呪いの神子とサトリの契約婚 ~心を読める美麗妖は、お飾り妻を手放せない~


 宵様が光城様と出かけてからの時間は、昨日の街での騒動が嘘のように穏やかで。

 暁と東雲とともにたすき掛けをして気合十分に書庫の整理したり、縁側で彼らのもふもふな尻尾を撫でたり、のんびりとした時を過ごしていた。

 ​しかし、ほっこりとした時間は、午後を回った頃に唐突に破られてしまう。

 ​ブォォン、という聞き覚えのあるエンジン音が屋敷の門前に響く。

 双子と顔を見合わせ、慌てて玄関へと向かう。
 そこには朝と同じ黒塗りの自動車が停まっていた。

 何ごとかと思うながらも、三人揃って宵様を出迎える。

「お帰りなさいませ……」
「あっ!」
「なんでですか?!」

 すると双子は、警戒もあらわに獣耳と尻尾を膨らませて立ち上がった。

「こんにちは、螢ちゃん。また会ったね」

 ​車から降りてきたのは、光城様だけだった。

「あ、はい。その……」

 彼は私を見ると、少し困ったような、けれど人の良さそうな笑みを浮かべた。
 対して双子は、ぐるる、と唸るように喉を鳴らし光城様を激しく睨みつけている。

「突然ごめんね。実は、宵が君を呼んでいるんだ」
「えっ? 宵様が、私を?」

 ​心臓がどくっと跳ねる。
 事情聴取のために登城したはずの宵様が、なぜ私を?

 もしかして、怪我したのだろうか。まさか呪いによる痛みが強まったのだろうか。
 私が拾われてからもう一月になろうとしており、呪いが強まる満月があと数日に迫っている。

「あの! 宵様は大丈夫ですか?」
「宵は大丈夫だよ。さあ、乗って」
「あ、はい……っ」


 同衾したあの日の宵様が呪いの痛みに呻く姿が脳裏を埋め尽くす。
 もしや今この瞬間も宵様が苦しんでいるのだとしたら。
 どくどくと心臓が嫌な音を立てはじめる。

 ​心配そうに私の袖を引く双子に「すぐ戻るからね」と笑いかけ、私は促されるまま自動車の後部座席に乗り込んだ。

 ​初めての自動車の乗り心地を感じる余裕もなく、帝都の街並みを走り抜ける間、私は膝の上に乗せた手をぎゅっと握りしめていた。


 ​やがて車は、華やかな大通りを抜けると、木立に囲まれた静かな通りへと滑り込んだ。

 キーッというブレーキ音とともに車が停まったのは、薔薇の蔦が絡まるアーチ門が迎える、レンガ造りの洋館の前だった。
 一見すると、お金持ちの別荘という外観だ。こんなところが軍の施設なのだろうか。

 ​「着いたよ。ここだ」

 ​光城様にドアを開けられ、おそるおそる外に出る。
 無言で長い玄関アプローチをさくさく進む光城様についていき、重厚な木の扉を前に私はごくりと息を呑んだ。

「……入って」

 玄関前に控える使用人が恭しく、扉を開ける。

「失礼します……」

 おずおずと一歩踏み出したが、その広さに足が竦んだ。
 吹き抜けの玄関の天井ドーム、螺旋階段の手すりさえも優美なお屋敷だった。
 緊張で震えた挨拶は廊下に敷かれた紅色の厚い絨毯に吸い込まれる。

 窓にはめ込まれた見事なステンドグラスが、大正モダンな隠れ家としての品格を漂わせている。

 ぼんやりと窓を眺めていたら、静まり返る玄関にふっと小さな嘲笑が降りる。
 顔を向けると、光城様が目を細めていた。何度でも里で浴びせられた蔑んだ視線だった。
 嘲笑の主は彼と言うことで、間違いないだろう。
 確かにこの非常時にお屋敷の豪華さに見惚れるなんて呑気だとは思うが、なぜそんな冷たい目で見られなければならないのか。
 かっと顔に熱が集まっていく。

「ついてきて」
「はい!」

 顎で指し示した光城様の案内で、長い廊下を歩いていく。

「ここは要人が密会に使うカフェーなんだ。好きなものを注文しなよ」

 口数少ない光城様についていき、応接間らしき部屋に通され着席すると、革張りの薄い冊子を差し出された。

 もうここまで来ると私もある程度事態を把握した。宵様はここにはいない。

 とりあえず受取り、冊子を開くと、コーヒーをはじめとした飲み物数種とプリンなどの洋菓子のメニューが英語で綴られていた。
 久しぶりに目にする英語に戸惑いながらも、ホットコーヒーとアイスクリーム、シュークリームを注文した。

