していた。
『きみは綺麗だね』
『三浦くんはそんなやわじゃないよ』
『楽しみ。三浦くんの射が、この榛名のいちばんを切り開くのが』
ずっと、俺に評価し期待を寄せてくれていた。あなたの期待に答えたかったし、あなたが少しでも息がつけるように弓を引きたかった。並び立ちたいとずっと思ってきた。
深く、俺は呼吸をする。ゆっくりと矢を番えて、弓を引く。矢を引く腕、肩、背中、開かれた足、番える指身体の一つ一つに集中をする。そして、十分だと思ったところで、自然と手が離されていた。
重い的中音と共に、遅れて「よし!」という声が響いた。その後の相手の二的が外し、吉田先輩が的中させる。どんどんとこちらのペースへと戻っていく。相手の落前と進藤先輩が的中させる。思わず俺は横目で白石先輩をおっていた。白石先輩が口元を上げて笑っていた。なぜか、俺のことを考えているような気がしてならなかった。いつもみたいに自然な水みたいな射。軽い的中音がひびき、観客席は熱気に包まれた。
インターハイ予選が終わると、バスは学校へと到着した。
「まず今日はお疲れ様でした。インターハイに進むことができます。これは部員みんなの応援があってからこそです。これからはインターハイに向けて頑張っていきましょう。今日はゆっくり休んでください」
そう締めると、各々帰宅していった。俺も準備をする中、白石先輩から声をかけられる。
「三浦くん、時間ある」
「はい、どうしました」
「引いてるとこ、見せてくれない? 」
そして、すこし間を持って、「射を目に焼き付けたい」と言った。
弓道場へと移動すると、居残りをするのは俺たちだけで2人だけの空間が広がっていた。
「こうやって見られるの緊張するんですけど」
俺は矢を番えながら、気もそぞろになる。白石先輩がすぐ背中の後ろに立っている。
「どうして? 」
「こんな近いことないから」
白石先輩は、背中にすぐ触れられてしまう距離に位置とりしている。首にたまに息がかかる。普通では無いことだった。
「いいから。最高の射、みせて」
その言葉だけで、困惑していた心から一気にスイッチを入れられる。適切な矢束か、自分の指先を確認し、打起す。ゆっくりと背中の骨の開きを感じながら、引き分けていく。矢の重さが番えた指から伝わる。十分に貯めて、完全なタイミングで矢を離す。
ぱあん、と重い的中音、矢は的の真ん中に刺さっていた。じわじわと離した手の感覚を感じながら、ゆっくりと弓をおろした。隣を見ると、白石先輩が一心に俺を見つめている。
「綺麗」
「え」
「綺麗な人だ、三浦くんって」
目をとろりとさせながらそう言った。そして、俺の背中にそっと触れる。突然触られて分かりやすくびくりとはねた。
「今日、安心した。三浦くんの背中、頼もしかった。音が、鋭くて重くて」
ぽすん、と俺の肩口に頭を埋めてくる。俺は、弓を持ったまま、困惑してしまう。
「頼もしかったですか」
「うん。君の音に、背中に救われた」
団体は俺、1射だけ外したしね、とさらりと化け物の所業を言ってのけた。手のひらが背中の線をゆっくりと下降する。むず痒いような気がしたが拒めなかった。
「なんであのとき、辛そうな顔してたんですか」
「進藤がしんどそうだったから。なんか、雑念入ったね」
ぽそりと本音をこぼした。白石先輩でも、メンタルが射に影響を及ぼすことはあるのか。そう思ったら、白石先輩のことを、俺は何もまだ知らない気がしてくる。
「俺も、……白石先輩の射見たいです。いつも、俺からは見られないから」
体験入部で引いたとき以来かもしれない。白石先輩の射を一心に見るのは。
