ある日突然自己紹介の巻
秋が深まる十月、ちょっとしたイレギュラーが起こった。
朝、俺達の定位置に人が座っていたのだ。
これまでも、俺か彼の、どちらかの場所が埋まっていたことはあった。そういう場合、一人分か二人分ずれて座るだけでよかった。
しかし今日、俺達の定位置は両方とも埋まっている。それも出張か研修中のサラリーマンなのか、スーツ姿の男性が複数人で固まって車両の一画を占めている。
どうしようかな。
俺は周りを見回して、車両の隅の、優先席の前にある三席分のシートに座った。ここには人はいない。
そこでいつもの通り文庫本を取り出し、そして思った。
彼はどうするだろう?
電車はもう彼が乗ってくる駅に近づいている。
なんとなく胸がドキドキしてきて、周りに人がいないことをいいことに、無駄に前髪を直したりした。
電車が駅に滑り込む。
プシューといつもの音を響かせて扉が開いた。
いつも通り、制服姿の彼が乗ってくる。初めて電車に乗ってくる姿を目にした。正面から彼が乗り込むのを見たのは初めてだった。
鞄を肩に引っかけて、シャツの上に黒いカーディガンを着た彼は朝からイケていた。ちょっと眠そうな顔なのに、アンニュイな感じがしてカッコいい。イケメンはどんな顔でもイケメンだった。
本に目を落とさなきゃと思うのに、どうしても彼の反応が気になってこっそり見てしまう。
彼はいつも通り自分の定位置に行こうとして、そこにサラリーマンがいることに気づいた。そしていつもの俺の場所に目を向ける。そこも別のサラリーマンが埋めているのを目にしたら、あれ?という顔をした。
彼が電車の中を見回す。
離れた座席から見ていた俺と、目が合った。
ヤバい。目合っちゃった。
慌てて目を逸らそうとしたが、ここで露骨に目を逸らして他人のフリしたら嫌なヤツじゃないか?と思った。一応、これでも毎日向かい合って一緒の時間を過ごしていたんだし。
彼は俺をじっと見つめてくるので、とりあえず会釈した。
これでいいよな。これで失礼じゃないよな。今日はお互い場所が空いてませんでしたね~っていう雰囲気醸せたな。
よし、と俺は目を離して、ドキドキしてしまった胸を落ち着けようと本に目を落とす。
きっと空いてる場所を見つけて座ったよね。ちらっと横を見ると、何故か彼は俺の方に歩いてくる。
「えっ!?」
一瞬狼狽えたが、すぐに思い直した。
こっちにしか空いている場所がないんだから、別に普通だ。多分手前の席に座る。
……と思ったのに、彼は歩いてきて俺の隣に座った。なんで?!
「おはよう」
おおおおはようって言った!?
驚きすぎてキョロキョロ周りを見回してしまった。向かいの優先席には誰もいない。周りに立っている人もいない。横を見たら彼が俺を見ていたので、うおっと声が出そうになった。
「お、はようございます」
流れで口から挨拶が出た。
初めて彼と言葉を交わしてしまった。いや待って。隣に座るなんて聞いてない。座っていいかって聞かれても困るけど。腕が触れるくらいすぐ隣に、あの彼がいるという感覚が未知すぎて、俺は地蔵になった。
彼は床に置いた鞄から文庫本を出している。
ということは、いつも通り本を読むということか。
そして俺にもそうしろと、これは暗に指示してるってことだな。もう会話終わったからなってことだ。そういうことか、わかった。
俺はぎくしゃくと本を開こうとして、手汗をかいた指で表紙をめくった。
「それ、おもしろい?」
「えっ」
横から声が聞こえた。
思わず顔を向けたら彼と目が合った。間近で見ると、ちょっとアーモンド色というのか、濃いキャラメルみたいな色の瞳だ。
わざとらしく笑いかけるでもなく、普通のトーンで、まるで友人に対するような態度で話しかけられたので、俺はまだ状況が呑み込めない。
「最近そのシリーズずっと読んでるから」
そう言われて俺は自分の持っていた本に目を落とす。
「それ名前だけは知ってたけど、まだ読んだことない」
自然に会話が幕開けしてしまい、俺は言われたことを頭の中で二回ほど再生した。
そして聞かれたことにちゃんと答えなければと、謎の責任感を感じテンパりつつ答える。
「あの、俺は面白かったです、だから図書室に全部あるから全部読んでみようと思ってて。えっと、シリーズを通してクローズドサークル……密室ものなんですけど、同じ建築家が建てた建物が舞台になってて、特殊な仕掛けがあったりして、特に最初の巻の謎解きが本当にすごくて」
焦ってオタクみたいな話し方になった。
ヤバい。聞かれてないことまでぺらぺら喋っちゃった。キモがられる。
己の反応を激しく後悔したが、彼は顔に不快さを表すことなく頷いた。
「最初どれ?」
続けて聞かれて、一瞬ぽかんとする。
「あっ、これです」
慌てて裏表紙から紙をめくり、既刊一覧を見せて指をさす。
少し身を乗り出して俺の手元を覗き込んだ彼の頭から、さらりとした清涼な香りが伝う。
茶色の髪がすぐ鼻先にある。めっちゃいい匂いする。なにこれ。イケメンの香り?
