やっぱり面倒なことになった、とは思った。
だからといって維月と星來を逆恨みするとか、受け入れなければ良かったなんて思うことはないけど。
「すみません。私、夜野といいます。ちょっとお尋ねしたいのですが」
深く通る声が、俺の鼓膜を震わせる。
「はい」
俺の目の前に立っている1組の男女──話を聞くに、維月の父親と母親──は、俺の目にはどこまでもまともに見える。でも微かに揺らぐ深い影の気配があって、それと見た目の乖離が怖かった。
「あ、ちょっとすみません」
用事を思い出した振りをして、店の奥に向かう。
「星來」
声を掛けると、星來は既に此方の方を見ていた。怯えたように顔を伏せている維月の隣に、寄り添うように立っている。
「……はい」
俺は彼らを見て、ニつのことに驚いていた。
一つは、普段飄々としていて肝も据わっているように見える維月が、両親の気配にあんなにも怯えていること。
もう一つは、彼の家の詳しい事情など知る由もなかったはずの星來が少しも維月の反応に驚いていないこと。
「ごめん、物置の整理頼んでも良い?」
人は予想外のものに遭遇した時、驚く。彼女には予想がついていた、つまりは予想がつくくらい、あの反応が身近な環境に居たのだろう。
「分かりました」
そう言った彼女の影が僅かに揺れる。
にこっと笑って見せると、星來の表情が少しだけいつもの雰囲気に近付いた気がした。
俺の咄嗟の虚言に即座に合わせてきた彼女は、一体どんな環境に居たのだろうか。
「……すみません、お待たせしました。お尋ねになりたいこと、というのは……」
笑顔を崩さずに尋ねると、維月の父親が口を開いた。
「此方こそ、お手を煩わせてしまってすみません。先日我が家に届いた住民税決定通知書がですね、約1年前に出て行った息子が扶養を抜けている扱いになっていまして。予定していた控除額と合わないんですよ」
知りませんよ。
どこまでも事務的な口調を聞きながら、ぞっとした。腹の底が見えない。この人たちは維月を、どうしたいのだろう。
「戸籍の附票を調べたところ、此方の住所が転居履歴にあったので……息子が──維月が、ここに居るのではないかと。夜野維月といいます。お心当たりはございませんか」
税金額の決定通知を見て初めて、1年前に失踪した息子の附票を調べて、ここに来た。探しに来たと考えるにはあまりにもタイミングが不自然だ。大体、維月が扶養を抜けたと申告したからといって、すぐに税金が上がるわけがない。行政から昨年は本当に控除を受けて然るべき状況だったのか、確認なんかが来るはずだ。この言い方だと、気付いていないか無視しているんだろう。
「……申し訳ありませんが」
雇用主は被雇用者の個人情報を本人の許可なく第三者に伝えられないから、俺がその情報を伝えることはできない。その旨を2人に説明すると、父親はふっと呆れたように薄く溜息を吐いた。分かりきったことを言う、とでも言いたげに。それを思うなら此方の方なのだが。何故分かりきったことを問うたのだ。
「……恥ずかしながら」
ここに来て、維月の母親がようやく口を開いた。穏やかな口調に聞こえる。でもその中に、細く鋭い棘のようなものを感じた。壁の向こうに居るであろう2人には、聞かせたくなかった。
「あれを息子と言うのも、気が引けるくらいなんです。兄の方は優秀で、真面目で。それなのにあれは愚鈍で、役に立たない。せめて家計くらいは助けてくれないと、私たちからしても割に合わない」
何を。
何を言っている。
夢を見ているのかと思った。
悪い、夢。
まともな顔をした父親が、再び口を開く。
「……そういうことなのです。だから、帰って来る必要はない。私たちもあれが戻って来ることを望んではいませんから。ただあれが勝手に出て行った上扶養まで抜けたとなると、私たちが金銭的に損をすることになる」
扶養控除を受けられる条件。
本で読んだそれが頭の中に蘇る。自分に関係ない分野を勉強していたと気付いた時にはがっかりしたけど、記憶力が良い方で助かった。使える手札は多い方が良い。
一つ。家計を一にしていること。
