嘘つき蛇は、今日も私を離さない

教室のあちこちで友達同士の話し声が飛び交う。

そんな中、私は頬杖をつきながら、窓の外を眺めていた。

頭の中に浮かぶのは、昨日のことばかり。

──『キクが泣き虫なん、今でも覚えとるくらいには、特別やで』

あの言葉が、離れない。

『特別』ってどういうことよ。
なんにも話してくれないくせに。
……意味わかんない。

「キク」

名前を呼ばれ、私ははっと顔を上げた。

振り向くと、斑目がじとっとした目でこちらを見下ろしていた。

「おはよう」

少し不機嫌そうな声だった。

「お、おはよう」

「で?」

斑目は私の隣の席にどかっと腰を下ろした。

「昨日のあれ、なんだったの?」

昨日の出来事が一気に蘇る。

銀也を見つけた瞬間、店を飛び出し、斑目を置いていったこと。

「あぁ、ごめん! ホントにごめん」

私は勢いよく両手を合わせた。

斑目はため息をついて、腕を組んだ。

「……ったく。あの後、めちゃくちゃ恥ずかしかったんだからな。店にいた客全員がこっち見てきて」

「うっ……」

容易に想像できた。

一人だけ取り残された斑目の姿が。

申し訳なさに、思わず肩を縮こませる。

「呼んでも全然振り向かないしさ。なんで、あんな急に出て行ったんだよ?」

「いや、その……」

言い淀んでいると、

「よっ」

斑目の後ろから声がした。

顔を上げると、クラスメイトの柊が軽く手を上げながら近づいてきた。

斑目は振り返り、

「おはよ」

と、ぶっきらぼうに返した。

「なんだよ、朝っぱらから。ケンカか?」

柊は面白そうに片眉を上げる。

「いや、ケンカというほどでもないんだけど……」

私が苦笑すると、斑目はじろりと私を睨んだ。

だから、ごめんって……。

「昨日、こいつとマックにいたんだよ。そうしたら、こいつ、血相変えて店を飛び出して行ったの。私をお・い・て」

「へぇ。珍しいな」

柊は意外そうに目を瞬かせた。

「松本がそんなことするなんて」

「だろ?」

斑目は腕を組んだまま頷く。

「飛び出して行った理由、白状しろ」

斑目は私に詰め寄った。

私は言葉に詰まった。

銀也の顔が脳裏をよぎる。

「……その、ちょっと、色々あって」

「ちょっと、じゃねぇだろ」

斑目が即座に突っ込む。

「家が火事にでもあったのかよ」

「それは言い過ぎ!」

「じゃあ説明しろ」

「うっ」

痛いところを突かれ、私は口をつぐんだ。

すると柊が苦笑した。

「まぁまぁ。話したくないなら無理に聞かなくてもいいだろ」

「……柊、お前、キクに甘すぎ」

斑目は呆れたような表情を彼に向けた。

「そうか?」

「そうだよ。私の身にもなれって」

柊は小さく笑った。

「まぁでも、松本って普段そんなことしないからな」

柊の視線が私へ向く。

「相当びっくりすることがあったんだろ?」

「えっと……」

答えようとした矢先、予鈴が鳴り響いた。

「……たくっ、キク。今度購買の弁当、奢れよ」

「なんで!?」

「置いてかれた慰謝料」

斑目は不機嫌そうにそう言い残して、自分の教室に戻って行った。

私はふうっと肩で息をした。

去り際、柊は私の肩を軽く叩いた。

「まぁ、松本が言いたくないなら仕方ないけど」

一瞬だけ言葉を止める。

「無茶だけはすんなよ」

そう言って笑うと、柊も自分の席へ戻っていった。

私は小さく息を吐いて、窓の外へ目を向けた。

校庭に植えられた桜は、花びらを散らしながら、少しずつ葉桜へ変わろうとしていた。

銀也の学校も、もうホームルームが始まっている頃だろうか。

そんなことを考えているうちに、教室の喧騒が少しずつ静まっていった。

やがて担任が出席簿と教材を抱えて教室へ入ってきた。


***



空手部の活動へ向かう斑目と別れ、私は昇降口へ向かった。

下駄箱の前で、盛大なため息をつく。

購買の一番高いトンカツ弁当。

あれでなんとか機嫌を直してくれたけど、財布の中身はかなり痛い。

慰謝料ってなんなのよ、ほんと。

まぁ、私が悪いからしょうがないけど……。

それにしても、今日は散々だった。

英語の課題を忘れるわ、現代文の音読で噛むわ。

授業中も気を抜けば、昨日のことばかり考えてしまう。

──『僕も嬉しいで』

思い出した瞬間、私はぶんぶんと頭を振った。

それもこれも、銀也が変なことを言うせいだ。

四年間も音沙汰なしだったくせに。

今さら何事もなかったみたいに帰ってきて。

ヘラヘラ笑って。

軽口ばっかり叩いて。

人を振り回して。

「……ほんと、腹立つ」

ぽつりと呟く。

そうだ。

考えるからダメなんだ。

あんな薄情な嘘つき男のことなんて、考えなければいい。

忘れればいい。

昔みたいに振り回されなければいいのだ。

私は一人で頷きながら、ローファーへ履き替え、スクールバッグを肩にかけ直した。

昇降口を出たところで、なんだか妙な感じがした。

やけに女子たちがそわそわしているのだ。

通り過ぎる子たちが、ちらちらと校門の方を見ている。

頬を染めながら友達同士で何かを囁き合い、スマホを取り出している子までいた。

なんだろう?

