座敷牢の花嫁


 
華代と松韻を乗せた車は大通りをしばらく走ったあと、細い道に入った。進むにつれて、だんだんと人通りが少なくなっていく。駅に向かうのではなかったのだろうか。松韻を伺うと、彼はちょっと寄りたい場所があるんや、と笑みを浮かべた。誰か知り合いでもいるのだろうか。車は長屋のそばで停車した。華代は、車から降りて長屋を見あげる。この建物には見覚えがあった。入口には釘が打ち付けてあり、あちこちに焼け焦げたあとがある。

「ここは……」
「僕の生家や」
松韻はのんびりと言って、打ち付けられた釘を剥ぎ取り、長屋の中に足を踏み入れた。彼は西の宮の城で産まれたのではないのか? 華代は躊躇した後、彼のあとに続く。長らく放置されたのだろう、室内の空気は暗くて澱んでいた。松韻は、懐かしいなあ、と言いながら室内を見回している。この長屋には、貧しい母と息子が暮らしていた。その子は女の子のような顔をしていて、千代紙が大好きだった。――かよちゃん。ちよがみ、あげるわ。長屋の男の子と松韻の横顔が重なって、はっ、と息を飲んだ。

「ちよ、ちゃん?」
「うん。やっと思い出したんや」
彼は穏やかに笑みを浮かべる。しかし、目の奥は笑っていなかった。後ずさる華代に、松韻がゆっくり近づいてくる。限界まで離れようとして壁に背中がつくと、顔を寄せて囁きかけてきた。
「うちのおかんは、西の宮の芸者だったのを城主に見初められた。僕を取り上げられそうになって、帝都に逃げてきたんや」
 しばらくは親子二人、静かに暮らしていたのだという。しかし、その平穏は長くは続かなかった。

「おかんは火事で死んだんや。君の妹が付け火したせいでな」
「ご、めんなさい」
「なんで君が謝るん? 何にも悪くないのに」
だが、華代は何もしなかった。紗代の行為を放置した華代を、松韻はきっと恨んでいるはずだ。華代は、またごめんなさい、と頭を下げた。彼はじっと華代を見つめて、口を開く。
「火付けは重罪や。罪を償わないとあかん」
「え……」

木の枝が壁を貫いて、華代の腕に絡みついてきた。華代はギョッとして、松韻を見る。まさか、異能者? しかも華代と同じ植物系だ。必死になって、枝をほどこうとした。しかし、枝はますます絡みついてくる。そのとき、彼の手のひらから種が溢れ落ちた。これは、朝顔の種……。朝顔の記憶が、脳裏に蘇ってくる。ああそうだ、あの傘の柄は、蛇だった。
「あの火事の日まで、僕は普通の人間やったんやで。この力は華代ちゃんがくれたんや」
華代は朝顔を小屋の前に置いた。せめてもの罪滅ぼしに──。まさか、それをきっかけに異能が発現したというのか。じゃあ、政次を殺したのは。鼓動を鳴らす華代を見て、松韻は薄く笑みを浮かべている。

「君は特別な存在。政近なんかとは違って本物の神の子や」
「政近さまに、何をしたの」
この人が政近を殺したのか。仲がいいと言っていたのに、どうして。
「政近が、君の名前を出すからびっくりしたわ。君は死んだって聞いとったから」
「どうして、政近様を」
「君は僕のものや。あんなやつには渡さへん」
 執念を感じさせる声に、ぞくりと身体が震える。政次の言葉は間違っていなかった。この男は危険なのだ。松韻は待っててな、とささやいた。あの女を殺してから、君を迎えに来るわ。その直後、目の前が暗くなった。木の枝が繭のように、華代の身体を覆い尽くして行く。
「松韻さま!」
伸ばした手は届かなかった。松韻の足音が去って行く。華代は必死になって、木の枝を解こうとした。きっと、松韻は紗代を亡き者にする気だ。木の枝でできた籠を、叩いた拳に血が滲む。なぜ異能が発現しないのだ。いらぬときにばかり、華代を苦しめるくせに。必死に木の壁を叩いていると、脳裏に声が響く。

──どうして、必死になる必要があるの。脳裏に響いた声に、はっ、と手を止めた。
──あの娘は、おまえをくるしめた。忘れたの?
 紗代は、華代を召使いとして扱った。機嫌が悪い時は、ものを投げつけられた。沙代が味噌汁をこぼしたのに、華代のせいだと言いつけられて、食事を抜かれた。だが死んで欲しいと思ったことはない。できるなら昔のように、仲良くしたかった。だって、たった一人の姉妹なのだから。死んでしまったら、華代の望みは二度とかなわない。
「紗代は、私の妹よ」