一つ。被扶養者の年収が一定のラインを超えていないこと。
「……失礼ですが」
嫌だなぁ。踏み込みたくない。面倒ごとには、巻き込まれたくない。俺はそこまでのことができる優しくて強い人間じゃないから。
「息子さんに仕送りなんかはされているんですか?」
「していません。行方すら知りたくないのに、金を送るわけがありませんよ」
無茶苦茶だ。1から10まで説明してやる義理もない。何より、まともな顔をしたこの人たちに、まともな論理が通用するとは思えない。素直に、帰って欲しかった。
「……それは、扶養控除の対象にはならないでしょう。それが目的なら、すみませんが、お引き取り願えますか」
営業時間中なので、と続けようとしたところで、父親がにこっと笑った。何故か神経を逆撫でされるような、怖いくらいに穏やかな笑顔。
「失礼しました。すぐにお暇致します。ただ……維月。居るなら、出てきなさい」
腕が痺れるように粟立つのを感じた。
「……維月。居るなら、早く」
母親の声。
星來の何か言う声が微かに聞こえた。何と言っているのかは分からない。
「………なんで来たんですか。透夏さんのこと、困らせないでくださいよ」
足元をふらつかせながら、維月が青白い顔を出す。最悪だ、と思う。俺のことなど、今気にすることではないだろうに。
「なんでと問われるのはお前の方だろう、なんでずっと隠れていた? 言いたいことがあるならさっさと出てきて言えば良かったじゃないか。店長さんにも散々迷惑を掛けて。愚図で頭の足りないお前が、1人で生きていくなんて無茶な話だ。消えるのは良い、こっちだって清々するからな。でも扶養を抜けたら私たちが困ることぐらい馬鹿でも分かるだろう。私たちの生活と兄さんの学費のために協力する姿勢というものを、役立たずなりに示したらどうだ?」
風船の空気が一気に抜けるみたいに、父親は維月に向かって喋り続ける。浅い呼吸をする維月の身体がぐらっと揺れた。俺が手を伸ばして彼の腕に触れようとした瞬間、大きな物音が響いた。
星來が維月と彼の父親の間に転がるように走ってきて、彼に半ば縋るようにしてしがみつく。彼女の震える呼吸とは対照的に、その双眸は燃えるような鋭さを持って維月の両親を見据えていた。
「夜野さん」
声を掛けると、維月の両親が此方を向いた。
「ご足労頂いて恐縮なのですが、あまり長いことこうしているとお宅の評判に響く可能性がありませんか? それこそ上の息子さんの生活に影響するかもしれません。このご時世、疑念を抱かれるような行動はあっという間に広まるようですし」
本当は疑念を抱かれるどころの騒ぎではないのだけど、精一杯の皮肉としてぶつけてみる。彼らの目が僅かに大きく広がって、少し力が抜けたのが分かった。
すっと息を吸い込む。喉元まで迫り上がってくる暴言を呑み込んで、穏やかに笑って見せる。
「……2人ともうちの従業員です。取り返しがつく額のお金と、取り返しがつかない社会的評判とを天秤にかけるなら、どちらを選ぶのが賢明かお分かり頂けるかと思いますが」
「……分かりました。失礼いたしました」
父親がそう言って1歩後ろに下がった。入れ替わるように、母親が維月と星來の前に立つ。維月の頬を撫でて柔らかく笑うと、彼が息を止めたのが分かった。
「愚鈍な貴方でも、生きて人様の役に立てる道があって良かったわね。仕事を失ったらいつでも戻ってらっしゃい。ただし、書類上だけでね」
にこっと笑った母親が、目線を下げて星來と目を合わせる。星來の肩がびくっと跳ね上がった。
「……良いご身分ねぇ」
彼女の頭に手を伸ばしかけたその人の前に、すっと腕を差し出す。怒鳴りつけてやりたくなる。
「お引き取りください。……怖がっていますから」
母親は少し戯けたように肩をすくめて、父親の横に立った。
「……長々と居座って申し訳ありませんでした。失礼いたします」
そう言って扉に手を掛けた維月の両親の横に、音もなく立つ。彼らの目を覗き込むように一瞬眺めた俺が笑顔を浮かべた瞬間、彼らの目に恐怖に似た色が閃いたのが見えた。
