一矢、その先へ。

3.
『今回は、去年の全国大会5位という好成績を残しました、2年白石の射をお見せします』
 マイクを持った女子部員が、アナウンサー口調で奥の男性部員を手のひらで示した。
 自分は美醜に詳しい方ではないが、美しい人だと思った。後ろの女子生徒から小声で「かっこいい」と声がこぼれる。
 その焦げ茶色の髪も、綺麗に通った鼻筋も、切れ長な瞳も少し分厚い唇も。全ての調和が取れていた。
 彼が弓を持ち、的前に立つ。弓を番え、矢を徐々に引いていく。背中が開かれていく。綺麗な顔立ちの割に、骨格はしっかりしているのかと思った。ぴんと張った状態から、気づいたら矢から手が離されていた。
 ──ぴしゃん。
 軽快な音が響いて、俺は的を見る。ど真ん中を射抜かれている。呆気にとられる俺と、どっと湧く場内。
 矢を放ったその後に、彼が弓を下ろした。新入生の方へと振り返る。その瞬間、彼と目が合った気がした。

 ──昔の夢を見て目をさました。そう思ったけれど、考えてみればほんの1年前の話だ。
 最初は友人に連れられて、気が乗らずに体験入部に行ったのだ。でも、その射を見たときに入部することを決めていた。この人と一緒に弓を引いてみたいと思った。隣に立ちたいとも。それくらい、俺にとっては人生を変える出来事だった。
 その人に、犬のお散歩に誘われているとは、昔の俺は信じないだろう。部活のない日曜日の朝に。
『明日ひま?』
『しろくまと散歩行こう』
『11時緑ヶ丘公園前集合で』
 昨日入ったラインを俺は思い出した。簡潔で、断られるとは思ってなさそうな感じの。もちろん俺は、『わかりました』とだけ送った。そうしたら、間髪入れずに、犬の跳ねているスタンプが送られてきて声にくぐもらせて笑った。そして、俺はベッドに仰向けになってスマホを放り出した。白石先輩って意外とへんで面白い。

