呪いの神子とサトリの契約婚 ~心を読める美麗妖は、お飾り妻を手放せない~

 翌朝。

 小鳥のさえずりと共に、心地よい目覚め⸺とはいかなかった。

 ​「……んん……」

 ​寝返りを打つと、ごつり、と固いものにぶつかった。

 壁なのか。いや、温かい。しかも規則正しく上下している。

 ゆっくりと重い瞼を持ち上げると、視界は肌色一色。滑らかな肌にしっかり浮きでた鎖骨。筋張った首に、ツンと尖った喉仏。
 窓から射し込む清らかな朝日に照らされると、目に毒なほど艶っぽかった。

 なんとなく嫌な予感を感じて。恐る恐る視界を動かすと、そこには見慣れない、いや、見慣れすぎている推しの顔が至近距離にあった。

 ​「え」

 ​ 同じ布団の中。あろうことか、私の腰を宵様の腕ががっしりホールドしている。
  高い体温といつもの宵様自身の香りに包まれている。


 ​「……っ!?」

 ​悲鳴を上げそうになる口を両手で必死に塞ぐ。​
 ​悪あがきで身じろぎするが、絡んだ手足は簡単には外れそうもなく。
 宵様は乱れない呼吸を繰り返し、目覚める気配もない。

 どうして宵様が一緒に布団の中にいるのか、検討もつかない。

 間違えて入ってきたのだろうか。
 疑問は尽きないが、吸い寄せられるように、最推しのご尊顔に視線が向いてしまう。

 まあ当然、目の前に美しいものがあればみてしまいますよね。
 
 私ごときが魅力的過ぎる宵様の魅力に逆らえるはずがない。

 諦めにも似た心地で腹を決める。

 宵様の寝顔は、当然ながら完璧な彫像のように整っていた。
 長い睫毛が影を落とし、いつもは鋭い眼光を放つ瞳が閉じられているだけで、どこか幼い印象さえ受ける。

 なるほど、目尻側のまつげだけカールしているんですね。どこまでも私好みな造形ありがとうございます。

 ​パニックになりつつも、私の目はしっかりと宵様の寝顔を堪能していた。

 宵様抱き枕の抽選販売に落選した過去の私。今はあなたが宵様の抱き枕になりますよ。
 最高に色気ダダ漏れの最推しを見られるよ。

 ​世界に感謝の祈りを捧げ、心の中を読まれない安心感で、決して聞かせられない感情を垂れ流していると。

 ふいに宵様の端正な顔が苦痛に歪んだ。

「……っ、ぁ……」

 漏れ出たのは、普段の彼からは想像もつかない、ひどく掠れた細い声。

 宵様の苦悶の表情に、頭から冷水を浴びたように、冷静になる。
 私は細く、長い息を吐きながら、一度だけ目をつむる。普段は抑えている瞳の力を解放するために。
 瞳に意識を集中させながら、宵様の体の上をなぞるように、視線を這わす。

 「ッ」
   
 想像以上の光景に言葉を失う。
 はだけた寝衣の合わせ目から覗く肌その下腹部のあたりから、まるで生き物のように『どす黒い呪いの靄』が脈打ち、這い上がろうとしていた。

 呪いの原因だ。

 宵様の額にはびっしりと冷や汗が浮かぶ。私の浴衣を握りしめる手の甲には青筋が浮いている。

 ​こんな痛みを一人で耐えていたなんて。
 
 小説で知っていたはずなのに。 実際に目の前で見るそれは、あまりにも生々しかった。
 

 ​胸が締め付けられる。ここは紛れもない現実だと、理解していたはずなのに。
 圧倒的な力を持つ最強の推しが、今、ひどく脆く壊れてしまいそうに見えた。
 それに正直、呪いが予想外に根深く体を蝕んでいる。

 だが、ヒロインのように『癒やしの神子』の私なら、少しでもこの苦痛を取り除けるはずだ。

 私は祈るような気持ちで、禍々しい靄が最も濃い下腹部へと手を伸ばした。
 ​少しでも楽になればいい。そう思って、治癒の力を流そうとした瞬間。


「…………ッなにしてる」
「ひゃっ!?」

 手首を掴まれた。
 いつの間にか開いていた赤い瞳が、鋭く射抜いていた。
 それはいつもの冷徹なものではなく、もっと暗く、危うい光を宿しているよう。

「……お前」

 ​低く、地を這うような声。
 宵様の顔がじりじりと近づいてくる。顔色が悪いようにみえる。
 それでも、さらに近くなった距離に心臓がうるさすぎて、違う意味で意識が飛びそうだ。