「彼ら、とても良く働いてくれるんです。僕も事を荒立てたくはないのですが、次またこのようにいらした時は……此方も相応の措置を取らせていただくかもしれません。ご留意頂ければ」
そう言って頭を下げると、2人も軽く会釈をして扉を開いた。からん、という音と共に、足音が遠ざかっていく。
『二度と来るな』。俺が分かりやすく掲げたこの言葉を、彼らはきちんと理解しただろうか。後ろ手に握った拳が震えていることに、その時気が付いた。
ふぅ、と溜息を吐く。振り返ると、星來と維月は並んで床に座り込んでいた。
「そんなところ座ってたら、身体痛くなるよ」
少し笑ってしまう。ほっとしたのかもしれなかった。2人の前にしゃがみ込んで、維月の頭にそっと手を伸ばす。怖がられる想像をしながら恐る恐るそうしたけど、彼が俺を拒絶することはなかった。そっと頭を撫でながら、呟く。
「頑張ったね。おつかれさま」
維月は何も言わなかった。俯いたままの彼の肩が、微かに震えている。
「……透夏さん」
「ん?」
「………ごめんなさい」
「維月が謝ることじゃないよ」
泣きそうに震えている彼の声を聞いて、安心させるようにふっと笑う。確かに消耗したし、面倒なことになったとは思ったけど、この子たちのせいだとは思っていない。悪いのは、彼らだ。
「星來もおつかれさま。怖かったね」
ひと回り近く歳下の女の子に軽々しく触れて良いのかと一瞬躊躇ったけど、維月にやったのと同じように星來の頭をそっと撫でる。彼女の双眸が微かに揺れたのが見えた。彼女の双眸にみるみる涙が溜まっていくのを見て、俺は驚いて手を引っ込める。
「ごめん、怖かった?」
違う違う、と星來の隣に座る維月が軽く笑った。
「ただ、安心したんですよ。ね?」
こくこくと頷く星來を見て、また少し笑ってしまう。安心した。確かに、そうだ。
「ほら、2人とも。ずっと床の上座ってたら石像になっちゃうから」
ゆっくりと立ち上がった2人を見て、俺も立ち上がってぐっと伸びをする。
「あー……疲れた」
深く溜息を吐いた俺に、星來と維月が軽く笑った。
だからといって維月と星來を逆恨みするとか、受け入れなければ良かったなんて思うことはないけど。
「すみません。私、夜野といいます。ちょっとお尋ねしたいのですが」
深く通る声が、俺の鼓膜を震わせる。
「はい」
俺の目の前に立っている1組の男女──話を聞くに、維月の父親と母親──は、俺の目にはどこまでもまともに見える。でも微かに揺らぐ深い影の気配があって、それと見た目の乖離が怖かった。
「あ、ちょっとすみません」
用事を思い出した振りをして、店の奥に向かう。
「星來」
声を掛けると、星來は既に此方の方を見ていた。怯えたように顔を伏せている維月の隣に、寄り添うように立っている。
「……はい」
俺は彼らを見て、ニつのことに驚いていた。
一つは、普段飄々としていて肝も据わっているように見える維月が、両親の気配にあんなにも怯えていること。
もう一つは、彼の家の詳しい事情など知る由もなかったはずの星來が少しも維月の反応に驚いていないこと。
「ごめん、物置の整理頼んでも良い?」
人は予想外のものに遭遇した時、驚く。彼女には予想がついていた、つまりは予想がつくくらい、あの反応が身近な環境に居たのだろう。
「分かりました」
そう言った彼女の影が僅かに揺れる。
にこっと笑って見せると、星來の表情が少しだけいつもの雰囲気に近付いた気がした。
俺の咄嗟の虚言に即座に合わせてきた彼女は、一体どんな環境に居たのだろうか。
「……すみません、お待たせしました。お尋ねになりたいこと、というのは……」
笑顔を崩さずに尋ねると、維月の父親が口を開いた。
「此方こそ、お手を煩わせてしまってすみません。先日我が家に届いた住民税決定通知書がですね、約1年前に出て行った息子が扶養を抜けている扱いになっていまして。予定していた控除額と合わないんですよ」
知りませんよ。
どこまでも事務的な口調を聞きながら、ぞっとした。腹の底が見えない。この人たちは維月を、どうしたいのだろう。
