君を包む海になりたい


「中学部活してたー?」
「してねぇ。行ってない」
「なるほどね。俺はちなみにソフトテニス」
「うわ、陽キャじゃん」
「お前が言うなよ」

 他愛ない会話と、暖かい砂浜。
 ザバーンと砂浜に打つ海の音が気持ちよかった。

「蒼が海好きな理由、ちょっと分かったかも」
「まだあせぇよ。こっち来い」

 蒼はよっこいしょと腰を上げて、海に向かって真っ直ぐ向かっていく。

「……おい、なにやってんの」
「足つけんの。気持ちーぞ」
「はぁ? おお……お、お前制服濡れんぞ」
「捲るに決まってんだろ。あと、濡れんのはしゃーないから。海来たなら覚悟しろ」
「あ? や……や、やってやるよ」

 俺はそんな売り言葉に買い言葉で、ローファーと靴下を脱ぐ。制服のズボンを腿までたくしあげる。

 そのまま走って、蒼を追い越した。
 その先の海に突っ込んでいくように。
 ひんやりとした海水が足に触れた瞬間、俺は歩みを止めた。

「ちめて〜、まだこんな冷たいの?」
「そんなもん。てか、俺より先に入んなよ」

 同じように蒼がズボンを捲りあげ、海に入る。
 その顔は満面の笑みだった。

「つんめた! 気持ち〜!」
「はは、お前、笑顔すぎ」
「べ、別にいいだろ……それくらい」
「なに? 吃音移った?」
「お前、言っちゃダメだろ。それは」

 波の音よりも大きな笑い声。
 海も一緒に笑っているみたいで。

「おい」

 蒼はぴしゃりと俺に水をかける。
 やると思った……こいつ。

「ふざけんなよぉ!」

 俺は雄叫びのような声を出し、そのままぐるぐると腕を回す。
 水を掬い、彼の顔めがけてかける。

「やったな……」
「やるよ。俺はやる男だよ?」
「なに言ってんのまじで」

 蒼は笑っていた。
 その笑顔が夕焼けに照らされて、余計に眩しかった。
 いつしか、こいつの笑う顔ばかり見るようになっていた。それが俺には誇らしかった。

 海水で一通り遊んだ後、砂浜に戻る。
 すると、砂がまとわりつく。

 ぐちゃぐちゃになる足に、思わず口がへの字に曲がる。

「犠牲は付き物」
「達観したようなこと言いやがって……。ぜ……全然かっこよくねぇから!」
「わかったわかった。俺のハンカチで拭けばいいから。そこら辺の蛇口で洗うぞ」
「うう……こんなことなら……」

 俺は顔を俯かせた。
 それを覗き込むように、蒼が顔を近づける。

「でもさ……楽しかったっしょ」

 イタズラに笑うその顔に、俺も釣られて笑顔になる。

「あーあ、こんな時間じゃん。お前、明日は絶対アイス奢れよ」

 誤魔化すように俺は時計を見る。フリをした。
 腕時計なんてしていない。

「ばか。わかってるよ」

 ……まただ。また、蒼は俺の頭を撫でる。
 それに、少しドキッとする。
 心臓が跳ねる。

「……な、なにそれ。ハマってんの?」
「ちげぇよ。お前、自分が思ってるより可愛げあるよ」
「は、はぁ!?」
「本気にすんな。じゃあ行くかぁー。また来ような」
「……う、うん」
「だから、どっちだよ」
「失礼なんだよお前ぇ!」
「声デケェよお前……」

 楽しかった。俺の今までのうだつの上がらない日々は、波に打ち消されていくようだった。
 こいつ1人のおかげで、孤独がしゅわりと溶けていった。

「飴いる?」

 帰り道の電車。
 少し濡れたズボンの裾に凹んでいると、蒼が声をかけてくる。

「飴? 飴嫌い。でかいやつじゃないと」
「は……? ……実はでかいやつでーす」
「まじ!? あの丸いやつ?」
「そう! 好み合うねぇ〜」

 個包装になった大きな飴玉を、俺の手のひらに置く。
 この飴好きなやつ……俺以外に初めて見た。
 淡い虹色の線が走るその飴玉は、白く濁っている。
 早速包装を剥がし、飴玉を口に放り込む。