白石先輩はまんまるな目をしてから、「いいよ」と言った。そして、弓袋に入っていた弓を取り出し、足の甲を使って弦をぴんと張った。そして、弽を手に装着してから矢筒からひとつ矢を引き抜くと、的前に立った。切れ長な目がまっすぐ的を捉えている。白石先輩は、矢を番えると、身体の緊張なしにしなやかに打起しをする。的を前にして、貪欲にならないその姿勢が弓に出ていた。そして十分に体を張ると、肩甲骨が大きく開いて見える。気付いた時には、すぱ、と的の真ん中を射っていた。その姿勢をゆっくり解いていき、白石先輩の流し目と目が合う。どくり、として目線が逸らせない。
「どう? 」
「本当に綺麗ですね」
俺が、思わず目を細めて微笑むと、白石先輩はじっとこちらを見る。何かを測るみたいな目だった。そして、身をかがめた白石先輩と近くなった。と思ったら、腕を引き寄せられて唇が触れていた。しっとりした感触に、握られた腕。しかし、脳が現状を受け入れていなかった。数秒あわせただけで、唇は離れていった。現状を理解して頬が熱くなる。
三浦くんってさ、と切り出す。
「俺のこと、悪くないと思っているでしょ」
なんだかいやに白石先輩らしい言い方だと思った。悪くない、ってところもまた。
むしろそれよりも。
「いいと思ってます」
「いいと思ってる、?」
「たぶんずっと、昔から」
あなたの弓が好きでした。と目を見て言う。白石先輩が目を見開き、その言葉を理解したあと、背中に回された手に力がこもった。
「昔って、いつ」
「──体験入部であなたが弓を引いたときから? 」
すう、と息を呑む音がする。
「それ。最初からと一緒でしょ」
呆れるような、愛おしいと思われているようなそんなニュアンスを含んだ声が耳元で囁かれた。
「そうですね」
なんでもないみたいに言うと、白石先輩は背中に回った手の反対で、俺の弽をした手を取った。俺の指を見て、逡巡したあと、ひとりで納得したようにこう言った。
「同じ大学に来ない? 」
「え、大学? 」
「推薦もらってるの」
関東体育大学。と当たり前のように呟いた。
この人はなんでもないことみたいに言うけど、普通じゃない。そして、今の流れでいきなり大学の話をしてくるのだからよく分からない。
「なんで、ですか? 」
「また一緒に弓が引きたいから」
だから、インハイ頑張って。と他人事みたいに念押ししたあと、俺の手の甲に口付けた。
「……過剰に評価しすぎじゃないですか」
「今日の射を見てもそんなこと言う人いないよ」
押し黙る俺に、白石先輩は手を引く。
「白石先輩、」
「もっと近くにきて」
甘い声に懇願するような目。俺はぞわりとした。抗わずその手に従った。
「どうしてですか? 」
「もっと知りたい。きみのこと」
するり、と指の甲の血管を辿られる。
知りたい。俺のことを?息を呑んで白石先輩を見つめる。切れ長な美しい目。最初にあったときと変わらない。
「きみは、絶対俺のとこに来る」
根拠の無い言葉。それなのに、どうしてか俺もそうなるだろうと思ってしまっている。
この人の射も、美しさも、どこか読めないところも全部にきっと俺は惹かれている。
どうやら俺と白石先輩の弓は、これからも続いていくらしい。
インターハイ予選2日目。今日も朝が早かったので、バス内で買ってきたおかかおにぎりを食べた。当たり前のように隣の席に座った白石先輩が、小さなタッパーの蓋に卵焼きを載せてくれた。今日は少しだしの効いた味がして美味しい。
「昨日、良かったね」
「本当ですか」
「うん。最初の1射、ぞわぞわした」
三浦くんって感じがして。と言って、白石先輩もおにぎりを頬張った。
「白石先輩は昨日皆中でしたよね」
「うん」
「今日はプレッシャーとか、ないですか」
