座敷牢の花嫁



――ねえ、華代。君にはきょうだいがいる?
 いつだったか、政近が尋ねてきたことがある。
「はい、妹がひとり」
「そう。かわいい?」
 華代は答えに困った。沙代も昔はひなのように、華代のあとをついて回っていたけれど。いつからか、華代を見下し、こき使うようになった。しかし、血のつながりがあることに変わりはない。父も、妹も。義理の母の顔が思い浮かんで、ぞくりと背中が震えた。あの女性は、母が亡くなって1年後に家にやってきた。直接何かをされたことはなかった。だが、華代がもっとも恐れているのは彼女だった気がする。何もかもを見透かすような眼差し。うつむいている華代に、政近がどうしたの、と声をかけてきた。
「……幸せになってほしいとは、思っています」
「うん。僕も一緒だ」
 政近は、そう言って微笑んだ。家族の幸せを願うのは、人として当たり前のことだ。政近が大事に思っている弟なのだから、政次はきっといい人に違いない。そう信じたかった。


 ひんやりとした感触に、華代はふ、と瞳を開いた。整った顔の青年が、こちらを見下ろしている。表情には乏しいが、どことなく心配げな顔をしているように見えた。華代は小さく唇を動かした。
「政近、さま」
「政次だ」
「あ」
 華代は赤くなった。だって、この人は見た目だけなら政近によく似ているのだ。政次は華代の身体を起こして、水を差し出してきた。喉のかわきを覚えて、それを一気に飲み干す。華代は、自室の寝台に寝かされていた。たしか、部屋が火にまかれて……。政次が助けてくれたのだろうか? 礼を言おうとしたら、彼はおもむろに頭を下げた。
「すまなかった」
「え?」
「兄を殺したのはおまえではない。調査した結果それがわかった」
 政次はそう言って、再び頭を下げた。突然態度を変えられて、華代は戸惑った。この人のことを信頼していいのだろうか。初対面の印象が最悪だったので、神妙な顔をされるとどうも調子が狂う。手持ち無沙汰に、水の入ったグラスをもてあそぶ。
「いま、なぜ火事になったかを調べさせている」
「たぶん、ろうそくが倒れたんじゃないでしょうか。それが新聞に燃え移って……」
 閉じ込められていたのが地下室で幸いだったと言えるだろう。

「一つ、聞いてもよろしいですか」
「ああ」
「どうして、政近さまが亡くなったことを公表していないのですか?」
「それを知りたくて、新聞を取っていたのか?」
 政次の問いに、華代は頷く。政次は表情を曇らせた。
「兄が死んだとわかれば、中央は後継問題で揉めるだろう。そうなれば国が荒れる」
「次の国主は政次さまではないのですか……?」
「俺は国主になどならない」
 その言葉に、華代は戸惑った。しかし、政近が望んでいたのは政次があとを継ぐことだったはず。頑固な弟だ、とも言っていた……。

「後継候補の筆頭は、旧水蓮(すいれん)藩の松原家当主。まだ六歳だがな」
「ろ、六歳……」
 華代は、妹が6歳だったときのことを思い出していた。一人で眠ることもできない、まだほんの子供だ。
「俺は兄の代行として、水蓮城で開かれる会合に行く。おまえは安静にしていろ」
「いいのですか?」
 地下室に閉じ込めるほど、華代の力を危険視していたのではないのか。華代の言葉が皮肉っぽく聞こえたのか、政次が肩をすくめた。
「また地下が燃えたら困る」
 政次が出ていったあと、入れ替わるように志保が部屋に飛び込んできた。彼女は、起き上がっている華代を見て瞳を潤ませ、しがみついてきた。

「よかったあ!」
「し、志保、苦しいわ」
「びっくりしたんですよ、いきなり政次さまが華代さまを抱えてきたので」
 やっぱり、政次が助けてくれたらしい。ちゃんとお礼を言ったほうがいいだろうか。華代は寝台から起き上がろうとした。しかし、安静にしていないとだめだと志保に布団をかぶせられた。うとうとしながら、自分に言い聞かせる。明日、起きたらお礼を……。翌朝、目覚めたらすでに窓の外が明るかった。急いで身体を起こして玄関に向かうと、何かを言い争うような声が聞こえてきた。そっと覗くと、政府高官らしき人々と政次が一緒にいる。政次は珍しく苛立った声を出した。