「甘ぁ〜、うんま」
「だよなぁ。お前、口のサイズに合ってなさすぎてボコってなってんぞ」

 その時、蒼の指が俺の右頬に触れる。
 その細い指が、胸の鼓動を余計に刺激する。

「お前も食え」
「なんだよ。機嫌悪いんでちゅか?」
「この飴食ったら、みんなボコってなるっつぅの!」

 なんでこいつにドキドキせにゃならんのだ。
 イケメンとは罪だ。
 肩幅の割に小さな顔と、顔にかかる髪が余計にそれを目立たせる。

「俺と同じ学ランなのに……」
「なに? かっこいい?」
「黙れ。分かってるところが嫌だわぁほんと」

 俺の八の字に曲がる眉を見て、蒼は笑う。
 鼻で笑う。ムカつく奴。

「次は〜」
「あ、俺ここで降りるわ」
「え? 一緒に帰らねぇの?」
「ごめん、今日ケーキ買って帰んないとなんだわ。じゃ、また明日な」
「まぁいいけどよ。あ……ああアイス奢れよ?」
「はいはい。じゃ、気をつけろよー」

 最寄りの一駅前。
 蒼は降りていってしまった。
 車窓から、俺は手を振った。
 
 さっきまでの賑やかさが消え、一気に孤独を感じる。
 寂しい。てっきり、最寄りまで一緒に居れるものだと思っていたから。

 飴玉はまだ溶けきっていなかった。
 詰め込んでいた頬はシワシワにふやけ、そこには飴の甘さが残る。
 そこに残る不快感と、甘ったるい味。
 まるでイタズラ好きの蒼のようだと思った。

 虹色が溶けて、俺の中に入る。

 とぼとぼと帰り道を1人で歩く。
 すると、スマホが鳴った。

「もしもし……」
「あんたこんな時間まで何やってんの!」

 母親の声が耳をつんざく。

「海行ってた」
「海ぃ? なんで?」
「友達に誘われたから」
「友達できたの!?」
「いいから。もう着くし、切るよ」
「分かった分かった。話聞かせなさいよ」

 母さんのビカビカ光るような明るさには……いつもうんざりする。
 これが反抗期なのか分からない。
 けれど、うざったいのは分かる。

 ため息をつきながら、覚悟を決めて家の扉を開ける。

「た……た、ただいま」
「おかえりぃ〜!! 早く! ご飯出来てるよ」
「はぁい……」
「兄ちゃん、母さんになんか言った? めっちゃ機嫌いいんだけど……」
「ああ。と、友達が出来たって言っただけ」

 弟の(そら)は、優しいやつだ。
 中二の思春期真っ只中だっていうのに、吃音を抱える俺のことも受け入れ、このうざったい母親も上手く扱っている。

 歳の割に大人びていて、兄なりに少し心配だ。

「へぇ! そりゃ喜ぶね。良かったじゃん」
「へへ……まぁね。久しぶりに友達と遊んだわ」
「兄ちゃんのこと、ちゃんと見てくれる人が出てきたんだ〜」
「そ、そ、そうだね」

 俺たちは食卓を囲む。
 必ず俺ら3人は一緒にご飯を食べる。
 父親は仕事が夜遅くまであるから、居ないけど。

 別に仲が特別いい訳でもないが、悪くもない。

「で、どんな子なの? 友達は」
「か、彼女ができた訳でもあるまいし……そんなこと聞かなくても……」
「そう? でも気になるじゃない。海に遊びに連れていってくれるなんて、そんな活発な子と友達になれたんでしょ?」
「い、いい……良い奴だよ。俺の吃音も変じゃないって言ってくれる。そいつといると、吃音も落ち着くんだ」
「……そう」

 母さんの顔を見ると、少し涙ぐんでいる。
 吃音のことで、中学は散々虐められた。
 それで、心配もかけたし、八つ当たりもした。
 母さんが喜ぶ顔を見れて、素直に嬉しかった。

「今度……連れてきたら?」
「ぶっ、だから彼女みたいな扱いすんなって!」
「違うわよ! 母さんどんな子か会ってみたいの。そんな素敵な子、おもてなししなきゃ」
「まぁ……い、言ってみるよ」
「兄ちゃん、良かったね」

 久しぶりに、俺は家庭の温かさを思い出した。
 これまでは学校の話をできないことに、後ろめたさがあった。
 でも、蒼のおかげでこんなに喜ばせられた。

 嬉しい。蒼には感謝しないと……。
 ムカつくから、あいつには言えないけど。

 いつの間にか、俺は笑っていた。