座敷牢の花嫁

夕焼けが帝都の空を染めている。華代は、厨で味噌汁を温めていた。先ほど味見をしたら、新玉ねぎの甘みが出ていた。玄関の方で音がしたので、急いでそちらへ向かう。ちょうど、帰宅した政次が靴を脱いでいるところだった。近づいていって、おかえりなさい、と声をかける。
「ただいま。何か変わったことは?」
「いえ、ありません」
 華代は彼から刀を受け取る。ずしりとした重みが伝わってきた。政次はこんなに重たいものを、簡単に扱っているのだ。政次が風呂に入っている間に、食事の用意をする。茶碗を並べていると、濡れ髪の政次がやってきた。襟元からのぞいた肌がなんだか艶めかしく見えて、慌てて目をそらす。

「どうした」
「い、いえ。今用意しますので」
「自分でやるからいい」
 疲れている政次に、そんなことはさせられない。華代は茶碗に米をよそって、政次に差し出した。もくもくと食べている彼に尋ねてみる。
「美味しいですか?」
「ああ」

 おかわりを求められたので、おひつを開けた。政次は少し変わった気がする。早く帰ってくるようになったし、その日あった出来事を話してくれるようになった。軍での出来事は、華代にとっては新鮮なことばかりだった。彼の仕事には、危険もつきものだ。捕らえたものの中に暴れる異能者がいたと聞いて、心配になる。
「お怪我はされていませんか?」
「ああ。斬ったから心配ない」
 さらりと言われて、華代は息を飲んだ。彼にとって、異能者を斬ることなど造作もないのだ。華代は、立てかけてある刀をちらりと見た。あの不思議な刀の力は、身をもって体感した。異能者を殺すことができる、唯一の武器。あの黒鞘の刀があれば、どんな異能者をも一刀両断できる。それから目をそらして、こう尋ねた。

「あの……政近さまを亡き者にした犯人を見つけたら、どうなさるおつもりですか」
「どうとは?」
「捕らえるのですよね?」
 政次は漆黒の眼差しをこちらに向けた。二人きりの部屋に、少しだけ沈黙が落ちる。
「もちろんだ。兄を殺した理由を問いただす必要がある」
 華代はほっと息を吐いた。政次には人を殺してほしくない。たとえそれが、どんな悪人だとしても。食事時にする話ではないと思ったのか、政次は話題を変える。
「おまえは今日何をしていた」
「いつもと変わりません。畑を耕して、庭を掃除して、花に水をやって、お食事を作って」
 代わり映えのない日々だが、華代にとってはそれこそが幸せだった。

「皐月の連休はどこかに出かけたりはしないのか」
「どこか、って?」
 神国には神事の関係で、祝日が重なる月がある。皐月には、特に大型連休と呼ばれるものがあった。季節がいいのも相まって、その時期はどこも行楽で賑わう。しかし華代には関係ない。それに、特に行きたいところもないのだ。万津家では自分の時間などなかった。おまえは花が好きだろうと、政次が言った。
「水蓮城でつつじまつりというのがやる。見に行くといい」
「はい。では政次さまも一緒に」
「俺は仕事だ」
 祝日の間も、休みがないのか。もちろん志保と出かけるのも楽しいとは思う。だが、政次にも休んでほしかった。じっと見つめると、彼がため息を漏らす。
 「……わかった。少し顔を出す」
 「ありがとうございます」
 華代が笑顔を浮かべると、政次が瞳を緩めた。食事の片付けをして、その場から去ろうとすると引き止められる。

「今日は、このまま寝るのか」
「はい。政次さまも明日お仕事なのでしょう? よくお休みください」
「……」
 政次はなにか言いたげな顔をしていた。もしかして夜食がほしいのだろうか。食欲旺盛なのはいいことだ。その夜、部屋の外におにぎりを置いておいた。
 

