しのさんを先頭に、両脇を双子達に固められ、居間に移動する。
畳数畳はあろうかという、一枚板の重厚な座卓に、隣同士で腰掛け、お茶を飲む光城様と宵様。
「お待たせいたしました。宵様と真澄さま」
「ああ、しの、ご苦……労」
光城様は宵様に身体ごと向けていたが、こちらを振り向くと息を呑む。
それだけでなく、宵様も湯呑みを口許にあてたまま固まった。
二人ともが黙ってしまったために、居間に妙な沈黙が満ちてしまった。
一向に動かない二人だ。冷や汗が噴き出してきた。
やはり、元の素材が平凡であるから、振袖の華やかさに埋没したように見えてしまったか。
言葉に詰まってしまうほど、目もあてられないのかもしれないな。
あらゆる手を尽くし飾り立てて頂いたしのさん、使用人さん達、双子達もすみません。
申し訳無さといたたまれない気持ちに襲われ、身を縮こまらせた時。
しのさんがわざとらしく咳払いをする。
「お二方は螢様の初々しさと可憐さに声を失ってしまいましたか? ですが、美しい女性を前に無作法ではございませんか?」
「……あ、えっと見違えたね。僕の見立てに狂いはなかったなー」
ひんやりとした笑顔と声のしのさんに、あははと首の後ろに手をやる光城様だ。
そして、宵様へ救いを求めるようにちらりと視線を投げる。
部屋中の視線を集めた宵様は、ゆっくりと湯呑みを茶托に置いた。
宵様は私の姿を頭の先から爪先まで眺めると、やっと口を開いた。
「螢が美しいのは当然だろ」
さらりと告げた言葉の衝撃に目を剥くことしかできない。
しかし、宵様は照れもせず、真面目な顔だ。
「は?」
さらにぎょっと顔を向けた光城様を睨み、あからさまに不機嫌そうに眉間へ深い皺を寄せ、舌打ちをした。
「だから俺は最低限でいいって言っただろ」
宵様はふい、と顔を背け、あぐらをかく太ももに片肘をつき口元を手で隠した。
ついに光城様もあんぐりと口を開く。しのさんだけがおかしそうにあらあらと口元を手で押さえた。
「そうだな! 宵様の言う通りだ」
「いつも美しいですよね!」
双子達の無邪気な賛同が宵様の言葉が現実だとしらしめる。
であれば、宵様がいつも私を「美しい」と思っているということで。
理解した瞬間、頭が爆発するかと思った。
恥ずかしさと嬉しさで頬が赤く染まっていく。
なんとなく生温かい空気に部屋が包まれてしまった。
「それでは、螢様は宵様のお隣へ」
「……は、い」
しのさんに誘導され宵様の隣へ裾をさばきつつ、座布団に腰を落ち着ける。
違う意味で汗が止まらない。
「失礼します」
「……ああ」
くぐもった声に拒絶が無いことに勇気をもらい、そっと目だけを上げて、喉がこくりと鳴った。
着飾った私を映す緋色の瞳が、いつもよりずっと柔らかい。
息を吐くのも忘れてしまう。
──優しい。というより、甘い。
「紅も引いたのか……」
光城様に向けたものよりも数段柔らかな声が、鼓膜を擽り、鼓動が騒ぎ始めてしまう。
「そ、そのようでして……宵様の目とお揃いです」
なにを言うのが正しいのかもわからず、咄嗟に口をついたのがオタク思考だった。
「お前らしいな」
宵様はくっ、と喉奥で笑う。
呆れた笑いにさえ、鼓動の高鳴りが止まらない。
さきほどから宵様のかっこよさと尊さの過剰供給だ。
今夜どころか、しばらく幸せな夢を見られてしまう。寿命まで延びそうだ。
これ以上は身に余る。返せるものもないのに。
ワタワタと座布団から畳に膝で降り、頭を下げる。
「あ、あの。宵様、光城様。これほど素晴らしい着物の数々、ありがとうございます!」
なにも持たない私に今できることは、心を込めた感謝を伝えるくらいだ。
「構わない。俺が螢に着せたいだけだ」
