呪いの神子とサトリの契約婚 ~心を読める美麗妖は、お飾り妻を手放せない~

プティングを売っているカフェがあるという大通りを歩いていたところ、背中越しに声を掛けられた。

「⸺宵様ではないですか?」

 甘ったるい声に、振り返ると美しい女の妖が立っている。
 絢爛豪華な打掛けを纏い、開いた胸元から白い首筋を覗かせ、紅を引いた唇には、蠱惑的な笑みが乗っていた。

 妖の毒々しいほどの色香に圧倒され、見惚れてしまった。
  
 宵様はこんなお色気美女のお知り合いがいるなんてさすがです。

「ふふふっ、こんなところでお会い出来るなんて……嬉しい」

 袖を口元に当てしなをつくり、ちらりと上目遣いで宵様を見上げた。
 頬を赤らめるその表情には明らかな好意が浮かんでいた。

 途端、むせ返るような香と白粉の混ざったその甘ったるい臭いが鼻につき、つい眉にシワが寄る。

 媚びを含んだ視線を真っ向から受けたにも関わらず、宵様は彼女を一瞥もせずに踵を返す。

「去れ」

 やっと掛けた言葉は短く、取り付く島もないほど冷えた声。
 あやかしの美しい顔が見事に歪むが、それでも彼女は追いすがる。

「その娘、誰です?」
「関係ねぇだろ」
「っ……!」

 ギリッと私を睨みつける目は血走り、異常なまでの嫉妬に狂っている。


 妖の目が私を見た瞬間、ぎらりと濁る。


「貴様ごときが話しかけるな」

「このっ――」

 長い爪を生やしたあやかしが私に手を伸ばした瞬間、視界を光が一閃、横切った。

 眩しさにぱちりと瞬くと、肘から下がなく地面に血を滴らせる妖女の姿が見えた。


「なんのつもりだ?」


 遅れて、宵様によって女の腕が斬り落とされたことを理解した。

 片腕を失いながらも、未だに濁った目を私へ向け続ける妖は、ふーふーと肩で荒い息をしている。


「こいつに手を上げたな、命が惜しくないのか?」

 低い声が静かに響いた。
 宵様の表情は見えないが、これまで見たことがないくらい怒っていることに気づく。

 鈍く光る切っ先は、逸れることなく妖の顔を捉えていた。


「な、なっ、私だけの宵様がなぜッッッ?!」


 叫んだ途端、ぐるん、と白目を反転させ黒くした妖は、身体から黒い靄を噴き出し始める。
 靄を纏った身体はみるみる間にとてつもなく巨大に膨らんでいく。やがて、頭の高さは三、四メートルはあるだろう、獅子のような毛むくじゃらで大きな牙を持つ姿へ変貌を遂げた。

「シャアアア!」

 その妖は、咆哮し一直線に私を目指す。


「猫又の暴走か……」

 面倒さいと言いたげな吐き捨てた宵様は私を守るように前に出たと同時に、妖の胴を刀で薙ぎ払う。
 妖は後方へ吹き飛ぶが、あわやビルに激突するというところで、体をひねって着地。
 四つ足が石畳にめり込み、その衝撃で帝都の街が激しく振動した。

「わっ!」
「大丈夫か?」

 よろめく私の両腕を宵様が難なく掴み、踏み止まることが出来た。
 顔をのぞき込んできた宵様は、先ほどの怒りを嘘のように顔感じさせないを顔をしていた。


「……はい」


 正直、妖の変化に恐怖を感じたけれど、その顔をみた瞬間に、ほっとした。


「きゃぁぁー!!」

 突如として出現した妖から我先にと逃げ惑う人々は、追い打ちをかけるような大きな揺れにさらに恐慌状態に陥る。

 瓦が落ち、柱が無残にも折れ、いくつもの建物が倒壊していた。

「いだいよぉーーー!!」

 倒壊した柱に足を挟まれた子供が泣き叫んでいた。
 泣きじゃくる両親が必死に柱の下から引きずり出そうと腕を引っ張っている。


「手伝いますっ!」
「螢っ?!」

 なにができるかわからない。身体が勝手に動き、その子供に駆け寄っていた。

 皆で声をかけあい、協力し重い柱を押し戻す。
 助け出された子供の小さな足は、ぐしゃりと潰れ、白い骨が飛び出していた。

「ひぃっ」

 両親が顔面を蒼白にし、地面にへたり込む。
 痛みのショックによるものなのか、もうすでに子供はぐったりと意識を失っていた。
 周囲の人々も目を背けてしまうほど痛ましい怪我。だけれど、私なら秒で治せる。