 水連城の庭に、大きな鯉のぼりが揺れている。これ、どうやって立っているのかしら。鯉のぼりを見上げていると、ぽん、ぽんと大砲の音が響いた。連休の中日、城内にて、つつじまつりが行われていた。本丸へと続く道に沿って、白や濃い赤系の花が咲き誇っている。普段は閉ざされている城は広く解放されており、出店も出ている。国民たちは、国主の喪中だからと何かと我慢を強いられたはずだ。一日ぐらいはめを外せという、永正の心使いだろう。あの少年は元気だろうか、と思っていたら、そばにいた志保が明るい声をあげた。
「わあ。華代さま、カラメル焼きですよ」
 志保は目を輝かせて、カラメル焼きの屋台を指さした。そうして一目散に駆けていく。
「志保、待って」
 華代は人混みに慣れていない。人波に流されているうちに、いつの間にか志保のすがたを見失ってしまった。華代は途方にくれながら、広い庭を歩いていた。先程までの賑わいは嘘だったかのように閑静な雰囲気が漂っている。ずいぶんと奥まで来てしまったようだ。庭の果てには池があり、朱塗りの橋がかかっている。池を囲うように、菖蒲園があった。来月になれば、見事な花が咲くだろう。

「志保、どこに行ったのかしら」
 視線を動かしていたら、橋の上に人がいるのが見えた。色素の薄い髪の、垂れ目の男だった。鼻筋がすっと通っていて、どこか浮世離れした雰囲気が漂っている。耳元には珊瑚の耳飾りが光っていた。あの人に、戻る道を聞いてみよう。近づいていくと、その男がこちらを向いた。茶色がかった瞳が華代の全身を撫でるように動く。――なに? 華代は身体をこわばらせたが、その男は人懐っこい笑みを浮かべた。ほっと息を吐いて、近づいていく。
「すみません、人を探しているんですが」
「僕も探しとったんや」
 この人もはぐれたのか、と華代は思った。その男はするりと華代の手を取る。
「こんな場所で出会うなんて、運命やと思う。結婚して」
「え?」
 華代はぽかんとした。
「すみません、一応結婚しているので」
「え、そうなん? 残念やわ」

 困惑しつつ真面目に返すと、彼はあっさりと引き下がった。なんだろう、この人。怪訝な顔をする華代に構わずに、池に泳ぐ鯉に餌をやっている。そういえば、鯉の餌を売っている屋台があった。そのせいか、餌に群がる鯉は肥え太っている。
「鯉がお好きなんですか」
「泥臭いからあんまり好きやないね」
 男は完全に食べる方向で答えた。名前を尋ねようとしたら、侍女に囲まれた永正がぱたぱたとこちらに近づいてくる。
「華代! 来てたのか」
「おひさしぶりです、永正さま」
 華代は少年との再会を喜んだ。永正は華代のかたわらにいる男を見て、「げっ」とつぶやいた。松韻はにこにこしながら、永正を抱き上げた。
「大きくなったなあ、永正」
「なんでおまえがいるんだ、松韻!離せ」
 永正は真っ赤になってもがいている。げしげしと膝を蹴りつけられても、松韻はどこ吹く風だった。痛くないのだろうかと心配になる。
「永正の知り合いなん? 華代ちゃん」
「馴れ馴れしく呼ぶなよ」

 松韻に解放された永正は、行こう、と言って華代の手を掴んで歩き出す。振り向くと、松韻がひらひらと手を振っていた。一体彼は何者なのだろう。華代は慌てて彼に声をかけた。
「永正さま、私、連れのものとはぐれてしまって」
「大丈夫だ。人に探させる」
 永正が合図すると、そばに控えていた者がすっとすがたを消した。あの人、護衛じゃないのかしら……。永正のそばを離れて大丈夫なのだろうか。こんなのどかな日に、強襲するものがいるとも思えないけど。永正は華代を花見席に連れて行った。ここからが一番よくつつじが見えるらしい。

