政近の訃報は、翌日の新聞に載った。中央政府の意向により詳しい死因は伏せられ、ただ「急死」とだけあった。都では大葬が開かれ、どこの家にも黒幕が揺れ、自粛の空気が流れた。都には、近々国主の座をめぐって戦が始まるという妙な噂が流れ、疎開するものや米を買い占めるものが現れた。おかげで米の値段が高騰し、家計を圧迫しているのだという。神野家の厨にて、志保は大根を洗いながら、いかにも迷惑そうに憤慨している。
「割を食うのは、いつも庶民です」
「本当ね」
華代は相槌を打って、さやえんどうの皮を剥く。火を通すと、甘みが出てうまいのだ。神野家の屋敷の裏には畑があって、時間があるときに世話をしている。米の代わりに、芋で糊口をしのごうか。今度朝市で苗を買ってこよう。志保はあたりを見回して、華代にささやきかけてきた。
「華代さま、本当にあの男……政次さまと、結婚を?」
華代はうなずいた。もっとも喪中ということもあって、二人の結婚は婚姻式もなく、ただ戸籍を入れただけだった。政次は一人で住んでいた屋敷から越してきて、政近の部屋を使っている。当然ながら、寝室は別である。彼は華代が目覚めたときにはすでにいないことが多い。朝は早く出かけていき、夜は遅く帰ってくる。時には戻らないこともあった。一体何をやっているのか、と志保は訝しんだ。
「お仕事がお忙しいのよ」
「それにしても、新婚の花嫁を放っておくなんて」
そんな甘い関係ではない。よく考えたら、もう3日も口をきいていなかった。政近はおしゃべりが好きで、軒下に鳥が巣を作ったとか、他愛もない話をしによく華代の部屋を訪ねてきたけれど。――政次さまはどう見ても、無口な性分に思える。ちゃんと休めているんだろうか……。華代は、指先についたえんどうのひげを払った。
食事の支度をしたあと、庭を掃いていたら、黒塗りの車が門の前に止まった。開いたドアから政次が降りてきたので、そちらに近づいていく。
「おかえりなさいませ」
「……ああ」
西日がまぶしかったのか、彼は目を細める。華代は彼の刀を受け取ろうとしたが、さっと避けられた。大事なものだろうし、預けるはずがないか……。少し落ち込んだが、顔には出さずに笑みを浮かべる。
「おつかれでしょう。お風呂に入られますか」
彼はかぶりを振って歩き出す。運転席から降りてきた水野が、声をかけてきた。
「華代さま、お久しぶりです」
「あ、水野さん……こんばんわ。お夕飯、食べていかれますか」
彼は妻がいますので、と丁重に断って、車で去っていった。華代はほっと息を吐く。よかった、首にならなかったようだ。屋敷に入った華代は、政次の部屋へ向かった。そっと様子を伺うと、彼は疲れた様子でベッドに腰をおろしていた。キセルを吸っている姿が、政近に重なってハッとする。ふいに、長いまつげに縁取られた瞳がこちらを見た。彼はどうした、と尋ねてくる。華代はベッドに投げられていた上衣を拾い上げて、シワがつかないように壁にかけた。政次はキセルを手にし、そっけない口調で告げる。
「使用人がやるから放っておけ」
「ここ最近、お忙しそうでしたね」
「妙な噂が蔓延していて、警備が足りない」
戦がはじまる、という噂のことだろうか。華代が椅子に腰を下ろすと、彼がこちらに視線を向けた。煙を手で払い、キセルを灰皿に置く。
「国主の件はどうなりましたか」
「まだ決まっていない。結城と橋本が国主の座を狙っているようだな」
「あの二人が、政次さまを亡き者にした可能性は……」
「彼らは人間だ。俗物というだけで害はない」
政次は冷え切った声で告げた。
「政次さまは、異能者に会えばそうとわかるのですか?」
「いや。結城たちは異能者を見つけたら駆除する、という法案に賛成していた。兄は反対していた」
華代は思わず息を飲んだ。青ざめている華代に、政次が安心しろと声をかける。
「血統を考えても永正が継ぐだろう」
「本当に、政次さまは継がれるおつもりがないのですか」
しつこいな、と言われて、華代はハッとした。青ざめている華代を見て、政次はばつの悪そうな表情を浮かべる。
「……すまない」
「いえ。お夕飯用意しますね」
華代はお盆を手に政次の部屋に戻った。彼は先ほどと変わらぬ格好で資料を眺めていた。こうやって見ると、あまり似ていないような気がする。政近はキセルは吸わなかったし、家に仕事を持ち込んだこともない。彼は資料を読みながら食事をした。黙々と箸を動かしていて、うまいともまずいとも言わない。華代は政次の横顔に声をかけた。
「ありがとうございます。水野さんを首にしないでくださって」
「おまえのためじゃない」
もちろんわかっている。政近がそばに置いていたのだから、水野はきっと優秀な人材なのだろう。
「おかわりはいかがですか」
「俺に構わなくていい」
食事よりも優先したいことがあるのだろう。その場を去ろうとしたら、引き止められた。
「おまえは、子供は好きか」
「え? はい……」
きょとんとしていると、政次が資料を置いた。
