呪いの神子とサトリの契約婚 ~心を読める美麗妖は、お飾り妻を手放せない~

 大名屋敷のような威厳ある玄関に到着する。
 前掛けをした暁が水をはった盥と手ぬぐいをと共に待ち構えていた。
 宵様は上がり(かまち)に私をそっと降ろす。

「ありがとうございます、宵様」
「ああ」

 そう言うと、宵様が土間に膝をつき、なぜか私の足を持ち上げる。
 それから、ゆっくりと盥に浸けた。

「え? よ、よよ宵様?」

 なんで宵様が跪いて、みすぼらしいこんな足を触っているのか。恐れ多すぎる。

 あまりの行動に、すぐさま足を引き揚げようとした。が、大きな手で足を盥の底にぐっと押さえつけられた。

「動くな。すぐ終わる」

 鋭い声の制止に、逆らうことなんてできず。
 しんと広々とした玄関が静まり返る。
 ぱしゃり、と小さく水音が響く。

 泥に汚れていた足を、宵様は黙ったまま丁寧に洗っていく。
  大きな手が踵を支えるたび、胸の奥がそわそわと落ち着かない。
 どうして宵様ほどの人が、こんなことをと思うと同時に、羞恥が込み上げる。

「お、宵様……! やっぱり私、自分で!」
「傷だらけだっただろ」

 不機嫌そうに低い声が返る。それでも、足を洗う手は優しい。優し過ぎてくすぐったいくらい。
 このままではおかしな声が出てしまう。宵様の前でそんなはしたないことはしたくない。

「自分で治せますから……」
「治せても、傷は傷だろう」

 きっぱりと言い切られ、思わず口を閉じる。
 そのまま宵様は手ぬぐいで水気を拭い、指先まで確認するように眺めた。

 俯いた顔が持ち上がり、髪の間から赤い目が覗く。
 労るように、やわらかい瞳。

 息が詰まる。
 もう間近にあるきれいなお顔も、つむじの巻き方向を見る余裕もない。
 頬が熱い。つま先まで桜色にじわじわ染まっていく。

「宵様」

 足洗い終えた盥を抱え、暁が困ったように笑った。

「お嫁さん、すごく困ってますよ」
「見ればわかる」
「だったら、もう少し優しくしてあげてください」
「十分優しくしてる」

 真顔で返した宵様に、暁が「それでですか……」と小さく呟く。

 やがて宵様は私の足を静かに床へ降ろす。
 ひんやりとした床板が気持ちよくて、ほっと息をつく。
 しかし、ピカピカの床板に傷だらけの足は不釣り合いだ。
 そそくさと未だに残る足の傷を手をかざし治癒すれば、どこからともなくため息が漏らされた。

「手際が良すぎる。鈍感なはずだ」
「え?」

 ​ 言い返す間もなく、ふわりと視界が持ち上がった。

「ぎゃっ!?」

 気づけば、私は再び宵様の腕の中にすっぽりと収まっていた。また横抱きにされてた。

「よ、宵様!? 足、洗ってもらったし、傷も治したので自分で歩けます!」
「俺の家でどうしようが勝手だ!」

 ​抗議は低い声で一蹴された。
 暴君な宵様もかっこいい。新たな宵様の一面にときめいてしまう。
 暁からはとんでもなく冷めた目を向けられていたが、宵様はそのまま担いだまま通っても余裕で広い廊下を大股で進んでいく。

 ​電灯が眩しく照らす廊下を運ばれてたどり着いたのは、湯気が立ち込める広い浴室だった。

「暁、頼む」
「はーい! お嫁さん、こちらです!」

 ​ぽいっと、文字通り放り込まれるようにして暁に引き渡された。
 お世話をしてくれる気満々な暁だったが、見た目美青年にお風呂の世話なんてされるなんて恐れ多い。
 見せられない体型の私はなんとか固辞し、渋々引き下がった暁からおひとりさまのお風呂を勝ち取った。
 促されるままに、色彩豊かなタイルが目を引く浴槽に浸かり、いい香りのする薬湯で、里の汚れと疲れを洗い流す。
 すでに準備してあった清潔な浴衣に着替え、ほかほか気分で広間へ案内されると――。