「何度も言わすな。華代はふせっている」
「後継問題は重要事項。政近さまの奥方にも出席していただきたい」
「彼女には関係ないだろう」
 あの、と声をかけると、政次がこちらを振り向いた。彼は素早くこちらにやってきて、華代の肩に触れる。
「出てこなくていい」
「私も行きます」
「いいから寝ていろ」
 彼はそう言って、高官とともに屋敷を出ていった。

 華代の存在が、中央にとって面白くないものだというのはわかっている。もう一度休む気にもなれず、朝食を食べたあと政近の部屋に向かった。ここは政近が亡くなってから、手つかずになっているはずだ。彼らしく整頓された部屋の端には文机が置かれている。机の前に腰をおろし、そっと表面を撫でていると、こんにちは、と声をかけられた。そこには柔和な表情の男性が立っていた。政次の部下かと思ったが、仕立てのいい洋装を着ている。彼はつかつかと近寄ってきて、華代に頭を下げた。

「はじめまして。政近さまの側近の水野と申します」
「はじめまして……華代です」
「政近さまからお噂はかねがね」
 政近は、華代にけして仕事のことを話そうとはしなかった。威圧的な高官ならば何度か屋敷に来たが、この人は初めて見た。水野はにこりと笑って、こう言った。
「水蓮城に一緒に来ていただけませんか?」
「水蓮城……ですか?」

 この土地が帝都と名前が変わる前、中央の実権を握っていた松原家が持つ城だが、行ったことはない。華代は水野が促すままに黒塗りの車に乗りこんだ。車に乗ってしばらく進んで行くと、城門が見えてきた。厳重な検査を受けたうえで、門をくぐって城内に入っていく。門の中には、袴姿の幼い男の子がいた。その子は華代を見上げて、首をかしげる。
「おまえは誰じゃ?」
「私は、神野華代です」
 そう言ったら、男の子が目を輝かせた。
「華代! 知っておる。政近がよく話していた」
 この子は誰なんだろう。そう思っていたら、水野がささやきかけてきた。
「城主の永正さまです」
「え」
 華代は慌てて頭を下げたが、その子は気にした様子もなくよろしくな、と笑っている。実際に対面してみると、本当に小さい。こんな子に、国が継げるのだろうか。永正は不満げな様子でつぶやいた。
「あの無愛想男は嫌いじゃ。華代もそう思わんか」
「ええ……」
 無愛想男というのは、政次のことだろう。政次がどういう人間化はわからないが、出会ってそうそう閉じ込められたため、印象がよくはない。同意を得たおかげか、永正の機嫌がよくなった。
「華代も会議にきたのか? 案内してやろう」

 永正は、こっちだと言って、華代の手を引いて歩き出した。華代は鷹の鳴く声に顔をあげた。伝令鷹が頭上を旋回している。おそらく、政近の死を教えに来た鷹だ。鷹はばさりと翼を羽ばたかせ、瓦にとまった。
 永正に続いて、華代は城内を歩いていく。天守までの道は敵がまっすぐ進めないよう、曲がりくねっている。そこかしこに鉄砲を持った兵士を見かけて、ひやりとした。しばらく行くと、天守が見えてきた。城の中は、神野の屋敷とは比べ物にならないぐらいに広かった。うっかりはぐれたら迷子になってしまいそうだ。目の前の少年は、すいすいと進んでいく。
 鏡のように磨かれた床をしばらく歩いていくと、広間にたどり着いた。男性たちの眼差しが一斉にこちらを向く。驚いた表情の政次に、華代は会釈した。集まった人々の中に父のすがたが見えたので、華代はハッとした。父は眉をひそめ、素知らぬふりをしている。政次の隣に座っている男性が、水野に冷たい眼差しを向けた。

