語り終えた華代は、ちらりと政次を見た。おそらく退屈だろう長い話を、彼は黙って聞いていた。ずいぶんと辛抱強い人だと思う。それとも、軍人とはみんなこういうものなのだろうか。なるほど、わかったと政次は言った。華代はぱっと顔を明るくする。
「じゃあ、ここから出していただけますか」
「だからといって、おまえが犯人ではない、という証拠にはならない」
華代は勢いを削がれて黙り込んだ。政近は、政次は優しい子だと言っていた。その言葉に、一縷の望みを託して話したのに。
「あなたということは、ないんですか」
「――なんだと?」
「政近様が亡くなれば、この家はあなたのものですよね」
政近の近親は、政次以外みんな亡くなっている。彼が死ねば、この家も国主の座も、すべて政次のものとなる。華代と政次はしばらく睨み合った。政次はふいに視線を外して、踵を返した。
「万津家に行ってくる。おまえの話が正しいとは限らないからな」
閉まった扉を見て、華代はため息を漏らした。万津家が華代に有利な証言などするはずがない。犯人だと決めつけて、処刑されてしまうかもしれない。その前に、ここを脱出できないだろうか。華代は、分厚い扉に視線を向けた。
★
「ねえ、政次。君は好きな人はいないの?」
兄は会うたびにそう尋ねてきた。一種の世間話なのだろうと思って、適当に受け流していた。しばらく会わない日々が続いたころ、突然手紙が届いた。
「結婚したんだ。花嫁に会わせたいから、屋敷にきてくれ」
正直言って、政次は驚いた。兄は結婚などしないと思っていたのだ。しかし、仕事が忙しく屋敷に顔を出すのを忘れていた。その手紙を放置して、1月が過ぎたころ訃報が届いた。兄は西の宮に視察に行っている最中に襲われたそうだ。護衛はつけていなかったらしい。兄が死ぬなどと、微塵も信じていなかった。その遺体を見るまでは。
異能者のちからというのは、未知のものが多い。あの兄ですら殺されたのだ。兄の遺体はむごいものだった。異能者の殺人に慣れている部下ですら、数日食事ができなかったほどだ。あの女は――平然と兄の遺体に触れた。
万津華代。初めて会ったときは、コスモスのようだなと思った。少し癖のある黒髪と、曇のない瞳。一見弱々しく、たおやかに見える。しかしあの花は繁殖力が強く、すべてを食い尽くす。彼女のことは、まだ調査途中だった。兄に群がる女は多かった。しかし、彼はどんな女に言い寄られてもどこ吹く風だった。その兄の心を、会って間もないうちに射止めたのだ。怪しいと思うなというほうが無理だろう。志保という女中は、華代はとても優しい方だ、と言い張った。
「それで、新聞をさしいれてやっているのか」
「それぐらい、いいのではないですか。あの方は、あなたのお兄様の花嫁ですよ。あんな場所に閉じ込めて、ひどいです」
「なぜ新聞を読みたがる」
志保は、怪訝な表情でこちらを見た。
「なぜって、外のことを知りたいのでしょう」
閉じ込められているのに、なぜ世情を知る必要があるのだ。前々から異能者には、密かに結託しているのではないか、という噂があった。仲間からの合図を待っている可能性もある。念のため、新聞は暗号解読班にまわしておいた。志保という女中は、ただの人間だと調べがついている。華代に協力しているとしても、ほだされているだけなのだろう。
政次は、万津家の前に立っていた。万津家にはどこか暗い雰囲気が漂っていた。一見豪華な屋敷だが、庭の様子などを見るとすさんでいる。華代は金目当てで政近に近づいたのだろうか。兄がそんな計略に引っかかるとは思えないが。チャイムを押して出てきた女中はひどく不機嫌だった。聞いてもいないのに、労働環境を愚痴ってくる。
「給金が少ないのに、こき使われるんですよ」
