座敷牢の花嫁

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 政次は自室で書類を読んでいた。軍部の書庫に保管されていた、異能者についての報告書だ。力が暴走して、その場で処刑されたものについて書いてある。あまりに力が強いと、意図せずに力を発動してしまうようだ。華代もおそらく、自分の力を制御できていない。その方法が見つかれば、彼女も少しは安心できるのではないか。書類を読み進めていると、志保が食事を運んできた。華代はどうしているかと尋ねたら、ため息をついてかぶりを振った。あの日以来、華代はほとんど部屋から出てこない。彼女の顔を見ていないと、食事が味気ない気がした。義務的な気分で箸を進めていると、志保がむっとした表情でこちらを睨んでいるのに気づいた。
「……なんだ」
「なぜ華代さまを放っておかれるのです」
 構われたくないだろうと思ったのだ。こういう時にどうしていいかよくわからない。兄ならうまく対応できるなのだろうか。志保には心を開いているように見えたが、彼女にも会おうとしないらしい。食事にもほとんど手をつけていないそうだ。志保は不安げに尋ねてくる。

「何があったんですか?」
 政次の説明を聞いた志保は怒り心頭で顔を赤くした。
「殺してきてもいいですか」
「落ち着け」
 本当に殴り込みに行きそうだったので、腕を掴んで落ち着かせる。
「どうして華代さまがそんな目に遭わなければならないんです」

 志保は顔を覆って泣き始めた。万津家での扱いもひどいもののようだった。あれだけの力を持ちながら、痛めつけられてしまう。その気になればどんな相手だろうが殺せるだろうに。井原という男は、華代の力の恐ろしさをわかっていない。もし華代の力を、加減を知らぬものが持っていたと思うとぞっとした。
 迎えの車に乗り込むと、二階のカーテンが揺れた気がした。しかし、華代のすがたは見えなかった。ため息を漏らして車に乗り込むと、水野が声をかけてくる。
「お顔の色が冴えませんね」
「……華代が部屋から出てこない」
「そういえば、最近お見送りに来られませんね」

 畑にも行っていないようで、すっかり荒れ果ててしまっている。その様子が忍びなく思えて、代わりに政次が世話をしていた。農作業は地道で、刀を振るのとは違う疲労感を覚える。俺が異能者ならば、華代の苦しみをわかってやれるのだろうか。人の心を読める異能者はいるのだろうか。その力がほしいと思った。華代が何を思って、悩んでいるのか知りたい。
 窓の外を眺めていると、物乞いをしている少年が視界に入り込んできた。そのすがたが自分に重なる。住む家があって飢えることがなければ、それで満ち足りると政次は思っていた。だが違うのだ。人間には尊厳というものがある。華代は人としての尊厳を奪われて生きてきた。政近との結婚では、それを取り戻すことはできなかったのだ。
 考え込んでいる間に軍部にたどり着いて、車から降りる。建物に向かおうとすると、水野が話しかけてきた。

「政次さまは感情を表に出さない方です。それはご立派ですが、華代様はあなたの心のうちを知りたいのではないですか」
「……俺の心?」
「相手を知るには、自分のことを知ってもらわなければなりません」
 自分の心などよくわからない。今まで異能者を狩り、兄の立場を守ることがすべてだった。兄を失って、政次も生きる意味を失った。そういう意味で自分と華代は同じなのかもしれない。政近という存在が、自分と華代を結んでいるのだ。帰宅した政次は華代の部屋の戸を叩いた。
「華代、いるか」
 呼びかけると、少しだけ戸が開いた。
「少し歩きにいかないか」

 彼女はいいえ、と小声で返事をした。外に出ればあの男と顔を会わせるかもしれない。それが恐ろしいのだろう。怖いのなら戦えばいい。部下にならそう言っただろう。だが華代は軍人ではない。異能者ではあるが、普通の人間だ。政次は戸の前に腰をおろした。ふっと水野の言葉が脳裏に蘇ってくる。自分の心をさらさなければ、相手は心を許さない。
「俺は神野家の外で育った」
 返事はなかったが、こちらの話を聞いている気配がした。
「父は俺に、兄を守れと言った。だが兄は断ったんだ」