「永正をどう思った」
「可愛らしいお子さんでしたね」
「かわいい?」
彼は理解できない、という表情を浮かべていた。もしかして子供が苦手なのだろうか。政近は永正と親しいようだったが。――政次のことは「あの無愛想男」と呼んでいたっけ。つくづく正反対の兄弟だ、と思う。政次は「永正が……」と言いかけ、迷うような表情をしたあと口を閉じた。中央のことを、華代に話すことではないと思っているのかもしれない。だけど知りたかった。政次が何に対して悩んでいるのか。華代はかたわらの椅子を引き寄せて、続きを促す。話さないと引かないと察したのだろうか、政次が重い口を開いた。
「あれ以来、部屋から出てこないそうだ」
「……政次さまの、ことでしょうか」
「おそらくな。あの子供は兄に懐いていたから」
あの年のこどもにとって、死は身近なものではないだろう。きっと大きな衝撃を受けたはずだ。華代は身を乗り出した。
「あの、私永正さまにお会いしたいです」
「なぜ」
「私は無関係な人間です。だからこそ、気軽に話ができるのではないかと」
「……明日、城に行く。準備をしておけ」
華代はぱっと顔を明るくした。
翌朝、華代は政次と共に城へと向かっていた。やはり城の上の方には、鷹が旋回していた。あれは城内で飼育しているのだろうか。華代の視線を追った政次は、「見張りの鷹だ」と言った。都が変わる際、国内では各地で争いが起きていた。平和な時代になって、襲撃はなくなったが、万が一に備えてのことだという。永正さまは幼いながら、国主になる権利を持っている。政近は、ただ一人心を許せる相手だったのかもしれない。そんな相手を失って、どんなに心細い思いをしているのだろう。想像したら、胸が締め付けられた。永正は、奥の院という場所にいるのだという。本来は城主の正室や側室が住む場所だが、今はカラだった。
「なんだか、さみしいところですね」
「今の城内などこんなものだ」
ぽつりとつぶやいた華代に、政次が答えた。奥の院の庭には立派な松の木があるのだが、虫に喰われたのか枯れてしまっている。華代は、思わず庭に降りた。
「どうした?」
「松が……病気でしょうか」
華代が松に触れると、痛みが伝わってきた。きっともうすぐこの子は……。庭師らしき男たちがやってきた。彼らは枝切りハサミを持っている。嫌な予感がした華代は、この松をどうするのかと尋ねた。
「それは病気でどうしようもないから、切る予定です」
「そんな……なんとかなりませんか」
庭師たちは困惑した様子で顔を見合わせている。
「――何をしているのです」
振り向くと、十二単を着た女が縁側に立っていた。眉毛をすべて剃り、顔を白塗りにしている。おまけに無表情なものだから、まるで能面のようだ、と華代は思った。彼女は政次を睨みつけた。
「妙なものを連れてくるのはおやめください、政次さま」
「俺の妻だ」
「結婚なさったのですか?」
その女は、物好きな、という顔でこちらを見た。華代は赤くなって顔を伏せる。政次はちらっと華代を見て話題を変えた。
「永正は部屋から出てきたのか?」
「……あなたには関係ないのでは?」
「いろいろな人間が国主の座を狙っているんだ。永正にはしっかりしてもらわないと困る」
「ご心配いただく必要はありませんわ」
彼女は冷たく告げて、華代たちを締め出した。
「あれは永正の乳母だ。奥の院の門番のような女だな」
「永正さまには会えそうにありませんね」
華代はそうつぶやいて、顔を上げた。青空に松の枝が広がっている。枯れかけていても、必死になって枝を伸ばしているのがいじらしいと思えた。華代は枝にならうように、そっと手を伸ばした。永正さまはこの松のように、今は少し弱ってしまっているのかも。弱った植物にも人間にも、栄養が必要だ。華代は翌日も水蓮城へ向かった。侍女は深い溜息を漏らす。
「またあなたですか」
「永正さまではなく、松を見にきました」
「松?」
侍女は怪訝な表情で振り向いた。松はすでに切り株になってしまっている。華代はそちらに歩いていって、松の上に腰をおろした。侍女がきつい声で尋ねてくる。
「何をしているのですか?」
「永正さまが出てこられるまで、ここにいます」
「本当におかしな人だこと」
侍女たちが縁側を行き来しては、華代を見てひそひそと囁いた。正午の鐘が鳴ったので、華代は風呂敷に包んでおいた弁当を食べた。鷹がばさばさと翼を鳴らし、肩におりてきたので、鶏肉の甘辛煮をやった。美味かったのか、もっともっととねだってくる。素直な子だ。政次さまより、作りがいがあるかも。水筒に入れたお茶を飲んでいると、少しだけ襖が開いた。華代は襖の向こうに声をかけた。
「こんにちは、永正さま」
「……誰じゃ」
「華代です。先日、お会いしましたね」
「どうしてそんなところにいるんじゃ」
「一緒にお昼をどうかと思って」
そう言ったら、からり、と襖戸が開いた。侍女がぎょっとした表情を浮かべる。永正は、ひょこひょこと縁側を降りて、こちらにやってきた。侍女は慌てて彼を引き止める。