 なぜか注文中に、真正面に座る光城様の視線が痛いくらい突き刺さった。
 やはりデザートを2つも頼むのは欲張りだったのかもしれない。

 けれど食欲と好奇心を抑えられなかった。

 そもそも、この部屋に通された時点で、鈍い私でもおかしいと気づく。
 ほとんどだまし討ち同然で連れて来られたのだから、このくらいは許されるだろう。

 息の詰まるような沈黙が部屋に満ちていた。

 やがてテーブルの上にはコーヒーやシュークリーム、アイスクリームの皿が並ぶ。

 早速アイスクリームに手を伸ばすが、なめらかな舌触りと濃厚なミルクの味わいに、スプーンを持つ手が止まらなくてあっという間に平らげてしまう。

 口の中がしびれるように冷たい。
 温もりを求めて、今度はコーヒーに砂糖とミルクをたっぷり入れ、スプーンでぐるぐる混ぜる。
 こくりとコーヒーを一口飲み、久しぶりの苦味と香り、温もりに癒やされ、小さく息を吐いた。

 じっとこちらを窺いながらコーヒーを嗜む光城様に私は切り出した。

 彼が本当は『皇太子殿下』であることは知っているが、あちらが身分を隠している以上、今は知らないフリを貫くしかない。

「……宵様はこちらにいないですよね?」
「ふふ! やっぱりわかるかー」

 優雅にカップを傾ける光城様は悪びれた様子もなく、むしろ愉し気だ。

 嫌な予感が的中し、げんなりする。

 苛立ったときには甘いものですよ。

 シュークリームに手を伸ばしながら、言葉を返す。


「わかりますよ。で、私とお話したいこととはなんですか?」


 光城様はカップをソーサーに落ち着いた所作で戻し、ゆるりと微笑んだ。
 なぜか優しい笑顔に背筋がぞくりとする。アイスクリームの食べ過ぎではない、悪寒だ。

「君はなに?」
「……はい? えっと……」

 光城様は口元は美しい笑みを浮かべているのに、目は全く笑っていなかった。

 何者だというのならば『癒やしの神子』であり、化け者だ。
 後者だとはなぜかこの人には答えたくない。

 危険だ、と直感が告げる。

 口ごもる私を見て、皇太子殿下は苛立ったように椅子の肘掛けに頬杖をつく。

「じゃあ質問を変えようか。何故、君が英語も読めるのか、答えて」

 しまった、と思った。
 完全に油断していた。わざとあの英語のメニューを私に読ませた、彼の行動の真意に気づくのが遅すぎた。

「……宵様に保護されてから学び」
「山奥の隠れ里で、ただ毎日生かされていただけの君が?ひらがなの習得すら怪しいのに?」
「っ……」

 ひらがなすら読めないと踏んだ私に、英語のメニュー渡すなんてどれだけ陰湿なんだ。

 逃げ道を探すように視線を落とすと手の中のシュークリームが小刻みに揺れていた。

 私のその反応こそが答えだと言わんばかりに、光城様は堰を切ったように言葉を重ねる。

「あははっ! それで説明がつくと? 世間知らずな君は知らないだろうが、つい最近流行りだしたコーヒーなんて帝都内でも極僅かな店でしか飲めない」
「…………」

 興奮で僅かに上擦った光城様の声が、静まり返った室内に響く。

「君のいた里も把握している。『龍華の里』だ」

 静かな声は責めるでもなく、怒鳴るでもなく。
 ただじりじりと迫り、逃がさない。


「……!!」

 光城様はふっと笑みを消す。向けられる瞳は昨日のようにどこまでも冷え切っている


「先ほどから埒が明かないな。癒やしの神子である貴様はなぜ里から逃げ出した? 神子は皇家に嫁ぐ以外出られないはずだ」

 口調も声色も尊大なものに変わり、
 びくりと背筋を伸ばすと、硬直したように動きを止めてしまう。
 青ざめる私に追い打ちをかけるように、光城様は酷薄に頬を歪め、いつもの軽薄な声色に戻して、こう告げた。

「因みに、皇太子なんだ、僕」
「……え?」
「螢ちゃんをお嫁さんに貰うのは僕のはずだったんだよ」

 ポカンとした私の反応に満足したのか、光城様は椅子に深く背を預け、ゆっくりと足を組み替えた。
 そして、虫ケラを見下ろすような、温度のない瞳で私を射抜く。

「家畜もどきが宵へ近づくな」