校門の方から歩いてきた女子二人組が、私の横を通り過ぎる。

二人とも興奮した様子で、ひそひそと何かを話していた。

思わず耳を傾ける。

「誰あれ?」

「めっちゃかっこよくない?」

「伸央大付属の制服だったよね」

「うん。彼女でも待っているのかな?」

「そんなまさか」

……伸央大付属?

嫌な予感がした。

私は人だかりの向こうへ、恐るおそる視線を向けた。

見慣れた黒い学ラン姿が、校門脇にもたれていた。

退屈そうにスマホを弄っている。

見間違えるはずがない。

「う、うそ……」

思わず足が止まる。

なんでいるの。

なんでそこに立ってるの。

伸央大付属って、ここから反対方向じゃなかったっけ。

頭の中に疑問符が次々と浮かぶ。

しかも。

校門を通る女子たちがちらちらと視線を向けている。

本人はそんな視線などどこ吹く風で、壁にもたれたままスマホを弄っている。

相変わらず、無駄に目立つ男だ。

私は反射的に物陰へ身を隠した。

――いや、待って。

なんで隠れてるの、私。

別に悪いことしてないし。

そもそも、さっき決めたばっかりじゃん。

あんな薄情な嘘つき男のことなんて考えないって。

そうだ。

見なかったことにしよう。

知らない人。

あれは知らない人。

私は何度も心の中で唱えた。

そして意を決して校門へ向かって歩き出す。

ただまっすぐ、前を向いて歩く。

大丈夫。

向こうだって私を待っているわけじゃない。

きっと誰か別の人を待っているんだ。

そのまま通り過ぎれば――

「キク」

聞き慣れた声が飛んできた。

私はぴたりと足を止め、恐る恐る振り返る。

銀也はスマホをポケットへしまいながら、こちらへ歩いてきていた。

周囲の女子たちがざわつく。

「えっ」

「知り合い?」

「今、名前呼んだよね?」

「あの人、彼女なの?」

ひそひそ声が耳に入る上、女子たちの視線が私に集中する。

穴があったら入りたい気分になった。

銀也はそんな周囲の視線など気にも留めず、私の目の前で立ち止まる。

「お疲れさん」

まるで偶然会ったみたいな気軽さだった。

「……『お疲れさん』じゃないわよ!」

思わず声が大きくなった。

銀也はきょとんと首を傾げる。

「なんで、ここにいんのよ!」

銀也はあっさり答えた。

「迎えに」

「はぁ!?」

思わず変な声が出た。

「そんな驚かんでも」

「驚くでしょ!」

私は周囲を指差し、小声で訴えた。

「見てよ! めちゃくちゃ目立ってるじゃん!」

銀也は目をぱちぱち瞬かせ、あたりを見回した。

それから私へ視線を戻すと、面白そうに目を細めた。

「ほんまやなぁ」

「『ほんまやなぁ』じゃないわ! みんな見てるじゃん!」

「キクも見られとるな」

「そういう話じゃなくて!」

「人気者やん」

「誰のせいよ!」

すると近くを通った女子たちが、こちらにちらりと視線を投げ、くすくすと笑いあった。

顔に一気に熱が集まる。

きっと今の私は、お風呂上がりみたいに真っ赤だ。

銀也はそんな私を見て、肩を揺らした。

「ほんま、キクはおもろいなぁ。見てて飽きひんわ」

「……っ!」

本当に腹が立つ。

腹が立つのに。

こいつは昔からこうだった。

人を振り回しておいて、自分だけ楽しそうに笑う。

「なんで迎えになんて来たのよ」

私が睨みつけると、銀也は瞳を覗き込んだ。

「キクに会いたかったから」

「は?」

思考が止まる。

銀也は数秒だけ真顔を保っていたが、やがて吹き出した。

「って言うたらどうする?」

「……っ!」

殴りたい。

今すぐ殴りたい。

銀也は楽しそうに目を細めた。

「嘘ウソ。冗談や。暇やったから来ただけや」

「帰れ!」

私は即座に叫んだ。

「いや、今から帰るやろ?」

しれっと銀也は答える。

「ほな、帰ろか。キクちゃん」

そう言って、銀也は当然みたいな顔で歩き出した。

私は額を押さえた。

数歩進んだところで、銀也が足を止めた。

振り返る。

「帰らんの?」

「帰りますよ!」

渋々その背中を追いかけながら、私は深いため息をついた。

校門の方を見ると、まだ何人もの女子たちがこちらを見ている。

……終わった。

明日にはきっと、

『校門前で彼氏と喧嘩してた』

だの、

『他校のイケメンが迎えに来てた』

だの、

好き勝手な噂が流れているに違いない。

全部、このヘラヘラ男のせいだ。