呪いの神子とサトリの契約婚 ~心を読める美麗妖は、お飾り妻を手放せない~

 待ちに待った翌日。


 ​ 早朝から姿見の前で双子と私は頭を悩ませていた。

「おつかいに行くだけだから、いつもの山吹色の着物にしようかな」
「しのさんが絶対に今日のお出かけにその地味な着物は許さないと思います!」
「この柄の着物が良いって!」
「そ、そうかな……」

 双子の気迫に、あの日のしのさんの熱い姿が重なる。彼らの熱意を尊重して、私はその意見に従うことにした。

 ​「えっと……お待たせいたしました」


 待ち合わせとは行かないまでも座敷で寛ぐ宵様に声をかける。
 宵様は藍の着流しに羽織姿だけれど、相変わらず完璧に美しかった。
 声をかけられた宵様が、振り返り、ほんのかすかに目を瞬かせる。

「……それを着たのか」
「宵様が選んだ着物と双子達にうかがったんですが……本当ですか?」

 双子達イチオシの着物は、白磁のような生地が裾へ向かうにつれ薄水色に滲むように染まっている。そこに蛍火めいた淡い金色のぼかしがふわりと浮かぶ、控えめな色合いなのに上品なものだ。
 白銀を基調に金糸の織柄が浮かぶ帯に、宵様の色である紅の帯締をきゅっと結ぶ。

「ああ。やはり螢の美しさをよく引き立てている」

 宵様はうっとりとしたように目を細めて、そう言った。
 あまりにもすんなり、直球で褒められてしまい、恥ずかしさでいてもたってもいられなくなる。
 けれど、せっかく選んでいただいた着物が似合うかどうか不安だったから、これを選んで本当に良かった。

「あ、ありがとうございます。宵様もすてきです。かっこいいです」
「お前はいつもそう思っているだろ」
「たしかにです!!」

 まさに先程感じていたことを完璧に言い当てられ、思わず口に手をあてる。

 さすが宵様。私の心なんてお見通しですね。

 普段どおりの会話に、初めてのおでかけに気負った心がほっとして、息がしやすくなったような。
 それに、宵様が選んでくれた着物に包まれている安心感もあるだろうか。
 何度でも思ってしまう。さすがは私の推し、最高です。


 ふっと口元を和らげた宵様は「行くぞ」と立ち上がった。

 慌ててついていこうとしたが、あろうことか宵様は私を抱き上げた。

「え?」

 そのまま、すたすたと足早に玄関に向かう宵様の意図が掴めない。振り返ると、見送りの双子が手を振っていた。

「ゆっくりしてこいよ!」
「仲良く、いってらっしゃいませー!」

 ​ 双子に玄関で草履を握らせられた状態で、私は困惑する。

「よ、宵様?」
「街までは飛ぶ。しがみつけ」
「は、はい?」

 宣言と同時に、私の身体はいつかの強烈な浮遊感に襲われた。あの、内臓がふわりと浮く感覚だ。

 このお屋敷は帝都郊外の小高い丘のてっぺんにあるため、普通なら自動車や馬車でしか街に降りられないはず。

 けれど宵様は悠々と屋根を駆け、木々から木々へと飛び移っていく。

 まさしく、人間の常識を超えた妖らしい移動方法だった。

 前回ほどお腹を圧迫する衝撃はなく、宵様の着物をしっかり掴むことで安定はしていたはずなのだが。

「おい! しがみつけって言ったろ!」
「え、でも……」
「ここから落とすぞ……」
「はい?!」

 ちらりと向けられた赤い瞳が下を指した。つられて見てしまい、ぞくりと背筋が凍る。

 ビルの5階建てはありそうな高い木の枝を、まさに飛び移っている最中だった。
 遥か下には、豆粒のような大きさの馬車が木立の間を走っているのが見える。

「た、たかい!」

 怖いから絶対に下を見ないようにしていたのだが、恐怖のあまり、反射的にぎゅううっと宵様の首に両腕を回してしがみついた。もうなりふり構っていられない。

「だから、いっただろ」

 どことなく機嫌が回復した宵様は、あっという間に帝都中心街まで山を駆け下りた。


 活気あふれる帝都の街並みは、見たことがないくらい色鮮やかだった。店先に昇るのれんも、人や妖の服装も、森の緑と木造屋敷の茶色しかない里の大通りとは全く違った。
 見るもの全てが珍しく、私はきょろきょろと辺りを見回してしまう。

 大きな赤いリポンで金髪を結い上げた海老茶色した袴姿の女学生さんについ目を奪われる。

 大正レトロ可愛い!
 そういえば、ヒロインも袴姿でよく帝都を歩いたりしていたな。
 たしか帝都を歩いていた時、暴漢から光城様に助けられたのが2人の出会いだったな。
 今にして思えば、なぜ皇太子が護衛もつけずに街中をふらついていたんだ。やはりつかめないひとだ。

「おい、ほかの男のことなんかで……迷子になるな」
「は、はい?!」

 突然、宵様のいつもより何割か不機嫌な声がかかり、身をすくませる。

「あ゙? お前なんて、潰されるぞ」
「うっ」

 ぐうの音も出ない。私の身長が低いがために、行き交う人々の顔で視界を塞がれている。
 首を伸ばさなければ建物の外観をみることすらできない。
 そんな不甲斐ないやつが、ふらつくなってことですね。

 しゅんと眉を下げた私の顔を宵様はじっと見つめると、深いため息をついた。

「……離れるな」

 そう言って宵様は、肩を掴み引き寄せる。
 おつかいで役に立つ予定が、早速お手を煩わせてしまった。

「よ、すすみません」
「螢」

 急に名前を呼ばれ、ぐいっと手を引かれた。

「こっちだ」

 包み込むような大きな手も声も優しい。
 だが、ぎゅっと握られた指先から伝わる熱が身体を駆け巡っていく。
 真っ赤になっただろう顔を見られたくなくて、戸惑いの声も上げられず、頷くしかなかった。

