君を包む海になりたい


 授業の開始を告げるチャイム。
 風が舞い込む。
 隣には、蒼は居なかった。

 思わず、携帯を握りしめた。
 来ないの?と連絡したかった。
 けれど、あいつとは連絡先を交換していないことに気づいた。

 学校ではずっと一緒に居たから、そんなもので繋がっていなくても平気だった。
 今になって、後悔する。

 心がザワつく。……寂しい。

 その時、教室の扉が開く。

「おい、遅刻だぞ。髙木……どうした? 大丈夫か?」
「……すみません」

 蒼は、俺に目を合わせようともせず、フラフラと歩いてくる。
 眉から目にかけて、ガーゼが当てられ、唇は切れて赤くなっている。いつも以上に開いていない目が、目つきの悪さを引き立たせる。

 正直、俺は少し怖かった。
 喧嘩でもしたのか?分からない。
 でも、聞かない方がいい。なぜか、それだけは分かった。

「いい……いつもより顔派手じゃん。遅刻魔」
「……今日初めてだろ。遅刻」
「き、き……き今日来ないかと思ったから、来てよかった」

 それは、心から思っていた言葉だった。
 でも、なぜかつっかえる。
 吃る。それで感情がバレる。そんな風に怖くなった。

「はは。海、俺がいないとダメなわけ?」
「お前しか……と、友達いないし」
「……そっか」

 いつもより長い沈黙。
 いつもより正直な俺。
 空白を埋めるように、本音が漏れる。

 一時間目が終わる。
 俺はすぐに、蒼の方を向く。

「ねぇ、柏木。ちょっといい?」

 蒼の向こうから……陽キャ集団の1人が話しかけてくる。

「な、なな……なに? なんか用?」
「いいから来て。柏木借りるよ、髙木」
「俺のじゃないし……」

 蒼は表情ひとつ変えず、ぶっきらぼうにそう言った。
 俺は少し悲しくて、陽キャに呼ばれるままについて行くことにした。

 また、虐められる?

「で、で、で……な……なに?」
「柏木、あいつ……髙木には近づかない方がいい」
「ど、どうして……篠田にそんなこと言われなきゃいけないの?」

 こいつ、篠田陸人(しのだりくと)は中学からの同級生だった。
 篠田とは、中学で最初の頃は仲が良かった。
 入学したての時は、いつも一緒に居た。
 まさに、今の蒼みたいな存在だった。

「あいつの噂聞いたことないの? 前の学校で不良のこと気絶するまでボコして停学したって。それにあの傷……絶対危ないやつだよ」
「……それがなに?」
「なにって……。俺はお前のこと心配で」
「い、いい……今更心配? ふざけんなよ。中学の時に俺のこと見捨てたのに……なんで今? 余計なお世話なんだよ」
「柏木……それはごめ……」
「黙れよ! お、お、お前に何言われても、蒼がどんなやつでも……俺の友達なんだよ」