「そうか」
「しかも、お嬢さんがひどい癇癪持ちでね。前いた女中はさぞかし大変だったでしょうねえ」
その女中はどうしたのかと尋ねたら、知らないと返ってきた。おそらく、こき使われていた女中というのは華代のことなのだろう。華代が劣悪な環境に身を置いていたのは間違いないようだ。薄いお茶を飲みながら客間で待っていると、当主の喜平がやってきた。いかにも上流の出らしく、上等の着物を羽織ってふんぞり返っている。所属と氏名を名乗ると、ふんと鼻を鳴らした。
「異能捜査隊がなんの御用ですかな」
「あなたの娘の華代についてお聞きしたい」
「なにかやらかしたのですか」
「人を殺した可能性がある」
喜平はぎょっとして政次を見た。それから苦み走った表情を浮かべる。
「ありえんことではないですな」
「というと?」
「あれは母親を殺している」
華代の母は、華代を生んですぐに亡くなったそうだ。嫁の行き手がなく、仕方なく屋敷に置いていたが、悋気で妹の婚約者の首を締めたという。そういう性格には見えなかったが、人間というのはわからないものだ。
「その男は生きているのですか」
「ああ。しかしそれが原因で破談になった」
喜平はそれ以上華代のことは話したくないと、席を立った。会話をしている間、華代がどうしているか、一度も聞かれなかった。おそらく、娘にはなんの情もないのだろう。華代と政近の結婚に、この家は関わっていない。そうなると、ただの野心か。屋敷から出ようとすると、視線を感じた。振り向くと、年頃の少女が、頬を染めてこちらを見つめている。どことなく、華代の面影があった。政次が近づいていくと、慌てた様子で髪を整えた。
「君は?」
「万津沙代ですわ、あの……」
「異能捜査部の神野政次だ。万津華代について知りたい」
「神野? まあ、もしかして国主様の」
「弟だ」
政次の答えに、少女の瞳が輝いた。――俺を足がかりに、国主に近づけるとでも思ったのだろうか。兄の死は公になっていない。葬儀は限られたもので行う予定だった。兄の死を伏せている理由は、2つあった。国主が殺されたなどと公表したら、大騒ぎになるからというのが一つ。もう一つ狙いがあった。死んだことを公表しないでおけば、犯人が兄の死を確かめにくるかもしれない。名刺を手渡し、華代について調査していると言うと、彼女は嬉々として話題に乗ってきた。中身は華代にはあまり似ていない。整った外観だが、その身に毒を秘めている。花でたとえるなら、すずらんだろうか。
「母上は華代を生んで亡くなったとご当主に聞いたが」
「ええ。ですから腹違いですの」
沙代は華代がいかに残虐な人間だったかを語った。昔から妙な力があって、小動物を絞め殺して遊んでいた。いつかは人を殺すと思っていた。そんな娘が使用人扱いを許すのだろうか。華代にはこの屋敷の者全員を殺せる力がある。疑問を抱きつつも、とりあえず、沙代に話を合わせる。
「婚約が破棄になったとか」
「そうなんです。華代のせいでみんな不幸になるの」
しかし、眼の前の少女はさほど不幸せそうには見えなかった。きれいな着物を着て、好きに振る舞っているように見える。政次は、もう彼女に聞くことはないと判断した。
「ご母堂はどちらに?」
「母は離れでお茶を点てていますわ」
義理の母が事件に関係しているとも思えないが、一応会っておくことにした。青もみじに彩られた道を歩いていき、茶室に向かうと、着物を着た女が茶を点てていた。沙代によく似た美しい容姿をしている。声をかけようとしたら、彼女は振り向かずに口を開いた。
「華代のことでいらしたのですね」