これが私の力だというなら、制御しなければならない。華代はギュッと指を組み合わせた。お願い、私をここから出して。華代は籠状になっている木の枝に、手のひらを押し当てた。この力は、人を傷つけるためにあるわけじゃない。植物を人を殺すために使って、いいはずがない。華代の身体が光り輝いて、周囲を覆い尽くしていた木の枝が解けた。華代は枝をかいくぐり、急いで外に出る。そうして、万津家に向かって走り出した。
 屋敷が近づくと、地面が揺れ始め、どおん、という轟音が響く。華代ははっ、と顔を上げた。木の枝が天に向かって伸びている。力が暴走しているのだ。人々が、悲鳴を上げて逃げて行くのが見えた。親とはぐれたのだろうか、幼い男の子が泣いている。その泣き声につられたのか、獲物を探すように蠢いている木の枝が男の子に襲いかかった。華代はとっさに、彼に覆い被さった。

「華代!」
政次の声がしたと思ったら、刀がひらめいて木の枝を切り裂いた。パラパラと木屑が地面に落ちる。華代はホッとして、男の子を見下ろす。
「大丈夫?」
「翔太!」
母親らしき女性が、血相を変えて走ってくる。男の子は華代の腕をすり抜けて、母親のところに走って行った。よかった……。政次は安堵している華代を立たせる。
「早く逃げろ。あれは俺が処理する」
「ダメです。きっと政次さまには止められない」
「あれが何かわかっているのか」

華代は頷いて、松韻が持っている異能について話した。政次は驚愕の表情を浮かべている。
「あいつが、異能者……」
「妹の命がかかってるんです。私も行きます。お願いします」
政次は眉を寄せたあと、頷いた。万津家の屋敷は惨憺たるありさまだった。家屋は暴走した枝木によって破壊されている。父が下敷きになっているのを目にし、華代ははっ、として駆け寄る。崩れた木材をのけると、父は呻き声をあげ、虚な眼差しでこちらを見上げてきた。
「なぜお前が……」
「お父様、紗代はどこですか」
「茶室だ。恵利と一緒にいる」

華代は政次と共にそちらへ向かった。茶室は硬い木の枝によって覆われていた。政次が斬りつけたが、びくともしない。松韻の意思によって操られているのだ。華代は木の枝に覆われた扉の向こうに声をかける。
「松韻さま、入れてください」
「華代ちゃんだけならええよ」
政次はかぶりを振ったが、華代は了承した。その直後、木の枝がしゅるりと解けた。華代はごくり、と喉を鳴らして茶室に足を踏み入れる。茶室の中は、ひどく荒らされていた。茶碗が割れ、畳の上にひっくり返った茶釜は湯気を立てている。部屋の中央では、松韻に刀を突きつけられた紗代が身体を震わせていた。恵利は、畳の上に倒れている。華代は、恵利に駆け寄って息をたしかめた。生きているとわかってホッとする。しかし、茶室は木の枝の重みに耐えられず、ミシミシと音を立てている。このままでは……みんな下敷きになってしまう。

「松韻さま、紗代を解放してください」
「なんで? この女は君を苦しめたやん」
「それでも、私の妹です」
紗代がはっ、とこちらを見た。松韻はじっと華代を見つめ、口を開いた。
「君が僕と来るなら、解放したる」
「……分かりました」
紗代の命がかかっているのだ。今は彼の言うことを聞くしかないだろう。松韻は刀を下ろして、紗代を突き飛ばした。華代の腕を掴んで、茶室の外に出る。次の瞬間、茶室が音を立てて崩れた。
「紗代!」
「いい気味やな」

せせら笑う松韻を見て、目の前が真っ赤になった。この男は、華代のためと言いながら、華代の力を使って周りの人を傷つけて楽しんでいる。私の気持ちなど、何一つ考えてはいないのだ。その直後、茶室に絡みついていた木の枝が、松韻に襲いかかる。松韻の身体が弾き飛ばされた。華代は刀を拾い上げ、呆然とする彼に近づいて行った。頭の中に、父や紗代の声が響く。
──おまえは化け物だ。
──母親を殺したんでしょ。怖いわ。
私は化け物なんだ。だから……同じ化け物を退治しなきゃならない。政次が振り下ろされた刀を受けた。
「華代、よせ」
「どいてください、政次さま」

