君の瞳に映る未来   ー姫と忍びの恋絵巻ー

二十一年前



「貴女が芳乃様だね!私は露草。よろしくな!」

王都から嫁いで来た芳乃はまさしく箱入り娘で、慣れない里の暮らしに困惑していた。
城から連れて来た数名の使用人達も、王都に帰りたそうにしていて申し訳なかった。そんな時に声をかけてくれたのが露草だった。

王族の立場とはいえ後から嫁いで来た自分が正室、先に嫁いでいた露草が側室になってしまったことに芳乃は非常に気まずさを感じ、里に来てからも露草を避けていたのに‥‥当の本人はあまり気にしていなかった。

「だって陛下の命令だしな!王族との結婚は里の為だし。私はこの里が大好きなんだ。だから正室とか側室とかもあるけどさ、一緒に里を守っていってくれる貴女は大切な家族なんだ」

嬉しかった。それから芳乃は露草を姉の様に慕った。


「陽炎!アンタただでさえ分かりにくい顔してるんだから、ちゃんと言葉で説明しなきゃダメだよ!」

「う、うむ。すまない。芳乃、お前を除け者にしている訳ではない。あちらの倉庫は任務に使う毒も置いている。お前を危険に晒したくないのだ」

言葉の足りない陽炎との些細なすれ違いも

「そんなに王都に帰りたいなら帰れば良いさ!だがね、アンタ達の主人は誰だい!この子を支えるのがアンタ達の仕事だろう!」

不満を見せていた使用人達を諌め、庇ってくれた。露草は芳乃をとても大切にしてくれていた。


露草はよく日記を書いていた。

「こんなガサツな性格だし、日記なんて意外と思うだろう?でもさ、幸せに思った事や嬉しかった事は忘れずに書き留めておきたいんだ。芳乃様の事も沢山書くからね」

そう笑って、書き終えた日記を文箱に仕舞う。
露草の文箱は花の細工があり、とても綺麗だった。

「素敵な文箱ですね。露草の細工なんて、露草殿にぴったりです」

「ああ、良いだろうコレ。陽炎からの贈り物なんだ」

「陽炎様の?」

あの陽炎がこんな粋なものを贈るなんて正直意外だった。
羨ましいなどと思うよりも、驚きが先にある。

「貰ったのは嫁ぐよりも全然前なんだけどね。陽炎の王都の仕事帰りに土産も兼ねて誕生日に貰ったんだ。‥まあ、でも最初に喜び過ぎたのかもね」

素敵な話しかと思っていたら何やら露草が視線を逸らす。

「そしたらさ陽炎の奴、次の年もその次も、誕生日に露草柄の文箱を持って来たんだよ」

「なんと‥」

なんとまあ

「三箱目の時に流石にやめてくれって言っちゃったね!こんなに沢山の文箱どうしろっていうんだってね。本当、忍術以外は不器用な奴だから、芳乃様も気を付けな。この菓子が美味しいとか好きだとか軽い気持ちで言うと、アイツ一生それしか買って来ないから」

微笑ましいとも思えたが、しかし確かに我が身に起きるとなると何とも言い難いかもしれない。

実際芳乃は露草の忠告を忘れ、陽炎が土産で買って来た大福にとても喜んだところその後の土産が大福一色になり、もう大福は見たくないと泣いた。
そして陽炎は、露草にまた叱られるのだった。


そんな風に正室と側室、難しい関係ではあるが芳乃と露草は穏やかに日々を重ねた。


やがて露草が身籠り、鈨丸を出産した。
芳乃は新たな命の誕生に自分の事のように喜び、産後の露草を手伝い支えた。すくすくと育つ鈨丸が可愛くてしかたなかった。

数年後に芳乃が鞘丸を出産すると、同じ様に露草は喜んでくれた。
だが周りは違った。

ーやっと正式な後取りが生まれたー

と誰かが溢した声が聞こえた。


それでも芳乃と露草の関係は変わらなかった。
寝ている赤子の鞘丸を興味深そうに鈨丸が覗き込む。

「母上!芳乃様!鞘丸はとても可愛いですね!」

母達に振り返り、鈨丸が嬉しそうに笑う。
その鈨丸の声に何やら鞘丸が、うにゃうにゃと声を上げた。

「ああ、ごめんよ鞘丸!起こしちゃったかい?よしよし、兄上だよ〜」

優しく鞘丸の腹を撫で、子守唄の様なものを鈨丸は口ずさむ。
鞘丸は小さな手を鈨丸に伸ばし、きゃっきゃっと笑い声を上げる。そんな微笑ましい兄弟の光景に、芳乃と露草の顔にも笑みが溢れる。

「鞘丸は陽炎の後を継ぐ。それは変わらないし、そうあるべきだと私は思うよ。だから鈨丸には鞘丸を支える優しい兄になって欲しい。この子は私と違って頭が良さそうだしな!」

そう言って露草は鈨丸の頭を撫でた。

「鈨丸、鞘丸と二人で里を守ってくれな」

「はい!鞘丸も里も守ります!私は兄ですから!」

頼もしい言葉だった。
ずっとこの関係が続けば良かった‥‥‥




「露草よ、あまり表に立つな。お前は側室だろう。部を弁えろ」

鞘丸が生まれた事で、其れ迄静かだった里の御隠居達が何かと口を挟む様になって来た。

「鈨丸は下がっていろ。ああ、どうぞ鞘丸様はこちらに」

あからさまに二人を差別し、幼い鈨丸は傷付けられた。鞘丸もあまりに不自然な扱いに何故、兄上は一緒じゃないのかとぐずる時さえある。


「アタシのことはいいよ。でも鈨丸だって陽炎の血を継いだこの里の大切な子供だろう!」

我慢出来なくなった露草と芳乃は御隠居達に抗議しに行った。しかし彼らの言葉は信じられないものだった。


「初めから芳乃様だけ娶っていれば。そうすれば、鈨丸も生まれることは無かったというのに」


その言葉に、頭に血が上り御隠居に手をあげそうになった芳乃を露草の方が止めた。こんな人達に何を言っても無駄だった。

でもこの言葉を、鈨丸が聞いてしまっていたなんて。


程なくしてこの事が陽炎の耳に入り、御隠居達は鞘丸と鈨丸への接触を禁じられた。
陽炎も本当は腹わたの煮えくりかえる思いだったが、組頭の立場であっても里の御隠居達の存在は難しいものであったのだ。


