座敷牢の花嫁

――どれにしようかしら。
 華代(かよ)は市場で花の種を選んでいた。もうすぐ初夏だから、朝顔の種を買おう。いろんな色の花を咲かせて、縁側に座って、政近さまと並んで眺めるのだ。口元を緩めながら、巾着袋からがま口の小さな財布を取り出す。この財布は、夫の政近が贈ってくれたものだ。

「君、財布も持っていないのですか?」
 政近は驚いて、すぐに買いに行こうと言ってくれた。もうすぐあの人が、西の宮から帰ってくる――。
 その時、ふっと影が落ちた。顔をあげた華代の目に、鷹の姿が飛び込んでくる。旋回する鷹を目にして、店主が怪訝そうに眉をひそめた。
「ありゃ、軍部の伝書鷹だな」
「伝書鷹……」
「なんだか不吉だね」

 その言葉に、どきりとする。不吉だなんて、政近との結婚生活では一瞬たりとも感じたことがなかった。まだ市場を見て回りたい気持ちはあったが、種を買って足早に歩き出す。こちらの動きに合わせるように、旋回していた鷹がばさりと翼をはためかせた。ついてきてる……? 鷹はそのまま降りてきて、華代の肩に止まる。鷹の足には紙がくくりつけてあった。華代はそれをほどいて広げる。
 ――神野政近に異変あり。すぐ帰るべし。
 華代ははらり、と手紙を落とした。急いで屋敷へと向かう華代に、鷹がついてくる。神野家の屋敷前には車が止まっていた。政近さまが帰ってきたのだろうか? 門をくぐった華代のもとに、血相を変えた女中が近づいてきた。

「華代さま……!」
「どうしたの、志保」
「早く、早くいらしてください」

 志保は腕を引いて華代をせかす。いつものんびりしている彼女らしくない態度だった。嫌な予感を覚えながら、志保に続いて屋敷に入る。屋敷内には、ものものしい空気が漂っていた。あちこちに軍人がいて、じろじろと華代に視線を送ってくる。客間に入ると、軍服を着た青年がこちらを振り向いた。すらりと背が高く、整った顔立ちをしている。艶のある黒髪と、漆黒の髪。政近によく似ているが、まとっている雰囲気が違う。それに政次さまは、刀を持たなかった……。戸惑いながらも、その人物に問いかける。

「どちらさまですか」
「政近の弟、神野政次(かみのまさつぐ)だ。国軍の第三異能監視部に所属している」
異能監視部、という言葉に少し身体がこわばった。この国の軍部には異能者を狩る部署があると聞いたことがある。でも、政近さまの弟なのだから。政近から弟の話はよく聞いていた。真面目一辺倒だが、とても優しくていい子だと。華代は気を取り直し、彼に手を差し出した。

「政近さまの妻の華代です。はじめまして」
しかし、政次はその手を取ろうとしなかった。
「兄が亡くなった」
「え……?」
 華代は戸惑いながら政次を見た。今このひとはなんと言ったのだ? 政近が死んだ? こちらの動揺に構わず、政次は淡々と尋ねてくる。
「三日前の夜、どこで何をしていた?」
「……」
「答えないと捕縛する」
「ま、待ってください。どういうことですか、政近さまが亡くなったというのは」
 政次は鈍い、と言いたげな顔をした。疎ましいと言わんばかりの扱いをされるのは、いつものことだ。
「死んだんだ、異能者に殺された」

 華代の頭は、彼の言葉を拒否していた。そんなことがあるはずがない。あんなにも元気な姿で出ていったのだから。かならずおみやげを買ってくると言って……。華代はなんとか気を取り直し、政次に向き直った。
「そんなこと信じません。政近さまに会わせてください」
「三日前の行動について、答えないんだな。連行しろ」
政次が合図すると、あちこちにいた軍人が近づいてきた。華代は掴まれた手をほどこうともがく。
「離してください」
 その時、庭に植えられた松の枝が伸びてきてぶわり、と襲いかかった。華代を拘束してた男の首が締め付けられる。他の軍人たちは、悲鳴をあげて飛び退いた。
「うわあっ」
「なんだ!?」
 松の枝に掴まれ、投げ飛ばされる部下に構わず、政次は怯むことなく踏み込んできた。そんな人は初めてだったので、一瞬反応が遅れてしまう。速い――。その隙を見逃さず、政次は腰に下げている刀を抜いて枝を斬り捨てる。斬られた松の痛みが伝わってきて、華代はその場に膝をついた。政次は、咳き込んでいる部下に声をかける。
「大丈夫か、近松」
「は、はい、神野隊長」

 近松の首を締めていた松の枝がしゅるしゅると元に戻っていく。部下たちはざわめいたが、政次は動揺するでもなく華代を見下ろした。華代はごくり、と唾を飲む。
「異能者か。しかも植物系」
 彼は再び力を使おうとした華代の腕を掴んだ。そうして素早く手錠をかける。華代は手錠を外そうとしたが、びくともしない。異能が発動できないのだ。呆然としている華代に、政次は淡々とした口調で告げた。
「異能を封じる手錠だ。無理をすると手がなくなるぞ」
「どうして、こんなことを」
「兄は花に喰われて死んだ」
 華代は思わず息を飲んだ。政近を殺したのは、自分と同じ力を持つ異能者なのか。衝撃を抑え込み、震える声でこう問いかける。
「それで、私をお疑いなのですか」
「俺は長年異能者を狩ってきたが、お前以外にこんな能力を持つものは見たことはない」
 異能者を狩ってきたという言葉に心臓が凍りつく。異能者など、人間ではないとでも言いたげな口調。政近さま。優しいなどと、嘘ではないですか。

