華代が冥界から戻ってきて、数日が経った。時々庭に降りてみるが、政近は現れない。あれは現実だったのだろうか。それ以来、鴨の煮汁を作って政次の墓前に供えるのが日課になった。不思議なことに、お椀は翌日には空になっていた。華代は、鈴をちりん、と鳴らして仏壇に手をあわせた。ある晩、寝る支度をしていると政次がやってきた。彼は、コスモスのかんざしを手にしていた。華代はぱっと顔を明るくした。なくしたと思って、探していたものだ。政次はすまない、と言った。
「踏んで割ってしまった。にかわで直したが不格好だ」
「いえ、見つかってよかったです」
華代はそっとかんざしを受け取った。よく見なければ、割れあとは目立たない。彼はほっと息を吐いて、話題を変えた。
「祝言を開かないか」
「祝言、ですか?」
祝言は、政近とも開いていない。それに、神野家はもはや政次だけだし、招くような人がほとんどいない。父はまだ入院しているし、義母が来るとも思えないのだ。沙代は行方不明だし……。そんなことを思っていると、政次は気まずそうに口を開いた。
「おまえの妹のことだが……」
「沙代が見つかったんですか?」
政次はかぶりを振った。帝都からいなくなったとは考えられないので、部下に探させてはいるらしい。沙代が土蔵に盗みに入った、という話はすでに聞いていた。政次は華代が傷つくと思って、その事実を黙っていてくれたのだ。華代は一方的に政次を責めたことを反省した。お嬢様育ちの沙代に、居候など耐えられるはずがなかった。もっと気にかけるべきだったのだ。
治療院にもすがたを現さないし、今どこで何をしているのかわからなかった。このまま生き別れてしまうのだろうか。うつむいた華代の頬に、政次が触れた。
「生きてれば、きっとどこかで会える」
「……はい」
半月後、祝言の日がやってきた。梅雨時にもかかわらず、空は晴れ渡っている。白無垢を着た華代を見て、志保が涙を浮かべていた。
「とてもおきれいです、華代さま」
「ありがとう、志保」
華代は姿見に自身を映した。誰と比べる必要もない。立派な花嫁姿だ。母様にもこのすがたを見せたかった。神野家の広間には、緋毛氈が敷かれ使用人たちが集まっている。彼らの並んでいる先には、袴姿の政次が立っていた。華代はそちらに歩いていく。三々九度を済ませたころ、玄関のほうが騒がしくなった。現れた人物を見て、華代は顔を曇らせた。
「お義母様……」
着飾った義母は花を手に、笑みを浮かべている。彼女がこちらに近づいてきたので、華代は思わず顔をこわばらせた。一体どこから聞きつけたのだろう。
「おめでとうございます。華代さん」
「ありがとうございます」
華代は花を受け取ろうとしたが、義母は華代のそばを通り過ぎ、政次に花を渡した。政次は花を受け取って、それを無造作に志保に渡した。義母は不満げな表情を浮かべたあと、今まで無視していた華代にすり寄る。
「これからは仲良くしましょうね、華代さん」
「……え」
「沙代が突然いなくなってしまって。旦那さまもあんな状態だし、華代さんが頼りなのよ」
「……それはできません、お義母さま」
その言葉に、義母は血相を変えた。華代の結婚を素直に祝福してくれるのなら、嬉しいと思えた。しかしこの人は神野家のお金が欲しいだけなのだ。そんな人と、縁を繋いで置きたいとは思えなかった。きっと、絶縁の手紙を書いたときに、こうなることは決まっていたのだ。義母は猫撫で声をやめ、一転華代を糾弾する。
「ちょっと調子に乗っているんじゃなくて。神野家に迎えてもらったからって、おまえが偉いわけではないのよ」
「わかっています、お義母さまを見ていたので」
冷静に答える華代に腹を立てたのか、義母がかっとなって掴みかかってきた。次の瞬間、花輪をくわえた鷹が広間に入ってきた。鷹はなんの躊躇もなく、義母の頭を蹴り飛ばす。義母は悲鳴をあげてその場に倒れた。鷹は華代の肩にとまって、花輪を差し出してくる。花輪には、永正からの祝辞が添えてあった。――おめでとう。しあわせにな。
「永正様……」
華代は花輪をぎゅっと抱きしめた。政次は、頭から血を流す義母を見下ろして冷たく告げる。
「金輪際、私の妻は万津家とは縁を切らせていただく」
「な……あなたが決めることではないでしょう!」
「私の家族は、政次さまだけです」
華代はそう言って、政次に寄り添った。心の中で、こう付け足す。そして、政近さまも。
かつては万津家の人々に愛されたいと願った。だけど、今は違う。華代はありのままでいられる居場所を見つけたのだ。政次と顔を見合わせて、柔らかい笑みを浮かべる。義母はわなわなと唇を震わせて、走り去っていった。華代は畳についた血を見て罪悪感に襲われる。いくら嫌な相手といっても、手当だけでもするべきだっただろうか。義母を追おうとしたら、政次が肩に手を置いた。余計な情をかけるなとでも言うように、かぶりを振る。志保に言われた言葉が、脳裏に蘇る。悪いものは、断ち切るべきだ。