「戸籍の附票を調べたところ、此方の住所が転居履歴にあったので……息子が──維月が、ここに居るのではないかと。夜野維月といいます。お心当たりはございませんか」
税金額の決定通知を見て初めて、1年前に失踪した息子の附票を調べて、ここに来た。探しに来たと考えるにはあまりにもタイミングが不自然だ。大体、維月が扶養を抜けたと申告したからといって、すぐに税金が上がるわけがない。行政から昨年は本当に控除を受けて然るべき状況だったのか、確認なんかが来るはずだ。この言い方だと、気付いていないか無視しているんだろう。
「……申し訳ありませんが」
雇用主は被雇用者の個人情報を本人の許可なく第三者に伝えられないから、俺がその情報を伝えることはできない。その旨を2人に説明すると、父親はふっと呆れたように薄く溜息を吐いた。分かりきったことを言う、とでも言いたげに。それを思うなら此方の方なのだが。何故分かりきったことを問うたのだ。
「……恥ずかしながら」
ここに来て、維月の母親がようやく口を開いた。穏やかな口調に聞こえる。でもその中に、細く鋭い棘のようなものを感じた。壁の向こうに居るであろう2人には、聞かせたくなかった。
「あれを息子と言うのも、気が引けるくらいなんです。兄の方は優秀で、真面目で。それなのにあれは愚鈍で、役に立たない。せめて家計くらいは助けてくれないと、私たちからしても割に合わない」
何を。
何を言っている。
夢を見ているのかと思った。
悪い、夢。
まともな顔をした父親が、再び口を開く。
「……そういうことなのです。だから、帰って来る必要はない。私たちもあれが戻って来ることを望んではいませんから。ただあれが勝手に出て行った上扶養まで抜けたとなると、私たちが金銭的に損をすることになる」
扶養控除を受けられる条件。
本で読んだそれが頭の中に蘇る。自分に関係ない分野を勉強していたと気付いた時にはがっかりしたけど、記憶力が良い方で助かった。使える手札は多い方が良い。
一つ。家計を一にしていること。
一つ。被扶養者の年収が一定のラインを超えていないこと。
「……失礼ですが」
嫌だなぁ。踏み込みたくない。面倒ごとには、巻き込まれたくない。俺はそこまでのことができる優しくて強い人間じゃないから。
「息子さんに仕送りなんかはされているんですか?」
「していません。行方すら知りたくないのに、金を送るわけがありませんよ」
無茶苦茶だ。1から10まで説明してやる義理もない。何より、まともな顔をしたこの人たちに、まともな論理が通用するとは思えない。素直に、帰って欲しかった。
「……それは、扶養控除の対象にはならないでしょう。それが目的なら、すみませんが、お引き取り願えますか」
営業時間中なので、と続けようとしたところで、父親がにこっと笑った。何故か神経を逆撫でされるような、怖いくらいに穏やかな笑顔。
「失礼しました。すぐにお暇致します。ただ……維月。居るなら、出てきなさい」
腕が痺れるように粟立つのを感じた。
「……維月。居るなら、早く」
母親の声。
星來の何か言う声が微かに聞こえた。何と言っているのかは分からない。
「………なんで来たんですか。透夏さんのこと、困らせないでくださいよ」
足元をふらつかせながら、維月が青白い顔を出す。最悪だ、と思う。俺のことなど、今気にすることではないだろうに。
「なんでと問われるのはお前の方だろう、なんでずっと隠れていた? 言いたいことがあるならさっさと出てきて言えば良かったじゃないか。店長さんにも散々迷惑を掛けて。愚図で頭の足りないお前が、1人で生きていくなんて無茶な話だ。消えるのは良い、こっちだって清々するからな。でも扶養を抜けたら私たちが困ることぐらい馬鹿でも分かるだろう。私たちの生活と兄さんの学費のために協力する姿勢というものを、役立たずなりに示したらどうだ?」
風船の空気が一気に抜けるみたいに、父親は維月に向かって喋り続ける。浅い呼吸をする維月の身体がぐらっと揺れた。俺が手を伸ばして彼の腕に触れようとした瞬間、大きな物音が響いた。
