君を包む海になりたい


「あ〜、つまんねぇつまんねー」
「うっせーよお前」

 蒼が転校してきて、1週間が経った。
 相変わらず、お互いのことは話さなかった。
 自然とこいつと居ると笑えていた。

 ……でも、もっと知りたいと内心思っていた。
 顎を空に突き上げて、空を見つめるその瞳には本当は何が写っているのか気になった。

「なぁ」

 蒼はそのまま目線を俺に向けて、口を開く。

「海行かね?」
「どこに?」
「お前じゃないわ。海だよ海」
「海に行くってこと? 遠いわぁー、電車で1時間はかかるぞ」
「いいだろぉ。アイス奢るし」
「はぁ? それは行くわ」

 正直、電車代はアイスどころではないし、学校が終わってからだと帰る時間も気になった。
 しかし……それ以上に、蒼と居たいと思ってしまった。
 急に行きたい所なんて、何か知れることがあるんじゃないかと思った。

「現金な野郎」

 俺はベンチから立ち上がり、海をイメージしたダンスを披露した。
 陽キャたちの真似をして、流行ってる感じでキメ顔をしてやった。

 ……蒼の目線は死んでいた。

「何それ。病気の一反木綿?」
「お前絞めるぞ」
「いや……変なもん見せたのお前だろ……」

 俺たちは肩で風を切って、教室に戻った。
 それには理由がある。
 俺が陽キャ、主にヨシキから絡まれなくなったからだ。

 蒼が転校してきた日から、あいつらは俺と目も合わせようとしない。……あれ、それは前からだっけ。

 二人で同時に席に座ると、俺はまたカーテンに包まれた。
 その瞬間、蒼の笑い声が聞こえる。

「ふふ……ばかだなー」
「え、蒼くんが笑った!?」
「笑ったよ……怖」

 くく……あいつ、怖がられてやんの。
 俺はすぐにカーテンを退けて、蒼の顔を見る。
 すると、すでに真顔に戻っていた。

 表情管理の鬼め……。
 女子も恐怖するこの冷たい表情は、俺の前では解ける。
 それに、優越感さえ感じていた。

 学校の終わりを告げるチャイム。
 ゾロゾロと皆が立ち上がる中で、蒼は俺をじっと見ていた。その茶色い目で、じっと。

「なぁ。さっきの約束忘れてないよな」
「……う、海だろ? 忘れてねーよ。ボケっとしてないで早く行くぞほら」
「おう……」

 少し照れくさそうな顔をする蒼に、可愛げを感じる。
 こういう所が憎めないんだよな。

 俺たちは下駄箱で靴を履き替え、駅へと向かう。
 5月にもかかわらず、この暑さ。
 嫌になる。
 汗が額から垂れるので、手で拭おうとする。

「おい、汚ねえ。これ使え」
「あんだとー? ってお前ハンカチ持ってるタイプなんだ」
「あと2枚あるからやるよ」
「なんで?」
「心配性」

 ふーんと言いながらも、すごい意外性を感じていた。
 こいつがハンカチ3枚持ちなんて……。

 俺より少し背の高い……いや、正直10cmは高い蒼を見上げながら歩くのは疲れる。
 なので、前を見ながら話すことにした。

「チビ。おめぇ、こっち見んの面倒くさがってんじゃねえ」
「チビじゃねぇよ。ででで、でデカ男」
「あ? この肩幅でタックルしてやんぞお前」
「や、やややめて?」

 そんな他愛もない話をしていたら、近くの海に行くことができる駅に着いていた。
 携帯の画面をピッと自動改札機にかざすと、後ろには蒼の姿がなかった。

「え? どこいった?」
「あー! ごめん海、チャージ足りないからチャージしてる!」
「あぁ、お前カード派なのね」
「そう! よし、お待たせー」

 今日分かったことが1つある……こいつは慎重派だ。
 ハンカチの枚数、ICカードが定期……心配性……。
 ギャップだなぁ、おもしれぇ。

 飛び乗った電車は混む方向とは反対側ということもあり、空いていた。
 長い電車の椅子の真ん中に、二人でどかんと座る。
 お互いの方に肩を向けて、外に目を向ける。

 気持ちの良い日差しに照らされている住宅街は、いつもよりも喜んでいるように思える。
 もう少ししたら、丘の上にある家々が見える。
 俺はその家々を見るのが好きだった。

