あかりもり

馴染みのある公園に行ったら、変な人がいた。ベンチに座っている人に片っ端から声を掛けて、怪訝そうな顔をされている。落とし物とかだったら、あんなに怪訝な顔はしないだろう。
何してるんだろうな、と思いながら、ヘッドホンを着ける。やっと涼しくなってきたこの時間帯の公園は、割合に多くの人がいた。両耳を覆う小さな空間が音楽で満ちてきて、俺はその流れに静かに身を任せる。
ワッパ、という声が遠くから聞こえた気がした。何だワッパって。呼び掛けなのか。
ガッという音と共に、音の波が一気に引いた。首を竦め肩を強張らせながら、ヘッドホンが持っていかれた方向に目をやる。さっきまで見ていた変な人が、目の前に立って俺のヘッドホンを持っていた。明るい色の髪を長く伸ばした女の人。20代半ばぐらいだろうか。
「ワッパ」
凛とした声に、顔を上げた。「ワッパ」という音が、やっと脳内で「(わっぱ)」に変換される。
「君、音楽家だろう」
いきなり掻っ攫った物を返して欲しい。
「……は?」
思わず素っ頓狂な声を上げた。だってそうだろう。この調子じゃ、揃いも揃って眉を顰められるのも納得がいく。
「だって君、コレで何か聴きながらずっと両手が動いていた。ピアノか? もし作曲の趣味があれば、手伝って欲しい」
何だこいつ。
確かにピアノはずっとやっているし、幸か不幸か作曲の趣味もある。でも目の前の人の得体の知れなさが、俺の喉を締め上げていた。
「私はな、詩を書いているんだ。あ、詩と言っても詩集に載るような堅苦しいものじゃなくて、歌詞と言ったら良いのか? 曲にしたいんだ」
俺が拒絶しないのを良いことに、彼女はペラペラと喋り続ける。よくマシンガンに喩えられる俺もこんな感じなんだろうか。どうしよう、嫌だ。
「でもなぁ。私には作曲の才が皆無で、それができる人を探しているんだ。私のコミュニティには詩から曲を連想できる人が居ないらしいから」
立って喋り続けていた女の人が唐突に俺の前にしゃがみ込んだ。ヘッドホンを俺の手に返して、続ける。
「というわけで、どうだ? 報酬は出ないが、こんなところでぼうと座ったままエアピアノを奏でているよりはずっと有意義な時間になる」
俺が作曲できる前提で話が進んでいるのが恐ろしい。
「……ここに座っているのだって別に無意義な時間じゃない。そして作曲をするかは詩の完成度による。駄文雑文に俺の曲なんて乗せてやらないぞ」
我ながら随分偉そうだと思ったけど、ここまで傍若無人に振る舞われたら、ここまでやってもお釣りが来るというものだ。
「そうか。じゃあこれ。私のものだ」
ヘッドホンの上に紙の束がバサっと置かれた。()めろよ。お年玉を貯めて買った高いやつなんだぞ。
溜息を吐きながら、ぺらりと1枚ページを捲る。その瞬間、頭の中に風が吹き抜けるような気がした。
もう1枚、捲る。あぁ、これは。
すごい。俺にそのすごさを言語化する能力が無いのが、惜しいくらいだ。
「……俺は(つづり)だ。あんた、名前は」
「綴。良い名前だな。私は別に名乗るほどの名前は持ち合わせていない。『イサナ』とでも呼んでくれ」
イサナ。聞き馴染みのない名前だ。
「よろしく頼むぞ童。ひとまず、私が属するコミュニティに来てくれないか」
名前呼ばないのか。なんで訊いたんだ。
「詐欺集団?」
「まさか」
イサナが気持ち良く笑った。
曲者(くせもの)で、馬鹿みたいなお人好しが集まる音楽スタジオのような場所だ。ここから歩いて10分と掛からない」
音楽スタジオという音の響きには勝てなくて、頷いた。ヘッドホンを鞄に仕舞って、立ち上がる。
「分かった」
11分歩いて着かなかったら逃げよう。
それだけ思って、俺はイサナの後を追った。日暮(ひぐらし)の声が、遠くに聞こえていた。

10分足らず歩いたところで、俺の前を歩いていたイサナがぴたっと足を止めた。唐突に動かなくなった背中にぶつかりそうになり、ふらっとよろける。
「急に()ま」
