あかりもり

「ねぇ綴」
彼の深い響きの歌声の残響が消えるのを待って声を掛けると、何てことないように冷めた表情の綴が此方を向いた。軽く歌っただけであれなんだから、本当に恐ろしい子だ。
「星來と維月にさ、どこかのタイミングで小さい発表会みたいなものやればって言ってるんだけど……綴もやりたい?」
綴はちょっと考えるように首を傾げて、ちらっとイサナの方を見た。
「歌っても良い?」
「……何故私に訊くんだ。お前の曲なんだから、お前のやりたいようにやれば良い」
「いや確かに俺の曲だけど、イサナの詩だよ」
真っ直ぐにそう言った綴に、イサナが目を瞬かせる。数瞬の間を置いて、彼女の目がふっと笑ったのが見えた。
「好きにしろ。お前に任せる」
腕を伸ばしてくしゃくしゃとその頭を撫でたイサナの手を、綴が「頭撫でんな」と振り払う。それを見て、俺は星來と維月と一緒に声を上げて笑った。
俺ともう何人かで同じような話をしていた時に杠さんが言い放った言葉を思い出す。それをそっくりそのままなぞるようにして、口を開いた。
「じゃあその日ここみんなに貸し切るからさ、僕遊びに行ってきて良い?」
俺の言葉を聞いた彼らが、かつての俺と同じような表情を浮かべた。
「最初からはだめです。どこか行くならせめて何回か本番こなした後に」
焦った様子の星來に「分かった分かった」と返しながら、少し笑ってしまう。
「透夏さんは歌わないんですか」
「遠慮しておくよ。僕、もうそっち側からは一線を引いてるし」
維月の問いにそう答えると、「へぇ、勿体無いな」というイサナの声が聞こえた。
「え?」
「聞こえなかったのか? 勿体無い、と言ったんだ」
「……それは分かったけど。その心は?」
「此奴らに一度くらい日向の歌を聴かせるのも一興だと思ってな」
「あんたそれ、遠回しに透夏さんの歌褒めてるの?」
綴が愉快そうに口を挟む。
「さぁ。そうだったら良いな日向」
「どっちでも良いよ」
「……あの」
星來が静かに声を上げた。
「私、透夏さんの歌聴いてみたいです」
星來の言葉に綴が頷く。維月はにこにこしながらそんな2人を眺めている。俺が困ってイサナの方を見ると、彼女は勝ち誇ったように笑っていた。
「……イサナ、どの曲が良いの」
諦めてそう訊くと、イサナは「そうだな」と呟いて少し考える風をした。
「あれはどうだ。あの、ユーレイだか亡霊だかって題の」
「もしかしてだけど、『幻影』のこと?」
「それだ」
よく分かったなと言う彼女に、笑ってしまう。幽霊はともかく、亡霊はないだろう。
「へぇ、あれか……」
透夏が消えた後に書いた曲。俺にとって大事な曲だけど、そうか。誰かの印象に残るようなものだったのか。
「嫌なのか?」
「ううん、違う。ただ静かな曲だから、ちょっと意外だった」
「何だと思っているんだ。私だって静かな曲くらい聴くぞ」
「待って、話が進んでるみたいだけど……透夏さん、歌ってくれるの?」
綴の戸惑ったような声が聞こえて、笑って見せる。素直に頼まれると、俺は弱い。
「ねだられたら歌わないわけにはいかないよ。代わりに目立つの嫌だから、入れるなら最初に入れて」
「目立つの嫌だから」と言ったところで、星來たち3人が僅かに眉を顰めたのが分かった。
だってここでの主役は君たちだからね。
声には出さずに、そう呟く。
「真ん中じゃなくて良いんですか?」
「ライブは一般的に真ん中が主役なの」
へぇ、と声を揃える3人に、少し笑ってしまった。