「永正さま! おみ足が汚れます」
「いい」
永正は、華代のとなりにちょこんと腰をおろした。そうして、華代が食べているものを指さす。
「それは……なんじゃ」
「かんぴょうです。食べますか」
かんぴょうを差し出すと、永正はそれをつまんだ。口に放り込んで、うまいとつぶやく。彼はちらっと松の切り株を見た。
「これ、切ったのか」
「病気になってしまったようです」
「そうなのか。弱いな」
永正はぽつり、と呟いた。どこか落胆したような口調だった。
「この松は、永正さまが産まれた時に植えられたのでしょう?」
「……どうして知ってるんじゃ。朝霧に聞いたのか」
朝霧というのは、あの侍女のことだろう。華代はかぶりを振った。
「いえ。松に聞いたのです」
木の幹に触れた瞬間、松の記憶が流れ込んできた。赤ん坊のときの永正。幼児の時の永正。両親を失って、泣いている永正。雨の日も、風の日も、この松はここで永正を見守っていた。永正は、半信半疑という表情を浮かべている。華代はくすりと笑った。
「永正さま、松の木に登って、落ちてしまったことがあるのでしょう?」
「な……それは、ほとんどの者は知らないはず」
「あなたと一緒に成長してきたのですね、この子は」
華代は、慈しむような視線を切り株に向ける。最後の力を振り絞って、華代に記憶を伝えたのだ。けして弱くなんてない。永正はそっと切り株に触れた。それから、華代の手を引いて立ち上がらせる。華代は、そのまま室内に引き入れられた。侍女が続いて入ってこようとしたが、永正は鋭い声で入るな、と言った。侍女は顔を引き攣らせている。永正は華代に向き合って、「城外の者を部屋に入れたのは、政近以来じゃ」と言った。室内には、将棋盤が置かれていた。畳の上には、棋譜が散らばっている。ずっとこの部屋で、一人で詰将棋をしていたのだろうか。華代は将棋盤の前に座る永正に問いかけた。
「お部屋から、お出にならないと聞きました」
「大人たちが、国主になれとうるさいんじゃ」
「永正様は、なりたくないのですか」
「そんなものになったら、言いなりにされるだけじゃ」
この子は賢い、と華代は思った。自分の周りにいる大人の思惑を、ちゃんとわかっているのだ。彼はつまらなそうな顔で、ぱちり、と駒を打ち鳴らす。
「国主は政次がなればいい。政近だって、それを望んでいたのだろう」
「でも、政次様にもその気はないようです」
「あいつは化物退治にしか興味がないんだろう? 大人のくせに、無責任なやつだ」
永正が部屋を出ないのは、政近の死を悲しんでいる、というだけではなかった。自分の意志と関係なく、否応ない運命に巻き込まれてしまうのが嫌なのだ。この子は自分を取り巻く環境に対して、どこか諦めを抱いている。まだ6歳なのに……。
「どうしてお一人で将棋を?」
「みんな、わし相手だと手を抜くからじゃ。でも、政近は違った」
永正はぽつりとつぶやいた。政近は変わった大人だった、と彼は言った。最初に出会ったのは、2年前。政近は、永正の将棋の指南役としてやってきた。いつもにこにこしていて、胡散臭いやつだと思ったのだという。どうせ、適当に手抜きしておべっかを使ってくるのだ。そう思った。しかし政近は、大人のくせに一切手抜きをしなかったという。永正はおかしそうに笑った。
「いくら対戦しても、一回も勝てなかった。あいつは負けず嫌いなんだ、指南役のくせに」
まさかこんなに早く死ぬなんて。もう二度と勝てないじゃないか。あいつも無責任だ、と永正は続けた。それからちらりと華代に視線を向けてくる。
「おまえは、どこで政近と会ったんじゃ」
「私は政近さまに拾われたんです」
出会った頃のことを語ると、永正はふうと息を吐いた。
「苦労したんじゃな、華代」
「でも……政近さまに出会えました」
政近に出会うまで、幸せだと感じたことはほとんどなかった。だけど、見落としていただけかもしれないと思う。日々を生きるのに必死で、何も楽しいと思えなかった。華代は、懐から鈴を取り出した。その拍子に、ちりんと鈴が鳴る。永正は、それはなんじゃと尋ねる。
「政近様が、手に握っていたものです」
「ふうん……いい音じゃな」
永正は心地よさそうに目を細める。華代はちりん、ちりん、と鈴を鳴らした。きれいだが、どこか物悲しさがある。
「政近様は、よく幸せの数は限られているって言っていました」
「幸せの、数?」
「はい。だから毎日を、大事に生きなければならないって」
生きているから、苦しみを感じることができる。政次はもう何も感じることができないのだ。残されたものだけでも、ちゃんと生きなくては。永正はじっと華代を見て、「また来てくれるか?」と尋ねてきた。華代は頷いて、彼と指切りをした。永正といっしょに部屋を出ると、侍女たちが驚いた表情をうかべた。それから、悔しげに華代を睨みつけてくる。この子の味方は、ここにはいない。それを知っていて、政近は永正を気にかけていたのかもしれない。