 今思えば、兄は自分が命を奪われることを予想していたのかもしれない。脅迫状が届くこともあっただろう。しかし、彼は表には出さなかった。政近はそういう人間だ。政次を頼りにしているような顔をして、助けてくれとは言わない。父が死んだとき、政次は悲しまなかった。兄が当主になるのだという感想しか抱かなかった。兄は泣いていた。思えば彼が泣くのを、あの時初めて見たかもしれない。兄も人間なのだと思った。兄の訃報を受けたとき、政次は軍部にいた。政近が死んだという電報を受けても、実際に遺体を見るまでは実感がなかった。――そうだ。俺は、悲しかった。兄が死んだとき、泣きたかった。政近は政次にとって、当主でもなく、国主でもなくたった一人の兄だった。

「さみしいんだ、兄さんがいなくなって」
 政次はつぶやいた。口に出してみて、自分の感情がやっとわかった。たった一人の華族を失って、政次は悲しかった。扉が開いて、華代がおずおずと外に出てきた。目の下にはクマがあった。少し痩せたようにも見える。しかし、痛々しかった頬の腫れはかなり引いている。政次は微笑んで、彼女の手を取った。手をつないだまま西日がさしている庭を歩く。最近暑い日が増えてきた。もうすぐ夏が来る。華代が好きだと言った夏が。政次は、つる科らしき植物を指さしあれは何かと尋ねた。華代は消えそうな声で答える。
「テッセンです。政近さまはあの花がお好きでした」
「そうか」
 白や薄紫のテッセンを眺めていると、華代が突然立ち止まり、ぽつりと口を開いた。

「政次さまは、怖くはないのですか」
 振り向くと、彼女はじっとこちらを見つめていた。その瞳には、いつもとは違う暗さがにじんでいた。
「あの男より俺の方が強い」
だから、俺が守ってやる。そう言おうとした。だが、華代はじれったそうにかぶりを振った。
「私は異能者です。母も私のせいで死んでしまった」
 華代が思い悩んでいる原因は、それかと政次は思った。母の命を奪ったというその事実が、まるで呪いのように彼女を苦しめている。おまえのせいではない、と言うのはあまりに無責任だろう。

「……なら制御したらいい」
「制御?」
「俺達も、無闇に刀を振りはしない。技術がなければ、武器は使えない」
 異能は刀と違って実体がない。口に出しては見たものの、そう簡単な話ではないだろう。しかし、これは華代が乗り越えるべき問題だ。政次は、懐から出したものを華代に手渡した。華代はハンカチに包まれたものを受け取る。はらりと開くと、秋桜のかんざしが出てきた。華代ははっとして、政次を見た。まじまじと見つめられて、照れくさくなって目をそらす。
「俺が好きで買った。いらなかったら捨てろ」
 彼女の瞳から、ぽろりと涙がこぼれ落ちた。政次はぎょっとして華代の顔を覗き込む。
「どうした」

 もしかして、どこか痛むのだろうか。手を伸ばし、そっと涙を拭い取る。華代はかぶりを振って、かんざしをつけた。季節外れの秋桜が西日に照らされてきらりと光る。とてもきれいだと思った。コスモスは野に咲くことで、その美しさを発揮する。だがこの花を独り占めにしたい、という感情が湧き上がってくる。
「似合いますか?」
「ああ、似合う」
 華代は笑みを浮かべて、ありがとうございます、と言った。神野家の庭に風が吹く。春は過ぎ去り、夏の気配が漂い始めていた。

 窓を開けると、5月の爽やかな空気が入り込んできた。華代はその空気を吸い込んだ。こもりきりだったせいで、部屋はほこりっぽい。朝食を終えたら掃除をしなくては。あと畑に行って……数日間何もしていなかったので、やることはたくさんある。身支度を整えたあと、鏡に向かう。頬や目元にはまだアザがあったが、気にせずに秋桜のかんざしをつけた。政次は似合う、と言ってくれた。今までだったら、華代を励ますためなのだろうか、と思ったかもしれない。だけど政次はきっと、嘘はつかない。それが華代の自信になった。厨に向かうと、志保がぱっと顔を明るくする。
「おはようございます」
「おはよう。ごめんね、心配かけて」
「いえ、私は華代さまが元気ならそれでいいんです」
 この家には、華代を心配してくれる人がいる。そのことがありがたいと思った。食事の用意を手伝っていると、志保がささやきかけてきた。
「華代さま、そのかんざし素敵ですね」
「あ……政次さまにいただいたの」
 顔を赤くする華代を見て、志保はにやにやと笑っている。からかわれる気配がしたので、急いで政次の食事を持って、彼の部屋に向かった。伺いを立てる前に、襖が開いた。すでに着替えを終えた政次が、華代を見て瞳を緩める。
 華代は政次に笑いかけた。