「この男には相応の罰が降る。おまえが何かする必要はない」
政次は松韻が憎くないのだろうか。政近を殺したのは彼なのに。どうしてそんなに冷静でいられるのか、華代にはわからなかった。本当は、政近が死んでよかったと思っているから? 華代は声を震わせた。
「政次さまは、私を危険だからと座敷牢に閉じ込めました」
「……それは、すまなかった」
「謝らないでください。その代わり、松韻さまを斬らせてください」
政次は振り向きざまに、松韻を斬りつけた。松韻はものも言わずに、その場に倒れ込む。政次は息を飲んだ華代の手から、刀をそっと抜き取る。

「おまえに刀は似合わない」
「……っ」
華代は政次にしがみついて涙を流した。
 その後、茶室の下から紗代と彼女の母親が救い出された。父親も含め、万津家の人々はみな治療院に入院することになった。政次はしばらく事後処理に追われるそうだ。あの日以来、話ができていない。政次に人を斬らせたことを、謝らなくてはならないのに。
華代は花束を手に、治療院に向かっていた。病室に向かうと、寝台の上でぼんやりしていた紗代がこちらを見た。美しい顔に巻かれた包帯が痛々しい。
「……華代、姉さん」
「具合はどう?」
「私は平気。でも、母さまが目覚めないの」
紗代は暗い表情でつぶやいた。紗代の母親は、見つかったとき紗代に覆い被さっていた。冷たい人に見えたが、やはり我が子は大事なのだろう。屋敷もあんなことになってしまって、きっと不安だろう。華代はあえて明るい声を出した。

「退院したら、うちに来るといいわ。政次さまはあまり帰ってこないし」
「そんな。悪いわ」
「遠慮しないで」
紗代の持ち物は全てダメになってしまったし、着替えなんかも用意しなくては。神野家に戻った華代が紗代の部屋を整えていると、志保が不満げな表情を浮かべているのに気づいた。
「どうしたの? 志保」
「華代さま、本当に妹様を受け入れるのですか?」
「大丈夫よ、紗代は私が世話をするし。志保には迷惑をかけないわ」
「そういう問題ではなくて……」

不思議そうな顔をする華代を見て、志保はハア、とため息を漏らした。大丈夫だ。きっと、沙代と姉妹に戻れる。数日後、紗代が神野家にやってきた。使用人たちに紹介したが、なんとなく白けた雰囲気が漂っている。部屋に案内し、お茶を運んでいく。足袋を履いていた紗代が悲鳴を上げた。
「紗代、どうしたの?」
「む、ムカデが……」
どうやら足袋の中にムカデがいたらしい。華代はムカデを摘んで庭に逃してやった。紗代は震えながら、華代を睨みつける。
「わ、わざと入れたんでしょう」
「え? いえ、違うわ。夏だから、開けたところから虫が入ってくるのよ。それよりお茶を……」
「いいから出て行って!」

紗代は華代に部屋を追い出された。それ以来、紗代は部屋にこもりきりで、出された食事にも手をつけようとはしなかった。華代は手付かずの食事を見てため息を漏らす。毒が入っているとでも思われているのだろうか。一緒に食べたらいいだろうかと声をかけたが、無視された。おろおろしている華代を見て、志保が醒めた口調で声をかけてきた。
「放っておいたらどうですか?」
「でも……」
「華代さま。世の中には情をかけたところで無駄な人間もいます」
彼女の言葉には、妙な実感がこもっていた。このまま食事をしなかったら、身体を壊してしまう。どうすればいいのだろう。紗代の残した食事を食べていたら、政次が帰ってきた。

「お帰りなさい」
「ああ。こんな時間に夕飯か」
「紗代が食事をしようとしなくて」
政次は、1日や2日食べなくても死なない、と言った。確かにそうかもしれないが、少し冷たいのではないかと華代は思う。上目遣いで見ていたら、彼がため息をついた。
「わかった、俺が話をする」
華代はぱっ、と顔を明るくした。よかった、政次さまに相談して。紗代は政次に好意を持っているようだし、華代よりはうまく心を開いてくれるはずだ。華代の笑顔を、政次はどこか昏い目で見ていた。