「の、呪いを! 払うためなんです! 決してその……」

 慌てて言い訳するが、真正面の赤い目が痛みを感じたように細められた。
 やはり呪いによる痛みは相当辛いようだ。宵様が嫌がろうが、今日からしっかり治療するべきだ。

 キッと赤い瞳を見つめる。

「その手を離してください。慣れてませんが、私、頑張りますから!」
「お前は……その意味わかってんのか?」

 なにかを訴えるように揺れる瞳。
 宵様はぐっとさらに手首を握った。

「い、意味?」

 お腹を触って呪いを解くこと以上の何があるのかわからず瞬きをすると、宵様が深々とため息を吐いた。

「わかってねえ顔だな……教えてやる」

 呆れたように呟きながら、私の手を持ち上げる。
 そのまま⸺

「――ひゃうっ!?」

 指先に、柔らかい感触が触れた。

 ⸺熱い

 はむり、と人差し指を甘噛みされていた。

  指先にぬるりと舌が触れ、歯がわずかに立てられる。

「ッ……あ」

 自分の口から出たことが信じられないくらい、甘い声が漏れた。

「だから、教えてやるって言っただろ」

 低く笑った吐息が指先にかかり、じんと熱を持つ。
 なにを?! と言い返したいのに、息すらできない。

 手首を持つ手は強く、逃げられない。

 私を見つめる宵様の瞳に熱が混じり、けしからん色気が放たれている。
 何かが、私の中で決壊しそうで、たまらずぎゅっと目を瞑る。

 ​「た、たすけて……宵さま」

 無言の宵様は、私の頬にかかる髪をそっと耳にかける。
 熱い指先が頬を擽り、はっと目を開けると、宵様の顔があった。

 視界がぼやけるほど近くに。

「へ?」

 素っ頓狂な声を漏らしたそのタイミングで、障子が勢いよく左右に跳ね飛んだ。


「宵様ー! 朝ごは――」

 勢いよく襖を開けた東雲が固まった。
 続いて入ってきた暁も、ぴたりと動きを止める。

 宵様はそろりと上半身を起こし、布団から抜け出した。
 くあっと呑気にあくびをし、畳の上であぐらをかく。

 妙な静寂が落ちた。

 私は居心地悪過ぎて、双子は元の少年に戻っているのにも関わらず、耳と尻尾のもふもふが今日も無いんだなと関係ないことを思っていた。


「宵様っ!?」
「何してるんですか朝から!!」

 数秒後、双子の絶叫が屋敷中に響き渡った。
 宵様が盛大に舌打ちする。

「うるせぇな……」
「うるさいのはそっちです!」
「お嫁さん真っ赤!!」

 東雲がわたわた駆け寄ってくる。
 私は布団の中で縮こまりながら顔を覆った。

 未だに触れた指先の感触が残っているようで、頬が灼けたように熱い。
 布団に残る温もりと香りが、余計に熱を煽る。

「お嫁さんがおまんじゅうになった!」
「違いますよ!出てきてください。ね、お嫁さん?」

 心配した双子にぽこぽことリズミカルに布団を叩かれているが、出れるはずがない。

 こんな顔を宵様に見せられない。

「宵様がお嫁さん泣かせた!」
「泣いてねえだろ」
「時間の問題です!」
「かわいそうなお嫁さん。よしよしだぞー」

双子が布団の上から私の背中を撫でてくれる。
可愛い双子優しさが胸にしみ、頬の熱も落ち着いていく。

「お前らが夫婦は一緒に寝ろって無理矢理連れて来たんだろ!」
「せっかく夫婦なのに!」
「一緒に寝た方が仲良くなるんです!」
「おーじょーぎわがわるいぞ」

 被った布団を僅かに持ち上げ、隙間から覗いてみると、ぎゃあぎゃあと責め立てる双子に、宵様は露骨に眉間へ皺を寄せていた。

 いつもと変わりない宵様の様子だ。
 双子に言われたから仕方なく一緒に寝た、と言われ、どこか面白くない。
 知らず知らずに持っていた布団を握りつぶしていた。

 一際鋭く双子を睨んだ宵様は、はあと重いため息を吐く。

「……チッ。面倒くせぇ」

 ちくんと胸が痛む。自分に向かって言われた訳じゃない。頭ではわかっているのに。
 よくわからない感情を持て余し、口をむうっと尖らせ、布団の中に戻ろうとしたその時。

「外行ってくる」

そう吐き捨てると、宵様は立ち上がり、どかどかと足音立てて襖へ向かう。

「逃げた!!」
「最低です!」
「うるせぇ!」

 怒鳴り返しながら、宵様は乱暴に髪をかき上げる。

 けれど、部屋を出ていく直前。
 一瞬だけこちらを振り返った赤い目が、どこか気まずそうに揺れた気がした。

 そしてそのまま、逃げるように部屋を出ていってしまった。

 ​