「ここだ」
()まんな、と言い掛けた俺を遮るように、というか(はな)から聞いていないみたいに、彼女の言葉が俺の言葉に被さってきた。イサナが指差した先には、薄暗くて狭い階段が下に伸びている。怪しさしかない。
「ほら、行け」
「……あんたが先に行け。そうじゃないなら帰る」
流石にこの狭い通路で背後を取られるのは抵抗があった。
「何だよ、順番くらいで強情な」
そう毒突きつつ、彼女はさっさと階段を降りていく。俺も慌てて後を追った。バンと大きな音を立ててイサナが扉を開くと、「あ、イサナさん。こんにちは」という声が聞こえてきた。そのうち扉を壊しそうなイサナの後ろからそっと中を覗くと、聞いていた通り、音楽スタジオのような空間が広がっている。
「あれ、こんにちは。イサナさんのお友達?」
少し長い髪をハーフアップにした男の人が俺を見、人懐っこい笑顔を浮かべた。歳は俺と同じくらいだろうか。違うと言おうと息を吸い込んだところで、俺の前に立ったイサナが俺を遮る。
「いや、違う。さっきそこの公園で出会った音楽家でな。こんな場所があると言ったら付いて来たんだ」
「あんたに連れて来られたの間違いだろ」
「そうとも言うな。ただ名誉のために言っておくと、私は一度も無理強いなんてしていないぞ」
上手く反論できなくて、ぐっと口を噤む。イサナが俺を見て勝ち気そうに笑った。大人気(おとなげ)のないことだ。
「こんにちは。あれ、イサナさんの友達?」
こちらも俺と同じくらいの歳の女の人が店の奥から現れて、にこっと笑った。
「友達じゃないです。連れて来られました」
「私の審美眼に適ったなんて名誉なことだぞ。彼、音楽家なんだ」
俺の皮肉を欠片も意に介さず、イサナがすっぱりと言い放った。こういう人間を自信家というのだろうか。でも才能が見合っているから、文句を言えない。
「うーん? イサナさんがその子をスカウトして、連れて来たってこと?」
「そういうことだ。流石、少女は物分かりが良いな。少年も見習え」
少年と呼ばれた男の人が不満気に口を尖らせる。「俺もう少年ってほど子供じゃないんだけど」と言いながら、イサナの斜め後ろに立つ俺の方に近付いて来た。
「こんにちは。俺、維月と言います。あっちの子は星來。俺が18歳、彼女が17歳。君は?」
「……綴、です。16歳、高1」
「お、星來の一つ下だな。よろしく、綴」
「……よろしくお願いします」
案外まともそうな人だな。
俺は失礼にも、頭の中でそんなことを考えていた。
「そういえば日向は?」
「透夏さんなら、奥で物置の整理してますよ。掃除が趣味みたいなものですから」
星來さんが笑って言ったのを、イサナはふぅんと興味なさげに流した。
「真面目かよ。つまらんな」
なんてこと言うんだ。
申し合わせたように足音が聞こえてきて振り返ると、奥から戻ってきたらしい男の人が俺を見て「あれ、いらっしゃい」と笑った。イサナと同年代か、少し下に見える。
「……こんにちは」
「こんにちは。イサナの友達?」
「友達じゃないです」
「イサナさんがスカウトしたそうですよ」
俺の言葉に、維月さんが言葉を付け足す。ふぅんと頷いて、日向さんだか透夏さんだかが俺を見てまた笑った。
「初めまして。僕、日向と言います。でも透夏って呼ばれてるから、もし良ければ透夏って呼んで」
「あ、俺、綴です。よろしくお願いします、透夏さん」
そう返すと、透夏さんが嬉しそうに笑った。人当たりが良い、優しそうな人だ。
ぐるりと辺りを見回すと、店の奥の方にある黒光りするピアノに目が留まった。
「えっと、星來さん」
俺の近くにいた彼女に声を掛けると、「ん?」と俺の方を見て軽く首を傾げた。
「あのピアノ、触っても良いですか」
「あぁそれ? 良いよ。今日はもうスタジオ貸し出し時間も終わってるし」
鈍く光るそれに近付き、蓋を開ける。鍵盤を軽く弾くと、年季の入った見た目とは裏腹に、綺麗に調律された柔らかい音が響いた。