「おはようございます、政次さま」
「ああ」
 今日はフキの煮物と、玉ねぎの味噌汁を作った。朝食をとりながら、政次が話しかけてくる。
「今日、用事がなければ軍部に来ないか」
「軍部に、ですか」
「ああ。異能者の研究をしているやつがいる」
 その人物に協力しつつ、制御する方法を見つけてはどうかというのが政次の提案だった。その提案はありがたいが、どんな人なのか不安だ。軍部には異能者を差別するものも多いだろう。華代の表情からその不安を読み取ったのか、政次が手に触れてきた。包み込むような温もりにどきりと心臓が跳ねる。政次は穏やかにこう言った。
「大丈夫だ。俺もついていく」
「は、はい」
 政次が一緒だと思うと、不安がすうっと消えていった。
 華代は車の窓から見える建物を見上げた。レンガ造りで、帝都の駅よりも大きく見える。これが帝国軍の本部。中が見えないようにだろうか、塀は高く、拒絶されているような気がする。政次が門をくぐると、そこに立っていた軍人が敬礼をした。華代は軍人に会釈をして、足早に政次についていく。門の正面には、案内板があった。建物が何棟かあって、訓練所もあるようだ。入ってはいけない場所もあるだろうし、はぐれたら大変だ。ちゃんと政次についていかないと。そう思っている間に、彼はさっさと歩いていく。華代は慌てて政次のあとを追った。

 政次はいくつかの建物を通り過ぎて、「異能特捜課第三支部」と書かれた建物に入っていく。軍に女性がいるのが珍しいのか、視線が集まってくる。それとも、異能者だとバレているのだろうか。居心地が悪くて、華代は政次の後ろに隠れた。えーっ、という声が聞こえてきたので振り向くと、軍服に白衣を羽織った青年が立っていた。眼鏡をかけていて、髪色が妙に明るい。異国の人なのだろうか。彼は足早にやってきて、早口でまくし立てた。

「政次くんが女連れなんてびっくり。どこで引っ掛けたのさ」
「妻の華代だ」
「妻あ!?」
 素っ頓狂な声に、政次が顔をしかめた。青年の声が大きいので、余計に視線が集まってくる。華代はますます身を縮こませた。神野隊長の妻だってさ。ええ? あの人恋愛なんてするのか。いや、政略結婚じゃないのか。だって、なあ……。ひそひそと囁かれる声に顔が熱くなる。青年は顔を寄せてきて、まじまじと華代を眺めた。距離の近さに思わず身を引く。目が悪いのだろうか。
「政次くんって、結構普通の趣味なんだ。異能特捜課第三支部研究科の吉見(よしみ)です、よろしくー」
「おまえは声がでかすぎる。研究室で話せるか」

 政次は握手を求める吉見を華代から引き剥がし、不機嫌に尋ねた。吉見はこっちだよーと言って歩き出す。華代たちは「研究室」と書かれた部屋に通された。椅子に腰掛け、物珍しい気分でキョロキョロと部屋を見渡す。室内には、見たこともないものがたくさん置かれていた。棚には大量の薬瓶が置かれており、生き物の剥製もある。長い机にはガラスでできた実験器具らしきものがずらりと並んでいた。吉見は実験器具でお湯を沸かし、お茶を淹れてこちらに差し出してきた。飲むべきかどうか迷っていると、政次がそれをどかした。華代は内心ほっとする。
「それで、話ってなに?」
 吉見の問いに、政次は簡潔に答える。
「華代は異能者だ」
「へえ。何系?」

 政次はあたりを見回し、窓際に置いてあった植木鉢を手に取った。それを華代に差し出してくる。華代は植木鉢を受け取って、しゅるしゅるとつるを伸ばした。吉見がほお、と身を乗り出してくる。そういう反応は初めてだった。華代の能力を見たものはたいてい腰を抜かすか、嫌悪感をあらわにする。政次は能力を危険視して華代を軟禁した。吉見からは敵意を感じない。純粋に、異能を面白がっているようだ。
「植物系ね。そういやさ、君の兄さんを殺したのも植物系じゃなかった?」
 華代は吉見の言葉に身体をこわばらせた。政次は無表情で言葉を返す。
「華代は関係ない」
「なんでそう言い切れるわけ?」
「いいから調べてくれ」
「相変わらずだなあ……あれ、怪我してる?」
 吉見が華代の頬に触れようとしたので、政次が彼を押しのけた。吉見は何すんのさ、と不満げな声を漏らす。
「無闇にさわるな」
「調べてくれって言ったじゃん」
「できるだけ触らずに調べろ」