 俺は篠田のことを睨みつけ、教室に戻った。
 しかし、そこに蒼は居なかった。
 話したかった。ただ、それだけだった。
 なのに、蒼が居ないことが心に穴を開ける。

「ね……ねね……ねぇ、髙木蒼どこいったかわかる?」

 そこら辺の女子に声をかける。
 女子は、はっとした顔をして手を叩く。

「髙木くん? あっ、さっき保健室の前で見たかな」
「ありがと。ごめん、俺も保健室行ったって先生に言っといて!」

 俺は保健室へ走った。
 この後、先生に怒られるかなんて気にならなかった。
 ただ、蒼と喋りたかった。

 その道中で、篠田とすれ違う。

「柏木……う、海!」
「……」

 俺は篠田を無視して、保健室へと真っ直ぐに走る。

 ガラガラと保健室の扉を開ける。

「すみませーん……あれ?」

 そこに、先生は居なかった。
 ベッドのどこかに居る。俺の勘がそう言っていた。
 一番奥のカーテンが閉まったベッド。
 きっと……そこに居ると思った。

 俺はシャッとカーテンを開く。

「うぁ!? え!?」
「あ! ごめんなさい!」

 違う人だった……。
 しかも、カップルがイチャついていた……。
 俺はすぐにカーテンを閉め、顔が熱くなるのを感じる。

「こっちだよ、ばーか」

 蒼が、向かいのベッドのカーテンから顔を出していた。

「……も、もう。分かってたなら、声かけろよ」
「お前がそっち行ったらおもれぇなと思ったの。ほんとに行くなんてな……いてて」

 蒼は笑い、そして唇の傷を抑える。

「き、き傷、大丈夫か?」
「ああ、大丈夫。それで保健室来たんじゃないんだ」
「サボり?」
「そうだよ……なのにお前が来ちゃサボれねぇじゃん」
「はぁ? 俺との会話、義務とか思ってるわけ?」
「そうだろ……どこにでも着いてきやがってよぉ」

 二人で少し笑って、心のモヤモヤが少し晴れていく。

「一緒にサボろーぜ。どうせ、気づかないよ」
「あ、俺保健室行ったって報告してって女子に頼んじゃったわ」
「何やってんのお前……まぁお前がサボりだとは思わないか」

 ひとつのベッドに、並んで座る。
 カーテンの中が、俺たちの秘密基地のように感じる。

「なぁ……この傷……なんでついたか気になんねぇの?」
「正直気になるけど、別に言いたくないなら……言わなくていいかな。それよりお前と話したいだけ」

 蒼の方を向く。
 真っ直ぐとその目を見つめる。
 赤く充血した片目。その目は痛々しかったが、俺には関係なかった。
 吸い込まれる。またそんな風に感じる。

 いつもよりまつ毛が濡れている気がする。
 それが、綺麗だと思った。

「話しても……いい?」

 弱々しく、蒼がそう言った。
 嬉しかった。俺のことを信用してくれていると感じた。

「もも、も……も、もちろん。」

 吃る言葉は、照れ隠しを含んでいるような気がした。

「俺の家、父ちゃんだけなんだよ。父ちゃん、昨日誕生日だったからさ、ケーキ買って帰った。そしたら、また飲んでて。酒が入ると……父ちゃん変わっちゃうんだ」
「うん」
「それで、こんなもん要らねぇってケーキ叩きつけられて。片付けようとしたら、これ。殴られて、蹴られて。苦しくて、辛くて、悲しかった……。最近は落ち着いてたのに……な」
「うん……」
「ごめんな、こんなこと。引くよな」
「引くかよ。お前が無事で良かった。その口ぶりだと、お父さんにも事情あんだろ?」
「うん……父ちゃん、母ちゃんが死んでからずっとそんなで。俺が病気になってから、母ちゃん……。父ちゃんさ……俺のこと恨んでんだよ。昨日も首締められて、お前が居なかったらって……。可哀想だよなぁ……俺なんかが息子で」
「……」

 俺は何を言ってやったらいいのか分からなかった。
 目に涙を浮かべながら唇を噛み締めて話す蒼に、触れることさえできなかった。

「俺もさ……愛される努力してみたんだけどな……。無理みたい」

 無理やり笑う蒼。目から溢れ落ちる涙が頬伝い、ガーゼを濡らす。

「お、お……俺はお前が居ないとダメだ」
「……え?」
「お、お前が初めてできた友達なんだ。だから……居なくなったりすんな」

 気恥しくて、目を合わせられなかった。
 きっと、気持ち悪がられる。

 そんなことを思っていると、蒼は俺を強く抱き締めた。
 ゆっくりと、俺の肩に顎をのせる。
 吐息が熱くて、こしょばい。

「そんな可愛いこと言うのやめろ……俺以外に」
「は? 何言ってんの?」
「お前は俺だけの友達でいいんだよ」

 そう言って、蒼は俺をくすぐる。
 俺は笑いを耐えきれず、大きな笑い声を出す。
 ドキドキは止まらない。
 心臓が高鳴る。

 それを、笑い声でかき消した。

「あんた達! ここは休むところ! 遊ぶなら出ていきなさい!」

 保健室の先生の怒声が響く。
 俺たちはにんまりと悪い笑みを浮かべ、シーっと口に指を立てた。二人でカーテンから出て、先生に謝ると、教室に戻ることにした。

 心臓はまだバクバクと脈を打つ。
 きっと、勘違いだ。
 こいつは……ただの特別な……友達。