 ​「……っ」

 ​そこには、信じられない光景が広がっていた。

 漆塗りの立派な膳が並んでいた。ふっくらと炊き上がったツヤツヤの白米。出汁の香りがふわりと漂うお味噌汁。
 紅白の鱗が目を引く、大皿いっぱいの焼き魚。根菜の煮物に、そら豆の白和えに香の物。
 急ごしらえとは思えないくらいの品数の多さだ。湯気が立っている。

「座れ。飯だ」

 ​十数畳はある広い座敷の奥に座る宵様が促す。
 私はふらふらと座布団の上に腰を下ろした。
 膳が近くなり先程の違和感が確信に変わる。

「……この魚ってあの池の鯉ですか?」
「お嫁さんのためにさっき獲って来たぞ! うまいぞあいつ!」

 からっと肯定され、戸惑いの目を宵様へ向けてしまう。
 ついっと視線を逸らされ、誤魔化すように咳払いをされた。

「明日には市が開く。今日だけだ」
「夜分に準備していただき……ありがとうございます」

 東雲なりに一生懸命支度してくれたのだろう。他でもない、私のために。
 里では、砂利まみれのおにぎりしか与えられてこなかった。温かい食事なんて、いつぶりに見るだろう。

 ​「……いただ、きます」

 ​震える手で箸を持ち、恐る恐る茶碗を持つ。つるりとした陶器からぬくもりが滲む。
 おぼつかない箸使いで一口分に掬った白いご飯をぱくっと口に運ぶ。
 噛み締めた瞬間、ふわりと広がる甘みと温かさに、ぶわりと視界が滲んだ。

 ​「あ……れ……?」

 ​ポロポロと、大粒の涙が膳の上に落ちる。
 泣くつもりなんてなかったのに、止まらない。
 せっかく東雲が頑張って準備してくれたご飯を食べないと。

 ​「美味しい……です、すごく……」

 ​ただのご飯なのに。こんなに温かくて、美味しくて。
 私が『化け物』や『ただの薬』ではなく、ちゃんと人間として扱われていることが、何よりも嬉しくてたまらなかった。

 ​「……お前は、本当に」

 ​頭の上から降ってきた声は、心底呆れているよため息混じりのもの。けれど酷く優しかった。
 ぐいっと腕を引かれ、気づけば私は、宵様の広い胸の中に押し付けられていた。