 石畳の通りには、人力車の車輪ががたごと音を立てているし、活動写真館前で客寄せする活弁士の声もするというのに、自分の心臓の音しか聞き取れない。

 なんとか景色で意識をそらそうと試みるが、繋いだ手に意識が向いてしまう。


 もうこのままでは心臓が破裂しそうだと思った頃に、宵様は巨大な獅子像が鎮座する百貨店で立ち止まる。

「ここって……」
「『せいち』なんだろ?」
「…………」

 きょとんとした私に宵様はくっと肩を揺らす。振動が手からも伝わる。
 やっと彼の言いたいことを理解した。

「……っありがとうございます!」

 初めて帝都を眺めたときに思い浮かべた二頭の獅子像だった。
 立派なたてがみの1本1本まで精密に再現された銅像は、大理石の台座を含めると、私より背丈が大きく、開いた口からは立派な牙が見えた。

「あ、牙がありますよ!」

 宵様の手をぱっと離し、獅子像に手を伸ばす。
 獅子像の背中を撫で下ろすとひんやりとした金属の感触に、興奮がとまらくなる。

「 つめたいです! この子!」
「……ああ」
「宵様も触ってみてください!」
「わかった」

 やれやれと肩をすくめた宵様は私の頭を撫でた。
 獅子像を触ってといったのに?
 口を尖らせた私の頭をさらに撫でる宵様はふは、と小さく吹き出した。

 初めてみる無邪気な笑顔。

 真正面から直視してしまったその瞬間、時が止まったような気がした。

 何なんだろう。変な気持ちだ……これ。
 いつもとは違うところが疼いてしまった気がして、胸をそっと擦る。

「なんだよ?」

 宵様は拭ったように直ぐ様眉間にシワをよせてしまう。
 その顔は大好きないつもの宵様の表情で、きゅんと胸が高鳴った。
 やはり気のせいだったらしい。獅子像に興奮してしまったからかもしれないな。

 これ以上付き添いの分際で、時間をとらせるのは申し訳ない。

「いいえ! おつかいいきましょう!」

 ふるふると首を横に振り、両開きのガラス戸を指で指す。

「そうだな」

 私に見向きもせず百貨店の扉をくぐる宵様のあとを追う。
 あの何でも見透かしてしまう赤い瞳が逸らされ、ほっと小さく吐いた。


 連れて行かれたのは、ガラスケースの中には、花を模した簪や蒔絵の櫛が並んでいるフロアだった。

「わぁ……きれい」

 思わず感嘆の声が漏れる。
 しっとり輝く黒漆塗りに鮮やかな紅玉の簪と櫛に目を奪われてしまう。
 宵様の色だ。しかも散った金粉が螢の意匠に見えてしまった。繊細なのに可愛い。


「螢らしいな」
「ですよね。すごく可愛いです!」

 足を止め見つめていたら、いつの間にか宵様がじっくりとその簪を眺めていた。
 この簪の模様を宵様も『螢』だと思ったみたいだ。
 宵様と感性が一緒なんて嬉しすぎて、つい笑みがこぼれる。

「お嬢様がお召しの螢紋の着物にとってもお似合いでございます!」

 私達に気がついた店員さんがわざわざケースから取り出し、赤いビロード敷きのトレイに置いてくれた。
 買うつもりもないのに、どうしたら。
 慌てる私をよそに、宵様はその簪を手に取り、無言で私の髪に差した。

「……似合うな」
「え?」
「ん。これと揃いの櫛も包んでくれ」
「はい?」

 さらりと店員さんに告げられ、困惑する。
 値段すら聞かずに購入を決めた宵様の袖をつい引っ張ってしまった。

「あの、その……代金が」
「俺が挿したいだけだ、気にするな」
「ひえ……」

 私たちが話し会っている間にも、店員さんは笑いながら、手際よく桐の箱に簪と櫛を梱包していく。
 商売上手過ぎる。

「仲の良いご夫婦ですねぇ」
「いえ……っ」
「……」  

  店員さんの言葉に宵様は否定せず、支払いを済ませていた。
 ちらりと聞こえた値段は、かなりの金額だった。

 何ごともなかったように、梱包されてしまったものを私に渡す宵様だ。

「ほら、持てよ」
「……こんな高価なものどうすればよいですか。返せないです」

 腕を組んだ宵様が考えるように天井に視線を投げ、ぽそっと漏らす。


「……手」
「手? 怪我されました? 治します?」

 ご所望通りに右手の平を上に向けて差し出すと、大きな手が重なった。

「これでいい」

 宵様は指の間にするりと指を交互に差し入れてぎゅっと握った。

 不意打ちだ。息が止まる。

「っ……」

 ぴったりと重ねた手の平が熱い。
 指の付け根が硬いなんて知らなかった。
 手の平の些細な感触の違いすら感じてしまうくらい密着している。

 声も出せず、繋いだ手をただ見つめていると。

 ごほんっと咳払いした宵様は顔を背け、歩きだしてしまう。

「……プティングはこっちだ」
「が、がんばります!」

 私がなにも返せないから、わざとありえないことをして、はぐらかしてくれたのかな。

 不意に向けられた不器用な優しさが嬉しくて、目頭まで熱くなる。
 まばたきを繰り返し、胸元の包みを大事に抱え直す。

 宵様と恋人繋ぎをするという天国のような地獄を味わいつつ、幸せな気持ちで歩幅を合わせた。