羽子さんが、青白い顔で僕を覗きこんでくる。
「私のこと、好きになっちゃった?」
ドクンと心臓が大きく跳ねた。彼女の大きな瞳が、僕を見つめている。僕自身にもわからない僕の心を、見透かそうとするように。
少しの間僕らは見つめ合っていたけれど、彼女はにっこり笑うと先に目をそらした。
「でもダメだよ、虹。私のことは、好きになっちゃダメ」
「……どうして?」
なんだか、これでは本当に僕が羽子さんのことを好きみたいじゃないか。
そうは思いながらも、聞かずにはいられなかった。確かに、僕は彼女のことが知りたくて仕方ないらしいと、ようやく自覚した。
羽子さんは僕の腕にぎゅっとしがみつくと、なぜか機嫌が良さそうに言った。
「だって、絶対報われないからね」
楽しげな声に、僕は首を傾げる。
「報われないといけないの?」
「えー? そりゃあ、報われないのはつらいでしょ?」
つらい。報われないのはつらい。
僕はたぶん、ずっと色々なことを知りたいと思い続けている。そしてそれが報われたことは、たぶんない。
「つらい……悲しいってこと?」
「悲しいでしょ。傷つくのは間違いない……って、そっか。虹は傷の痛みも知らないんだっけ」
傷は痛い。「悲しい」と「つらい」も痛いに近いものらしい。
僕は過去に、悲しかったりつらかったりしたことがあっただろうか。あったのかもしれない。けれど、思い出せない。
「痛くなくても、傷はないに越したことはないよ。だから虹は、友だちね」
羽子さんの言葉に、僕は無言で返した。
彼女は僕を思って友だちだと言ったのかもしれない。でも僕は、それは嫌だなと思った。悲しくてつらい傷を負ってみたい。また少し、包帯の下が疼いた。
背後でシュボッと音がしたので振り返ると、司狼が銀色のライターで煙草に火をつけているところだった。暗闇の中で小さな火がチラチラ揺れ、司狼の整った顔を照らしている。
司狼がこちらを見てニヤリと笑った。だが星のない夜空に向かって煙を吐き出すだけで、何も言ってこない。たっぷり溜めこんで、あとで盛大にからかってくるつもりなのだろう。あの獣のような目がそう言っている。
「でも……友だちの友だちは友だちだって言う人もいるけど、私はちがうからね」
司狼をうかがう僕を見て、羽子さんはそう忠告した。
余程相性が悪いんだなと、僕は少し意外に思いながらうなずく。僕のような人間にも最初から親しげだった羽子さんなら、誰とでも仲良くできそうなものだが、そういうわけでもないらしい。意外に好き嫌いが多いのかもしれない。
逆に司狼は誰に対しても変わらない。来るもの拒まず、去る者追わず、男にも女にも同じ態度だ。それはつまり、誰にも興味がないのと同義なのだろう。
「別にふたりに仲良くしてもらおうとは思ってないよ」
「ならいいけど。車出してくれたことに感謝はするけど、仲良くなんて出来る気がしないし」
「意外と馬が合いそうな気もするけど」
ぼそりと言うと、心底嫌そうな顔をされる。そんなに嫌なのか。
もう言うのはやめておこうと思ったとき、羽子さんの体が震えていることに気がついた。
「羽子さん。寒いの?」
「うん……ちょっと冷えてきた。思ってたより寒いね」
夏とはいえ、真夜中の海辺だ。風も強い。僕は寒さがわからないので、そういったことに配慮するのが苦手だ。言ってもらわなければ気づけない。
自分の上着を脱ぎ、羽子さんの細い肩にかけようとしたが手で制された。
「ダメだよ。虹が冷えちゃう」
「僕は寒くないからいいよ」
「寒くないんじゃなくて、寒いのがわからないだけなんでしょ? 尚更冷やしちゃだめだよ」
そう言われても、震える羽子さんをこのままにはしておけない。
少し考え、僕は抱えていた膝を胡坐の形にした。自分の太ももをポンポンと叩く。
「どうぞ」
「え。なに?」
「ここ、座って。少しは風よけになると思う」
羽子さんはわずかに目を見開くと、笑った。
お言葉に甘えて、とのそのそ動き、僕の足の上に乗る。ちょこんと座った彼女の膝にブランケットをかけた。そして前を開けた自分の上着で包むように抱きしめる。
その瞬間、あまりの細さに思わず声を上げそうになった。腕に少しでも力をこめようものなら、簡単に折れてしまいそうな怖ろしい細さだ。
真冬の朝、軒下で見つける繊細な氷柱を思い出した。つるりとしていて美しく、脆いとわかっていても触れたくなるような。
透明に輝く氷柱が、僕の腕の中で身じろぎする。