政次は息を飲んだ。なぜそのことがわかったのだ。ここと母屋ではかなりの距離がある。女中が告げ口したのだろうか。確かにおしゃべりそうだったが。彼女は政次を茶室に招いた。刀を持ち込もうとしたら止められたので、仕方なく入口に置いた。茶室の中は狭く、抹茶の匂いと湯気に満たされている。彼女は濃茶の入った茶碗を差し出してきた。政次は茶碗を手にし、飲むふりをした。
「華代の義理の母の恵利です。お見知りおきを」
「神野政次だ。とある事件について調査している」
「聞いていたのでわかりますわ」
恵利はそう言って耳元に手を添えた。もしや異能者か。異能者には異常に五感が発達しているものがいる。普通の人間にしか見えないので、市政に紛れていることが多い。華代の名前を出し、事件に関与していると思うかを尋ねたら、恵利はうっすらと笑みを浮かべた。
「あの子がやったんですわ」
「なぜそう言える」
「わかりますわ。あの子は化物ですから」
義理とはいえ、自分の娘を化物と言い切るのか。この女のほうがよほど得体が知れないと感じた。茶室をあとにしようとすると、恵利が声をかけてきた。
「今度はちゃんと召し上がってくださいませ、政次さま。この茶葉は西の宮から取り寄せた、高級品ですのよ」
口をつけていないのを、気づかれていたのかとぞっとする。政次は屋敷の門をくぐって、息を吐く。さして長い間過ごしたわけでもないのに、疲労感を覚えていた。――妙な家だった。華代はあの家で、どんな日々を過ごしていたのだろう。次に尋ねた井原家では、首に包帯を巻いた男が出てきた。沙代の婚約者の井原英臣だ。彼はむすっとした表情で、「あれは化物だ」と言った。政次は平坦な声で尋ねる。
「あなたがなにかしたのでは?」
「していない! いきなり攻撃してきたんだ。これだから化物は」
「あなたを害したのは華代なのに、なぜ妹を婚約破棄をした?」
「血がつながっているんだ。いつ似たような目にあわされるかわからない」
異能者がなぜ生まれるのかは、いまだにわかっていない。血縁だからといって、みな異能者になるわけではないのだ。とにかく、この男に聞いても新しい情報はなさそうだ。立ち去ろうとしたら、英臣が声をかけてきた。
「華代はいつ処刑されるんだ?」
政次は足を止め、じっと英臣を見た。彼は期待をこめた表情を浮かべている。
「人を殺したのだから、死刑だろう? 協力したのだから、日取りを教えてくれ」
「――おまえのようなクズに教える義理はない」
「は? なんだと? 貴様、俺を誰だと思って……」
喚き散らす英臣を無視して去っていく。なぜ苛立っているのかよくわからなかった。政次とて、異能者を嫌っている。だからこそ、この職についている。しかし見世物のようにして殺すことは賛同できなかった。彼らには未知の力がある。仲間を無惨に殺されれば反感を買い、凶行に走るかもしれない。調査の結果わかったのは、華代の死を喜ぶものばかりだ、ということだった。――あまりにひどい。なぜか、志保の声が脳裏にひびく。政次はかぶりを振った。何を考えている。華代の境遇がどうであれ、疑わしいのに変わりはない。下手な同情など、この仕事には不要なものだ。
帝都に夜のとばりが降りている。神野政次は、待機場として使っている部屋に向かっていた。途中、数人の使用人とすれ違ったが、皆怯えた顔で後ずさる。平穏だった屋敷を荒らしにきた、鬼かなにかのように見えているのだろう。この屋敷の者たちにどう思われようが、どうでもいい。室内に入ると、夜勤のはずの部下が居眠りしていた。靴を鳴らすと、慌てて身体を起こす。政次を見た部下は、血相を変えた。
「た、隊長」
「万津華代の見張りはどうした」
「いやあ。あそこから逃げるなんて、不可能ですよ」
部下はへらへらと笑っている。じろりと睨みつけると、彼は慌てて立ち上がった。
「いい。俺が行く。退職届は明日中に出せ」