その夜、華代は帰宅した政次に城へ行ったことを話した。
「永正さまとお話しました」
政次は驚いた様子でこちらを見た。また会う約束をした、と話したら、怪訝そうに尋ねてくる。
「一体、何をしたんだ?」
「政近さまの話をしました」
「兄の……?」
「政近さまはすごい方ですね」
華代は、そう言って微笑んだ。青い空のように、みんなを見守っている。だけど、政近自身のことは一体誰が守っていたのだろう。華代はなんの役にもたてなかった。異能の力で、彼の死を防げたかもしれないのに。うつむいた華代を、政次がじっと見つめていた。
眠りに付く前、華代は机に向かって菜園計画をたてていた。政次さまは、なんの野菜が好きだろう。あまり食事に関心がないようなので、できるだけ彼の好みの野菜を植えようと思っていた。政近さまは、にんじんが嫌いだったな。いつも泰然としているのに、にんじんを見ると青くなっていたっけ。華代はその様子を思い出して、笑みを浮かべる。
戸を叩く音がしたので、志保かと思って返事をする。しかし、部屋に入ってきたのは政次だった。こんな時間に訪ねてくるなんて珍しい。寝間着すがたの華代を見て、彼は少し動揺したように見えた。
「……すまない。寝るところだったか」
「いえ。どうなさいましたか?」
大した話じゃない、と政次は言った。政近もよく、大した用じゃないんだけど、と言って部屋にやってきた。彼は咳払いして、口を開いた。
「明日から、出張に行く」
「どちらにいかれるのですか?」
「西の宮だ」
西の宮というのは、昔都があったところだ。その名残で、今も権威を誇っている。西の宮を統治している藩主に、政近の死について報告をするらしい。西の宮に行けば、政近の死の真相が何かわかるかもしれない――。華代は、思わずこう言っていた。
「あの、私もついて行ってもよろしいですか」
「……なぜ」
怪訝そうな表情を返されて、華代は自分の言葉を恥じた。政次は仕事をしに行くのだ。華代など邪魔に決まっている。政次は早起きできるか、と尋ねてきた。華代は目を輝かせて頷いた。
がたんごとんと列車が揺れている。開いた車窓からは5月の風が吹き込んできた。帽子をかぶった車掌が、きっぷを拝見、と言って回っている。華代が巾着からきっぷを取り出すと、ちりん、と鈴が鳴り響いた。窓の外を見ていた政次の視線がこちらに向く。
「……それは?」
「政近さまが持っていた鈴です。何か手がかりになるかと思って」
「おまえ宛だろう。兄は、土産をよく買ってきたと志保が言っていた」
確かに、政近は遠出をするたびに華代にお土産を買ってきてくれた。おかげで華代の部屋は、地方に売っている不思議な置物などで溢れかえっている。そのたびに旅の思い出を嬉しそうに話すものだから、華代もつい喜んでしまった。そういえば、志保が西の宮の芸子がつけている髪飾りが羨ましいと言っていたっけ。時間があったら、買っていってあげよう。列車の規則的な揺れが眠気を誘う。今朝は4時に起きたのだ。しかし、無理を言ってついてきた身で寝るわけにはいかない。うとうとしている華代に、政次が声をかけてきた。
「朝早かったから眠くはないか」
「いえ、大丈夫です」
しかし、睡魔には勝てない。はっと気がつくと、政次の顔が至近距離にあった。いつの間にか、肩にもたれて眠っていたのだ。華代は赤くなって、慌てて政次から離れた。華代より早起きなのだろうに、政次は全く眠そうではない。居眠りしたことを誤魔化したくて、特に用もないのに話しかけた。
「政次さまは、西の宮には行かれたことはあるのですか?」
「ああ、たまにな」
「西の宮の城主は、どんな方ですか?」
「食えない男だ」
政次はそこで口をつぐんだ。どうやら、西の宮の城主に対してはあまりいい印象がないようだった。
いくつかの駅を通り過ぎたあと、列車は昼過ぎに西の宮の駅舎に滑り込んだ。扉が開くや、どっと乗客が降り立った。あまりに人が多くて流されそうになる。政次は華代の手を取って歩き出した。政次の手は、自分よりずっと大きい。いつも刀を握っているせいなのか、彼の手のひらには豆があった。華代は遠慮がちにその手を握り返した。駅前では、乗客を待つ馬車が行き交っている。政次は、その中の一つを停める。華代は馬車から見える町並みを眺めた。西の宮には初めて来るが、帝都とずいぶん様子が違った。洋装の人間はほとんどいないし、移動手段は車ではなく馬車のようだ。
「なんだか、街がまっすぐですね」
「西の宮には古い建物が多くて、区画を簡単にいじれないらしいな」
「そうなんですか……」
坂に差し掛かると、きれいな着物を着た女性たちが歩いていく。その脇を通り過ぎる、人力車に乗った男女が見えた。彼らは鬱蒼とした竹林へと消えていく。こんな天気の日は、竹林は風が通ってきっといい気持ちだろう。時代が一昔前ならば、こういう雰囲気なのだろうか。のんびりしていて悪くない。こんな街で政近が命を落としたなんて、考えられなかった。馬車は半刻ほどかけて、御所の前に停車した。降りる準備をしていると、政次が口を開いた。
