君の瞳に映る未来   ー姫と忍びの恋絵巻ー

土砂崩れから数日。
鞘丸は彦次郎を連れて連日任務に出てしまい、天姫は完全に時間を持て余していた。

「好きに過ごしていて良いとは言われましたが、これは流石に良くはないですよね‥」

しかしまだ婚約者という微妙な立ち位置。
あまり勝手な事をして、鞘丸に迷惑をかけるような事は避けたかった。

「どうしましょうか」

一人頭を悩ませていると、襖の向こうから声を掛けられる。

「天姫様、おはようございます」

声の主は、数日前から護衛兼身世話係として付いてくれることになった楓だった。先の一件からだいぶ打ち解け、今では良き話し相手になってくれている。

「おはようございます、楓」

「何やらお悩みのようでしたが、どうかされましたか?」

天姫の独り言が聞こえていたのか、心配そうに問い掛けられる。

「‥‥そうだ!楓、本が読みたいのですがこの屋敷には何かあるかしら」

「本、ですか?」

天姫は、臨王の下に一年以上閉じ込められていた。そしてその間、殆ど外部との情報は遮断されていた。それに自分は忍びと言うものをあまり知らない。それはこの先、ここで生きていく上できっと良くないことだろう。

天姫は勉強をしようと思ったのだ。


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「一応この屋敷にも書庫はあるんですが、随分使われてないんですよね。基本鍛錬と忍術で、この里の人達って本を読むよりも体を動かす肉体派ばかりなので‥」

書庫へ向かう廊下を歩きながら楓が、あはは‥と笑う。
確かに彼らは肉体を鍛えることが何よりもだろう。

「あれ、書庫に鍵が掛かってる。んー、どこだろう‥」

本当に長いこと使われていなかったのか。書庫の扉の鍵が見当たらず、二人は困ってしまう。

「鍵が無いのなら仕方ありませんね。時間をとらせてしまい、ごめんなさい楓」

天姫は諦め、自室に戻ろうとするがそれを楓が止める。

「待ってください!まあこんな扉、簡単に壊せますけど‥それだと彦次郎に後で怒られるから‥‥」

何やらブツブツ言いながら、楓は自分の頭に刺していた簪を抜き取ると軸の先を鍵穴に入れカチャカチャと弄り始めた。

暫くすると、ガチャンと錠の外れる音がして扉が開く。

「まあ」

その華麗な手捌きに、天姫は思わず感嘆の声をあげる。

「忍びなんでこれくらい朝飯前です。さあ天姫様、何でも好きな本持って行ってください!あ、でも全然出入りしてなかったせいで少し埃臭いですね‥先ずは書庫の窓を開けましょうか」

いそいそと楓が小窓達を開けに回る。
天姫も後に続き、書庫の扉を潜った。
古い紙の独特の香りがする。
あまり里の者は本を読まないと聞いたが、想像していたよりもずっと沢山の本達がそこには並んでいた。

忍術の本は勿論、図鑑、歴史書、絵巻、手習の本‥

きっと里の者の中にも読書が好きな者がいたのだろう。
ふと、本の奥に隠れていた文箱が目に止まる。
本をどかし手に取ってみると、漆塗りのその箱の蓋には綺麗な花の細工が施されていた。桜や椿などといった花ではなく、これは確か‥

「露草だわ。珍しい」

この屋敷の庭にもよく咲いている。蓋を開けてみると数冊の本が入っていた。

「植物か何かの本かしら」

一冊を手に取り頁を捲りながら、中の文字を追う。

‥‥

慌てて本を閉じた。
本の中身は誰かの日記だった。それも、陽炎や芳乃の事も書いてあった。屋敷の関係者の物だろう。
どうしてこんな物が箱に仕舞われ書庫にあるかは分からないが、故意でなかったとはいえ勝手に人の日記を読んでしまい申し訳ない気持ちになる。

日記を箱の中に仕舞うと、そっと元の場所に戻す。
代わりに近くにあった歴史書や忍術の本を何冊か手に取った。


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それから更に数日、天姫は沢山の本を読み終えた。
部屋の文机が本で埋まってしまっていたので天姫が部屋の片付けをしていると、読み終わった物は代わりに書庫に戻してくると楓は申し出た。