部下が背後でなにか言っていたが、無視して歩いていく。一刻も早く、兄をあんな目にあわせた人間を見つけなければならない。やる気のない人間を教育する暇はない。この時間では、使用人たちも寝静まっているだろう。政次は明かりを手に、地下室に向かった。ふと、妙な感覚に足を止めた。やけに焦げ臭い、と思う。はっとして、華代を閉じ込めている部屋へ駆けていく。扉の隙間から、煙が出ていた。どういうことだ。ここで火の気がたつはずがない。政次は重い扉をこじ開けた。地下室の中には、煙が充満している。
「華代!」
彼女の名前を呼びながら、部屋の中を探し回る。真相が分かる前に、死なれては困る。だからこんなに焦っているのだ。そう言い聞かせながら、少女のすがたを探した。政次は視界を晴らすため、刀を抜いて振った。疾風が巻き起こり、煙を吹き飛ばす。開けた視界の先に、木の枝が何かを包み込むように湾曲しているのが見えた。なんだ、これは……。戸惑いながら、木の枝に斬りつける。枝は異様に硬かった。まるで、何かを守っているようだ。何度か斬りつけていると、ふっとその枝がほどけた。そこには、華代が丸まっていた。
「おい、しっかりしろ」
肩に手を置いて揺さぶったが、反応がない。
政次は、華代の身体を抱き上げて部屋の外に出た。その身体は驚くぐらい軽い。こちらに駆けてきた部下が、燃え盛る部屋を見てぎょっとする。政次は叫んだ。
「消防を呼べ!」
「は、はい」
しばらくすると、火事を知らせる鐘の音が聞こえてきた。政次は煤で汚れた華代の頬をたたいた。
「華代、しっかりしろ」
「政近さま……」
ぼんやりと開いた彼女の瞳は、政次を見てはいなかった。おそらく、兄のことを思い出しているのだ。戸惑っている政次に、華代はこう尋ねてくる。
「迎えにきて、くださったのですか」
「違う。俺は政次だ」
「うれしい」
煤のついた指先が、政次の頬を撫でる。その仕草に、なぜかひどく動揺した。華代はあわく微笑んで、ふっと意識を失った。
「じゃあ、ここから出していただけますか」
「だからといって、おまえが犯人ではない、という証拠にはならない」
華代は勢いを削がれて黙り込んだ。政近は、政次は優しい子だと言っていた。その言葉に、一縷の望みを託して話したのに。
「あなたということは、ないんですか」
「――なんだと?」
「政近様が亡くなれば、この家はあなたのものですよね」
政近の近親は、政次以外みんな亡くなっている。彼が死ねば、この家も国主の座も、すべて政次のものとなる。華代と政次はしばらく睨み合った。政次はふいに視線を外して、踵を返した。
「万津家に行ってくる。おまえの話が正しいとは限らないからな」
閉まった扉を見て、華代はため息を漏らした。万津家が華代に有利な証言などするはずがない。犯人だと決めつけて、処刑されてしまうかもしれない。その前に、ここを脱出できないだろうか。華代は、分厚い扉に視線を向けた。
★
「ねえ、政次。君は好きな人はいないの?」
兄は会うたびにそう尋ねてきた。一種の世間話なのだろうと思って、適当に受け流していた。しばらく会わない日々が続いたころ、突然手紙が届いた。
「結婚したんだ。花嫁に会わせたいから、屋敷にきてくれ」
正直言って、政次は驚いた。兄は結婚などしないと思っていたのだ。しかし、仕事が忙しく屋敷に顔を出すのを忘れていた。その手紙を放置して、1月が過ぎたころ訃報が届いた。兄は西の宮に視察に行っている最中に襲われたそうだ。護衛はつけていなかったらしい。兄が死ぬなどと、微塵も信じていなかった。その遺体を見るまでは。
異能者のちからというのは、未知のものが多い。あの兄ですら殺されたのだ。兄の遺体はむごいものだった。異能者の殺人に慣れている部下ですら、数日食事ができなかったほどだ。あの女は――平然と兄の遺体に触れた。