 ★
 
虫の声が闇に響いている。深夜0時を過ぎた頃、土蔵に細身の人影が見えた。その人物は土蔵の扉を押し開け、すり抜けるようにして中に入り込む。何かを探すように、暗い内部に灯りがちらついていた。その灯りが一点で止まった瞬間、政次は声をかけた。
「何か探しているのか?」
そこにいた人物が、はっ、と息を飲んで振り向いた。青ざめたまま立ち尽くしているのは、紗代だった。政次はゆっくりと彼女に近づいて行く。鯉口を切ると、紗代はごくりと唾を飲んで後退した。紗代が抱えているのは、どうやら掛け軸らしい。政次は工芸品には興味がないが、神野家は旧家なので価値のある品がいくつもしまってあるはずだ。夜中に部屋を抜け出すのが見えたから、何かと思えば。政次は皮肉な笑みを浮かべた。飯を食う元気はないが、盗みを働く余力はあるらしい。華代のように、紗代の改心を信じていたわけではない。ただ、あまりの恩知らずぶりに失望していた。警戒心をあらわにする沙代に、冷たい声を発した。

「何を持っていっても構わない。その代わり金輪際、華代の前に現れるな」
「……あんな女の何がいいの?」
紗代は声を震わせた。
「自分の母親を殺した化け物なのよ!」
 抜刀に時間はかからなかった。刀が空を斬る音ののち、からん、と空虚な音が響く。刃が切り捨てたのは、紗代ではなく掛け軸の箱だった。紗代は真っ二つになった箱を見下ろし、悲鳴を上げて逃げ出した。刀を鞘に戻すと、疲労感がどっと押し寄せてくる。自分も華代もあんな女とは、もう関わらなくて済むのだ。政次は、地面に落ちている箱を拾い上げた。すでに火の落ちている厨に向かい、焚き付けに箱を放り込んだ。

 ☆

 万津沙代は帝都の端をうろついていた。周囲は大名屋敷が並ぶ中心とは違い、どこかうらびれた雰囲気が漂っている。ボロボロの身なりをした彼女に、ちらちらと視線が飛んでくる。思い切り舌打ちしたら、視線をそらされた。なんなのだ、あの目は。まるで野良犬でも見るかのような眼差し。あの連中は、華族でも大名家でもない。憐れむような顔をされる謂れはない。質屋に入っていき、カウンターの上に盗んだ品を置く。新聞を読んでいた店主はちらりとこちらを見たが、そっけない声で告げる。

「買えないね」
「どうして」
「うちは盗品は扱わないんだよ」
 なぜ盗品だとバレたのだろう。沙代は唇を噛み締めて、カウンターを叩く。
「これは私のものよ。言いがかりはよしなさい」
「そっちこそ、しつこいと警備隊を呼ぶぜ」
 店主はそう言って受話器を取った。沙代は唇を噛み締めて店を出る。別にここにこだわる必要はない。盗品を買う店なんて、いくらだってあるだろう。屋台からいい匂いが漂ってきて、腹がぐうっと鳴った。長い間、何も食べていない。屋台から足早に離れようとすると、制服を着た男たちが視界に入ってきた。沙代ははっと顔をこわばらせる。警備隊だ。質屋の店主が呼んだのだろうか。急いで背を向けて、路地に入っていく。ちょうど、前からやってきた男にぶつかった。

「どこ見てるのよっ」
 殺気立って顔をあげた沙代は、ハッと息を飲んだ。目の前にいたのは、屋敷を襲った男だった。どうしてこの男が。死んだはずじゃなかったの。沙代は身体を震わせて、ふらふらと後ずさる。
「おい、あんた大丈夫か」
 彼が手を伸ばしてきたので、沙代は悲鳴を上げた。その手を振り払って、走り出す。どうなっている。あの男は死んだはずだ。警備隊が沙代を指さして叫んでいる。どいつもこいつもうっとおしい。どうしてみんな、私の邪魔をするの。みんな死んでしまえばいいのだ。
 大通りに飛び出した瞬間、ガラガラという音が近づいてきた。振り向くと、馬車が面前に迫っていた。避ける間もなく、身体が跳ね飛ばされる。周囲の人々が悲鳴を上げた。集まってきて騒いでいる。
 どうしてこんなことになったのだろう。私は美しくて、なんでも手に入れられるはずだったのに。眼の前が暗くなるのを感じながら、沙代はゆっくりと目を閉じた。