同じ電車の男子高校生が気になる

 明日から、俺はどうすればいいのか。
 一日中、春川先輩との会話を頭の中で再生した。

 俺っておかしなこと言ってなかった?

 いや言ってたね、と毎回秒で落ち込む。俺、絶対不審に見えてた。キョドってたし。
 思い出してはしおしおと一人反省会してたら、あっという間に夜になる。
 まだいける、という謎の自信により小寒くなっても薄いタオルケットで頑張ってるベッドにもそもそと潜り込み、横を向いて身体を丸める。二階にある俺の部屋は天井まで届くバカでかい本棚がある以外、いたって普通の洋室だ。兄弟はいないから誰かと共有することもない、一人部屋。
 明日のアラームをONにしようとスマホに手を伸ばし、ふと思った。

 ……電車の時間、ずらしてみる?

 そんな思いつきが頭をよぎる。
 先輩はまた明日って言ってくれたけど、ほんとは社交辞令かも。なんなら今日話しちゃったから明日からどうしよ、だる……とか思ってるかもしれない。
 俺が電車の時間をずらして、車両を変えたら、もう春川先輩には会わない。先輩は俺が乗る駅を知らないし、帰りの時間には一度も会ったことがないから。
 あからさまに時間変えやがったなとムカつかせるかもだけど、ちょっと話した俺のことなんてすぐ忘れるだろうし。
 また明日テンパって後悔するより、少しの間だけでも時間ずらした方がいいんじゃないか。ほら、テスト期間でいつもよりさらに朝早くて、とか、また会えたときに言い訳すればいい。

 と、半分くらい真剣にシミュレーションしたけど、頭に浮かんだのは春川先輩の笑顔だった。
 みずき、と名前を呼んだときの先輩のちょっと得意そうに口の端が上がった顔。どうしてか、初めて見た先輩の笑った顔を思い出すと胸がそわそわする。また見たいな、なんてことを考えてしまう。
 また明日、と言ってくれた。
 俺が頷いたら、迷惑そうじゃなかった。と、思うんだけど……

 ごろっと寝返って、タオルケットを頭まで引っ張って潜った。水色のタオル生地は透けるから、蛍光灯の白々した光を妨げない。

 俺はどうしたいんだ?

 今まで、俺と先輩の間には見えない膜があったのに、それが突然なくなってしまった。
 困るよ。急に通り抜けられますよ、とか言われても。

 仲良くなれるにしても、もうちょっとこう、先輩の性格とか物事の好き嫌いとか確かめてから、不快にさせない完璧な自己紹介をしたかった。
 つまんない奴って思われたくないし、何が地雷かわかんないもん。
 初めて話す相手との会話って、どうやるんだっけ。半年前に入学したときやったはずなのに、話のネタとか、どんな順番で何を話したか全然覚えてないや。
 どこの中学から来たん、とか部活何やってたとか、多分そんな話をした気がするけど……そしたら一ヶ月くらいで自然に同じ属性っぽい奴らでまとまった。あれなんなんだろうな。生き物の習性?
 俺は見た目で大人しい系って思われたのか、派手グループからの絡みはなく、ごく普通の男のみ四人組というちょうどいい塩梅の輪にいる。半年経っても平和でラッキーだ。毎日のんびり草を喰もうやっていうか、もう俺達が牧草地帯って感じ。

 でも、春川先輩とはどうやって話せばいいんだ?
 先輩は俺が仲良くなったことのないタイプだ。教室にいたら、先輩は絶対賑やかでキラキラしたグループにいて、廊下歩いてるだけで男女関係なくわらわら集まってくる。先輩の話し方はお喋りって感じじゃなかったけど、もうオーラがカッコいいもん。黙っててもイケメンってずっと思ってたし。自然に目が追っちゃうって、ああいうことなんだろうなって思う。
 対して、俺は背景の草。一軍系男子とどう話せっていうんじゃ。先輩を楽しませる話術なんて持ち合わせてない。
 明日先輩が乗ってきたら、あいさつだけしていつものように本を読む、というのはダメか……?

 でも、本当にそれでいい?

 俺の頭に別の俺が現れて、ジト目をしてくる。

「なんだよ、そんな目で見んなよ……」

 俺だって、先輩とわいわい話せるなら仲良くなりたいよ。
 バサっとタオルケットをめくって、明るい空間に顔を出す。手足を伸ばして仰向けに。
 新鮮な空気が胸に入ってきて、ぐるぐるしていた頭が少しすっきりする。

 わかってる。うだうだしてても、俺は心のどこかで明日を楽しみにしてる。先輩のこと、ずっと気になってたから。
 いつも読んでる本のこと、話してみたいって、話せたらいいのにって、思ってた。
 今日先輩に話しかけてもらえて、びっくりしたけど嬉しかった。

 春川夜鷹先輩。

 今日知った名前を心の中で唱えると、誰にも見えない虚空に浮かんだ字は夜空の星みたいにキラキラしてる気がする。
 名前がわかったら、先輩は俺の中でもっとクリアになった。
 もっと話してみたい。
 先輩のことを知ってみたい。
 上手く話せなくてまた後悔するかもしれないけど、でも失敗が一日増えたところで失うものは何もないし。

「よし」

 小さく呟いて、仰向けのまま伸びをした。
 明日も、いつもの電車に乗ろう。
 枕の上に手を伸ばし、帰ってきてから途中まで読んでいた文庫本を手探りで掴む。腕を伸ばして目の前に掲げた。

 本棚の奥から引っ張り出した本はもう何年も開いていなかったから、ページの間から外に解き放たれたインクの独特な匂いがする。

 とある出版社の子供向け文庫の11番。
 この文庫の背表紙の色は対象年齢に合わせているらしい。図書館の児童書エリアでよく目にした、なんとなく懐かしさを覚える色味。確か持ってたよな、と思って漁ってみたら、やっぱり作品集の一つに収録されていた。
 今日はこれを読んで寝よう。

 明日のことを考えたら、もうドキドキし始めてしまうから、胸を落ち着けてごろんと寝返って集中した。

 文字を拾って、広い空に羽ばたくようなイメージが浮かぶ。
 先輩と同じ名前の童話。
 夜空に心を残した、優しい鳥の話。