「家畜もどきが宵へ近づくな」
「か、家畜?」
「そうだろ? 宵にとっては」
もう色々と情報過多。
私の婚約者が光城様なんてありえないはずで、原作ではヒロインと婚約していたのに。
家畜もどきと罵倒されたことさえ、悪い冗談だと思いたかった。
光城様は片眉を上げ、目を細めたが、ふと私の右手を見た。
「ああ、ごめんね。シュークリームがダメになっちゃったね」
「へ……」
気づけば、シュークリームがグシャリと潰され、私の右手がカスタードクリームまみれだった。
強張った指先に力が入り過ぎていたらしい。
ぬめりと右手を濡らす不快感に、我に返る。
「里では食べられないのにね」
微塵も悪いと思っていないだろうに、眉を下げる光城様は、「もったいないから、先に食べなよ」とおしぼりをこちらにそっと差し出した。
「あ、ありがとうございます」
いきなり紳士的に変化した光城様。その彼が放ったはずの重苦しい圧が霧散し、その落差に拍子抜けする。
不気味な態度に恐怖すら感じながら、必死にシュークリームを頬張る。
楽しみにしていたはずのシュークリームの味なんてしなかった。
喉の奥に無理くり押し込むようにどうにか全て飲み下し、おしぼりで右手のクリームを拭い、お礼を言うと。
「大変美味しかったです。……ごちそうさまでした」
「じゃあ、世間知らずの螢ちゃんに皇家と龍華の里と神子の本当の関係を教えてあげる⸺」
光城様は上品な所作でコーヒーを一口飲み、ゆるりと語り始めた。
そもそも『神子』の持つ癒やしの力を利用し、皇家に繋ぎ止めるための婚姻であり。
皇家と姻戚になれば龍華家は多大な資金援助を保証されるため、数代おきに神子を皇太子へ嫁がせる密約があったこと。
ヒロインと光城様が婚約者だった理由は、ただの政治的な取引だったのか。
『癒やしの力』や儀式のためなら、化け物でも事足りるが、皇太子に嫁がせる訳にはいかない。
だから私は、存在を知られることすら許されない化け物なのだと、妙に納得してしまった。
「今代は僕の番だが、『龍華の里』からは神子が幼いため婚約を保留されている。……君がいるのにね」
「……そうですか」
光城様は不思議そうに肩を竦める。
それが、嬉しいと思ってしまった。化け物の本性を知らないからであろうと。
あとは、里側が化け物の存在を最も知られたくない相手である彼が知っているという、ほの暗い気持ちだ。
我ながら性格悪いと思う。けれど、口元は勝手に緩んでいた。
「あ! 誤解しないでくれよ。君に気持ちなんてこれっぽっちもないよ!」
「……」
したり顔を、なんだか盛大に誤解された。
「隠し事も多い、怪しい不気味なお前は宵にふさわしくないよ。宵には孤独でいてもらわないと。そうじゃないと僕が困る」
苛立ちと侮蔑を含む言葉を容赦なく投げつけられたが、何となくお話の雲行きが怪しい。
どうやら彼は、宵様へとんでもなく重く熱い感情を抱えているらしい。
もしや薔薇的な牽制を受けているのだろうか?
はあ、と悩まし気に小さく息を吐いた光城様は窓の外へ視線を向けた。
「宵はね、僕の唯一で絶対なんだよ。サトリの力で人間の醜い本性を目の当たりにする度不器用に傷つけられるくせに、何度傷つこうが関わりを絶てない宵の愚かさが愛おしいんだ」
「…………」
「同じ人間の僕ですらその本性に絶望したことがあるのに、彼は諦めないんだ。人間の善良性を信じているとも言えるね。あやかしのくせに」
誰かの姿を思い浮かべるように光城様はそっと視線を伏せた。
うっとりと宵様の魅力を雄弁に語るその表情に、無邪気ささえ感じる。
異種族かつ同性をここまで心酔させてしまうのは、まあ宵様が魅力的過ぎるためだ。いたし方ない。
けれど、一点だけ、譲れない。
「……私はあなたが愚かと軽んじる、信じる強さを持つ宵様に救われました」
宵様の優しさを『愚か』などと、貶されてたまるものか。
誰にもいらないと言われ続けた化け物を、真っ直ぐ見つめ、名前まで与えて拾ってくれた。あの方を。
光城様はせせら笑う。その口元は、美しい弧を描いていた。
「ねえ君は気づいている?」
「はい?」
「『宵様にしてもらう』と口癖のように言うんだ」
ヒュっと喉が変な音を立てた。
「そんな受け身で、一方的な関係でこれから先も同じように宵の隣に居られるとでも? 家畜のように飼われている君では無理だ。我が国の国利となる宵の側にいることを、僕個人としてではなく、この国の君主としては決して認められない」
今の今まで宵様へのねちっこい想いを語った人物だとは思えない。冷酷な為政者としての表情がそこにあった。
その場の空気が一気に張り詰めた感覚を覚え、冷やりと何かが背筋を駆け上る。
ふっと表情を緩めた光城様は、子供に諭して教えるような声を出す。
「ねぇ、先祖代々仕えた家でもない只のあやかしなのに侯爵という地位を賜るのがどれだけ凄いかわかる?」
「……それだけ宵様の功績が凄いということですか」
「そう。宵がいれば、敵国の間者の動きも、臣下の謀反も、すべて手にとるようにわかってしまうんだ」
「諜報能力こそが、宵様を囲い込みたい理由ですか?」
『癒やしの神子』と同じようにサトリの力を国家維持のために利用したいのか。
よくできました、と笑みを深めた光城様は、指でトンとテーブルを叩く。
「宵の存在はありがたいと同時に脅威だ」
「脅威?」
「宵がいるだけで、敵意を抱く者への抑止力ともなるが、逆に謀はすべて公然のものとなってしまう。情報戦略なんて意味がなくなる。ほんのわずかな情報すら彼に見透かされてしまうからね。よって⸺」
意味深に言葉を区切った光城様は、ずいっと顔を近付け、昏く淀む双眸を私にを向けた。
「僕の唯一で絶対である宵を厭う奴らに、隙を与える訳にはいかないんだ。……得体の知れない家畜もどきなんか、宵には要らない」
真っ直ぐ向けられた純粋な敵意に、両手が小刻みに震え始めてしまう。
「さあ、家畜もどきのお嫁さんは具体的に宵に何ができるんだい? 夫婦は対等にお互いを支え合うことだろ?」
「私は、……呪いを解くためにいます」
ようやく絞りだした声は、情けないほど震えていた。
「では、なぜ直ぐに解かない? 君は宵に何を返した?」
光城様はそう唾棄すると、薄く笑う。
「……あ」
私、いつでも治すチャンスはあったのに呪いのことを無意識に考えないようにしていた。
もし役立たずだって宵様に失望されたら?