「私のこと、好きになっちゃった?」
ドクンと心臓が大きく跳ねた。彼女の大きな瞳が、僕を見つめている。僕自身にもわからない僕の心を、見透かそうとするように。
少しの間僕らは見つめ合っていたけれど、彼女はにっこり笑うと先に目をそらした。
「でもダメだよ、虹。私のことは、好きになっちゃダメ」
「……どうして?」
なんだか、これでは本当に僕が羽子さんのことを好きみたいじゃないか。
そうは思いながらも、聞かずにはいられなかった。確かに、僕は彼女のことが知りたくて仕方ないらしいと、ようやく自覚した。
羽子さんは僕の腕にぎゅっとしがみつくと、なぜか機嫌が良さそうに言った。
「だって、絶対報われないからね」
楽しげな声に、僕は首を傾げる。
「報われないといけないの?」
「えー? そりゃあ、報われないのはつらいでしょ?」
つらい。報われないのはつらい。
僕はたぶん、ずっと色々なことを知りたいと思い続けている。そしてそれが報われたことは、たぶんない。
「つらい……悲しいってこと?」
「悲しいでしょ。傷つくのは間違いない……って、そっか。虹は傷の痛みも知らないんだっけ」
傷は痛い。「悲しい」と「つらい」も痛いに近いものらしい。
僕は過去に、悲しかったりつらかったりしたことがあっただろうか。あったのかもしれない。けれど、思い出せない。
「痛くなくても、傷はないに越したことはないよ。だから虹は、友だちね」
羽子さんの言葉に、僕は無言で返した。
彼女は僕を思って友だちだと言ったのかもしれない。でも僕は、それは嫌だなと思った。悲しくてつらい傷を負ってみたい。また少し、包帯の下が疼いた。
背後でシュボッと音がしたので振り返ると、司狼が銀色のライターで煙草に火をつけているところだった。暗闇の中で小さな火がチラチラ揺れ、司狼の整った顔を照らしている。
司狼がこちらを見てニヤリと笑った。だが星のない夜空に向かって煙を吐き出すだけで、何も言ってこない。たっぷり溜めこんで、あとで盛大にからかってくるつもりなのだろう。あの獣のような目がそう言っている。
「でも……友だちの友だちは友だちだって言う人もいるけど、私はちがうからね」
司狼をうかがう僕を見て、羽子さんはそう忠告した。
余程相性が悪いんだなと、僕は少し意外に思いながらうなずく。僕のような人間にも最初から親しげだった羽子さんなら、誰とでも仲良くできそうなものだが、そういうわけでもないらしい。意外に好き嫌いが多いのかもしれない。
逆に司狼は誰に対しても変わらない。来るもの拒まず、去る者追わず、男にも女にも同じ態度だ。それはつまり、誰にも興味がないのと同義なのだろう。
「別にふたりに仲良くしてもらおうとは思ってないよ」
「ならいいけど。車出してくれたことに感謝はするけど、仲良くなんて出来る気がしないし」
「意外と馬が合いそうな気もするけど」
ぼそりと言うと、心底嫌そうな顔をされる。そんなに嫌なのか。
もう言うのはやめておこうと思ったとき、羽子さんの体が震えていることに気がついた。
「羽子さん。寒いの?」
「うん……ちょっと冷えてきた。思ってたより寒いね」
夏とはいえ、真夜中の海辺だ。風も強い。僕は寒さがわからないので、そういったことに配慮するのが苦手だ。言ってもらわなければ気づけない。
自分の上着を脱ぎ、羽子さんの細い肩にかけようとしたが手で制された。
「ダメだよ。虹が冷えちゃう」
「僕は寒くないからいいよ」
「寒くないんじゃなくて、寒いのがわからないだけなんでしょ? 尚更冷やしちゃだめだよ」
そう言われても、震える羽子さんをこのままにはしておけない。
少し考え、僕は抱えていた膝を胡坐の形にした。自分の太ももをポンポンと叩く。
「どうぞ」
「え。なに?」
「ここ、座って。少しは風よけになると思う」
羽子さんはわずかに目を見開くと、笑った。
お言葉に甘えて、とのそのそ動き、僕の足の上に乗る。ちょこんと座った彼女の膝にブランケットをかけた。そして前を開けた自分の上着で包むように抱きしめる。
その瞬間、あまりの細さに思わず声を上げそうになった。腕に少しでも力をこめようものなら、簡単に折れてしまいそうな怖ろしい細さだ。
真冬の朝、軒下で見つける繊細な氷柱を思い出した。つるりとしていて美しく、脆いとわかっていても触れたくなるような。
透明に輝く氷柱が、僕の腕の中で身じろぎする。