「こんな沢山の難しい本を全部読んじゃうなんて凄いなー。私には絶対無理だ‥」

天姫から預かった本を抱えながら、楓が一人廊下を歩いていると前から芳乃がやってくる。

「おや、珍しい。その本達はどうしたのです?‥まさか楓、貴女が読むのですか‥?」

「そんなまさか!違いますって芳乃様!」

楓のことをよく知る芳乃は、あまりに見慣れない光景に眉を顰めていた。

「これ全部、天姫様が読まれた本です。今から書庫に戻しに」

「あの子が‥?随分と難しいものまで。‥さすが貴族の娘。教養が深いのですね」

楓の手から取った本をパラパラと捲りながら、芳乃は感心した。そして何か考えるそぶりを見せる。

「芳乃様?」

「あの娘は今どこに?」

部屋におられますけど、と答えるとそのまま芳乃は天姫の部屋へ歩き出す。楓は慌てて後を追った。



廊下の足音に、楓が戻ってきたと思った天姫は襖を開けた。

「楓、ありがとうございま‥」

そこには楓だけじゃなく芳乃の姿があった。

「天姫殿、少しよろしいかしら?」

「芳乃様‥!はい、勿論です」

今さっき、部屋の片付けが終わって良かった‥天姫は心の中でほっとした。しかし、何の用事だろうか。芳乃ときちんと話すのはこれが初めてであり、正直緊張する。

部屋に入ると、芳乃が手に持っていた本を天姫に見せる。

「これらの本を全て読まれたと聞きました」

「は、はい!時間があった為、何かしたく‥書庫の本達をお借りさせていただいております」

何か粗相をしてしまっただろうか。もしかして、読んではいけない本でもあったのか。天姫は芳乃の顔色を伺う。
芳乃は天姫の文机に目をやる。そこにも勉学に関する難しそうな本が幾つか積まれていた。あの様な本達まで。鞘丸や楓なら一生手に取らぬでしょうに。

「芳乃様‥‥?」

芳乃が天姫に向き直る。

「天姫殿、一つ頼みたいことがあります。里の子供達に読み書きや、勉強を教えてやってはくれませんか」

芳乃の言葉に、天姫は目を瞬かせる。

「私が、ですか‥?」

「ええ。実はこの里にはしっかりとした手習い所が無いのです。大人達や年寄りが任務の合間に子供達に教えてはいるものの最近は戦が多かった為、手が回っておらず。
忍術は勿論必要ですが、生きていく上ではある程度の教養も必要不可欠です。どうですか?」

人にものなど教えたことはないが、幼い頃から勉強は得意な方だった。自分でも里の役に立てるかもしれない。何より、鞘丸の実母芳乃の頼みであれば尚更断れない。

「私で良ければ、喜んでお受けします」


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「天姫が、子供達の先生に?」

ようやく任務から戻った鞘丸だが、愛しの天姫の姿が見えず探していた。そこに楓がやってきて説明する。

「天姫様、優しいし教えるのも凄く上手いので子供達からも大人気なんです!今も離れの方で教えてますよ」

そう言われ、離れへと足を向ける。廊下まで賑やかな声が聞こえて来ていた。障子を少し開け中を覗くと、子供達に囲まれた天姫が楽しそうに何かを教えている姿が見える。子供達も皆、嬉しそうに話を聞いていた。
天姫の姿に見惚れていると、子供の一人がこちらに気付いた。

「あれ、鞘丸様だ!」

「え?鞘丸‥!帰っていたのですか?」

天姫が驚き、手にしていた本を置いて嬉しそうにこちらに寄って来る。その姿にニヤけそうになる顔を、子供達の手前必死に鞘丸は抑えた。今だけ父のあの顔が羨ましい。

「少し前に戻った」

「まあ‥。出迎えもせずに申し訳ありません」

しゅんと落ち込む天姫の姿の可愛さに、更にニヤけそうになる顔を堪えた。

「授業の最中だったんだろ?気にしないでくれ」


キリの良いところだったようで天姫は授業を終わらせると、子供達に次の授業までの課題を出す。
荷物を纏めると「天姫様、またねー!」と子供達は嬉しそうに手を振り部屋を後にした。

「すっかり慕われてるな」

「皆、本当に良い子で飲み込みも早いので教え甲斐があるんです」

天姫が嬉しそうに答えた。

天姫は本当によく笑う様になった。
喜ばしいことだが、自分が長く留守にしていた間にということだけ少し悔しい。

「母上に頼まれたんだろ?ありがとうな」

「いえ、こちらこそ役目をいただけて嬉しいのです。それに私が分からない忍術の事などは、寧ろ子供達が色々教えてくれたりするので助かってます」

そうか、そうか。子供達も役に立ってるなら良かっ‥

「ん?忍術?何で天姫が忍術の勉強を?」

天姫の突然の発言に、うっかり聞き逃しそうになったのを慌てて聞き返す。

「あ、忍術と言っても本当に知識として学んでいるだけですよ。その、鞘丸と再会するまで私は忍びというものを全然知らなかったので‥」

「まあ、普通はそうだよな」

忍び自体そんなに数がいるわけではない。九字島の中でも国に忍びが存在しているのは此処、列ノ国とあとは闘ノ国くらいだ。

「でもこれからこの里で暮らして行くには、それではダメだと思いまして。若頭の、鞘丸の妻になるのなら、尚更‥‥あ、いえ、まだ正式に妻では無いのですが‥‥」

自分で言いながら気恥ずかしくなってしまったのか、最後の方は段々と声が小さくなっていた。

何て勤勉なんだ。慣れないこの里で暮らしていく為の努力も素晴らしい。
そして何より、俺の為ーーーっ!
そう!夫になる!俺の!為に!

「最高だな」

ニヤけも超えると、達観した顔になるのか。鞘丸は初めて知った。

「はい、頑張って勉強しますね」

鞘丸の心情などつゆ知らず、学びの姿勢を褒められたのだと思った天姫は笑顔で答えた。