 ――最強の『薬』なのだから。


 視界の端で、宵様が茫然と私を見つめている。けれど、呆れたように小さく息をし、刀の柄をきつく握りしめ、再び暴れ狂う妖へ対峙したのが見えた。

 人間が怖いくせに、人助けをしたい私の意志を尊重してくれた。
 私なら治せると任せてくれた。
 宵様からの信頼を裏切る訳にはいかない。

 人だかりをかき分け、一歩足を踏み出す。

「大丈夫ですよ!」

 私は子供の側にひざをつき、両親ににこりと笑いかける。

「なんだあんた?」

 突然の侵入者に目を丸くする両親と、街の人々の訝し気な視線が私に注がれる。
 そんな反応を気にする余裕も無い私は、血溜まりをどんどんと作り上げる子供の両足に手をかざす。

 白銀光が足を包み込むと、瞬く間に両足は再生し、子供の顔色も良くなっていく。

「なっ!」
「もう……痛くないよ!」
「ああ、ありがとうございます!! ありがとうございます!!」

 涙を流し、子供を抱きしめる両親の姿にほっと胸をなでおろす。
 周囲の絶望に浸った空気も、いくぶんか和らいだ。

 化け物の自分の力をこうして誰かの役に立てられ、堪らなく嬉しい。
 『ありがとう』という言われただけで、なんの価値も無い自分がほんの少しだけ宵様のお側にいても良いと思わせてくれた。

 ⸺私にとっては大事な一歩だ。
 
 「お子様が助かって良かったです」

 両手をついて感謝する両親に私は首を横に振る。
 
 直後、再び躍りかかってきた獅子の巨体に対し、宵様は真上へと高く跳躍した。
 そして、一閃。
 空中で首と胴体を両断された巨体が、それぞれ地面へと叩きつけられる。

​ ドオオン! と轟音と振動が響き渡り、もうもうと砂塵が舞い上がった。

​ 見えなかった。何をしたのかすら目で追えない、ただ圧倒的な一撃。

 一方的な蹂躙に、先ほどまでの喧騒が嘘のように辺りはしいんと静まり返った。


「ョイサマ……ワタ……サナイ」


 苦しむような妖の声が、耳に届く。首を切り離されているのに。
 それに、先ほどの巨体とは思えない敏捷さにもだが、宵様への執念に、ぞくりと肌が粟立つ


「まだ話せるのか……すべて燃やすか」


 宵様は刀を勢いよく振り下げ、付着した血を払うと、忌々しく吐き捨てる。

 戦闘中の冷徹な宵様は素敵だが、トドメの差し方がよろしくない。

 この大通りは昔ながらの和風木造建築がひしめくエリアだ。
 こんなところで大きな火なんて使ってしまったら、あっという間に帝都大炎上。

 こめかみに青筋を立てる宵様は、この妖に相当憤っているらしい。

「あれ?」

 砂煙にけぶる視界の中で、ふと目に入る。
 靄に包まれた獅子の背中の一部、怪しい黒い靄が一段と濃く立ち昇っている。

 先ほどからあの靄に言いようのない嫌な感じがする。

 もしや、と瞳に力を集中させる。

 獅子の背中にお札のようなものが貼り付いている。
 赤黒い文字は燃えるように不気味に揺らめく。


 ――呪符?

 ざわっと背筋が一気に粟立つ。

 無我夢中で獅子の前に躍り出て、腹の底から大きく叫び、背中を指差す。

「宵様!」
「あ?」
「背中の呪符が原因ですっ! あと街を燃やしたらダメです!」」

 緋色の双眸とかちあう。

 あの禍々しい呪符が妖に異常な力を与えており、呪符がある限り妖は何度でも再生して暴れ続ける。
 あの呪符は、『呪い』と同じ力を放っているから。
 むしろ、あの呪符が原因でこの妖は暴走したのだ。誰かが意図的に、この妖を暴走させた可能性すらある。
​ 自分でもなぜそう確信できるのか、この感覚を言葉で説明できるはずがない。
 けれど、宵様なら分かってくれるはずだ。

「……本当か?」
「はい!」


 大好きな瞳を真っ直ぐ見上げ、しっかりと頷く。

 本能的に呪符に触れてはいけないと分かった私は獅子の背中に向かい両手を突き出した。

「⸺浄化!!」

 手のひらから放たれた強烈な白銀の光が、真っ直ぐに呪符へと直撃する。
 清浄な白銀光の奔流に呑み込まれた黒いもやや赤黒い文字はあっという間に消失する。

「なんだ今の……」
「?」

 宵様は心底信じられないと言った表情で目を見開いていた。
 宵様は私が呪いの呪符を浄化できる理解して、任せてくれたのではないのか。

 そこで私ははっと気づく。
 怪我を治す『癒やしの力』はこれまで幾度となくお見せしたが、よく考えれば、実際に宵様の前で『呪いを浄化する力』を披露したのはこれが初めてだったのだ。

​「あの! これで、宵様の呪いも――」

​ 『解くことができるので安心してください』と。
 そう続けようとした私の言葉は、
 
「へぇ。すごいねー、螢ちゃん」

 聞き覚えのあるのんびりとした声に遮られた。