祝言の儀を終えたあと、華代たちは庭に降りて、写真撮影をした。舶来物だという写真機の前に立った志保が手を上げる。
「はーい、笑ってくださ〜い」
華代は政次の隣でとびきりの笑顔を浮かべた。陽光に照らされた庭に、ぱしゃり、という音が響いた。
おわり。
「踏んで割ってしまった。にかわで直したが不格好だ」
「いえ、見つかってよかったです」
華代はそっとかんざしを受け取った。よく見なければ、割れあとは目立たない。彼はほっと息を吐いて、話題を変えた。
「祝言を開かないか」
「祝言、ですか?」
祝言は、政近とも開いていない。それに、神野家はもはや政次だけだし、招くような人がほとんどいない。父はまだ入院しているし、義母が来るとも思えないのだ。沙代は行方不明だし……。そんなことを思っていると、政次は気まずそうに口を開いた。
「おまえの妹のことだが……」
「沙代が見つかったんですか?」
政次はかぶりを振った。帝都からいなくなったとは考えられないので、部下に探させてはいるらしい。沙代が土蔵に盗みに入った、という話はすでに聞いていた。政次は華代が傷つくと思って、その事実を黙っていてくれたのだ。華代は一方的に政次を責めたことを反省した。お嬢様育ちの沙代に、居候など耐えられるはずがなかった。もっと気にかけるべきだったのだ。
治療院にもすがたを現さないし、今どこで何をしているのかわからなかった。このまま生き別れてしまうのだろうか。うつむいた華代の頬に、政次が触れた。
「生きてれば、きっとどこかで会える」
「……はい」
半月後、祝言の日がやってきた。梅雨時にもかかわらず、空は晴れ渡っている。白無垢を着た華代を見て、志保が涙を浮かべていた。
「とてもおきれいです、華代さま」
「ありがとう、志保」
華代は姿見に自身を映した。誰と比べる必要もない。立派な花嫁姿だ。母様にもこのすがたを見せたかった。神野家の広間には、緋毛氈が敷かれ使用人たちが集まっている。彼らの並んでいる先には、袴姿の政次が立っていた。華代はそちらに歩いていく。三々九度を済ませたころ、玄関のほうが騒がしくなった。現れた人物を見て、華代は顔を曇らせた。
「お義母様……」
着飾った義母は花を手に、笑みを浮かべている。彼女がこちらに近づいてきたので、華代は思わず顔をこわばらせた。一体どこから聞きつけたのだろう。
「おめでとうございます。華代さん」
「ありがとうございます」
華代は花を受け取ろうとしたが、義母は華代のそばを通り過ぎ、政次に花を渡した。政次は花を受け取って、それを無造作に志保に渡した。義母は不満げな表情を浮かべたあと、今まで無視していた華代にすり寄る。
「これからは仲良くしましょうね、華代さん」
「……え」
「沙代が突然いなくなってしまって。旦那さまもあんな状態だし、華代さんが頼りなのよ」
「……それはできません、お義母さま」
その言葉に、義母は血相を変えた。華代の結婚を素直に祝福してくれるのなら、嬉しいと思えた。しかしこの人は神野家のお金が欲しいだけなのだ。そんな人と、縁を繋いで置きたいとは思えなかった。きっと、絶縁の手紙を書いたときに、こうなることは決まっていたのだ。義母は猫撫で声をやめ、一転華代を糾弾する。
「ちょっと調子に乗っているんじゃなくて。神野家に迎えてもらったからって、おまえが偉いわけではないのよ」
「わかっています、お義母さまを見ていたので」
冷静に答える華代に腹を立てたのか、義母がかっとなって掴みかかってきた。次の瞬間、花輪をくわえた鷹が広間に入ってきた。鷹はなんの躊躇もなく、義母の頭を蹴り飛ばす。義母は悲鳴をあげてその場に倒れた。鷹は華代の肩にとまって、花輪を差し出してくる。花輪には、永正からの祝辞が添えてあった。――おめでとう。しあわせにな。
「永正様……」
華代は花輪をぎゅっと抱きしめた。政次は、頭から血を流す義母を見下ろして冷たく告げる。
「金輪際、私の妻は万津家とは縁を切らせていただく」
「な……あなたが決めることではないでしょう!」
「私の家族は、政次さまだけです」
華代はそう言って、政次に寄り添った。心の中で、こう付け足す。そして、政近さまも。
かつては万津家の人々に愛されたいと願った。だけど、今は違う。華代はありのままでいられる居場所を見つけたのだ。政次と顔を見合わせて、柔らかい笑みを浮かべる。義母はわなわなと唇を震わせて、走り去っていった。華代は畳についた血を見て罪悪感に襲われる。いくら嫌な相手といっても、手当だけでもするべきだっただろうか。義母を追おうとしたら、政次が肩に手を置いた。余計な情をかけるなとでも言うように、かぶりを振る。志保に言われた言葉が、脳裏に蘇る。悪いものは、断ち切るべきだ。
祝言の儀を終えたあと、華代たちは庭に降りて、写真撮影をした。舶来物だという写真機の前に立った志保が手を上げる。
「はーい、笑ってくださ〜い」
華代は政次の隣でとびきりの笑顔を浮かべた。陽光に照らされた庭に、ぱしゃり、という音が響いた。
おわり。