星來が維月と彼の父親の間に転がるように走ってきて、彼に半ば縋るようにしてしがみつく。彼女の震える呼吸とは対照的に、その双眸は燃えるような鋭さを持って維月の両親を見据えていた。
「夜野さん」
声を掛けると、維月の両親が此方を向いた。
「ご足労頂いて恐縮なのですが、あまり長いことこうしているとお宅の評判に響く可能性がありませんか? それこそ上の息子さんの生活に影響するかもしれません。このご時世、疑念を抱かれるような行動はあっという間に広まるようですし」
本当は疑念を抱かれるどころの騒ぎではないのだけど、精一杯の皮肉としてぶつけてみる。彼らの目が僅かに大きく広がって、少し力が抜けたのが分かった。
すっと息を吸い込む。喉元まで迫り上がってくる暴言を呑み込んで、穏やかに笑って見せる。
「……2人ともうちの従業員です。取り返しがつく額のお金と、取り返しがつかない社会的評判とを天秤にかけるなら、どちらを選ぶのが賢明かお分かり頂けるかと思いますが」
「……分かりました。失礼いたしました」
父親がそう言って1歩後ろに下がった。入れ替わるように、母親が維月と星來の前に立つ。維月の頬を撫でて柔らかく笑うと、彼が息を止めたのが分かった。
「愚鈍な貴方でも、生きて人様の役に立てる道があって良かったわね。仕事を失ったらいつでも戻ってらっしゃい。ただし、書類上だけでね」
にこっと笑った母親が、目線を下げて星來と目を合わせる。星來の肩がびくっと跳ね上がった。
「……良いご身分ねぇ」
彼女の頭に手を伸ばしかけたその人の前に、すっと腕を差し出す。怒鳴りつけてやりたくなる。
「お引き取りください。……怖がっていますから」
母親は少し戯けたように肩をすくめて、父親の横に立った。
「……長々と居座って申し訳ありませんでした。失礼いたします」
そう言って扉に手を掛けた維月の両親の横に、音もなく立つ。彼らの目を覗き込むように一瞬眺めた俺が笑顔を浮かべた瞬間、彼らの目に恐怖に似た色が閃いたのが見えた。
「彼ら、とても良く働いてくれるんです。僕も事を荒立てたくはないのですが、次またこのようにいらした時は……此方も相応の措置を取らせていただくかもしれません。ご留意頂ければ」
そう言って頭を下げると、2人も軽く会釈をして扉を開いた。からん、という音と共に、足音が遠ざかっていく。
『二度と来るな』。俺が分かりやすく掲げたこの言葉を、彼らはきちんと理解しただろうか。後ろ手に握った拳が震えていることに、その時気が付いた。
ふぅ、と溜息を吐く。振り返ると、星來と維月は並んで床に座り込んでいた。
「そんなところ座ってたら、身体痛くなるよ」
少し笑ってしまう。ほっとしたのかもしれなかった。2人の前にしゃがみ込んで、維月の頭にそっと手を伸ばす。怖がられる想像をしながら恐る恐るそうしたけど、彼が俺を拒絶することはなかった。そっと頭を撫でながら、呟く。
「頑張ったね。おつかれさま」
維月は何も言わなかった。俯いたままの彼の肩が、微かに震えている。
「……透夏さん」
「ん?」
「………ごめんなさい」
「維月が謝ることじゃないよ」
泣きそうに震えている彼の声を聞いて、安心させるようにふっと笑う。確かに消耗したし、面倒なことになったとは思ったけど、この子たちのせいだとは思っていない。悪いのは、彼らだ。
「星來もおつかれさま。怖かったね」
ひと回り近く歳下の女の子に軽々しく触れて良いのかと一瞬躊躇ったけど、維月にやったのと同じように星來の頭をそっと撫でる。彼女の双眸が微かに揺れたのが見えた。彼女の双眸にみるみる涙が溜まっていくのを見て、俺は驚いて手を引っ込める。
「ごめん、怖かった?」
違う違う、と星來の隣に座る維月が軽く笑った。
「ただ、安心したんですよ。ね?」
こくこくと頷く星來を見て、また少し笑ってしまう。安心した。確かに、そうだ。
「ほら、2人とも。ずっと床の上座ってたら石像になっちゃうから」
ゆっくりと立ち上がった2人を見て、俺も立ち上がってぐっと伸びをする。
「あー……疲れた」
深く溜息を吐いた俺に、星來と維月が軽く笑った。