「水野殿、その娘は誰ですか」
「政近さまの花嫁の、神野華代様です。結城さま」
政近様の、という声がさざめく。恰幅のいい男が憤慨した様子を見せる。
「どこの娘だ? うちとの婚礼を断っておきながら」
「噂になっていた娘ですな。高官連中が、得体のしれない者だと言っていました。ま、それは政次殿も同じだが」
 結城と呼ばれた男が、政次をちらりと見た。政次は冷え切った口調で告げた。
「俺はここに好きでいるわけではないが。貴殿たちと違って忙しい」
「そうでしょうなあ。兄君が亡くならなければ、こんな場に参加することは不可能だったでしょう」
「腐すのが目的ならば帰らせてもらう」
 政次は立ち上がってこちらに歩いてきた。華代は、会議室の空気に戸惑った。とても話し合いをするという雰囲気ではない。永正はつまらなそうな顔で床を眺めている。水野はどうしてここに華代を連れてきたのだろう。政次の背中に、結城がいたぶるような声をかける。
「逃げるのですか」
「国主は永正でいいだろう」
「なぜ政近さまが国主になられたか、忘れたのですか? 永正さまの後見なのですぞ」
「しかし、政次さまには無理でしょうな。刀を振り回してばかりでおなごも寄り付かぬ」
 橋本と結城は、なぶるような声で政次を責め立てた。政次は何も言わずに部屋を出ようとした。どうして言い返さないのだろう。じれったく思いながら、華代は口を開いた。

「政次さまには、国主になる権利があります」
「ほう、この男に? 花街にも通わずに異能捜査に夢中になっているそうだが」
 ははは、と笑う声が会議室に響いた。侮辱されても、政次は無言を貫いていた。華代は、以前政近が話していたことを思い出した。国主となるものには、二つ条件がある。まず一つは、男性であること。もう一つは、結婚し、花嫁を娶っていなければならない。未来に血をつなぐ可能性のないものを、国の主に据えるわけにはいかないからだ。そう、それだけが、政次が国を継げない理由。華代は、ぐっと拳を握りしめた。
「私が、花嫁です」
「……なんだと?」
「おやおや、夫が死んで早々に弟に鞍替えか」

 なんと節操のない女だ、そんな娘が国主の妻になれるのか。ざわざわとその場が騒がしくなっていく。政次はこちらを睨みつけてきた。
「華代、黙っていろ」
「政近さまは、政次さまを後継にと望まれていました。その意思を汲むべきではないのですか」
「国主になるということは、そんな簡単なことではないのだぞ、お嬢さん」
「わかっています。だからこそ、永正さまお一人に背負わせるべきではないでしょう」
 そばにいた永正が、はっと顔をあげた。彼はじっと華代を見上げてくる。
「今日はこれでお開きにしてくれ。華代、行くぞ」
 政次は会議室の喧騒をよそに、華代を連れてその場から立ち去る。車に乗り込んだとたん、彼は鋭い視線を向けてきた。
「どういうつもりだ」
「ごめんなさい、つい」
 政次は政近の大事な人だ。それをあんなふうになじるのは許せなかった。政次はじろり、と運転席の水野を睨みつけた。
「水野……こうなることを見越して、華代を連れてきたな」
「はて、なんのことでしょうか」
「おまえには追って沙汰を伝える」

 華代ははっと政次を見上げた。彼は厳しい表情を浮かべている。屋敷に戻った華代は自室でため息を漏らしていた。あんな真似をしでかしたのだ。きっと、ここを出ていけと言われるだろう。せめて世話になった使用人たちに挨拶をしておこうか。その時、扉を叩く音がして、政次が室内に入ってきた。彼が何を言いたいのかはわかっている。華代は覚悟を決めて、政次に向き直った。
「政次さま、水野さまはきっと、政次さまのことを思ってなさったのです。私がしたことですから、私が責任を取ります」
 政次はじっとこちらを見たあと、口を開いた。
「行き場はあるのか」
「ありません」
「――俺の、妻になるか」
「……っえ」
「ただし、俺は国主にはならない。おまえがここにいたいのなら、名目が必要だろう」
 華代はぽかんとしたあと、はい、と返事をした。愛の言葉も、優しい眼差しもない。二度目の結婚はやはり、恋などとは程遠いものによってもたらされた。