とんでもなく男前の台詞に、顔を上げてしまう。
単純な自分は、名前を呼ばれただけで、さらにときめきがとめられない。
宵様は卓の上に頬杖をつき、眉間にシワを寄せていた。
「っぐ。ですが、感謝してもしきれません……。どんなこともいたしますので……これから少しずつでも恩返しさせてください」
宵様に拾っていただき、ふかふかな布団と温かいご飯をお腹いっぱい食べられるだけで十分なんです。
「なら、何するんだよ」
胡乱げな視線が突き刺さる。
う、今の自分にできることは本当に少ない。
であれば、双子達や宵様の手を煩わせないことが今できることなはず。千里の道も一歩から。
「……まずは、迷わず自分の部屋へ帰れるようになります」
今日の朝からずっと双子がどこに行くにも付き添っているのだ。
なぜか私は目を離せないくらい危ない、要注意人物扱いをされている。これではまるで、手のかかる赤ん坊扱い。
双子たちにも家のことなどそれぞれ仕事があるだろうに。
邪魔しないように、まずは自立だ。大変悔しいが。
決意が伝わるように、しっかりと宵様を見つめ返す。
怪訝そうに片眉を上げた宵様は双子に顔を向ける。少しは信用してほしい。
「おい。本当にひとりで大丈夫なのかよ。双子たち」
「無理だな!」
「お嫁さん、厨と間違えて奥座敷の襖を開けてました」
「ちょっと! 東雲と暁?!」
まさかの事実と双子の裏切りだ。
宵様は、ほらみろと言わんばかりの顔だ。
「お前はまずは飯をたくさん食って、寝ろ。恩返しはそれからだろ」
「いや……でもっ」
「チビはまずもっと大きくなってから恩返ししろ」
「もうこれ以上大きくなりませんよ私。東雲や暁よりは年上です!」
完全な赤ん坊扱いは、聞き捨てならない。
思わず口を尖らせると、宵様が強めに頬をぐいっとひっぱった。
「すぐ迷子になるのにか?」
「……っ」
痛いところを突かれ、言葉に詰まる。心も頬も痛い。
宵様はふん、と勝ち誇ったように嗤い、ご機嫌に頬から手を離した。
「お嫁さんに意地悪だめだぞ!」
「大人気ないですよ! 宵様!」
双子からじとりと目を向けられても、宵様は平然とお茶受けのカステラを頬張っている。
そういえば、宵様は甘いもの好きだったな。そのギャップが尊い。
せっかく宵様のお側にいられるのに、年下の子に庇われている現実だ。情けなさすぎて涙がでそうですよ。
ましてや最推しに恩返しをするために、ご飯をたくさん食べて大きくなるってどうしたら良いのよ。
しょぼんと座卓の年輪を数えていると。
「ほら、食え」
「これ美味いぞ!」
「お嫁さんがもっと大きくなるには、3切れは食べましょうね!」
眼前の私のお皿に、宵様や双子の手によってうず高く五切れもカステラが積まれていく。
光城様としのさんは、信じられないものを見る目でこちらを見ている。
やはりカステラ五切れを食べるのは無理だよね。
一切れだけで許してください。
カステラに手を伸ばそうすると、光城様の声がポツリと落ち、手を止める。
「嫁?」
光城様の困惑の色を乗せた瞳が宵様と私に静かに定まった。
「……いやー、あの他人に無関心な宵が、わざわざ僕に『女の服を手配しろ』なんて頼みごとをしてきた時点で、おかしいとは思ってたんだよね」
早口で掠れた声で言う光城様は、首の後ろに手をやる。
彼の言葉に、私は弾かれたように振り向き、宵様と光城様の間に素早く見比べる。
宵様の眉間には深いシワが刻まれていた。
この大量の着物は、気まぐれではなく、わざわざ宵様が私のために光城様に頼んで手配してくれたものだというのか。
「おいっ」
低い声で宵様が光城様の話を遮ろうとしたが、彼は楽しそうに吹き出した。