椅子に座って、高さを調整する。俺の前は比較的座高が低い人が弾いていたようだ。足が長くて羨ましい。
4人の視線を背中に感じながら、モノクロの視界に両手を置く。ふっと息を吐く。ぐっと音の世界に身体を沈めるように、鍵盤を叩き始めた。
ベートーヴェン、ピアノソナタ14番。通称『月光』。
即興(インプロ)で適当に弾いても良いかと思ったけど、やっぱり有名なクラシックが技量を計るのには丁度良いだろう。
とりあえず第1楽章だけを弾いて顔を上げると、店の中の4人全員が俺の方を見ていた。
「な? 良いのを拾ってきただろう?」
イサナが俺の肩に手を置いて笑う。俺がその手を振り払うと、彼女は不満気に口を尖らせた。
「良いのっていうか……とんでもない子を連れて来たね」
透夏さんが驚きと高揚が混ざったような顔で笑っているのが見えた。丁度死角にいるからよく見えないけど、維月さんと星來さんも同じような顔をしていたら嬉しいな、と思う。
「ところで、童。月光といえばもう少しローテンポが主流だと思うんだが、割と速いテンポで弾いたのは何か意図があるのか?」
「え、そっちの方がかっこ良くない?」
イサナが一瞬驚いたような表情をしたのを見て、何か不味いことを言っただろうかと思う。そう考えたのも束の間、彼女はいきなり大きな声を上げて笑い出した。
「良いなぁ童。すごく良い。自由な人間が私は大好きなんだ」
何がそんなに彼女に()まったのかは分からない。でもイサナは良い、良いと言いながらずっと嬉しそうに笑っていた。

「ところでさ」
俺がピアノの椅子に座ったまま声を発すると、俺の隣に立っていたイサナが此方を向いた。
「ここ今、5人中3人が店の人間って状況だけど大丈夫? 経営回ってるの?」
「すごいこと訊くな」
スタジオの備品であろうギターの手入れをしていた維月さんが床に座ったまま笑う。
「常連さんたちのお陰で普通に回ってるからご心配なく。これでも午前中は結構忙しいんだよ」
「そうなんすか」
「そうなんです」
俺の適当な相槌にも、彼は笑ってそう返してくる。あまりに反応が素直過ぎて、俺の方が反応に困ってしまった。
「綴は、いつからピアノやってるの?」
「5歳の時とかですかね」
「早」と呟く星來さんに、首を横に振って見せる。もっと早くから始める人間は山ほどいるものだ。
「作曲は? いつからだ」
イサナにも唐突に問われて、少し考えてしまう。いつから? いつからだろう。
「なんとなく。気付いたら」
「うわ怖い」
カウンターの後ろで何か作業をしている透夏さんが全然怖くなさそうに笑った。彼も作曲とかするんだろうか。
「ふぅん、なら才能だな。じゃあ童、私の詩に曲をつけてくれ」
「じゃあ」という接続詞がどういう脈絡で出てきたのか分からないまま、べしっと顔に叩きつけられそうになった紙束を右手で受け止めた。乱暴過ぎる。
「1人になれる空間ってこの店ある?」
ないだろうなと思いつつ訊いてみると、イサナは「あぁ」と呟いて透夏さんに向かって大声を上げた。
「日向、童に奥の部屋使わせても良いか?」
「良いよ。キーボードでも持って行く?」
「あ、ありがとうございます」
とりあえず他の3人は心配なさそうだと思って、イサナの目を睨むように見て言う。
「入ってくるなよ。気が散る」
「分かった分かった。昔話の鶴みたいなこと言うな」
降参と言うように両手を挙げる彼女に少しだけイラッとした。
「とりあえず、40分ちょうだい。浮かばなかったら諦めるから」
「いや、もうすぐ閉店時間だから20分で戻って来い」
は? という俺と透夏さんの声が重なった。
「無理か?」
40分でもかなり早いのに、20分? 普通ならあり得ない。無理だよ、と言うのは簡単だ。でもイサナの挑発的な目に、思わず乗ってしまった。
「……やってみる」
「マジか」
「よし。頼んだ」
透夏さんの呻くような声を無視して、イサナが片手を挙げる。騒めきが、足を動かす度に潮が引くみたいに遠ざかっていった。