俺は、分かりきったことを聞く。きっと白石先輩は、「楽しみ」という。
先輩は ふ、と笑った。
「あるよ」
「え? 」
予想外の回答に躊躇ったのが顔に出た。
「あるけど、それ以上に楽しみ」
白石先輩は、目をきゅっと細めて笑った。
2日目の決勝は上位4校が行射をし、決勝は引き合いの1戦となる。昨日よりも少しゆっくり巻藁に行くと、各校エース級の選手がゴロゴロといて、なんだか落ち着かなくなった。 昨日の美しい射型の大前の選手もいて、思わず引き方に見入ってしまった。
団体選抜選手で偵察を行うと、今年はインターハイ常連の洛陽高校が調子が良さそうだと言う結論になった。件の大前のいる高校だ。1立目の的中は16射。8割と言ったところで、手強い相手だと感じる。
「朝一から16射的中はすごいわ」
「あの大前、皆中したな」
「決勝はまた別物でしょ」
感嘆する進藤先輩と渡辺先輩に、冷静に白石先輩が言う。
「決勝は魔物が潜んでるから」
「魔物、ですか? 」
「うん。何が起こるかなんて分からないよ」
そうやって白石先輩は俺たちを勇気づけた、のだと思う。
「ベストを尽くそう」
進藤先輩がそう言った。その言葉は重く心に響いた。
午前は2試合行い、白石先輩が皆中し、俺も皆中1試合、3射中り1試合だった。2試合目に2位争いを決める戦いとなったがこれも1射差の僅差で勝ち、俺たちは決勝へと駒を進めることになった。
昼ごはんを食べながら、ブルーシートを広げてある陣地で軽いミーティングをする。
「いやあ厳しいかと思ったけど、決勝行けて嬉しいわ」
「先鋒だったのがでかかったよな。最後、白石の射で完全に萎縮してた」
吉田先輩がそう言ったのに特に返事をせず、白石先輩はお弁当を頬張っている。相変わらずのマイペース王者だ。少し気まずくなり、話題を変える。
「相手は洛陽ですよね、予想通り」
「そうだな。相手の雰囲気に飲まれないように」
「洛陽、今年も強いから。気負わず行こう」
渡辺先輩は、場を和ませるようにそう言った。チャラついているように見えるこの人の、こういう空気を優しくするところが好ましいと再度思った。
午後の部が始まり、射場はますます熱気に満ちていた。洛陽と榛名の一戦。榛名はベスト4には入る高校ではあったが、今年の代は強い。全国ベスト3位、白石由貴。人々の注目はそこにあった。
相手選手に続いて俺たちの入場も終わり、ざわざわと観客の声と熱気がこもる射場の中、俺は頭を空っぽにする。ベストを尽くそう、と進藤先輩も言っていた。
『ただいまより、男子団体決勝リーグ、第3戦の行射を行います。』
試合開始のアナウンスが流れ始める。
『──榛名高校 対 洛陽高校。』
『大前、榛名高校、三浦 晃君。同じく、洛陽高校、川西 裕二君。』
『二的、榛名高校、吉田 優斗君。同じく、洛陽高校、鈴木 拓也君。』
『中、榛名高校、渡辺 翔太君。同じく、洛陽高校、高橋 康介君。』
『落前、榛名高校、進藤 恒一君。同じく、洛陽高校、田中 聖君。』
一瞬の静寂。張り詰めた空気の密度が、さらに一段と増す。
『──落、榛名高校、白石 由貴君。同じく、洛陽高校、高橋 文明君。』
『──以上の10名、各自、初射の用意。』
──始まる。
先鋒は相手だった。相手の大前がいきなり的のど真ん中に的中させる。「よし!!」と観客のざわめきが飛び交う中、俺はゆっくりと弓を打ち起こす。何も、気にすることでは無いのだから。ここで、先輩たちの士気を下げてはいけない。十分に会を保ち、離れをする。