 11時、待ち合わせ先の公園前へと向かうと、そこには白石先輩ともふもふの白い大きな塊がいた。へっへっと舌を出しながらこちらを見ている。可愛い、抱きつきたい衝動に駆られて、手のひらに爪を食い込ませた。白石先輩は、手には何やらクーラーバッグみたいなものを持っていた。白いシャツに裾の広がったジーンズだけできまるのがこの白石先輩の憎いところだ。
「おはよ」
「……おはようございます」
 やはり、しろくまくんに目がいって、白石先輩が見れない。何度か悩んだ後、「触っても」と聞く。了承の返事を得て、俺は膝をついた。目の前のしろくまが目をきらきらさせている。正面からいくと怖がられるかもしれないから俺の匂いを嗅いでもらい、恐る恐る背中を撫でた。ふわふわの毛並みが俺の心をくすぐる。そうやって触っていると、しろくまが俺の胸元に足を上げて飛び込んでくる。それを抱きとめると、白石先輩が「こら」と柔らかめな声で叱った。
 俺は、白いもふもふが腕の中にいることの幸福感でハイになっていた。俺の顔をぺろぺろと舐められると、胸がきゅんとする。
「やばい、すごく可愛いです。こんな気持ち初めて。この子持って帰らせてください」
「だめ」
 その場合、持ち帰られるのはお前だよ。と平然とした顔で言った。白石先輩にお持ち帰りされるのは困るので、口を噤んだ。
 その後は、一緒に公園内を回った。ジョギングコースのような道があって、走っている人も多く、季節の花々が植えられていたり、池が通っていてその中に歩くための石が並べられていたり、出店でチョコバナナが売っていたりした。昼近くなって太陽も出て、木の匂いで胸いっぱいになった。空気が美味しい上にしろくまがぴょんぴょんしているので可愛い。しろくまは通りすがりの人からも人気で、「撫でてもいいですか」という人が多かった。正直白石先輩の顔も影響している気はするが。ゆっくり時間をかけて散歩をして、12時になると、「一緒にお昼を食べよう」と声をかけられる。公園内に飲食店はないけど、と思っていたが、屋根のある休憩スペースへと案内される。机やベンチは木目調の材質のものだった。俺と白石先輩は向かい合って座り、しろくまのリードはベンチの脚に括り付けられていた。そして、先輩がクーラーバッグの中からプラスチックの四角いランチボックスを出してきて、蓋を開ける。2人分のおにぎりやら卵焼きやらポテトサラダ、ちょっと焦げた唐揚げみたいなものが入っていた。白石先輩がウエットティッシュを1枚渡してきて、俺は手を拭いた。
「すご」
 思わず声に出すと、白石先輩はちょっと気まずそうにした。
「唐揚げが焦げちゃった」
「え、白石先輩が作ったんですか」
「なんか、あんまり手作り食べないって言うから、作ってあげたくなった」
 俺は思わず目を見開いた。
 この人、こんなことする人だったのか。焦げた唐揚げを気にすることも、人のために弁当を作ることもあまり結びつかなかったから。
「なに? 」
「いや、あの、唐揚げと奮闘しながら作ってくれたんだなって思うと、すごく、」
 いいなって思って。と俺は言葉を選んだ。
「母親に教わりながら作った。前美味しいって言ってたでしょ」
 白石先輩は、照れずにそう言うと、手を合わせていただきますと言った。俺も慌ててそれに倣うと、白石先輩の新たな一面を発掘してしまったみたいで、そわそわする。
 1個おにぎりをもらうと鮭フレークが入ったもので、のりが湿った感じが家庭感があって美味しかった。焦げたと言っていた唐揚げも味は美味しくて、思わず笑いながら「美味しいです」と言った。そうすると、白石先輩も幸せそうに微笑むから、もしかして俺たちって親しいのかと錯覚しそうになった。その後もポテトサラダはほくほくでアボカドまで入っていたし、卵焼きはあまじょっぱくて美味しかった。
「幸せです」
 なんか意図せずにそう言った。その言葉に、白石先輩は、笑って
「──俺も」
 と答えた。しろくまもニコニコと笑っているみたいに見えた。

 公園からの帰り道、先輩と道中を歩いていると、花屋に通りかかった。素通りしようとした俺は、白石先輩が店先の花を眺めているのを見て慌てて戻る。
「花瓶ある? 」
 白石先輩が唐突にそう言った。
「花瓶? はい、たぶん」
 なぜ聞かれたか分からぬまま、白石先輩は店員を呼んで白いカラーを1本買った。包んでいる間俺はしろくまとじゃれて遊んでいた。しろくまは賢くて、お手もお座りも伏せも簡単にこなす。いい子だね、と褒めると、うんと喜んでくれる。
「三浦くん、これあげる」
 包装が終わった白石先輩が、カラーを差し出してくる。
「え、なんでですか? 」
「なんでって、きみみたいだから」
「カラーが?」
「そう」
 はやく、と急かされて、俺は1本の白いカラーを受け取った。なんだか求愛されているような心持ちになって、おかしかった。こんな清潔なイメージなんだろうか、俺は。
「こんな、イメージですか。俺は」
「姿勢が良くて綺麗な子だから」
 ぽつりと返されて、何も言えなくなる。口説かれている訳では無いのに、顔が熱くなった。
 白石先輩に家まで送られて、惜しみながらもしろくまともお別れをした。家の中に入ると手を洗って花瓶の捜索から始めることになった。五分くらい棚の中を探すと、透明な花瓶が眠っていた。ちょうど一輪挿しのものだ。俺は、ラッピングを取って、水を注いでカラーを花瓶に飾る。置き場所に困って、自室の机の上に置いた。
 そのカラーがその後数週間は、俺を苦しめることになった。目が覚める度、帰る度、白石先輩を思い出してしまう。花を飾るという文化があまり無い家庭だからなおさら意識した。しなびていくのが怖くて、ネットで中性洗剤を混ぜるといいだとか、水切りをすることを学んで実践したりした。
 きみみたいだから、と渡された花を切実に大事にした。