「あ! きたー、あの家」
「ん? どれ?」
「あの丘の上。なんか良くない? ああいう丘の上に家を建てたいな」
「へぇ。いいじゃん。俺はねぇ……やっぱ、海辺の町かな」
「やっぱ海好きなの?」
「お前じゃない方の海、好き」
「知っとるわい!」

 そんなこんなしている間に、車窓からも海が見えてきた。

「海だ海ー!」
「なんだ、無邪気だな」
「いいだろ別に」

 キラキラと光る水面に、確かに魅力は感じる。
 その水面以上に、蒼の目もキラキラと輝いていた。

「次の駅は〜美原ヶ丘〜美原ヶ丘〜」
「ここだよ。1番近い海」
「うっしゃー! テンションあがるぅー!」
「おい、キャラ変えぐいなお前」

 駅を出ると、いかにもそこは海辺の街だった。
 ほんの5分歩けば、開けた砂浜に出ることができる。

 俺たちは日差しを感じながら、海に向かう。

「なぁ。……ききき、聞いてもいい?」
「なに?」
「なんで海好きなの?」
「着いたら教えてやる。だから早く歩け」
「あー? 分かりましたよ!」

 俺は大股でスキップして最速を目指す。
 その姿を見て、蒼は爆笑している。

 あっはっはっはという声が響いて、蒼も俺を真似してついてくる。
 それは迷惑な高校生に映るだろう。でも、楽しかった。

 あっという間に砂浜が見えてくる。

「海なんて、ひっさしぶりに来たわ」
「もったいねぇ。海に来れば大体解決すんのに」
「好きだねぇ……」

 砂浜に、なんの躊躇もなく蒼は座り込む。
 靴のままで、靴下も脱がずに。
 入ってくる砂なんか気にしていないみたいで。
 慣れているのか、変なやつなのか……。

「俺がなんで海が好きかだっけ?」
「うう……うん」
「ぜーんぶ包み込んでくれる気がすんだ。俺のやらかしたこととか、弱さとか、病気とか」
「病気……?」
「あぁ、ごめん。気にしな――」
「聞かせて。良ければだけど」

 俺は珍しく真面目なトーンで、蒼に話しかけていた。
 何か言いかけた言葉を遮ってまで。
 他人に立ち入ろうと思ったのは、生まれてから初めてだった。

「いや……引かれるから……」
「吃音のことで引かなかったじゃん。お前。だったら、俺もお前のことちょっとでも知りたいよ」
「……分かった」

 蒼は何か覚悟を決めたような顔をしていた。

「俺、うつ病とか不安症とか併発してる精神疾患なんだよ。休養で休学して、今17歳。お前の1個上」
「え?」
「やっぱ……引くよな」
「いや、17歳!? 先輩じゃん! え、どうしよ、タメ口きいてた……」
「……は? そこ?」

 だはははと蒼は顔に似合わない笑い声を上げる。

「ぜってぇに敬語とか使うなよ。使ったら分かってるよな」
「分かってる分かってる。てか、海綺麗ー」
「てか、じゃねぇよ」

 海は夕焼けに照らされ、とても綺麗だった。
 それに照らされた蒼はもっと……。
 強そうとしか思っていなかった彼の中にある、繊細な部分に触れ、俺はなぜか嬉しかった。

 目に見えない病気。それに苦しんでいる。
 その共通点に、俺は胸が熱くなった。

「お前と友達なれてほんと良かったわ、俺」
「何……え? 泣いてんの? 海」
「ううん……泣いてない……」
「吃音かそうじゃないか分かりづれぇな」
「あ、涙引っ込んだわ。カッチーン」

 俺たちは小突き合い、そのまま制服に砂がつくのも気にせずに後ろに倒れた。
 顔を見合せ、笑った。
 顔が近くて、少しだけ恥ずかしかった。

「俺、お前のこともっと知りたいな」
「なに? 急に」
「いや、知りたいなー。蒼のこと」

 俺はぶりっ子のように拳を頬に付けて、上目遣いで蒼を見つめた。

「ばか」

 そのまま蒼は俺の頭をクシャクシャと撫でる。
 砂がポロポロと落ちる。
 砂浜の温かさなのか、日差しの温かさなのか、身体が急に熱くなる。

「顔赤いけど」

 その低い声に心臓が跳ねる。
 なぜだかわからない。この感情が、なんなのかも分からなかった。