あかりもり

風が吹いている。
下の方から、遠く波の音が聞こえる。潮の香りがする。
目の前には、人影ひとつみえない。
「やぁ、久しぶり。……まさか、本当にどこにもいないとはね」
我ながら、まさかここに足を運ぶとは思っていなかった。花なんて絶対供えてやらない、と言ったのだから。
買ってきた花束を足元に置いて、目を閉じる。心の中でそっと話し掛ける。
もうあれから1年が経った。俺は相変わらず、あの店で何とかやっている。星來と維月も一緒だ。綴も、まぁ……作曲はしていないみたいだけど、よく顔を出してくれる。
そうそう、綴と言えば。
この前、唐突に彼と同い年の女の子を連れて来たんだ。お前と同じで詩を書くらしい。話したってバレたら怒られそうだから誰にも言わないでくださいよ、って綴に言われたけど、まぁお前になら話しても良いだろう。声に出してもいないし。
(うた)、っていう名前なんだ。お前と正反対なようでよく似ていて、ちょっと心配している。でも、彼女と綴はちゃんと喧嘩ができるみたいだから、たぶん大丈夫。俺たちみたいにはならないと思う。
あぁそうだ、それから。この前杠さんから、唐突に絵葉書が届いたんだ。まさか本当に海外に行っているとは思ってなかったけど、まぁ……あの人らしいか。
みんな元気だよ。仲良くやってる。
お前が今のあの店を見たらどう思うのかな。何にも変わってないな、とか言いそうだ。いや変わっているんだよ、少しずつ、でも確かに。
歌ちゃんとお前が顔を合わせたら、歌ちゃんはすぐに逃げ出すと思う。彼女、お前みたいな傍若無人は一番苦手そうだから。でもちょっと、見てみたかった気もするな。ほんの少しだけ。
はぁ、と息を吐く。
さぁと音を立てて、風が吹いた。
もう少し自分のことを真っ直ぐ見つめて、この感情を1年前に自覚していたら、それをちゃんと伝えていたら。
何か変わったんだろうか。
考えて、ふっと笑ってしまう。
ないだろうな。頑固者で天邪鬼な彼奴のことだから、俺の言葉ひとつであの決断が揺らいだとは到底思えない。手酷く振られて終わりだっただろう。悔しいけど。
でも、と思う。何でも良いから、もっと眺めていたかった。
「……もう少しこっちに居れば良かったのに。きっと面白かったよ」
彼女はイサナと名乗っていた。くじらのことを指すらしい。それなら海面に向かって飛び降りれば良かったのに、月明かりの下、干潮のタイミングで飛び降りたんだというから恐れ入る。決めた瞬間に動かないと気が済まないのは、最期まで変わらなかったんだろう。
もしくは、見つけて欲しかったとか。
「いやぁ、無いな」
考えて、笑ってしまう。それは何というか、彼女らしくない。
星來と維月に黙って花屋に行って、その足でここまで来てしまったから、店に帰ったら2人に叱られてしまうかもしれない。完全に俺が悪いんだけど、怒られるのは嫌だな。
帰る前にもう一度、海を眺める。
遠くにある水平線を見晴るかす。
「……じゃあ、また来るよ。またね」
手を振るのも違うなぁと思って、ポケットに両手を突っ込んだまま笑った。態度が悪い、とか言われそうだ。
風の音がする。
くじらを見たいな、と思いながら、薄曇りの空を見上げる。
すっと息を吸い込んで、「帰ろう」と呟いた。
いつまであの店をやれるかは分からないけど、今は。
今はまだ。
あの人から受け継いだ灯が、俺の手の中にある。それを守ること。
灯守りが、俺の仕事だ。