「御所には俺一人で行く」
「え?」
「おまえはここで待っていてくれ」
ぽかんとする華代を置いて、政次は馬車を降りて扉を締めた。
「割を食うのは、いつも庶民です」
「本当ね」
華代は相槌を打って、さやえんどうの皮を剥く。火を通すと、甘みが出てうまいのだ。神野家の屋敷の裏には畑があって、時間があるときに世話をしている。米の代わりに、芋で糊口をしのごうか。今度朝市で苗を買ってこよう。志保はあたりを見回して、華代にささやきかけてきた。
「華代さま、本当にあの男……政次さまと、結婚を?」
華代はうなずいた。もっとも喪中ということもあって、二人の結婚は婚姻式もなく、ただ戸籍を入れただけだった。政次は一人で住んでいた屋敷から越してきて、政近の部屋を使っている。当然ながら、寝室は別である。彼は華代が目覚めたときにはすでにいないことが多い。朝は早く出かけていき、夜は遅く帰ってくる。時には戻らないこともあった。一体何をやっているのか、と志保は訝しんだ。
「お仕事がお忙しいのよ」
「それにしても、新婚の花嫁を放っておくなんて」
そんな甘い関係ではない。よく考えたら、もう3日も口をきいていなかった。政近はおしゃべりが好きで、軒下に鳥が巣を作ったとか、他愛もない話をしによく華代の部屋を訪ねてきたけれど。――政次さまはどう見ても、無口な性分に思える。ちゃんと休めているんだろうか……。華代は、指先についたえんどうのひげを払った。
食事の支度をしたあと、庭を掃いていたら、黒塗りの車が門の前に止まった。開いたドアから政次が降りてきたので、そちらに近づいていく。
「おかえりなさいませ」
「……ああ」
西日がまぶしかったのか、彼は目を細める。華代は彼の刀を受け取ろうとしたが、さっと避けられた。大事なものだろうし、預けるはずがないか……。少し落ち込んだが、顔には出さずに笑みを浮かべる。
「おつかれでしょう。お風呂に入られますか」
彼はかぶりを振って歩き出す。運転席から降りてきた水野が、声をかけてきた。
「華代さま、お久しぶりです」
「あ、水野さん……こんばんわ。お夕飯、食べていかれますか」
彼は妻がいますので、と丁重に断って、車で去っていった。華代はほっと息を吐く。よかった、首にならなかったようだ。屋敷に入った華代は、政次の部屋へ向かった。そっと様子を伺うと、彼は疲れた様子でベッドに腰をおろしていた。キセルを吸っている姿が、政近に重なってハッとする。ふいに、長いまつげに縁取られた瞳がこちらを見た。彼はどうした、と尋ねてくる。華代はベッドに投げられていた上衣を拾い上げて、シワがつかないように壁にかけた。政次はキセルを手にし、そっけない口調で告げる。
「使用人がやるから放っておけ」
「ここ最近、お忙しそうでしたね」
「妙な噂が蔓延していて、警備が足りない」
戦がはじまる、という噂のことだろうか。華代が椅子に腰を下ろすと、彼がこちらに視線を向けた。煙を手で払い、キセルを灰皿に置く。
「国主の件はどうなりましたか」
「まだ決まっていない。結城と橋本が国主の座を狙っているようだな」
「あの二人が、政次さまを亡き者にした可能性は……」
「彼らは人間だ。俗物というだけで害はない」
政次は冷え切った声で告げた。
「政次さまは、異能者に会えばそうとわかるのですか?」
「いや。結城たちは異能者を見つけたら駆除する、という法案に賛成していた。兄は反対していた」
華代は思わず息を飲んだ。青ざめている華代に、政次が安心しろと声をかける。
「血統を考えても永正が継ぐだろう」
「本当に、政次さまは継がれるおつもりがないのですか」
しつこいな、と言われて、華代はハッとした。青ざめている華代を見て、政次はばつの悪そうな表情を浮かべる。
「……すまない」
「いえ。お夕飯用意しますね」
華代はお盆を手に政次の部屋に戻った。彼は先ほどと変わらぬ格好で資料を眺めていた。こうやって見ると、あまり似ていないような気がする。政近はキセルは吸わなかったし、家に仕事を持ち込んだこともない。彼は資料を読みながら食事をした。黙々と箸を動かしていて、うまいともまずいとも言わない。華代は政次の横顔に声をかけた。
「ありがとうございます。水野さんを首にしないでくださって」
「おまえのためじゃない」
もちろんわかっている。政近がそばに置いていたのだから、水野はきっと優秀な人材なのだろう。
「おかわりはいかがですか」
「俺に構わなくていい」
食事よりも優先したいことがあるのだろう。その場を去ろうとしたら、引き止められた。
「おまえは、子供は好きか」
「え? はい……」
きょとんとしていると、政次が資料を置いた。
「永正をどう思った」
「可愛らしいお子さんでしたね」
「かわいい?」