「っ、宵、さま……」
「食い終わるまで、泣くならここで泣け」

 逃げたいのに、無骨な大きな手が頭を包み込んでしまい、どうしてか身体が動かない。

「……ひ、ひぐ……」
「隠しても無駄なんだよ。どうせ全部聞こえてんだ……アホ」

 悪態つく宵様が、ぽんと頭をたたく。たまらなく優しい手つきだった。

 ひどい。
 今まで見てみぬフリをしてたくせに。これじゃあ無かったことになんてできない。

 全部お見通しの宵様の頼もしい腕の中で気付けば心がほぐれてゆく。

 ​私は宵様の胸に顔を埋め、なりふり構わず子供のように声を上げて泣きじゃくった。

 里での辛かった記憶、両親からも見放された痛み、死への恐怖。
 ごちゃまぜになった全てが、自分より少しだけ高い宵様の温もりに溶けていく。

 ⸺ああ、こうして誰かに抱きしめて欲しかった

 不器用にくるむ腕の心地良さが、些細な願いを優しく掬いあげた。

 そして、忘れていたはずの、かつてふと抱いた憧れも蘇る。

「お父さん……」
「……ッおい」

 宵様が大層不機嫌そうな舌打ちをすると、強引に身体を離し、涙と鼻水でぐしゃぐしゃの私の顔を袖でゴシゴシと拭く。
 力が強すぎて、頬がもみくちゃになった。

 なんだかその雑な扱いとやり取りが可笑しくて、感傷に浸る自分を馬鹿馬鹿しく思ってしまう。

 ⸺最推しのお嫁さんになれたくせに。

 ずっと会いたかった人に会えて、『薬』として拾ってもらえたのだ。
 そばにいて良い、と利用価値のある存在だと認められただけで、化け物の身には、過ぎた幸福だ。

 己の自己憐憫が、ひどく滑稽に思えた。途端、涙も引っ込んだ。

 袖で残った涙を拭き、顔を上げ、口角を引き上げた。

「ご迷惑おかけしました!」

 そう言って、勢い良く頭を下げれば、宵様の呆れた声が戻ってくる。

「ッたく。ほら飯食えよ。腹減ってんだろ!」

 顎で指し示された膳の上には、東雲の真心が込められた食事が私を待っていた。

「……いただきます」

 姿勢を正し、再び手を合わせ、箸を持つ。
 久しぶりのご飯は美味しかった。

 温かい料理はちょうど食べやすい温度に冷め、冷たく食べる料理はしっかり冷やされていた。
 意外にも焼き鯉は臭みもなく、淡白な身がふっくらしていて、箸が止まらなくなった。

 もしくは空腹の妖術のせいかもしれないが、私は米粒一つ残すことなく食べ切った。

 宵様も黙々と食事をしたため、和気あいあいとはいえない食事だったけれど、心も身体も満たされた。

「ごちそうさまでした!」

 せめてこれからは役に立つぞ! と夕食の膳を片付けようとした。

「いけません! お布団をあちらにご用意したのでもうおやすみください」
「そうだぞ! おやすみなさい、だ!」

 東雲と暁の二人がかりで、厨の前に立ち塞がる。
 腰に両手をあて、意地でも通さないという双子の意思に根負けした私は、大人しく寝室へ案内された。
 むしろ半強制的に、宵様に担がれた。

 すぱーん、と襖を壊す勢いで開けた宵様は、布団の上に私を転がす。
 かなりふかふかのお布団一式だったので、落とされた衝撃も無く、私を柔らかく包んでくれた。

「泣き虫ちびはもう寝ろ!」

 赤い目を吊り上げ、見下ろす宵様の迫力に、逆らえず頷く。

「お、おやすみなさい」

 布団の上から退き、畳の上で三つ指をつく。
 それから、お父さんと言ったことをとても根に持っていることは、理解したので。


「……旦那さま」


 照れが先走り、宵様の顔も見れず、深く頭を下げたままだけれど、言った。

 遠ざかっていた足音が、止まる。

 数拍、お互い無言のまま。

 自分の不規則な心臓の音が耳を占めた。
 やがて、衣擦れの音がやけに近くでするなと思った瞬間。

「ああ。おやすみ」

 耳元で、深く甘い声が鼓膜を撫でた。

「ひ……」

 とんでもなく艶っぽい声に、無意識に耳を押さえ悲鳴を上げてしまった。
 動いた拍子に身体のバランスを崩し、布団になだれ込む。
 起き上がろうにも、頭が真っ白で、手足に力が入らない。

 布団のそばに膝をついていた宵様が、ゆったりと目を細めた。

「螢」

 からかいを含んだ、いつにも増して甘やかな声に、胸を貫かれた気がした。
 心臓が先程とは比べようがないくらい早く打つ。
 なんと返してよいかもわからず、乾いた唇をきゅっと閉じる。

 静かに向く緋色の瞳から視線が離せなくなる。


「俺が名付けたお前の『名』だ。忘れるなよ!」


 私の頭をぽんと、軽く叩いた宵様は立ち上がり、襖の奥へと消えた。

「……忘れるわけないじゃないですか」

 よくわからない宵様の行動に、脱力したようにへたり込んでしまった。
 頬にあたる布団の気持ちよさに抗えず、いそいそと布団に潜り込んだことで、限界まで張り詰めていた私の意識は、幸せのまどろみに溶けていった。