「螢ちゃんていう、お嫁さんのためにだったんだね!」
「…………チッ。うるせぇ」
サァッと血の気が引く私をよそに、光城様がからかうように目を細めて私を見た。
「螢ちゃん、愛されてるねー」
『愛』
その響きに、心臓が大きく跳ねた。
都合の良い勘違いだ。
それでも、私のためを思って動いてくれたという事実が、ほんの僅かな期待を芽吹かせてしまった。
嬉しい、と。
顔が熱くなり、どう返事をしていいか分からず、一瞬否定が遅れた。
「勘違いするな」
絶対零度の声が、広間に響き渡った。
ビクッと肩を震わせると、宵様の氷のように冷たい赤い瞳が、光城様を真っ直ぐに射抜いていた。
「俺は誰も愛さない」
紛れもない宵様の本心。
身の程知らずな期待をべしゃりと音を立てて潰す。
先程までの和やかな空気が嘘のように、広間が凍りついたような静寂に包まれる。
双子が息を呑み、私と宵様を交互に見ている。獣耳と尻尾を不安そうに垂れさせて。
なにをしているのだろうか自分は。これだけ優しい方々の心を煩わせるなんて、おこがましい。
読めない表情を浮かべる光城様を見上げる。
「宵様のおっしゃる通りです。私もこの双子のように宵様に拾っていただいただけです」
自分でも驚くくらい大きな強い声をあげていた。
「『癒やしの力』を持っているんです、私。……宵様の『薬』として、ここにいさせてもらっています」
しのさんからや双子からの痛ましい視線に晒されながら、唇を持ち上げた。
いつもよりぎこちないのは緊張しているから。きっと。
勘違いしないでほしい。その一心で光城様を見つめる。
「………………」
光城様は僅かに口の端を引きつらせ、瞳の奥を冷えきらせた。
空気がさらに重くなり、張り詰めたような感覚がする。
なにが彼の琴線に触れてしまったのか。
ややあって、光城様は顔を片手で覆い、大きく息を吐いた。
「……君はそれでいいの?」
「はい。宵様に幸運にも拾ってもらえたのは事実ですから」
「………」
再び考え込んでしまった光城様の表情は手で隠され見えない。
なぜ事実を確認されたのか、彼の本意は全く不明だ。
サトリの宵様ならわかるのだろうかと窺うが、目を見開いた表情で固まっていた。
けれど、私は構わずに続ける。
「光城真澄様。本日は、私などのためにお気遣いをいただき、誠にありがとうございました。今後とも何卒よろしくお願い申し上げます」
私はそう言うと、畳の上に両手をついた。
まだこのお話を続けるのならば、お引き取りいただきたい。
着物を選んで頂いたのは感謝しかないが、宵様にこれ以上この話を続けてはいけない。
誰も触れてはならない。
いずれ現れる、『運命の女性』以外。
「……なるほどね」
畳に視線を落としていると、光城様は、ぱんっと手を叩いた。
「よし、今日はここまで! 解散!」
取り繕ったような笑顔だけれど、殿下の明るい声色に、皆が呪縛から解けたようにほっと息を吐き。
私も顔を上げた。
「真澄様、急ですね」
「だって宵、顔怖いし。しのがお説教したくてうずうずしている顔してたからさ!」
「そんな顔はしておりません!」
「そ? なら、自覚はあるから短めでよろしく!」
光城様はけらけら笑いながら立ち上がる。
慌てて双子が襖を開き、光城様を廊下へ誘導する。
そして、玄関先まで皆で見送りをした。
框に膝をつく私と目が合うと一瞬笑みを消し、そっと顔を寄せた。
「今度ゆっくり話したいな。……二人だけで」
「……っ」
不穏な言葉に息が止まる。
顔が離れた時には、もう彼はいつもの笑顔に戻っていた。
「またねー」
ひらひら手を振りながら、自動車にさっそうと乗り込む。
私はただ、その背中を見送ることしかできなかった。