彼は理解できない、という表情を浮かべていた。もしかして子供が苦手なのだろうか。政近は永正と親しいようだったが。――政次のことは「あの無愛想男」と呼んでいたっけ。つくづく正反対の兄弟だ、と思う。政次は「永正が……」と言いかけ、迷うような表情をしたあと口を閉じた。中央のことを、華代に話すことではないと思っているのかもしれない。だけど知りたかった。政次が何に対して悩んでいるのか。華代はかたわらの椅子を引き寄せて、続きを促す。話さないと引かないと察したのだろうか、政次が重い口を開いた。
「あれ以来、部屋から出てこないそうだ」
「……政次さまの、ことでしょうか」
「おそらくな。あの子供は兄に懐いていたから」
あの年のこどもにとって、死は身近なものではないだろう。きっと大きな衝撃を受けたはずだ。華代は身を乗り出した。
「あの、私永正さまにお会いしたいです」
「なぜ」
「私は無関係な人間です。だからこそ、気軽に話ができるのではないかと」
「……明日、城に行く。準備をしておけ」
華代はぱっと顔を明るくした。
翌朝、華代は政次と共に城へと向かっていた。やはり城の上の方には、鷹が旋回していた。あれは城内で飼育しているのだろうか。華代の視線を追った政次は、「見張りの鷹だ」と言った。都が変わる際、国内では各地で争いが起きていた。平和な時代になって、襲撃はなくなったが、万が一に備えてのことだという。永正さまは幼いながら、国主になる権利を持っている。政近は、ただ一人心を許せる相手だったのかもしれない。そんな相手を失って、どんなに心細い思いをしているのだろう。想像したら、胸が締め付けられた。永正は、奥の院という場所にいるのだという。本来は城主の正室や側室が住む場所だが、今はカラだった。
「なんだか、さみしいところですね」
「今の城内などこんなものだ」
ぽつりとつぶやいた華代に、政次が答えた。奥の院の庭には立派な松の木があるのだが、虫に喰われたのか枯れてしまっている。華代は、思わず庭に降りた。
「どうした?」
「松が……病気でしょうか」
華代が松に触れると、痛みが伝わってきた。きっともうすぐこの子は……。庭師らしき男たちがやってきた。彼らは枝切りハサミを持っている。嫌な予感がした華代は、この松をどうするのかと尋ねた。
「それは病気でどうしようもないから、切る予定です」
「そんな……なんとかなりませんか」
庭師たちは困惑した様子で顔を見合わせている。
「――何をしているのです」
振り向くと、十二単を着た女が縁側に立っていた。眉毛をすべて剃り、顔を白塗りにしている。おまけに無表情なものだから、まるで能面のようだ、と華代は思った。彼女は政次を睨みつけた。
「妙なものを連れてくるのはおやめください、政次さま」
「俺の妻だ」
「結婚なさったのですか?」
その女は、物好きな、という顔でこちらを見た。華代は赤くなって顔を伏せる。政次はちらっと華代を見て話題を変えた。
「永正は部屋から出てきたのか?」
「……あなたには関係ないのでは?」
「いろいろな人間が国主の座を狙っているんだ。永正にはしっかりしてもらわないと困る」
「ご心配いただく必要はありませんわ」
彼女は冷たく告げて、華代たちを締め出した。
「あれは永正の乳母だ。奥の院の門番のような女だな」
「永正さまには会えそうにありませんね」
華代はそうつぶやいて、顔を上げた。青空に松の枝が広がっている。枯れかけていても、必死になって枝を伸ばしているのがいじらしいと思えた。華代は枝にならうように、そっと手を伸ばした。永正さまはこの松のように、今は少し弱ってしまっているのかも。弱った植物にも人間にも、栄養が必要だ。華代は翌日も水蓮城へ向かった。侍女は深い溜息を漏らす。
「またあなたですか」
「永正さまではなく、松を見にきました」
「松?」
侍女は怪訝な表情で振り向いた。松はすでに切り株になってしまっている。華代はそちらに歩いていって、松の上に腰をおろした。侍女がきつい声で尋ねてくる。
「何をしているのですか?」
「永正さまが出てこられるまで、ここにいます」
「本当におかしな人だこと」
侍女たちが縁側を行き来しては、華代を見てひそひそと囁いた。正午の鐘が鳴ったので、華代は風呂敷に包んでおいた弁当を食べた。鷹がばさばさと翼を鳴らし、肩におりてきたので、鶏肉の甘辛煮をやった。美味かったのか、もっともっととねだってくる。素直な子だ。政次さまより、作りがいがあるかも。水筒に入れたお茶を飲んでいると、少しだけ襖が開いた。華代は襖の向こうに声をかけた。
「こんにちは、永正さま」
「……誰じゃ」
「華代です。先日、お会いしましたね」
「どうしてそんなところにいるんじゃ」
「一緒にお昼をどうかと思って」
そう言ったら、からり、と襖戸が開いた。侍女がぎょっとした表情を浮かべる。永正は、ひょこひょこと縁側を降りて、こちらにやってきた。侍女は慌てて彼を引き止める。
「永正さま! おみ足が汚れます」
「いい」
永正は、華代のとなりにちょこんと腰をおろした。そうして、華代が食べているものを指さす。
「それは……なんじゃ」