「次に読むわ」
彼がスマホを取り出して操作する。
最初の巻をメモしたのだとわかって、俺はひとまずほっとした。と同時に、あることを思い出した。
「あの、それよりも読んでほしいやつが」
小さな声で言うと、彼はスマホから俺に視線を戻した。
「え?」
「少し前に読んでたライトノベルで、続きじゃないけどスピンオフがあるんです。それ読んでないんだったらおすすめで」
ミステリーを読み出す前だったから、一ヶ月くらい経っているかもしれない。
彼が俺の好きなライトノベルを読んでいた。でもそれを読み終えたら次は別の作者の作品になっていたから、気になっていたんだ。スピンオフで本編の主人公達も出てくるし、かなり面白かったから。
制服のポケットからスマホを取り出して、タイトルを検索した。表紙の画像を見せたら、彼はちょっと驚いた顔をしていた。
その表情を見て、あ、これやったな。と思った。
冷静に考えたら、顔しか知らないようなヤツに自分が何読んでたか把握されてるって、怖くね?
ヤベ、こいつキモイやつだったって引かれる、今度こそやったかもしれん。
「あ、すみません。たまたま気になっただけで。好きな感じの作品じゃなかったとかだったら全然気にしないでもらって」
「スピンオフあったの知らなかった。あれ結構好きだったから読むわ。ありがとう」
彼はさらっと答えてくれたので、俺のミジンコの心臓が救われた。
「へ、へい……」
しかしテンパリすぎて変な相槌になった。やっぱりもうダメだ。死ぬ。
微かに彼の肩が揺れた。チラ見すると、唇の端が持ち上がって震えている。なんでかわからんけどウケている。
しかしこの後どうする。
彼が降りる駅まであとまだ二駅ある。何か話を繋がないと、無言じゃん気まず、とか思われる。
「あの、もし図書館とかになかったら、俺貸すんで言ってもらえれば……ああ、でも先に館のやつ読む感じですか?」
とりあえず会話、と話しかけると、彼は瞬きして笑った。
少し目が細くなって、口角が綺麗に上がる。イケメンの笑みの破壊力。
「スピンオフの方、貸して。そろそろミステリー箸休めしようと思ってたから」
「あ、そうですよね。やっぱなんでも過剰摂取ってよくないから。俺も最近館のこと考えすぎて授業中に嫌いな奴館に閉じ込める妄想とかしちゃうんで」
彼はスマホを持った手の甲を口に当てて噴き出した。
「天才じゃん。俺もやるわ」
「うあ、あ、はい。おすすめです」
俺は内心慌てふためきながら意味不明な相づちをし、初めて対話する人に一体なにを教唆しているんだと反省した。
「……わいい」
ぼそっと聞こえた気がしたが、俺は気持ちを落ち着けようと咳払いしていてよく聞こえずだった。
「その館のやつ何冊目? 全部で何巻?」
「えっと、六冊目で。シリーズ全体では十二冊?だったかな。でも続巻するらしいって聞いてます」
彼が俺の読んでいる本について聞いてくれたので、俺はなるべくオタク感が出ないように気をつけつつ、なんとか会話を繋いだ。
そのうち、彼が降りる駅に近づいていく。
彼は外を見てそろそろだな、という顔で鞄に文庫本をしまった。結局、彼は本を出しただけで今日は読まなかった。
「春川夜鷹」
「え?」
「はるかわよだかって言います、俺」
目が合うと、そこだけ敬語になった彼が軽く会釈した。
「あ、春川……先輩?」
「俺二年」
「じゃあやっぱり先輩です。俺一年だから」
「うん、去年いなかったね」
彼、春川先輩が頷いたとき、電車がホームに滑り込む。先輩が立ち上がった。
「あ、俺名前」
自分も名乗らなくちゃと声を上げたら、先輩が俺を見下ろして笑った。
「みずき」
「え?」
「前に乗ってきた友達にそう呼ばれてた」
言われて思い出した。
俺のクラスの奴が同じ沿線に住んでいて、「早いのに乗れた~」とごくたまに途中で乗ってくることがある。
でも、それで俺の名前を?
「また明日」
「あ、はい」
電車の扉が開き、先輩は鞄を肩に引っかけて降りていく。
――また明日。
明日の朝、俺達はまた同じ電車で会う。
……おおお俺は、明日からどうすれば?!
ーーーーーーーーーーーーーーーという話です。続きは書きたいと思ってます。(最後も決めてるから…)
作者の気配がなかったら早く書いてと鼓舞してください。時間をください。
攻め 春川夜鷹(はるかわよだか)
受け 庵野瑞樹(あんのみずき)
