呪いの神子とサトリの契約婚 ~心を読める美麗妖は、お飾り妻を手放せない~



 家に帰る道中、宵様は全く口をきかなかった。
 そればかりでなく、屋敷に入るなり、自室にこもってしまった。

 夕餉の時刻、宵様は部屋から出ず、双子に膳を運ばせた。
 なんとなくお屋敷全体がぎくしゃくした空気になっていた。

 どうしたらよいのかわからない私はいつものように、双子とともに膳を囲んでいた。
 悲しいかな、食欲はあるので、もくもくと箸を進めていると、東雲が何気なく口を開いた。

「お嫁さんと宵様はまた喧嘩したのか?」
「う、そういうのじゃない……と思う」
「宵様は拗ねたのでしょう!」
「す、拗ねた?」

 あの宵様と似ても似つかない、幼い感じがして、違和感だ。
 箸を置いた暁が、某探偵を彷彿とさせる仕草である、人差し指を1本立てた。

「そうです! しかもお嫁さんにだけですね!」
「あー、なんとなくわかるな。俺達にははっきり言うもんな!」
「でしょ? 構ってほしい合図です。あれ」
「いやいやいや!」

 暁と東雲だけで話を進めているが、全く内容が理解できない。
 拗ねるだとか、構ってほしいなど、いつも言いたいことしか言わない宵様からは想像がつかない。

「どうかお嫁さんから仲直りをお願いします」
「お願いだ。寂しがりの宵様に話かけてやってくれ」
「ええぇ……」

 双子が私に向かって、畳に両手をついた。
 そんなことをお願いされても、荷が重い。
 心当たりは昼間のやり取りだろうが、未だに私は向き合いたくないと思ってしまっている。

 逡巡する私に、東雲が告げる。

「食後の甘味は夏みかんの寒天だ! 頑張ってくれたらやるぞ」
「……ひ、卑怯だ」
「だってな、今まで宵様が俺達以外、女を住まわせることなんてなかったぞ」
「大丈夫。宵様が選んだお嫁さんですから」


 真剣に私を見上げる四つの瞳。
 初めてお屋敷に来た日を思い出す。
 そうだ。宵様はサトリで、私の醜さも罪もすべて知っている。
 そして私も知っていたはず。
 宵様はこんな化け物に対しても、名前を与えてくださるどこまでも優しい方だってことを。

「お嫁さん。言えるときに言わないとダメなんですから! 勇気をだしてください」
「俺達は二人の味方だ! 大事な二人だから、仲直りしてほしいぞ」

「暁と東雲……」

 本当に多くのものを宵様に与えてもらった。
 普通に生まれていれば、神子でなければ、当たり前のもの。
 ほしいと思いながら諦めていたたくさんのもの。

 あたたかい手。あたたかいごはん。私と宵様を大事な二人と言ってくれる双子という優しい家族。
 居場所すらも。

 さらに明日の命も危うい自分は、宵様に命を救ってもらったのだ。

「うん。私は……宵様と仲直りしたい!」

 口にしたら、至極単純なことに思えた。
 あの日のようにただ宵様に向かって走ればいい。
 ただ会いたくて。
 お側に自分をいさせて欲しい、とひたすら望む。

 つい最近のことだったのに、なんだか無性に泣きたくなってしまう。
 けれど今を逃したら、本当のことをいう機会も、宵様の呪いも解けなくなってしまう。
 ふるふると頭を振って、涙を追い出し、急いで部屋を飛び出した。

 満月の光がさざめく廊下を駆け抜け、宵様の部屋の襖を開けた。

「宵様! 仲直りしましょう!」

 もっと気の利いた台詞を言うつもりではあった。全身に冷や汗がぶわっと噴き出てくる。
 何も言わないながらも、真正面からの拒絶に襲われる。

「私が……里に行きたくない理由を」

 そっと息を呑む音が鼓膜を擽った。それだけで宵様の優しさをさとってしまう。
 どうして宵様があんな強引に話を打ち切ってしまったのか。
「里に行かない」と私に言わせないようにしてくれた。

「知っていますよね」
「…………」

 宵様は顔をそむけ、しばらくすると窓に目をやった。
 無言を貫く背中は、暁の言葉通りの拗ねた姿に見えてしまう。

 ぎゅっと手を握り、私は宵様の隣に膝をついた。

 緊張で喉が塞がってしまったようだ。心臓は痛い。

 けれど、自分は宵様の側に居座るために、曝け出す。

「この呪いの瞳は、欲の増幅と消去ができます。私の操り方次第ですが」
「そうか」
「里を降りるために、里の者の欲を消しました。しかも実の父親もです」

 驚きもしない。むしろ私よりも苦渋めいた声をする宵様の優しさに、勇気をもらう。

「サトリの宵様ならわかりますよね。人間がどれほど欲深く、欲に囚われているのかを」
「…………」
「食欲も、睡眠欲も、生きたいという本能も。 何もかも消えた人間は、立っているだけの肉の塊になります。もう空っぽです。 生きてるだけの抜け殻になりました」

 話す間に声は震え、畳を見つめてしまう。
 聞くに耐えない罪の告白に、もうこの場から去ってしまったのかと思うくらい余りにも静かだ。
 宵様がこちらに向く気配がした。