「かんぴょうです。食べますか」
かんぴょうを差し出すと、永正はそれをつまんだ。口に放り込んで、うまいとつぶやく。彼はちらっと松の切り株を見た。
「これ、切ったのか」
「病気になってしまったようです」
「そうなのか。弱いな」
永正はぽつり、と呟いた。どこか落胆したような口調だった。
「この松は、永正さまが産まれた時に植えられたのでしょう?」
「……どうして知ってるんじゃ。朝霧に聞いたのか」
朝霧というのは、あの侍女のことだろう。華代はかぶりを振った。
「いえ。松に聞いたのです」
木の幹に触れた瞬間、松の記憶が流れ込んできた。赤ん坊のときの永正。幼児の時の永正。両親を失って、泣いている永正。雨の日も、風の日も、この松はここで永正を見守っていた。永正は、半信半疑という表情を浮かべている。華代はくすりと笑った。
「永正さま、松の木に登って、落ちてしまったことがあるのでしょう?」
「な……それは、ほとんどの者は知らないはず」
「あなたと一緒に成長してきたのですね、この子は」
華代は、慈しむような視線を切り株に向ける。最後の力を振り絞って、華代に記憶を伝えたのだ。けして弱くなんてない。永正はそっと切り株に触れた。それから、華代の手を引いて立ち上がらせる。華代は、そのまま室内に引き入れられた。侍女が続いて入ってこようとしたが、永正は鋭い声で入るな、と言った。侍女は顔を引き攣らせている。永正は華代に向き合って、「城外の者を部屋に入れたのは、政近以来じゃ」と言った。室内には、将棋盤が置かれていた。畳の上には、棋譜が散らばっている。ずっとこの部屋で、一人で詰将棋をしていたのだろうか。華代は将棋盤の前に座る永正に問いかけた。
「お部屋から、お出にならないと聞きました」
「大人たちが、国主になれとうるさいんじゃ」
「永正様は、なりたくないのですか」
「そんなものになったら、言いなりにされるだけじゃ」
この子は賢い、と華代は思った。自分の周りにいる大人の思惑を、ちゃんとわかっているのだ。彼はつまらなそうな顔で、ぱちり、と駒を打ち鳴らす。
「国主は政次がなればいい。政近だって、それを望んでいたのだろう」
「でも、政次様にもその気はないようです」
「あいつは化物退治にしか興味がないんだろう? 大人のくせに、無責任なやつだ」
永正が部屋を出ないのは、政近の死を悲しんでいる、というだけではなかった。自分の意志と関係なく、否応ない運命に巻き込まれてしまうのが嫌なのだ。この子は自分を取り巻く環境に対して、どこか諦めを抱いている。まだ6歳なのに……。
「どうしてお一人で将棋を?」
「みんな、わし相手だと手を抜くからじゃ。でも、政近は違った」
永正はぽつりとつぶやいた。政近は変わった大人だった、と彼は言った。最初に出会ったのは、2年前。政近は、永正の将棋の指南役としてやってきた。いつもにこにこしていて、胡散臭いやつだと思ったのだという。どうせ、適当に手抜きしておべっかを使ってくるのだ。そう思った。しかし政近は、大人のくせに一切手抜きをしなかったという。永正はおかしそうに笑った。
「いくら対戦しても、一回も勝てなかった。あいつは負けず嫌いなんだ、指南役のくせに」
まさかこんなに早く死ぬなんて。もう二度と勝てないじゃないか。あいつも無責任だ、と永正は続けた。それからちらりと華代に視線を向けてくる。
「おまえは、どこで政近と会ったんじゃ」
「私は政近さまに拾われたんです」
出会った頃のことを語ると、永正はふうと息を吐いた。
「苦労したんじゃな、華代」
「でも……政近さまに出会えました」
政近に出会うまで、幸せだと感じたことはほとんどなかった。だけど、見落としていただけかもしれないと思う。日々を生きるのに必死で、何も楽しいと思えなかった。華代は、懐から鈴を取り出した。その拍子に、ちりんと鈴が鳴る。永正は、それはなんじゃと尋ねる。
「政近様が、手に握っていたものです」
「ふうん……いい音じゃな」
永正は心地よさそうに目を細める。華代はちりん、ちりん、と鈴を鳴らした。きれいだが、どこか物悲しさがある。
「政近様は、よく幸せの数は限られているって言っていました」
「幸せの、数?」
「はい。だから毎日を、大事に生きなければならないって」
生きているから、苦しみを感じることができる。政次はもう何も感じることができないのだ。残されたものだけでも、ちゃんと生きなくては。永正はじっと華代を見て、「また来てくれるか?」と尋ねてきた。華代は頷いて、彼と指切りをした。永正といっしょに部屋を出ると、侍女たちが驚いた表情をうかべた。それから、悔しげに華代を睨みつけてくる。この子の味方は、ここにはいない。それを知っていて、政近は永正を気にかけていたのかもしれない。
その夜、華代は帰宅した政次に城へ行ったことを話した。
「永正さまとお話しました」
政次は驚いた様子でこちらを見た。また会う約束をした、と話したら、怪訝そうに尋ねてくる。
「一体、何をしたんだ?」