ぱあん、と気持ちのいい快音が響き、部員たちの「よし!!」という声が響いた。2巡目まではお互いに的中数は同じだった。しかし、進藤先輩が外し、その次の大落がぴしゃりと的を射る。その次の、白石先輩。横目で見た先輩の顔がどうやら曇っていて、十分な引き分けができないまま矢が離れた。ぽすん、と鈍い音が響いて、矢は的からそれた。
ざわり、と場内が揺れる。ここまで白石先輩は皆中だったから。吉田先輩や渡辺先輩、進藤先輩からも声には出さないけれど、動揺する空気が伝わってくる。そして、その流れに乗るように相手の大前が気持ちのいい音を立てて的中させる。
俺はそれを見ながら、今までの白石先輩を思い出していた。
『きみは綺麗だね』
『三浦くんはそんなやわじゃないよ』
『楽しみ。三浦くんの射が、この榛名のいちばんを切り開くのが』
ずっと、俺に評価し期待を寄せてくれていた。あなたの期待に答えたかったし、あなたが少しでも息がつけるように弓を引きたかった。並び立ちたいとずっと思ってきた。
深く、俺は呼吸をする。ゆっくりと矢を番えて、弓を引く。矢を引く腕、肩、背中、開かれた足、番える指身体の一つ一つに集中をする。そして、十分だと思ったところで、自然と手が離されていた。
重い的中音と共に、遅れて「よし!」という声が響いた。その後の相手の二的が外し、吉田先輩が的中させる。どんどんとこちらのペースへと戻っていく。相手の落前と進藤先輩が的中させる。思わず俺は横目で白石先輩をおっていた。白石先輩が口元を上げて笑っていた。なぜか、俺のことを考えているような気がしてならなかった。いつもみたいに自然な水みたいな射。軽い的中音がひびき、観客席は熱気に包まれた。
インターハイ予選が終わると、バスは学校へと到着した。
「まず今日はお疲れ様でした。インターハイに進むことができます。これは部員みんなの応援があってからこそです。これからはインターハイに向けて頑張っていきましょう。今日はゆっくり休んでください」
そう締めると、各々帰宅していった。俺も準備をする中、白石先輩から声をかけられる。
「三浦くん、時間ある」
「はい、どうしました」
「引いてるとこ、見せてくれない? 」
そして、すこし間を持って、「射を目に焼き付けたい」と言った。
弓道場へと移動すると、居残りをするのは俺たちだけで2人だけの空間が広がっていた。
「こうやって見られるの緊張するんですけど」
俺は矢を番えながら、気もそぞろになる。白石先輩がすぐ背中の後ろに立っている。
「どうして? 」
「こんな近いことないから」
白石先輩は、背中にすぐ触れられてしまう距離に位置とりしている。首にたまに息がかかる。普通では無いことだった。
「いいから。最高の射、みせて」
その言葉だけで、困惑していた心から一気にスイッチを入れられる。適切な矢束か、自分の指先を確認し、打起す。ゆっくりと背中の骨の開きを感じながら、引き分けていく。矢の重さが番えた指から伝わる。十分に貯めて、完全なタイミングで矢を離す。
ぱあん、と重い的中音、矢は的の真ん中に刺さっていた。じわじわと離した手の感覚を感じながら、ゆっくりと弓をおろした。隣を見ると、白石先輩が一心に俺を見つめている。
「綺麗」
「え」
「綺麗な人だ、三浦くんって」
目をとろりとさせながらそう言った。そして、俺の背中にそっと触れる。突然触られて分かりやすくびくりとはねた。
「今日、安心した。三浦くんの背中、頼もしかった。音が、鋭くて重くて」
ぽすん、と俺の肩口に頭を埋めてくる。俺は、弓を持ったまま、困惑してしまう。
「頼もしかったですか」
「うん。君の音に、背中に救われた」
団体は俺、1射だけ外したしね、とさらりと化け物の所業を言ってのけた。手のひらが背中の線をゆっくりと下降する。むず痒いような気がしたが拒めなかった。