「わあ……」
 眺めのよさに華代が目を輝かせると、永正が嬉しそうに笑った。元気そうでよかった、と華代は思う。それと同時に、どこか不安な気持ちにもなった。だんだん、政近の死が遠いものになっていく。華代もいつか、彼のことを忘れてしまうときがくるのだろうか。
 陽光に照らされた色とりどりの花を眺めていたら、政次のすがたが見えた。仕事場から直に来たのだろうか、軍服すがたであたりを見回している。――あ、政次さま。華代は手を振ったが、あちらが気づいた様子はなかった。そうよね、これだけ人がいるし……。少しがっかりしていると、永正が口を開いた。
「華代は。政次が好きなのか?」
「えっ?」
 華代はぎょっとして永正を見た。彼は運ばれてきたお茶を見下ろしてつぶやく。
「俺は、好きじゃない。あいつは政近と違って、無愛想だし何を考えてるかわからない」
「政次さまは、優しい方ですよ」
「でも、政近が死んでもちっとも悲しそうじゃない」

 そんなことはないはずだ。あの人はきっと、感情を表に出すのが苦手なだけ。何より、政近が信用していた相手なのだ。再び視線を下にやった華代ははっと息を飲んだ。一人の少女が政次に声をかけている。つつじや菖蒲にも負けないくらい、美しい娘。
「沙代……」
「知り合いなのか?」
 華代は青ざめた表情で頷いた。
「おーい」
 永正が手を振ると、政次がこちらを見上げてきた。沙代もこちらを見てすっと目を細める。しばらくすると、政次と沙代がこちらにやってきた。沙代は豪華絢爛な着物を着ている。婚約を破棄されて、暮らし向きが変わったと思っていたが。変わりがないならよかったと思う。沙代は身をかがめ、天女のような笑みを浮かべて永正に話しかける。

「はじめまして、永正さま。華代の姉の沙代でございます」
「華代の?」
「あら、華代ってばお話にならなかったのね」
 責めるように睨まれて、華代は身体を縮めた。沙代は華代に直接話しかけようとはしなかった。猫撫で声で永正に話しかけているが、生返事をしている。政次は彼の退屈を読み取ったのか、永正を部屋まで送ると行って、去っていった。妹と二人きりになった華代は、気まずい思いをしつつ久しぶり、と声をかけた。沙代は目を細めて、華代を眺めてくる。
「こんなところで会うなんて、驚いたわ。どうやって城主に取り入ったの?」
「たまたま知り合ったの」
「風の噂で聞いたのだけど、政次様と結婚したんですって?」

 彼女は探るような眼差しを向けてくる。華代が頷くと、家どうしの結婚なのだから、きちんと挨拶にくるべきではないか、と不満げな声を漏らした。華代はぐっと拳を握りしめる。父と会議の場で別れて以来、万津家からの連絡などは一切なかった。もう華代と関わりたくないから、縁を切ったのではなかったのか。沙代はねっとりとまとわりつくような口調で話しかけてくる。
「あの方、華代のことを聞きにいらしたのよ」
「そ、そう」
「あなたを嫁に取りたがる方なんていないし、きっと何か思惑があったのでしょうねえ」
 黙り込んでいると、政次が戻ってきた。沙代は先程までの態度を翻し、愛想よく彼に笑いかけている。沙代はあっちへ行け、とでも言うように袖で払う仕草をした。華代はその場を離れ、つつじの植えられた道を歩く。つつじの周りには、匂いに誘われたハチが飛んでいた。つつじの蜜は甘いのだ。そっと花弁に触れると、滑らかな感触が伝わってくる。昔、沙代がハチに刺されて大泣きしたことがあった。華代はよもぎの葉を摘んで、治療してやった。あの頃は、よかったな。懐かしい思い出に浸っていると、とん、と肩を叩かれた。振り向くと、松韻が立っている。彼はにこりと笑みを浮かべた。