「恐ろしいですか? 私は小説の中の虐げられても耐え忍ぶ健気なヒロインじゃないんです。私はただの平凡な高校生で、宵様の原作小説の続刊を待つ、ささやかな願いを持つだけだったのに……こんなところに、勝手に転生させられて。お母さんのお手製おはぎ食べるの楽しみにしてたのにさ」

 畳に写る濃い影に、記憶が刺激される。

 暗い夜は苦手だ。
 真っ暗闇から伸びる大きな手はいつも私の首を締め続ける。
 最初は大きな手にすっぽり収まるくらい細い首の頃。
 息苦しいのに、もがいて助けを求めてみても、返されるのは自分の死を望む言葉だけ。
 見下ろす二つの瞳に溜まる澱を見てやり過ごすしかない苦しいだけの時間。
 ある日、あの瞳に溜まった澱を晴らせば、お父さんは一度くらい抱きしめてくれるのではないかと思ってしまった⸺

 握りこんでしまった指先は冷え切ってしまっていた。
「ですので、訳もわからず虐げられるのはごめんです。ここで私はあなたと『螢』として生きていきます。居座っていきますので、諦めてください」
 ​
 嫌われてしまわないだろうか。拒絶されたりしないだろうか。
 曝け出してしまったら、もう向き合うしかない。それが怖い。

 怯えよりも、宵様の苦しむ姿をもう見たくない。
 暗い夜に苦しむ私を救ってくれた宵様を。

 畳に額を擦り付けるくらい土下座する。

「『薬』の私と里に帰り、宵様の呪いを解かせてください!」

 静まり返った中、私はひたすら呪文のように頭の中で早口で叫ぶ。

(拗ねないで宵様! 私は癒しの神子なんです! 絶対に呪いを壊します!)

「俺をみくびるなよ」

 唸るような声に、恐る恐る顔を上げる。
 私を見下ろす大好きな緋色の瞳と視線が絡む。

「生きるために欲したものを、誰が責められるか。例え正しくなくともだ」

 ​宵様の瞳にはただ真摯な光があふれていた。

「螢は、どこまでも美しいな」
「へ?」

 瞳の美しさとありえない台詞に、瞬きも忘れてしまう。
 息を潜め、瞳の中に同情の色を探すも欠片さえ見つけられず。

「同情すらお前に必要ないだろうが」
「…………」
「これほどひたむきに、切々と『生』を渇望する人間を俺は他に知らない。濁りない、純粋な強欲。凛とした光のように美しい、と思ったから『螢』と名付けた」

 宵様は一片の偽りも感じられない口調で言葉を紡ぐ。
 真っ直ぐな言葉に言葉に詰まる。

 今さらだった。怯える必要なんてなく、宵様はすべて呑み込んだ上だった。醜い感情を押し付けていたと同然なのに。

 私の口から話させたことに意味があったんだろう。
 宵様の優しさが辛い、けど嬉しいな。
 ふと、心が軽くなっていく。
 自分の口から打ち明けた今、自然体でいても良いのだと思える。

 ⸺宵さまにまるごと真実を預けてしまったけれど。

 やがて、柔らかな声が降り落ちた。

「螢」

 甘くとろけるようにたわむ瞳が私を射抜く。
 宵様は私の手をそっと掬うように取る。

「誰かに見惚れたのはお前が初めてだ」

 今まで見たこともないほど甘く微笑んだ宵様は私の手の平の窪みに唇を寄せた。

 ⸺手の平にき、キス?!

 突然訪れた、ふに、と柔らかな感触に、頭が真っ白になる。
 耳まで真っ赤になりながら、破裂寸前の心臓を落ち着かせようと、深呼吸を繰り返す。

 唇を寄せたまま、静かに見上げる瞳は、今まで見たことがない熱を孕んでいるよう。
 深い色をした瞳から、絡めとられたように目が離せなくなる。

「俺はお前の縁《よすが》になりたい」

 愛おしそうな切ない宵様の声が耳を包みこんだ。

 けれど、なんだか情熱的な言葉に頭が沸騰しそう。

 罪の告白をしていたはずなのに、なぜこんな素晴らしく色っぽくてかっこいい宵様がいるのか。

 あれ? そういえば、これってどこかで見たことあるような。

 今のこの状況と先程のセリフが脳裏に浮かぶある記憶と重なった。


「宵様、前にもこんなこと言ってませんか?」
「言う訳あるか! 螢だけだ」

 先程とは違うやさしさの欠片も無く手をぶん、と勢い良く投げ捨てられた。
 ひどい。
 先程まで漂っていた甘く緊張する空気がやわらいだ。

 私は内心ほっとして、記憶を掘り起こそうとうーんと悩んでいると、ふとこちらを向く獣耳が見えてしまった。

 ぴくぴくと四つの獣耳が少しだけ開いた襖の陰から覗いている。

「東雲と暁?!」
「おい! お嫁さんに見つかったぞ!」
「嘘?! あのお嫁さんが気がつくなんて」

 声を掛けると、獣耳はぴんと仲良く立つと襖の奥へ消えた。

 遅れて、ばたばたと廊下を駆ける足音が、静かな部屋に賑やかに響く。

 ええ、と気まずさを紛らわそうと、何気なく窓に目を向けると。

 あの日、手が届きそうで、届かなかった満月が輝いている。

「宵様、ありがとうございます」

 つい漏れ出た感謝に。

「螢はいちいち大げさだ……」

 呆れたような優しい美声が返ってきてしまい。

 ふふふ、と頬が緩むのを止められなくなってしまった。