「政近さまの話をしました」
「兄の……?」
「政近さまはすごい方ですね」
華代は、そう言って微笑んだ。青い空のように、みんなを見守っている。だけど、政近自身のことは一体誰が守っていたのだろう。華代はなんの役にもたてなかった。異能の力で、彼の死を防げたかもしれないのに。うつむいた華代を、政次がじっと見つめていた。
眠りに付く前、華代は机に向かって菜園計画をたてていた。政次さまは、なんの野菜が好きだろう。あまり食事に関心がないようなので、できるだけ彼の好みの野菜を植えようと思っていた。政近さまは、にんじんが嫌いだったな。いつも泰然としているのに、にんじんを見ると青くなっていたっけ。華代はその様子を思い出して、笑みを浮かべる。
戸を叩く音がしたので、志保かと思って返事をする。しかし、部屋に入ってきたのは政次だった。こんな時間に訪ねてくるなんて珍しい。寝間着すがたの華代を見て、彼は少し動揺したように見えた。
「……すまない。寝るところだったか」
「いえ。どうなさいましたか?」
大した話じゃない、と政次は言った。政近もよく、大した用じゃないんだけど、と言って部屋にやってきた。彼は咳払いして、口を開いた。
「明日から、出張に行く」
「どちらにいかれるのですか?」
「西の宮だ」
西の宮というのは、昔都があったところだ。その名残で、今も権威を誇っている。西の宮を統治している藩主に、政近の死について報告をするらしい。西の宮に行けば、政近の死の真相が何かわかるかもしれない――。華代は、思わずこう言っていた。
「あの、私もついて行ってもよろしいですか」
「……なぜ」
怪訝そうな表情を返されて、華代は自分の言葉を恥じた。政次は仕事をしに行くのだ。華代など邪魔に決まっている。政次は早起きできるか、と尋ねてきた。華代は目を輝かせて頷いた。
がたんごとんと列車が揺れている。開いた車窓からは5月の風が吹き込んできた。帽子をかぶった車掌が、きっぷを拝見、と言って回っている。華代が巾着からきっぷを取り出すと、ちりん、と鈴が鳴り響いた。窓の外を見ていた政次の視線がこちらに向く。
「……それは?」
「政近さまが持っていた鈴です。何か手がかりになるかと思って」
「おまえ宛だろう。兄は、土産をよく買ってきたと志保が言っていた」
確かに、政近は遠出をするたびに華代にお土産を買ってきてくれた。おかげで華代の部屋は、地方に売っている不思議な置物などで溢れかえっている。そのたびに旅の思い出を嬉しそうに話すものだから、華代もつい喜んでしまった。そういえば、志保が西の宮の芸子がつけている髪飾りが羨ましいと言っていたっけ。時間があったら、買っていってあげよう。列車の規則的な揺れが眠気を誘う。今朝は4時に起きたのだ。しかし、無理を言ってついてきた身で寝るわけにはいかない。うとうとしている華代に、政次が声をかけてきた。
「朝早かったから眠くはないか」
「いえ、大丈夫です」
しかし、睡魔には勝てない。はっと気がつくと、政次の顔が至近距離にあった。いつの間にか、肩にもたれて眠っていたのだ。華代は赤くなって、慌てて政次から離れた。華代より早起きなのだろうに、政次は全く眠そうではない。居眠りしたことを誤魔化したくて、特に用もないのに話しかけた。
「政次さまは、西の宮には行かれたことはあるのですか?」
「ああ、たまにな」
「西の宮の城主は、どんな方ですか?」
「食えない男だ」
政次はそこで口をつぐんだ。どうやら、西の宮の城主に対してはあまりいい印象がないようだった。
いくつかの駅を通り過ぎたあと、列車は昼過ぎに西の宮の駅舎に滑り込んだ。扉が開くや、どっと乗客が降り立った。あまりに人が多くて流されそうになる。政次は華代の手を取って歩き出した。政次の手は、自分よりずっと大きい。いつも刀を握っているせいなのか、彼の手のひらには豆があった。華代は遠慮がちにその手を握り返した。駅前では、乗客を待つ馬車が行き交っている。政次は、その中の一つを停める。華代は馬車から見える町並みを眺めた。西の宮には初めて来るが、帝都とずいぶん様子が違った。洋装の人間はほとんどいないし、移動手段は車ではなく馬車のようだ。
「なんだか、街がまっすぐですね」
「西の宮には古い建物が多くて、区画を簡単にいじれないらしいな」
「そうなんですか……」
坂に差し掛かると、きれいな着物を着た女性たちが歩いていく。その脇を通り過ぎる、人力車に乗った男女が見えた。彼らは鬱蒼とした竹林へと消えていく。こんな天気の日は、竹林は風が通ってきっといい気持ちだろう。時代が一昔前ならば、こういう雰囲気なのだろうか。のんびりしていて悪くない。こんな街で政近が命を落としたなんて、考えられなかった。馬車は半刻ほどかけて、御所の前に停車した。降りる準備をしていると、政次が口を開いた。
「御所には俺一人で行く」
「え?」
「おまえはここで待っていてくれ」
ぽかんとする華代を置いて、政次は馬車を降りて扉を締めた。