それから、笑い合う兄弟を見る事が無くなった。

やがて露草が病に伏せるようになった。
弱り痩せ細っていく母の姿を見るに耐えれなくなり、鈨丸は部屋に籠るようになってしまった。

「参ったね。あの子の事が心配で、これじゃ逝くに逝けないよ」

手にしていた筆を置き、露草は日記を閉じる。

「芳乃様、私はもう永くはない。御隠居達の事は決して許せない。でも、それでも私はこの里を嫌いになり切れないんだよな。‥‥そういえば、私がもう出歩けないからって庭にたくさん花を植えてくれたの貴女だろう?全く露草ばっかり植えて、貴女どんだけ私のこと好きなんだよ」

庭の花々を見ながら、からからと露草が笑う。

「だって、私は露草殿がいるこの里が大好きなのです」

最後の方は少し声が震えていただろう。もうすぐ彼女はここからいなくなってしまう。
芳乃の言葉に露草は優しく微笑んだ。

「ありがとう。芳乃様、鈨丸はもしかしたら一度道を踏み外してしまうかもしれない。でも、きっとあの子は立ち上がれるからさ。だって私と陽炎と、芳乃様が一緒に育てた子だよ。だから、その時はどうか支えてあげて欲しい」

「勿論です。あの子も大切な私の息子です」

細く、肉の落ちた露草の手を優しく握った。

「‥‥ちょっと陽炎。女同士の大切な話を盗み聞きなんて、野暮なことしてんじゃないよ」

いつの間に入って来たのか、襖の側には気配無く陽炎が立っていた。

「‥‥すまぬ‥」

「アンタも、父親としてしっかり頼むよ」

「ああ‥」

何か言い淀んでいる陽炎に芳乃は声を掛けた。

「陽炎様、貴方は物事を伝えるのが苦手なのですから。ちゃんと言葉で説明しなければ伝わりませんよ」

まるでいつかの露草の様だった。
その言葉に露草は目を丸くし、声を上げて笑った。

「言う様になったね!最高だよ芳乃様!ほら、陽炎。言いたい事があるなら言いな!」


「‥‥‥露草、芳乃。お前達は儂には勿体無いくらいの妻だ。血筋も何も関係無い。お前達がいてくれる事、鈨丸と鞘丸を生んでくれた事に感謝している。‥‥‥二人とも愛している」


思いもよらぬ陽炎からの愛の告白に、芳乃と露草は驚き顔を見合わせた。そして二人で陽炎に抱きついた。




露草がこの世を去ったのはそれから間も無くだった。
露草を看取ったのは芳乃と陽炎。芳乃はその時、初めて陽炎の涙を見た。程なく呼ばれた鞘丸が部屋に入ってくると、陽炎の涙に少しばかり驚いた表情を見せたが何も言わなかった。

陽炎がいつもの表情に戻ると、部屋に鈨丸が訪れた。

「母上も、私がいなければもっと幸せになれたのに」

悲痛な声が部屋に響いた。



そして葬儀の後、鈨丸は

「母上に斯様な扱いをした父上を私は許さない。
全てを手に入れようとしている鞘丸を私は認めない」

この言葉を残し里から姿を消した。


⬛︎⬛︎⬛︎⬛︎


「この日記は、鈨丸が持って行ったのだとばかり。葬儀や片付けの最中にきっと誰かが書庫に仕舞ってしまったのですね。そう‥ 鈨丸はこの日記を知らないのね」

鈨丸は露草の文箱が複数あるのを知らなかった。
芳乃は優しく日記の表紙を撫でる。
芳乃や露草の思いに、天姫と楓は胸を痛めた。

「鈨丸様は、露草様にも芳乃様にも陽炎様にもこんなに愛されているのに‥」

楓が悔しそうに呟く。


「だから、それを伝える為この日記を鈨丸に届けます」

天姫は真っ直ぐ芳乃を見る。

「お願いします。どうか息子達を止めてください」

芳乃が日記を手渡し、天姫に頭を下げた。

「必ず二人を、そして陽炎様も一緒に里に連れて帰ります」

天姫が芳乃の手を優しく握った。

「そんな未来が、私には視えます」


芳乃がハッと顔を上げる。楓も天姫を見る。
そうだ、この人なら。きっと彼らを救える。


「よし!じゃあその日記を、鈨丸様の顔面に叩きつけに行きましょう!」

「もう少し優しくね、楓」


書庫の扉から彦次郎が顔を出す。

「天姫様、用事は済みましたか?」

「彦次郎、動いて大丈夫なのですか?」

「里の医者にしっかり手当てし直してもらい、鎮痛剤も追加で飲みました。いつでもいけます」

「アンタ、それ全然準備万端じゃないでしょうが」

呆れ顔の楓に、しれっとした顔の彦次郎。

「無理だけはしないでくださいね。それでは母上様、行って参ります」

「ご武運を」

彦次郎と楓を連れ、天姫は鞘丸達の待つ国境へ向かった。