 えーっ、と唇を尖らせて、吉見はしぶしぶ手を引いた。彼はルーペを取り出して、華代を観察する。腕を見せろと言われて、袖をまくって差し出した。
「身体から植物が生えてる様子はないねえ」
「身体から?」
「うん。植物系は力が強いからねえ。たまに異能に負けて、喰われるやつがいる」
 華代はハッとした。喰われるという表現は政近の遺体にぴったり当てはまる気がした。吉見はめざとく華代の反応を見ていたらしく、目を細める。
「政近くんのこと考えてる? 彼は異能者じゃないよ。調べてほしいって、一回ここに来たことあるんだ」
「兄が?」
 政次は初めて聞いたという表情を浮かべていた。華代も知らない話だ。

「そう。彼は猫に変化する体質らしくって。動物系の異能じゃないか調べたんだよね」
「私も、政近さまが猫になるのを見ました」
 華代の言葉に、吉見がへえと相槌を打つ。
「女の子を抱きしめると猫になるって言ってたけど」
 華代は動揺して目を泳がせた。政次がかすかに身動ぎする。吉見は政次と華代を見比べて、ふーんとつぶやく。
「二股かあ」
その言葉に胸が痛くなる。政次との暮らしの中で、恩人である政近を忘れていく自分はやはり罪深いのだろうか。

「華代は兄と結婚していた。成り行きで俺が妻にとった」
 政次が無表情で説明すると、吉見が目を丸くする。
「えーっ。なんかそれ倒錯的だねえ」
「そんなことはどうでもいい。それで、兄はどうして猫になるんだ」
「呪いだよ」
 華代と政次は呪い?と声をあわせた。吉見は眼鏡を外して、白衣の袖で拭いた。思わずハンカチを差し出したが、彼は大丈夫、と言って眼鏡をかけ直す。あれで汚れが落ちるのだろうか。吉見は机の引き出しから書類を取り出した。それをこちらに差し出してくる。政近は何か言いたげにしていた。部外者に書類を見せるべきではないと思っているのかもしれない。華代は政次の視線を感じつつ、書類を受け取った。人の形が描かれていて、胸のあたりに黒い斜線が付け加えられている。吉見は斜線部分を指差して説明する。

「政近くんの身体にはあざがあった。彼によると生まれつきらしいんだけどさ」
「そんなこと、聞いていない」
 政次は青ざめているように見えた。君、何にも知らないんだねえと言われて悔しげな表情を浮かべる。政次は離れて暮らしていたのだから、無理もない。吉見は政次の様子には構わずに、華代に話しかけてくる。
「君は知ってたの? お嫁ちゃん」
「私は、その……着替えのときに、少し」
 華代は赤くなって足元に視線を落とした。恥ずかしくて目をそらしてしまったが、あの時追求していたらと思う。政次は華代をじっと見たあと、吉見に尋ねた。
「その呪いは、兄が死んだことと関係があるのか?」
「わかんない。死んだのは西の宮だし、遺体も焼いちゃってないんでしょ」

 吉見はお手上げだね、と手を広げてみせた。やはり政近が死の間際に一緒にいた人物を探すしかないのだろうか。研究所をあとにする華代たちに、吉見はまたねーと手を振った。門へと向かう間、政次は何も話さなかった。やはり、兄の秘密に衝撃を受けているのだろうか。声をかけようとしたが、何を言っていいのかわからなかった。彼は仕事があるから先に帰るように告げて、華代を車に乗せて去っていった。窓の外を眺める華代に、水野が話しかけてくる。

「なにかありましたか?」
「……水野さんは、政近さまの呪いについて知っていましたか」
「呪い……ですか?」
 水野はミラー越しに華代を見た。何かを知っている様子はない。政近は呪いについて、誰にも話していなかったのだ。東の空に黒い雲が見える。不安が蔓草のように心に絡みついていた。