「また会ったなあ、華代ちゃん」
「松韻、さま」
「松韻でええよ」
 松韻は、摘んだつつじの花を華代の髪に添えた。よく似合うわあ、とにこにこ笑っている。どう反応していいかわからなかったので、礼を言っておいた。日が落ち始めた庭を、ぶらぶらと歩きながら会話をする。
「政近くんが死んで、帝都はいろいろ大変みたいやねえ」
「政近さまを、ご存知なのですか」
「まあな。僕、こう見えて西の宮の城主やし。前々からあの兄弟のことは知っとったんや」
 変な兄弟やったな、と彼はつぶやく。彼らがどんな関係だったか、華代は知らない。口数が増えたとはいえ、政次は自分のことをほとんど話したがらないし。詳しく聞きたくて身を乗り出すと、松韻がくすりと笑った。

「政次くんなんやね、君の旦那さん」
「はい。まだ結婚したばかりですが」
「初々しいなあ。よし、じっくり話そか。とりあえず、ここを出て茶屋にでも……」
 松韻の手が、華代の髪に触れようとした。その手を、誰かが掴んだ。振り向くと、政次がこちらを睨んでいた。鋭い視線を受けても、松韻は構わずに笑みを浮かべている。
「政次くん、おったん?」
「どうしておまえがいる、松韻」
「つつじ見物に来たんや。でも、西の宮の芍薬の方が見事やねえ」
 口調は柔らかいが、彼の言葉にはどこかちくりと刺すようなトゲがあった。政次は華代を隠すように立ちふさがる。
「なら、早く西の宮に帰ったらいい」
「せっかく来たんやし、もう少し帝都見物してくわ。じゃ、また会おうな。華代ちゃん」

 松韻が立ち去ると、政次が肩を掴んできた。
「何もされていないか」
「え? は、はい」
 彼は安堵のため息を吐いた。
「優男に見えるが、あいつは危険人物だ。近づかないほうがいい」
「そうなんですか?」

 政次は真面目な顔で頷いて、帰ろうか、と言った。しかし、まだ志保が見つかっていない。水野が一緒に来ているから、見つけ次第送り届けてくれるそうだ。華代はそれならばと、差し出された手を取った。政次の指は節くれだっていて、厚みがある。おそらく、日々剣技に励んでいる成果だろう。政近の手はもっとしなやかだった。剣術はからきしなんです、と笑っていたのを覚えている。――大丈夫。私は政近さまのことをちゃんと覚えている。忘れてなんかいない。ふと振り向くと、誰かが道の先に立っていた。逆光になって、よく見えない。華代は眩しさに瞳を細めて、ぎょっとした。沙代は恐ろしい顔でこちらを睨んでいた。青ざめている華代に、政次がどうかしたのかと尋ねてきた。

「いえ、なんでもないです」
「人混みに来て疲れたか。帰ったら休むといい」
 もう一度振り向いたときには、沙代のすがたはなかった。
 帰宅すると、途端に疲労が押し寄せてきたのですぐに部屋に入った。万津家でのできごとは、もう忘れたと思っていた。だけど妹に会うと、まだこんなにも神経がまいってしまうのか。ぼんやりしていると、睡魔が襲ってきて、華代は目を閉じた。

 りん、りんと鈴の鳴る音がする。華代は見知らぬ場所にいた。そっと頬をつねってみるが痛みはなく、これは夢だと直感する。この音はどこから聞こえてくるのだろう。濃い霧が視界を覆っている。足元には川が流れていて、対岸に誰かのすがたが見えた。着流しを身につけていて、すらりと背が高い。あれは、まさか――。華代は、彼の名前を呼んだ。
「政近さま」
 ――華代、僕のことを忘れないでくださいね。必ず迎えに行きますから。
 迎えに行くというのは、どういうことなのだ。華代は政近を追いかけようとした。しかし霧がさらに濃くなって、彼のすがたは見えなくなった。