薬として拾ってもらったのに、捨てられたら?
落胆されたくない、見限られたくない。
そんな浅ましい気持ちを見透かされてしまったようだ。
光城様の言う通りだ。
ずきずきと痛む胸の前で、ぎゅっと両手を握りしめる。
その時、胸元に忍ばせていた簪の固い感触が指に触れた。
⸺宵様の色の簪だ。
何ものにも染められない、揺るぎない漆黒に抱かれながら、きらめく螢の光。
本当に嬉しかった。
サトリである宵様は、私の浅ましい気持ちすらすべて承知の上なはず。
宵様の隣を失いたくない、手をこまねき望むだけでは、もういられない。
私の意思で宵様の側にいると選ぶ。
覚悟が決まれば、見えてくることもある。
「そもそも、あなたに関係ないじゃないですか」
「はあ?!」
「まずはありがとうございます。宵様の魅力を違う側面から見てくださって。若干ねちっこい部分もありますが、あらゆる宵様がそうさせてしまうのでしょう」
「お前ごときに宵の何がわかる?!」
光城様の言い分を肯定したというのに、どういうわけか怒りを煽ったようにも思える。
「殿下がともに過ごしてきた美しい孤高な宵様は、友人からどんなねちっこい感情を向けられようと、避けることなく向き合ってきましたよね?」
宵様は私達の醜ささえ呑み込み、常に公平で、公正。
あなたが愚かと言いながら甘んじてきた、ある意味残酷な優しさ。
己の信じたいものだけを持つ、ある意味傲慢とも言える強さに私は憧れているんだから。
そんな方が私一人なんかの影響で、その価値が変わる訳ないだろう。
「つまりですね、宵様は家畜もどきが側にいようがいまいが、宵様なんです!」
私の返事を聞いた光城様は、一瞬、怯んだ様子を見せたけれど、すぐに真顔に戻る。
釣り合わないのは百も承知だ。前世から焦がれに焦がれた最推しなのだ。
死んでも好き、大好きな宵様のお側にいられるのなら、どんな誹りも受け立とう。
どうせ死に役なのだ。
化け物なのだ。
どんなことをしても、宵様の側に居座ってやる。
私はスッと姿勢を正し、彼をしっかりと見定め、淡々と告げる。
「なので、私はこのまま宵様の隣にいます。私がお側にいたいので」
「っだから……君と宵は⸺」
「わかっています。対等でない。なにも返せていないのは事実です」
胸元の簪を握りしめる。自分でも驚くほど素直に言葉が出る。
「だから、返せていないなら、これから返します」
「はい?」
光城様がこれ以上ないくらい顔をしかめた。
「私は宵様の呪いを絶対に解きます。恩返しとか、そんな立派な理由じゃなく、私が治したいからです」
皇太子殿下は虚をつかれたように目を瞬いた。
しばらく何も言わず、じっと私の顔を見つめる。
やがて、声を出して笑いだした。
「あはははは!!」
状況についていけない私はただお腹を抱えて笑う姿を眺めることしかできない。
皇太子殿下とは思えないほどお行儀悪く、机を叩いてまで爆笑しているのだ。
使用人の方が、なにごとかと扉から覗いていてもお構いなしに。
ひとしきり笑った光城様は、口を開く。
「厄介だなあ」
生理的にでた涙を指でぬぐいながら、私に目を向けた。
もう敵意も淀んだ色はなく、代わりににやにやと揶揄うような色の瞳だ。
「で、どうするの? 僕の宵は、僕が君にしたことを把握しているのに?」
「皆の宵様が把握されているなら安心です。私はこのまま宵様のお屋敷に帰りますよ」
「ふーん」
なにやら含みのある言い方だ。宵様がこの場にいたなら殴られそうなくらい、嫌らしい表情だ。
大変不敬だが、イラッとくる。
これ以上この方と話していたら、宵様マウント合戦が白熱してしまう。
おもむろに席を立つと、私は深々と頭を下げる。
「先に失礼する無礼をお許しください。皇太子殿下。では」
そそくさと使用人が出てきた扉へ向かおうと足を向ける。
「ほんとに帰れるかな? ここって僕の作り出した亜空間なんだよねー」
けらけら笑う声が追いつき、振り返ると。
にっこり笑みを湛えた光城様が、顔の真横で御札をひらめかせていた。

