君の瞳に映る未来   ー姫と忍びの恋絵巻ー

兄上と最後にまともに話したのは、いつだっただろうか。

三つ年上の兄、鈨丸。
兄上は賢くて優しい人だった。

「鞘丸、字は綺麗に書けた方が良いぞ。教えてやるから一緒にやってみよう」

筆を取り、サラサラと綺麗な字を書いていく兄上に憧れた。沢山の本を読み、色んな事を俺に教えてくれた。

兄上とは母が違った。
厳しくも優しい実母の芳乃。
里出身で竹を割ったような性格の、くのいちの露草殿。
俺はどちらも好きだった。

幼い俺は後取りの事とかそんな事まで考え付かなくて、年を重ねる毎によそよそしくなる兄上、時折悲しそうな表情を見せる母達が辛かった。

そして遂に耳に入る、兄上を邪魔と思う声。

許せなかった。やるせなかった。でも幼い自分には何も出来ず、更に自分にのし掛かる次期組頭の重圧。無力さに潰れそうだった。



ー「大丈夫、貴方は立派な忍びになるわ」ー


そんな時に出会った天姫の言葉。

本当なら「勝手な事を言うな」とか「何も知らないくせに」なんていくらでも言葉が溢れてもおかしくなかったのに。彼女の笑顔の前に、そんな言葉達は掻き消えた。

彼女の言葉は、真っ暗でドロドロの感情に飲み込まれた俺の唯一の光だった。


里に戻ってからも彼女の事が忘れられなかった。
でも彼女がいるのは臨ノ国という他国。しかも忍びとは無縁の貴族のお姫様。早々会える距離でも間柄でもない。

ただ彼女の事を思うだけの日々だった。


「‥‥それって初恋なのでは」

一人じゃこの気持ちをどうしようも出来ず、遂に共に修行をする同い年の彦次郎に打ち明けた。まだ八歳の少年が出した答えは酷く簡単なものだった。

「そうか、俺はあの子に恋をしていたのか」

ここ暫くのもやもやが晴れた気がした。ああ、そうか俺はあの子を好きになったのだ。あの子が好きなんだ。

だったらあの子が言ってくれたような、立派な忍びになりもう一度会いに行こう。そしてこの思いを告げよう。

目的が出来ると人は変わるもので、それから俺は弱音を吐く事も減り修行に打ち込んだ。ただそれは兄上との溝が深まっていくことではあった。

露草殿が亡くなり、兄上が里を去りそれでも忍びとしての里の暮らしは続いていく。


そのうち臨ノ国との戦が始まった。正式に父の後を継ぎ若頭になった俺は陛下の命で臨王の事を探る事になった。
天姫の家は臨王の城からは離れている。このまま戦に巻き込まれる事が無ければ良いがと思っていた時、臨王が最近戦に勝つ様になったのは「不思議な力を持つ娘」を手に入れたからだという噂を耳にした。

嫌な予感は的中した。城に閉じ込められ臨王から酷い扱いを受け、あの頃の花の様な笑顔が消えた彼女がそこにいた。

天姫が俺の事を覚えていないのは直ぐに分かった。それでも、ただの敵国の忍びの俺の身でさえ案じていた彼女の優しさは何も変わっていなかった。

ー俺が絶対に助け出すー

今回は偵察が主で、出陣予定は無かったがそんな事は言っていられない。陛下に頭を下げて出陣し、勝利した。


やっと彼女に感謝を告げることができ、長年の片思いも告げる時が来たと思った矢先、尼寺に行くと言われて大慌てで思いを告げるハメにはなったが。もう少し、良い雰囲気になってから伝えたかったものではある。


天姫が里に来てからの生活は本当に幸せだった。
中々一緒にいる時間は取れなかったが、それでも徐々に明るさを取り戻し、里の者とも打ち解けてゆく姿に安堵した。やはり彼女には笑顔がよく似合った。

そんな天姫を、俺達兄弟の因縁に巻き込んでしまった事が申し訳なかった。
本当なら、今すぐにでも自分の手で兵ノ国に迎えに行きたい。
でもダメだ。兄上の事は俺が決着を付けなければ。これを解決出来なければ、天姫は安心して俺の側にはいられない。

「鞘丸」

父上の声で前を向く。夜の闇の中、眼前には兵ノ国との国境。更に遠く、灯りを持ち進軍を進める兵軍が見えた。

戦が始まる。