万津華代。初めて会ったときは、コスモスのようだなと思った。少し癖のある黒髪と、曇のない瞳。一見弱々しく、たおやかに見える。しかしあの花は繁殖力が強く、すべてを食い尽くす。彼女のことは、まだ調査途中だった。兄に群がる女は多かった。しかし、彼はどんな女に言い寄られてもどこ吹く風だった。その兄の心を、会って間もないうちに射止めたのだ。怪しいと思うなというほうが無理だろう。志保という女中は、華代はとても優しい方だ、と言い張った。
「それで、新聞をさしいれてやっているのか」
「それぐらい、いいのではないですか。あの方は、あなたのお兄様の花嫁ですよ。あんな場所に閉じ込めて、ひどいです」
「なぜ新聞を読みたがる」
志保は、怪訝な表情でこちらを見た。
「なぜって、外のことを知りたいのでしょう」
閉じ込められているのに、なぜ世情を知る必要があるのだ。前々から異能者には、密かに結託しているのではないか、という噂があった。仲間からの合図を待っている可能性もある。念のため、新聞は暗号解読班にまわしておいた。志保という女中は、ただの人間だと調べがついている。華代に協力しているとしても、ほだされているだけなのだろう。
政次は、万津家の前に立っていた。万津家にはどこか暗い雰囲気が漂っていた。一見豪華な屋敷だが、庭の様子などを見るとすさんでいる。華代は金目当てで政近に近づいたのだろうか。兄がそんな計略に引っかかるとは思えないが。チャイムを押して出てきた女中はひどく不機嫌だった。聞いてもいないのに、労働環境を愚痴ってくる。
「給金が少ないのに、こき使われるんですよ」
「そうか」
「しかも、お嬢さんがひどい癇癪持ちでね。前いた女中はさぞかし大変だったでしょうねえ」
その女中はどうしたのかと尋ねたら、知らないと返ってきた。おそらく、こき使われていた女中というのは華代のことなのだろう。華代が劣悪な環境に身を置いていたのは間違いないようだ。薄いお茶を飲みながら客間で待っていると、当主の喜平がやってきた。いかにも上流の出らしく、上等の着物を羽織ってふんぞり返っている。所属と氏名を名乗ると、ふんと鼻を鳴らした。
「異能捜査隊がなんの御用ですかな」
「あなたの娘の華代についてお聞きしたい」
「なにかやらかしたのですか」
「人を殺した可能性がある」
喜平はぎょっとして政次を見た。それから苦み走った表情を浮かべる。
「ありえんことではないですな」
「というと?」
「あれは母親を殺している」
華代の母は、華代を生んですぐに亡くなったそうだ。嫁の行き手がなく、仕方なく屋敷に置いていたが、悋気で妹の婚約者の首を締めたという。そういう性格には見えなかったが、人間というのはわからないものだ。
「その男は生きているのですか」
「ああ。しかしそれが原因で破談になった」
喜平はそれ以上華代のことは話したくないと、席を立った。会話をしている間、華代がどうしているか、一度も聞かれなかった。おそらく、娘にはなんの情もないのだろう。華代と政近の結婚に、この家は関わっていない。そうなると、ただの野心か。屋敷から出ようとすると、視線を感じた。振り向くと、年頃の少女が、頬を染めてこちらを見つめている。どことなく、華代の面影があった。政次が近づいていくと、慌てた様子で髪を整えた。
「君は?」
「万津沙代ですわ、あの……」
「異能捜査部の神野政次だ。万津華代について知りたい」
「神野? まあ、もしかして国主様の」
「弟だ」