「……政近さまに会わせてください」
「わかった」
 政次の答えに、近松はぎょっとした。
「隊長、その女は危険です。何かあったら」
「大丈夫だ。妙な真似をしたら俺が斬り捨てる」
 誇張には聞こえなかった。この男は、きっとそうするだろう。政次は、華代を連れて屋敷の外に出た。遺体は屋敷とは別の場所に安置してあるらしく、手錠をつけたまま車に乗せられた。車に揺られること半刻ほどでたどり着いたのは、葬儀場だった。華代は政次に続いて馬車を降りる。歩くたびに、手錠の鎖がちゃりちゃり、と揺れた。誰もいない葬儀場に、棺が一つ置かれていた。華代は政次を置いてそちらに駆け寄る。葬儀場の職員らしき青年が、慌てて華代を留めた。
「お待ちください、まだお身体を清めていませんので……!」

 棺の中には、政近がいた。しかし、変わり果てた姿だった。彼の身体は、完全に花に侵食されていた。かつての美しい面立ちは見る影もない。
「だれが、こんなことを……」
 泣き崩れる華代に、政次は冷たい視線を向けていた。涙が枯れたころ、華代は濡れた目元をぬぐった。手錠がかけられた腕を、政次の方に向ける。
「外してください。政近さまの遺体を、きれいにしたいのです」
「外すわけがないだろう」
「いいのですか、お兄様がこんな姿で」
 華代は赤い目で政次を見据えた。政次は華代をじっと見たあと、手錠を外した。華代は、手錠跡がついた腕をさすり、そっと政近の頬に触れる。せめて、顔だけでもきれいにしてあげたかった。震える手で、空の眼窩や、口内を埋める花を取り除く。夫の死相を眺めているのは耐え難く、気絶しそうだったが、なんとか耐えた。華代が手を打ち鳴らすと、しゅるしゅると花が伸びていき、政近の顔を覆った。ある程度修復すると、花の動きが止まって、もとの通りになった。政次はすぐ近くで、華代の一挙手一投足を眺めている。それから、天気の話題でも口にするように、淡々と言った。
「そういったこともできるのか」
「……本来は、こういう力です」

政近が教えてくれたのだ。華代の力は、けして恐ろしいものなどではないと。華代は、祭壇に飾られた菊の花をとって政近の手元に添えた。彼の手の甲には、木の枝が突き刺さっている。傷口の様子から見て、きっと、生きているうちにやられたのだ。その痛々しさに泣きそうになった。ふと、政次が何かを握りしめていることに気づいた。華代はそっと彼の手を開かせる。
「鈴……?」
 それは、朱色のきれいな鈴だった。葬儀場の職員が、政次に話しかけている。華代は政次がこちらを見ていないのを確認し、そっと鈴をたもとに入れた。


 屋敷に戻った華代は、地下室に連れて行かれた。これはなんのための場所なのだろう。窓すらない部屋は、暗く、空気が湿っている。思わず進む足が鈍った。華代はこういう場所が嫌いだった。太陽の光が当たらないと、異能の力が弱まってしまうのだ。政次は、異能者に詳しいようだから、きっと知っていてここに連れてきたのだ。政次は華代の背中を押して部屋に入れた。
「明日、また聴取に来る。それまで休んでおけ」
ばたん、という音と鍵を締める音が響いた。同時に、彼の靴音が遠ざかっていく。部屋は床板がむき出しで、布団すらなかった。こんな場所でくつろげるはずがない。華代は、部屋の隅でしゃがみこんだ。自分を慰めるように、手のひらで鈴を転がす。ちりん、ちりん。不思議と、その音を聞いていると心が落ち着いた。しばらく経ったころ、志保がやってきた。

「華代さま……! どうしてこんなところに」
「政次様に、疑いをかけられたようなの」
「政次様に? なんのですか?」
 彼女は困惑した表情を浮かべている。志保はおそらく、政次が死んだことを知らないのだ。そうだ、国主の政次が死んだのだから、すぐに訃報が出るはず。しかし、今朝の新聞にはそんな記事は載っていなかった。志保は慌てた様子で、その場から去ろうとしている。
「お待ちください、すぐに鍵を……」
「だめよ。あなたまで捕らえられてしまう」
「ですが」
「それより、夕刊を持ってきてほしいの」
「夕刊、ですか?」
 夕刊にも、政次のことは書いていなかった。お取り潰しになった城の跡地に、遊園地というものができるのだという記事しか載っていない。政次の死は必ず記事になるはずだ。必死に夕刊を読む華代を見て、おかしくなったと思ったのだろうか。志保はせめてもと、布団と本を持ってきてくれた。その夜、横になった華代は眠れずにいた。眠れない夜は本を読むのだと、政近様は言っていた……。ろうそくの灯りのもと、本を開く。しかし、頭に入ってこなかった。

 どこかに、もろくなった壁はないのだろうか。そっとなぞってみると、壁になにか書かれていることに気づいた。土壁に、何本もの線が書かれている。これはなんだろう。そう考えた華代は、すぐに日付を数えているのだ、と気づいた。誰か、ここに閉じ込められていたのだろうか。その人は、どうなったのだろうか。想像するのが恐ろしくなって、ろうそくの炎を消して目を閉じた。