「なんであのとき、辛そうな顔してたんですか」
「進藤がしんどそうだったから。なんか、雑念入ったね」
ぽそりと本音をこぼした。白石先輩でも、メンタルが射に影響を及ぼすことはあるのか。そう思ったら、白石先輩のことを、俺は何もまだ知らない気がしてくる。
「俺も、……白石先輩の射見たいです。いつも、俺からは見られないから」
体験入部で引いたとき以来かもしれない。白石先輩の射を一心に見るのは。
白石先輩はまんまるな目をしてから、「いいよ」と言った。そして、弓袋に入っていた弓を取り出し、足の甲を使って弦をぴんと張った。そして、弽を手に装着してから矢筒からひとつ矢を引き抜くと、的前に立った。切れ長な目がまっすぐ的を捉えている。白石先輩は、矢を番えると、身体の緊張なしにしなやかに打起しをする。的を前にして、貪欲にならないその姿勢が弓に出ていた。そして十分に体を張ると、肩甲骨が大きく開いて見える。気付いた時には、すぱ、と的の真ん中を射っていた。その姿勢をゆっくり解いていき、白石先輩の流し目と目が合う。どくり、として目線が逸らせない。
「どう? 」
「本当に綺麗ですね」
俺が、思わず目を細めて微笑むと、白石先輩はじっとこちらを見る。何かを測るみたいな目だった。そして、身をかがめた白石先輩と近くなった。と思ったら、腕を引き寄せられて唇が触れていた。しっとりした感触に、握られた腕。しかし、脳が現状を受け入れていなかった。数秒あわせただけで、唇は離れていった。現状を理解して頬が熱くなる。
三浦くんってさ、と切り出す。
「俺のこと、悪くないと思っているでしょ」
なんだかいやに白石先輩らしい言い方だと思った。悪くない、ってところもまた。
むしろそれよりも。
「いいと思ってます」
「いいと思ってる、?」
「たぶんずっと、昔から」
あなたの弓が好きでした。と目を見て言う。白石先輩が目を見開き、その言葉を理解したあと、背中に回された手に力がこもった。
「昔って、いつ」
「──体験入部であなたが弓を引いたときから? 」
すう、と息を呑む音がする。
「それ。最初からと一緒でしょ」
呆れるような、愛おしいと思われているようなそんなニュアンスを含んだ声が耳元で囁かれた。
「そうですね」
なんでもないみたいに言うと、白石先輩は背中に回った手の反対で、俺の弽をした手を取った。俺の指を見て、逡巡したあと、ひとりで納得したようにこう言った。
「同じ大学に来ない? 」
「え、大学? 」
「推薦もらってるの」
関東体育大学。と当たり前のように呟いた。
この人はなんでもないことみたいに言うけど、普通じゃない。そして、今の流れでいきなり大学の話をしてくるのだからよく分からない。
「なんで、ですか? 」
「また一緒に弓が引きたいから」
だから、インハイ頑張って。と他人事みたいに念押ししたあと、俺の手の甲に口付けた。
「……過剰に評価しすぎじゃないですか」
「今日の射を見てもそんなこと言う人いないよ」
押し黙る俺に、白石先輩は手を引く。
「白石先輩、」
「もっと近くにきて」
甘い声に懇願するような目。俺はぞわりとした。抗わずその手に従った。
「どうしてですか? 」
「もっと知りたい。きみのこと」
するり、と指の甲の血管を辿られる。
知りたい。俺のことを?息を呑んで白石先輩を見つめる。切れ長な美しい目。最初にあったときと変わらない。
「きみは、絶対俺のとこに来る」
根拠の無い言葉。それなのに、どうしてか俺もそうなるだろうと思ってしまっている。
この人の射も、美しさも、どこか読めないところも全部にきっと俺は惹かれている。
どうやら俺と白石先輩の弓は、これからも続いていくらしい。