「ねぇ綴くん」
星來が綴に声を掛けるのを、俺はカウンター越しに眺めている。
「綴くんみたいに真っ直ぐ声出すには、どうしたら良いの?」
「俺、星來さんの歌聴いたことないので分からないです」
なんてストレートに言うんだ。
「じゃあ、星來が歌えば分かるってこと?」
飄々とした調子で言葉を返す維月に、流石だなと思う。彼は人との距離感を掴むのがすごく上手い。
「……あんまり鵜呑みにはして欲しくはないけど、大体は」
「よし。じゃあ星來、こっち」
慣れた調子で、星來が手招きする維月の隣の椅子に座った。
「どんな曲が良いの?」
「何でも。でも、星來さんの良さが出る曲の方が良いです」
星來の問いに綴がさらっと答えた。この子は偶に、音楽を自明の真理みたいに扱うことがある。
しばらく相談していたらしい2人が、呼吸を合わせてすっと息を吸い込んだ。維月のギターが、星來の透き通るような声が、スタジオの空気を心地良く震わせていく。それを綴は、静かに聴いていた。
「……分かっちゃいたけど、上手ですね」
「だろ?」と維月が本人以上に得意気(とくいげ)な顔をした。星來はぶんぶんと首を横に振っている。
「俺と星來さんだと大分声質違うので、たぶん無理に俺の出し方真似ると、星來さんの声潰れてしまうと思います」
「……つまりは?」
「そのまんまで良いです」
拍子抜けしたような星來の表情に、少し笑ってしまった。
「そういうもの?」
「はい。そういうものです」
ね、と綴に言われて、「うん」と頷く。星來はやっぱり不思議そうに目を瞬かせている。
「……そういうものですか」
「そういうものだよ」
合わせるべき正解がない、というのが、彼女にとっては不思議だったのかもしれなかった。

「よ」
聞き馴染みのある声に振り返ると、イサナが片手を挙げて立っていた。
「え、来たの? 珍しいね」
こういう場に彼女がやってくることは、今までほとんどなかった気がする。
「暇だったし、偶にはな」
「ふぅん」
「ところで日向。人前に立つのにあまりにも普段通りの格好というのはどうなんだ」
「だって気張って立つような場所じゃないし。客商売って意味ではいつも人前に立ってるよ」
「店主殿が聞いたら怒りそうだな」
「んなわけないでしょ、そもそも杠さんがそう言ってたんだから」
ふらっと立てるくらいの場所が一番良いよ、という杠さんの言葉を思い出した。
「あれ、イサナさんがいる」
「よぅ」
維月と星來、その後ろから綴もこっちにやって来て、少し驚いたような顔をする。イサナが観に来るのが予想外だったのは、みんな同じだったらしい。
「少女、今日は髪を下ろしてるんだな。似合ってるぞ」
「あ、ありがとうございます」
星來が少し照れたように笑った。いつもと違う気がすると思ったらそのせいか。
「いつも一つ結びだから、てっきりそれしかできないかやりたくないのかと思っていたが」
「はい、私はあれしかできないんですけど。今日は維月がやってくれました」
「へぇ。器用なんだな少年」
やった、と星來の隣に立つ維月が少し戯けたように笑った。
「透夏さん、あと何分ですか?」
「時計を見られる程度の目はあるでしょ?」
「うわ手厳しい」
「何時からでしたっけ」と維月に尋ねに行く綴を見て、笑ってしまう。
「ケチだな。時間くらい教えてやれば良いものを」
「いやぁ。自分たちで動いてなんぼでしょ、こういうのは」
まぁな、とイサナが呟いたのが小さく聞こえた。
「ところで日向」
「なに」
「初舞台に臨む少年少女に何か言うことはないのか」
俺は? と訊いた綴に「お前も少年の内だ」と鬱陶しそうにイサナが答える。
何か? 何かって言ったって、特に改まって何かいうことはない。
「ないよ」と言い掛けたところで、少年少女3人が俺の方を見ていることに気付いた。ふっと息を吐いて、少し考える。
「……頑張ろう、とか言う必要はないだろうし、リラックスして、とか言ってもたぶん無理だよね」
少年少女の顔が少し綻んだ。
「必ずしも大成功を収める必要はないけど、せっかくの機会なんだし」
顔を上げる。にこっと笑って見せる。
「楽しんでおいで。僕もそうするから」
3人の真っ直ぐな目が俺を見る。それがそれぞれ頷いたのを見届けてから、店のギターを取って立ち上がった。人集(ひとだか)りと言えるかも怪しい、でも温かい雰囲気の客の前に、ゆっくりと歩いて行く。
またこんなところで歌うとは、思っていなかった。
ふっと笑って、頭を下げる。
「皆様、本日はご来場いただき誠にありがとうございます。えー……10代の生命力(みなぎ)る発表を楽しみに来て頂いた皆様、一番最初に最古参が出て参りましたこと、ひとまずお詫び申し上げます」
自虐も込めて笑って見せると、目の前の空気が一段柔らかくなったのが感じられた。
「僕ももうこのような場からは一線を引いておりますので、出演するとは夢にも思っていなかったのですが……いつもお世話になっている部下と常連には逆らえず、頭にちらっと出番をいただきました」
星來と綴が微かに笑ったのが見えた。
「日向という名前で覚えていただいている方も多いとは思いますが、歌っている間は透夏と名乗っています。よろしくお願いいたします」
柔らかい拍手の音。
すっと息を吸い込む。
透夏に、届くだろうか。
歌うたびにそう思うこの曲は、やっぱり特別で、大切で、少しだけ、不思議な曲だ。