政次の答えに、少女の瞳が輝いた。――俺を足がかりに、国主に近づけるとでも思ったのだろうか。兄の死は公になっていない。葬儀は限られたもので行う予定だった。兄の死を伏せている理由は、2つあった。国主が殺されたなどと公表したら、大騒ぎになるからというのが一つ。もう一つ狙いがあった。死んだことを公表しないでおけば、犯人が兄の死を確かめにくるかもしれない。名刺を手渡し、華代について調査していると言うと、彼女は嬉々として話題に乗ってきた。中身は華代にはあまり似ていない。整った外観だが、その身に毒を秘めている。花でたとえるなら、すずらんだろうか。
「母上は華代を生んで亡くなったとご当主に聞いたが」
「ええ。ですから腹違いですの」
沙代は華代がいかに残虐な人間だったかを語った。昔から妙な力があって、小動物を絞め殺して遊んでいた。いつかは人を殺すと思っていた。そんな娘が使用人扱いを許すのだろうか。華代にはこの屋敷の者全員を殺せる力がある。疑問を抱きつつも、とりあえず、沙代に話を合わせる。
「婚約が破棄になったとか」
「そうなんです。華代のせいでみんな不幸になるの」
しかし、眼の前の少女はさほど不幸せそうには見えなかった。きれいな着物を着て、好きに振る舞っているように見える。政次は、もう彼女に聞くことはないと判断した。
「ご母堂はどちらに?」
「母は離れでお茶を点てていますわ」
義理の母が事件に関係しているとも思えないが、一応会っておくことにした。青もみじに彩られた道を歩いていき、茶室に向かうと、着物を着た女が茶を点てていた。沙代によく似た美しい容姿をしている。声をかけようとしたら、彼女は振り向かずに口を開いた。
「華代のことでいらしたのですね」
政次は息を飲んだ。なぜそのことがわかったのだ。ここと母屋ではかなりの距離がある。女中が告げ口したのだろうか。確かにおしゃべりそうだったが。彼女は政次を茶室に招いた。刀を持ち込もうとしたら止められたので、仕方なく入口に置いた。茶室の中は狭く、抹茶の匂いと湯気に満たされている。彼女は濃茶の入った茶碗を差し出してきた。政次は茶碗を手にし、飲むふりをした。
「華代の義理の母の恵利です。お見知りおきを」
「神野政次だ。とある事件について調査している」
「聞いていたのでわかりますわ」
恵利はそう言って耳元に手を添えた。もしや異能者か。異能者には異常に五感が発達しているものがいる。普通の人間にしか見えないので、市政に紛れていることが多い。華代の名前を出し、事件に関与していると思うかを尋ねたら、恵利はうっすらと笑みを浮かべた。
「あの子がやったんですわ」
「なぜそう言える」
「わかりますわ。あの子は化物ですから」
義理とはいえ、自分の娘を化物と言い切るのか。この女のほうがよほど得体が知れないと感じた。茶室をあとにしようとすると、恵利が声をかけてきた。
「今度はちゃんと召し上がってくださいませ、政次さま。この茶葉は西の宮から取り寄せた、高級品ですのよ」
口をつけていないのを、気づかれていたのかとぞっとする。政次は屋敷の門をくぐって、息を吐く。さして長い間過ごしたわけでもないのに、疲労感を覚えていた。――妙な家だった。華代はあの家で、どんな日々を過ごしていたのだろう。次に尋ねた井原家では、首に包帯を巻いた男が出てきた。沙代の婚約者の井原英臣だ。彼はむすっとした表情で、「あれは化物だ」と言った。政次は平坦な声で尋ねる。
「あなたがなにかしたのでは?」
「していない! いきなり攻撃してきたんだ。これだから化物は」
「あなたを害したのは華代なのに、なぜ妹を婚約破棄をした?」
「血がつながっているんだ。いつ似たような目にあわされるかわからない」
異能者がなぜ生まれるのかは、いまだにわかっていない。血縁だからといって、みな異能者になるわけではないのだ。とにかく、この男に聞いても新しい情報はなさそうだ。立ち去ろうとしたら、英臣が声をかけてきた。
「華代はいつ処刑されるんだ?」
政次は足を止め、じっと英臣を見た。彼は期待をこめた表情を浮かべている。
「人を殺したのだから、死刑だろう? 協力したのだから、日取りを教えてくれ」
「――おまえのようなクズに教える義理はない」
「は? なんだと? 貴様、俺を誰だと思って……」
喚き散らす英臣を無視して去っていく。なぜ苛立っているのかよくわからなかった。政次とて、異能者を嫌っている。だからこそ、この職についている。しかし見世物のようにして殺すことは賛同できなかった。彼らには未知の力がある。仲間を無惨に殺されれば反感を買い、凶行に走るかもしれない。調査の結果わかったのは、華代の死を喜ぶものばかりだ、ということだった。――あまりにひどい。なぜか、志保の声が脳裏にひびく。政次はかぶりを振った。何を考えている。華代の境遇がどうであれ、疑わしいのに変わりはない。下手な同情など、この仕事には不要なものだ。
帝都に夜のとばりが降りている。神野政次は、待機場として使っている部屋に向かっていた。途中、数人の使用人とすれ違ったが、皆怯えた顔で後ずさる。平穏だった屋敷を荒らしにきた、鬼かなにかのように見えているのだろう。この屋敷の者たちにどう思われようが、どうでもいい。室内に入ると、夜勤のはずの部下が居眠りしていた。靴を鳴らすと、慌てて身体を起こす。政次を見た部下は、血相を変えた。
「た、隊長」
「万津華代の見張りはどうした」
「いやあ。あそこから逃げるなんて、不可能ですよ」
部下はへらへらと笑っている。じろりと睨みつけると、彼は慌てて立ち上がった。
「いい。俺が行く。退職届は明日中に出せ」
部下が背後でなにか言っていたが、無視して歩いていく。一刻も早く、兄をあんな目にあわせた人間を見つけなければならない。やる気のない人間を教育する暇はない。この時間では、使用人たちも寝静まっているだろう。政次は明かりを手に、地下室に向かった。ふと、妙な感覚に足を止めた。やけに焦げ臭い、と思う。はっとして、華代を閉じ込めている部屋へ駆けていく。扉の隙間から、煙が出ていた。どういうことだ。ここで火の気がたつはずがない。政次は重い扉をこじ開けた。地下室の中には、煙が充満している。
「華代!」
彼女の名前を呼びながら、部屋の中を探し回る。真相が分かる前に、死なれては困る。だからこんなに焦っているのだ。そう言い聞かせながら、少女のすがたを探した。政次は視界を晴らすため、刀を抜いて振った。疾風が巻き起こり、煙を吹き飛ばす。開けた視界の先に、木の枝が何かを包み込むように湾曲しているのが見えた。なんだ、これは……。戸惑いながら、木の枝に斬りつける。枝は異様に硬かった。まるで、何かを守っているようだ。何度か斬りつけていると、ふっとその枝がほどけた。そこには、華代が丸まっていた。
「おい、しっかりしろ」
肩に手を置いて揺さぶったが、反応がない。
政次は、華代の身体を抱き上げて部屋の外に出た。その身体は驚くぐらい軽い。こちらに駆けてきた部下が、燃え盛る部屋を見てぎょっとする。政次は叫んだ。
「消防を呼べ!」
「は、はい」
しばらくすると、火事を知らせる鐘の音が聞こえてきた。政次は煤で汚れた華代の頬をたたいた。
「華代、しっかりしろ」
「政近さま……」
ぼんやりと開いた彼女の瞳は、政次を見てはいなかった。おそらく、兄のことを思い出しているのだ。戸惑っている政次に、華代はこう尋ねてくる。
「迎えにきて、くださったのですか」
「違う。俺は政次だ」
「うれしい」
煤のついた指先が、政次の頬を撫でる。その仕草に、なぜかひどく動揺した。華代はあわく微笑んで、ふっと意識を失った。
